王宮炎上
キリルはクロに気付くと、ほっと息をつく。クロがカイルから離れたということはもう危険はないと判断したということだ。
「クロ、そうカ、お前ガ……。一瞬地面が陰ったように見えたが見間違いではなかったようだナ。王都中の魔物の大半を片付けたカ。さすが、というべきなのカ」
クロが敵ではないと分かっていても、戦慄を覚えてしまう。王都がどれだけの広さで、どれほどの魔物が入り込んでいたと思っているのか。それを一気に片付けるなど人の身では到底不可能だ。
エドガーも戦いながら相当数の犠牲が出ることを予感していた。
『王都内でも個別に結界の張ってある場所までは影を伸ばすことが出来なんだがな』
魔物を防ぐ結界ということは必然的にクロの影もまた妨げられる。しかしそういう場所は少なく、魔物もそこには侵入していないだろう。そんなことをしなくても餌は手の届く場所にいたのだから。
「早急に治療が必要な重傷者や死者モ、集めてくれたそうだナ」
『全員ではないが、我の空間に入れておる。気絶している者もいたようだがどこに出せば良いのだ? 死者は?』
「今、カミラがギルドの前を空けていル。そこに出してくレ。負傷の度合いや収容先の状況で行き先が変わル。死者は全員ギルドの演習場に安置してくレ」
後ろを振り返れば、物理的に頭を冷やされた面々が、恐怖とは別の青白い顔をしながら場所を開けている。もう少しかかりそうだと判断したクロは先に演習場に向かう。
ハンターギルドの地下にある演習場は、普段はギルドメンバーの練習や訓練、試験の会場などに使われる。
いつもはそれなりに賑わう演習場はがらんとしており、職員が白い布をかけられた遺体の間を行ったり来たりしている。
その中にはナナの姿もあり、無事だったかとホッとすると同時に心配にもなる。ナナは今にも泣き出しそうな青白い顔で、けれど泣かないように唇を噛み締めながら足と手を動かしている。
クロは空いているスペースに移動する。すぐにクロに気づいたナナが寄ってきた。
「クロ……」
ここに来た目的を悟ったのかそれ以上声が出ないようだ。いつもの底抜けの明るさや調子が鳴りを潜めている。ギルドの受付をしているということはそれだけ顔見知りも多いということだ。死者の中に知り合いも多いのだろう。
『並べておく、身元を確認するがよい』
クロもまた慰めの言葉は口にしない。今はどんな言葉も薄っぺらく聞こえるだろう。クロの影から出てくる死者を見ながら、ナナは口元を手で押さえ体を震わせていた。
安全だと疑ってもいなかった町中で、しかも王都でこんなことが起きるなんて思ってもみなかった。外では見慣れた魔物が町中を歩き回る見慣れない姿に恐怖した。
だが、それ以上に怒りがこみ上げてくる。なぜ、誰がこんなことをしたのかと。
カイルが回収した遺体も影を通じて一緒に並べられた。ざっと見ただけで百人は超えているだろうか。一時間にも満たない間にそれだけの命が失われたのだ。王都の人口からすれば少ないなどとは言えない。
誰しもに生活があり幸せがあり家族があっただろう。こんなことで命を散らしていいはずがなかった。そんな謂れなどなかっただろう人々だ。血がにじむほど唇をかみしめたナナは、それでも気丈に一人一人顔やギルドカードを所持していればそこから身元を手元の書類に書き付けていく。不明な者も後で確認を取るのだろう。
演習場にいる職員達は皆無言で、しかし死者を悼む気持ちを忘れないようにしながら確認作業を続けていた。クロもまた彼らに背を向けるとギルドの入口に戻る。その胸に、底冷えするほどの怒りを内包して。
ギルド前は広く空間が取られただけではなく、医療班と見られる者達やその手伝いをする者達が準備を整えて待っていた。クロは意識がなかったり、身動きが取れないようなものから順に影から出していく。
クロが回収した人々は、それでも今回出た負傷者のうちの一部だ。早急に治療が必要な重傷者であったり、周囲に救護者がいない者を選んで影に入れた。そうでなければ実際に治療に当たるカイルの負担が大きくなりすぎるとの判断からだ。それでも、千を軽く超える人々がいた。
魔物がいなくなっても、負傷者の治療や避難は王都中で続いているだろう。魔物が現れた経緯が分からない以上、これで終わりだとは言い切れない。完全に安全を確信できるまで戦えない者達を守れる態勢が必要になる。
全員を出した後にカイルも影から出てくる。難しい顔をしたままのエドガーやカミラと顔を合わせ、これからの動きの打ち合わせをする。今のところ当面の脅威は去ったように思えるが、他地区の状況もまだ入ってきていないようだ。
「カイル、何か分かるカ?」
「……いや、警告があったのはあの爆発みたいな音がする直前だ。それまでは、何の異変もなかったと思う。ただ、音がして魔物が現れる前、あちこちで魔法陣が起動したみたいだ。そこから魔物が湧き出てきたってことだから、恐らくそれが……」
「魔界と人界を繋ぐゲートの役割を果たしたと、そういうことですね。問題はそれをやったのが誰で目的が何なのかということや、他に同じような魔法陣があるのかということでしょうか」
再び魔法陣を起動させられるようなことがあれば、また同じだけの魔物が出現するということになる。また、敵の正体や狙いが分からないのであれば警戒態勢を解くこともできない。
魔法陣は設置式のものと、魔石に術式を組み込んでおいて持ち運び任意のタイミングで発動させるものとがある。しかし、相応の場所があるならともかく王都の町中で魔法陣を設置できるとは思えない。人の目があるし、何よりそんな不審な動きをしていて精霊の目をごまかせるだろうか。
ならば、今回使われた魔法陣は魔石によるものだろう。それなら魔石を置いておくだけでいい。遠隔操作ができる時限式にしておけば一人でも犯行は可能だし、その時この場にいなくても魔法陣を起動することが出来る。せめて狙いが分かれば対応もとれるが、その狙いさえはっきりしないのだ。
カイルは仲間達の居場所や状況を確認しながら敵の狙いが何なのかを考える。ダリルは中央区の定宿の近くにいる。怪我はないようだ。……ただ多くの被害を出すためなら、通りに人の少ない朝の時間帯を狙うのはおかしい。トーマも無事で、道場にいる。……あの時間帯に動くのは農家や仕入れをする商人くらいのもの。
ハンナは魔法ギルドの前にいる、今も空の魔物を撃ち落としているようだ。……警備隊や騎士団を狙ったのであれば警備隊庁舎や騎士団支部に魔物を集中させるだろう。アミルとレイチェルは王宮を囲う結界のせいで分かりづらいが、逆にそれが王宮内にいることを裏付ける。生きてはいるようだ。
仲間達の無事を確認できたところで、ふと疑問が沸き起こる。これだけの騒ぎになれば、例え魔物がいなくなったとしても騎士団本部が動くのではないか。国王の命の元、人々の安全を確保し混乱を鎮めるためにも。それなのに、町に常駐している騎士や警備隊は動いているのに、王宮からの働きかけがない。
王城に一番近い中央区にさえ騎士団本部の騎士達の姿が見えないのだ。そこに考えが及んだ時、ゾワリと鳥肌が立つ。動かないのではなく、動けないのだとしたら? 結界の張られた王都の中で起きたことが、王都内でもさらに結界の張られた王宮内で起きていたとしたら?
思わず城を振り仰いだ時、城にある塔の一つが轟音を上げて崩れ落ちた。石造りの塔が地面に落ちる前に幾度も爆音がとどろき、黒煙が上がった。避難してきた人々から、魔物の襲来があった時以上の悲鳴と怒号が上がる。誰もが信じられない面持ちでそれを見ていた。
カイルはクロに目配せすると、すぐに貴族街の入口に空間扉を繋ぐ。貴族街は重鎮が多いためか外堀を塀で囲まれたうえ結界が張られている。そこから進んだ先の王宮もまた同じような措置がされているため、実質王宮は王都の内外含め三重の結界に守られているはずなのだ。その王宮にある城で異変が起きている。
クロによって影に引きずり込まれ連れて来られた仲間達だったが、文句を言うことなく緊張した面持ちを見せている。王宮にいるだろうアミルとレイチェルは結界があるために連れてこられない。だが、どのみちこれから向かうのだ。
「エドガー、こちらはわたしが。急いで城へ」
「ああ、分かっていル。本命は王宮カッ!」
急いで空間扉をくぐりながら、エドガーが犬歯をむき出しにするほど怒りをあらわにする。なんだかんだあっても、エドガーはトレバースを敬愛しているし、中央区のギルドマスターとしての誇りがある。たとえ王都が攻められたとしても、最後の砦でいるつもりでいた。それなのに、エドガーの目も手もすり抜けて、城に敵が入り込んだのだ。
貴族街の入口には普段はいる警備隊の門番がおらず、王宮までの道のりもひっそりとしている。カイルは貴族街の中に入るとさらに王宮の通用口までの空間扉を開いた。今は一分一秒が惜しい。
空間がつながった先に見えたのは、普段は閉じられ常駐の門番がいる通用口が無残に破壊され、あちらこちらに火の手が上がっている。そんな中唯一の救いと言えるのが、争った形跡はあれど血痕はなく、負傷者の姿や死体がないことだろうか。
ボロボロになった通用口をくぐると、フィルターがかかっていたような感覚が消え去り、レイチェルやアミル達の居場所が鮮明になる。しかし、カイルの焦燥と嫌な予感は膨れ上がるばかりだった。なぜなら、今もなお響く騒音と戦闘音、その最中に反応があるからだ。しかも、両者ともかなりの疲弊が感じられる。
何があったのかと精霊達に尋ねるのももどかしく空間を繋ぐ。無事でいてくれと祈る様に願いながら。
時は少し遡り、王都や城に異変が起こる少し前、レイチェルはいつものように城にアミルを迎えに行っていた。親しい間柄と言えど、アミルは精霊界の王族より預かった賓客。日々の送り迎えは世話係であり、護衛でもあるレイチェルの役目だった。
孤児院の大粛清で官吏の風通りがよくなっただけではなく、レイチェルに対する視線も変わってきた。普段の雰囲気も柔らかくなったおかげか、すれ違う使用人やメイド達に笑顔であいさつされるようになっていた。それまではどこか怖がられていた節がある。それだけレイチェルに余裕がなかったのだろう。
朝食を済ませ、身支度を整えたアミルと共に城から出る。そこから正門までは見事に整備された美しい庭園が広がっている。見慣れていたこともあってか気にせず通り過ぎるだけだったが、今では日々少しずつ変わっていく様子を楽しむようになっていた。城お抱えの庭師達の日々の努力があって初めて保たれる美しさなのだと理解することが出来た。
自分が、そして自分がいる場所がどれほど多くの人々に支えられて成り立っていたのかようやく実感できるようになったのだ。
「今日もいい天気ですわね」
「ああ、絶好の収穫日和だな。わたしももう少しでアミルに並べる」
レイチェルは精力的にギルドの依頼をこなすだけではなく、近衛騎士団の修練にも力を入れており実力をさらに伸ばしていた。カイルやトーマ達に触発され気功の腕もさらに高めていた。SSSランクも間近だ。
カイルが表に出れば敵も増えるだろうし、今までのように行動範囲を限定されることはなくなるだろう。そうなればカイルの騎士であることを己に定めたレイチェルもまた相応の実力を要求されるということだ。今やカイルの夢はレイチェルにとっても夢になっているのだから。
穏やかな気持ちで庭園の中ほどに進んだ時だった、遠くの方から爆発音が聞こえてくる。それも一つだけではなく、方角もバラバラだ。それこそ王都中いたる場所から。
「なっ、なんだ! これは、一体……」
素早く気功を用いたレイチェルは町の方に駆けだそうとする。しかし、それは叶わなかった。目の前に不気味な闇色の光を放つ魔法陣が広がったかと思うと、爆発したような音と閃光を放つ。突風が吹き寄せてくるが足を踏ん張って耐える。隣にいたアミルは物理障壁を張って耐えたようだ。
巻き上がった土煙が収まると、そこには信じられない光景とあり得ない存在が目に入ってくる。先ほどまで色とりどりの花が咲き誇り、高さをそろえて整えられていた花壇も庭木も無残に踏みつぶされている。
それを為したのはここにいるはずのない魔物の姿。それも、どれもが大型で獰猛な種類。ランクにしてAランク以上を推奨とする魔物ばかりだった。直径二十メートルほど広がっていた魔法陣の範囲内にそんな魔物達がひしめき合っている。
あるものはレイチェル達に目を付け、あるものは手に持っていた荷物を落として悲鳴を上げるメイドに、あるものは獲物を探そうと動き出す。
そんな魔物達を先ほどの魔法陣よりも広い範囲で発動した光の帯がからめとっていく。ただの光の帯であれば力まかせに暴れて解いていたかもしれない。しかし、その魔法を発動したのはアミルだ。時属性が織り込まれたそれは触れた魔物達をことごとく停止させていく。
レイチェルはそんな魔物達の顛末を全て見ることなく踏み切っていた。魔法が使えないレイチェルが仕込んでいた身体強化の魔法具を発動させ、三歩目にはトップスピードに乗る。
近衛騎士団に任命された時、国王陛下により下賜された剣を、父によって仕込まれた技でもって抜き放つ。光の帯で動きを止めていた魔物は、そのまま抵抗することなく首の位置で二つに分かれ塵になっていく。
レイチェルは速度を落とすことなく、縦横無尽に魔物達の間を駆け巡りながら剣を振るっていく。レイチェルが通り過ぎるたび、剣を振るたびに一匹、また一匹と魔物達が消えていく。その様子に残った魔物達はさすがに焦りを見せる。
どうにかして体を動かそうと渾身の力を振り絞り、悲鳴にも聞こえる吠え声を上げて抵抗しようとする。だが、救うべき者にはどこまでも真摯で慈愛に満ちたアミルも敵に対しては冷厳で容赦がない。
研ぎ澄まされた光の杭が魔物を繋ぎ止めるように次々と放たれる。彼らの巨体にとって一本一本はそこまで脅威ではないかもしれない。しかし、全身を刺し貫かれてはさすがに生きてはいられない。例え死なずとも身動きを封じることが出来る。
光の杭と、音よりも早く動くレイチェルにより庭園に現れた魔物達はその本領を発揮することなく殲滅された。アミルは小さなため息をつき、レイチェルは剣を鞘に納める。あたりに散らばる魔物達の素材や魔石を回収する気にはなれなかった。
それよりももっとやるべきことがある。王宮内でも、そして王都でもまだ騒ぎが収まっていない。見上げてみれば、結界に阻まれて城近くには来ていないが、町のある方向に無数の魔物達が飛び交っている様子が見える。
できることならこのまま王宮を飛び出し町に駆け付けたい。家にいる母や妹、学園にいる弟だって気がかりだ。カイルの学園訪問以来、レイチェルの手紙に短いが返事が届くようになっていた。年末には弟と手合せをする約束だってしている。何より、誰よりも優先したい相手が町にはいる。
しかし、それはできないだろう。心情はどうあれ、今のレイチェルの立場は近衛騎士だ。有事の際、王宮を守り、そこに住まう人々を、王族を守護する役目を与えられた存在。非常時と言えど、非常時だからこそその行動は縛られることになる。
「王宮内にもまだ魔物がいるようですわ。行きましょう!」
「ああ、サポートを頼む。見つけ次第すべての魔物を叩き切る!」
アミルもそれを分かっている。守護と補助、そして回復の要であるアミルは攻守ともにレイチェルのサポートができる。負傷者がいれば癒すことも。
正面からの攻撃はレイチェル達が防いだ。そして騒動は正門の左右からしている。レイチェルは逡巡すると騎士団本部がある方向とは逆に向かう。この騒ぎで騎士団本部も動いているだろう。父もいるはずだ。ならばそちらは任せて大丈夫だ。今はそう信じるしかない。
走りながら、アミルに先ほど使った分の魔力を補充してもらう。これからどれだけ戦わなければならないか分からない。補給はできる時に済ませておくに限る。騒動の場所から逃げようとする者達の流れに逆らい、間を縫うようにして魔物達の元に向かう。この剣にかけても、好きにはさせないと決意を固めながら。
 




