新たな誓いと忍び寄る悪意
森を半分ほど進んだところでカイルの息が切れてきたため、一度休憩を入れる。
「悪いな……」
「気にするな」
不愛想だがカイルを気遣っているキリルの様子にカイルも笑みを浮かべる。よほど慌てていたのか、キリルは荷物も何も持っていなかったので、カイルが水袋を渡すと驚きながらも受け取っていた。
カイルは息を整えつつも、町に戻ってどう報告したものかと考えていた。今の状況を説明するためには、どうしてもカミーユやキリルのことについても触れなければならない。だが、そうなるとキリルが罪に問われる可能性がある。嘘を吹き込まれそそのかされたとはいえ、主を殺しかけたのだから。
かといってキリルのことを抜きで話すとどうしてもつじつまが合わなくなる。それにカミーユ達のことを正直に話したところで信じてもらえるかどうか。未だに役人達の間ではカイルは流れ者の孤児という立場なのだろうから。
「……その剣」
「剣?」
「それは、父親からか?」
「ああ、四歳の誕生日のプレゼントにな。なんでも、ディラン=ギルバートって人が作ってくれたって」
「ディラン!」
「あれ? そういやキリルもギルバートって……」
「ああ、ディランは祖父だ。俺はドワーフのクオーターだからな」
「ああ、なるほどな」
カイルはキリルの体格に似合わない力強さを思い出す。
「見せてもらっても、いいか?」
「ああ、ほら」
カイルはキリルに剣を手渡す。キリルは鞘から抜くと、じっくりと検分する。そうして、剣の道に進むきっかけになった出来事を思い出していた。
あの日、キリルは祖父の鍛冶仕事で使う薪を拾いに町の外に出ていた。当時八歳だったキリルだが、体格的にはドワーフの大人とそう変わりなかったためだ。だが、そこへ魔物が襲撃してきた。集団だったことから町を襲うつもりだったのだろう。そして、通り道にいたキリルにも襲い掛かってきた。
拾っていた薪二本を剣に見立てて応戦していたが、数にも押され地面に引き倒された。そして、危うく殺されそうになった時助けが入った。数人の男女が瞬く間に魔物を殲滅してしまったのだ。そして、倒れたままのキリルを助け起こしてくれたのが剣聖ロイドだった。
なんでも祖父を訪ねてきたところ、魔物の姿を見かけて駆け付けたのだという。思えばあの時、祖父がロイドに渡していた剣と、今目の前にある剣は同じものだ。道理で見たことがあるような気がしていたはずだ。
「これは、その頃からずっと?」
「ああ、持ち出すことができた遺品の一つだよ。これには随分助けられてきた。ディランの祖父さんにあったらお礼を言わないとな」
十二年間使われ、打ち直された様子もないのに未だ切れ味を失わない剣。それは紛れもなく祖父の手による作だということを裏付けている。そして、それはカイルがロイドの息子であることをも証明したようなものだ。たとえキリルにしか分からずとも。
「カミーユが持っていた指輪、あれは……」
「どうだろうな。俺も、父さんことについてはそこまで詳しいわけじゃないし」
「なぜだ?」
「父さんが家に帰ってきてたのは年に二・三回。長くいて十日ほどだったから……」
カイルの言葉と表情に、キリルも顔を曇らせる。誰からも敬われ期待される剣聖。だが、それは私生活を犠牲にするということでもある。最も身近な、守りたい存在と共にいられないことを意味している。
「だから、正直、カミーユが兄弟なのか他人なのか俺には分からない。でも、あいつのやっていることは許せない。けど、それをどう証明するかだよな」
「町へ戻り警備隊に話せば……」
「……たぶん、信じてもらえない」
「なぜだ! 俺も証言する」
「それでもだ。あいつには剣聖の息子って肩書きがある。対する俺は……流れ者の孤児、だから」
キリルはカイルの言葉の意味が理解できず眉を顰める。その様子に、キリルもまた流れ者の孤児達の現実を知らないのだと悟った。キリルは境遇で差別するような性格ではないが、今まで積極的に関わっても来なかったのだろう。
カイルは簡単にそうなった経緯と、カイル達がさらされている現実を話して聞かせる。最初は驚いていたキリルだったが、次第に強く拳を握りしめ義憤に震えていた。
「そんな……ことが、まかり通るのか」
「そんなもんさ、今の世の中はな。だから、困ってるんだよな。町に戻ってどう話したもんかって」
カイルは最初に悩んでいた問題に戻ってくる。キリルにもようやくカイルの抱える問題が理解できてうなる。キリルは基本的に剣の腕で世界を渡ってきた。だから腹芸や策謀とは無縁だ。そのためカミーユの稚拙な計画に何度もはめられてきたわけだが。
「森で迷ってたってことにするしかないかな……。親方達には本当のことを話すとして……なんか、カミーユに突撃しかけそうだけど」
親方達の反応を思い描いてカイルは苦笑いをする。怪我は治ったが、治ったからといって許せるものでもないだろう。普通なら重傷か死んでいてもおかしくなかった。
「苦労、してきたんだな」
「そうでもないさ。俺は生きてるだけましだよ。生きたくても、何も悪いことをしてなくても死んだ奴も殺された奴も大勢いる。俺は恵まれている方だ」
そういって笑うカイルを、キリルはまぶしいものでも見るように目を細める。そして、バーナード武具店の者達がカイルを身内扱いする理由が分かったような気がした。放っておけない危うさと共に在りたいと思える心の在り方、そしてどんな境遇にあっても強く優しく正しくあろうとする行動。これこそがキリルの求めてきた剣聖の息子のあるべき姿だった。
だが、一度頭を振ってその考えを捨てる。剣聖の息子だからなどと、もう関係はない。キリルはカイルだからこそ共に在りたいと思える。剣聖に代わってなどと言えた義理ではないが、カイルに剣を教え、そして守っていきたい。いつかはキリルを越えていくだろうカイルという存在を、彼を取り巻き襲い掛かる障害を振り払う剣となって。
「カイル、頼みがある」
「ん? なんだ、改まって。恩返しって言うなら、こうして来てくれたことでチャラだと思うけど」
かつて受けた恩のために、恩人の息子という人物に尽くしてきたキリルだ。カイルから受けたと思っている恩を必要以上に重く受け止めているのではないかと、カイルは軽く受け流す。だが、キリルの真剣なまなざしはカイルをとらえたままだった。
「そうじゃない。剣を教えるといっただろう」
「ああ、……まさか、できないとか?」
キリルが二つ名を持つほどの剣士であることは聞いた。そんな立場にある人間が、最下層の立場であるカイルに剣を教えることははばかられるのだろうか、と。
「いや、そうじゃない。剣は教える、必ず一流以上にしてみせる。だが、その前に俺を……俺をお前の剣にしてくれないか?」
「は? 剣?」
カイルはキリルの言葉が理解できずにおうむ返しをする。キリルはその様子に、知らないのだと気付いて説明する。
「剣とは、定めた主のために剣を捧げ共に歩む者のことだ」
「ってことは俺にキリルの主になってくれってことか? 俺はそんな柄じゃねぇよ。それに、キリルを縛りたくもない。せっかくカミーユから解放されたのに、なんでまた……」
「カイルだからこそだ。俺はお前の力になりたい。共に、歩みたいと思っている。剣聖の息子とか恩人とかそういうのは関係ない。お前と共に生き、お前と共に学び、お前と共に戦いたい。お前が歩む道を、掲げる目標を共に成し遂げていきたいと思っている。迷惑か?」
珍しく口数の多いキリルに、カイルは困り顔で悩む。カイルの歩もうとしている道には障害が多い。頼れる仲間がいるなら大歓迎だ。それに、キリルなら心から信頼できる。ただ、主従関係という間柄が納得できないのだ。
「……うーん、分かった。ただし、俺とキリルは対等な関係だ。俺はキリルに剣を教わる立場だしな。それでいいなら、俺の方からお願いする。キリル、俺の仲間になってくれ。多くの人からは小さく見える、実現は難しいかもしれないものだが、叶えたい夢があるんだ。そのために、一緒に戦ってくれ」
「承知した。これからはカイルと共に在り、己の信念と誇りに従って剣を振ろう」
「ああ、そうしてくれ。さすがに三度目は御免だ」
カイルはそう言って二度キリルの攻撃を受けた腹を撫でる。もうほとんど痛みは残っていないが、記憶は鮮明に残っている。あんな無茶はもう御免こうむりたい。
「悪かった。傷はもう平気なのか?」
「まあな、ギルドに入れたおかげで上の階級の魔法を使えるようになったし。そういや、キリルも魔力あるんじゃないのか?」
ドワーフの血を持っているなら、同じように魔力も受け継いでいるのではないか。確実ではないが可能性は高い。人と違って精霊界に住む種族は血によって魔力を受け継いでいく。人は両親が魔力なしでも、魔力がある子供が生まれてくる可能性がある。遺伝もないこともないが、素質は完全にランダムだ。
「ああ、だが、俺は土の適性しか持たない。だから補助に使うくらいだな」
「へー」
「魔法は、得意なのか?」
「いや、そうでもない。十六になるまで生活魔法しか使えなかったし。魔力量自体は多いし、質も高いみたいなんだけどな。だから今は勉強中だよ」
「だが、先ほどの回復魔法、無詠唱だったように思うが……」
「あんなの練習すればできるようになるだろ。なんか呪文の詠唱って、むずがゆいって言うか恥ずかしいって言うか。よく大声で叫べるよな」
カイルが無詠唱を主に使うのは呪文の詠唱が気恥ずかしいのと、魔法を使っていることがばれにくいからだ。探知は元々路地裏を大人や敵から逃げるために考えたものだ。詠唱なく使えれば相手に居場所をつかまれることもない。
「そうか? そう簡単なものでもないと思うが……」
キリルも魔法に関してはそう詳しくない。だから、カイルが使う魔法が規格外であることに気付けなかった。
「よっし、そろそろ行くか。帰る頃には昼になってそうだ」
カイルは空を見上げる。主の寝床を出た時にはまだ日が昇ったばかりだったが、本調子でないカイルの移動速度と休憩によって大分時間を食ってしまった。だが、休憩したことでさっきよりまともに歩くことができる。キリルの肩を借りなくてもどうにかなりそうだ。
まずは心配しているだろうバーナード武具店に行き、それからギルドだ。依頼の清算もあるし、カイルの事情を知るギルドマスターにくらい本当の話を通しておく必要があるだろう。もしかするとギルドマスターならカイルには思いつかないカミーユへの対策もできるかもしれない。
そうとなれば、善は急げだ。カイルはキリルという仲間を得て、カミーユへの対応もある程度目途が付いたことで上機嫌で町へと向かう。そこで待ち受けていた、人の悪意がもたらす苦難のことなど知りもせずに。
キリルもまた、本当に共に歩める存在を見つけたことで失念していた。宿を出ていく際に、カミーユがわめいていた言葉と抱いていた感情のことを。人の歪んだ思いが、どれほど凶悪な刃となって人を傷つけるかということを。そしてまた、カイルが直面している現実というものがどれほど厳しいかということを。
二人はただ、これからのことに思いをはせ肩を並べて歩いていった。
「許さない……あいつ、あいつら……。思い知らせてやる、僕の力を……後悔させてやる……」
固く閉じられた扉を睨み付けながら、呪詛のようにつぶやく。今までなんでも思い通りにしてきた。身寄りがいなかったカミーユを連れてきた人々は、カミーユになんでも与えてくれた。なんでもしてくれた。
理由を聞けば、カミーユが剣聖ロイドの息子だからだという。カミーユは両親の顔さえ知らない。だが、剣聖ロイドという人物がどれほど偉大なのかは知っていた。銅像がある町も珍しくない。
光の角度によっては銀色にも見える灰色の髪。これが剣聖の息子である証なのだと言われた。剣聖ロイドもまた輝くばかりの銀髪だったというのだから。
人と違うせいで憎んでいた髪を初めて嬉しく思った。これが、これこそがカミーユが特別である証なのだと思えた。誰もカミーユに逆らわなかった。何をしても怒られなかった。それはカミーユが剣聖の息子だからだ。だから、何をしても許される。
そうカミーユが思いこんでいくのも無理はなかった。誰一人としてカミーユを咎めるものなどいなかったのだから。誰一人としてカミーユに真実と現実を教えようとするものなどいなかったのだから。
カミーユは傍若無人に振る舞い、取り巻きを連れて好き勝手するようになっていった。気に入らない者も逆らう者も邪魔する者も排除するようになっていった。
そして十五歳になった時、カミーユは恋をした。村で一番の美人と言われていた女性だ。だが、その女性には恋人がいた。平凡な容姿の、体の丈夫さと人の好さだけが取り柄のような男。剣聖の息子であり、容姿も端麗な方だったカミーユと比べるべくもない。
だから、カミーユは傲慢に言い放った。二人が別れるように、と。しかし、二人はそれを拒否した。カミーユにはそれが許せなかった。女を守るようにかばう男も、その男の腕にしがみつく女も。
そしてある夜、カミーユはかねてからの計画を実行した。女を待ち伏せて、町外れにある自らの屋敷に連れていった。もちろん実行したのは取り巻き達だ。そして、恐怖にすくむ女を欲望の任せるままに犯しつくした。満足すると取り巻き達に払い下げてやった。おこぼれを預かった取り巻き達も喜んで女を蹂躙した。
そこへ、女の危機を察知したのか男がやってきた。そして、壊れてしまった女を見てカミーユに躍りかかってきた。だが、剣の腕は未熟でもカミーユには魔力があった。魔法が使えた。その素質は村で誰にも負けないくらいに高かった。
男を叩き伏せ、目の前で女をなぶってやった。あの時の男の悔しそうな顔や悲鳴は、カミーユに暗い愉悦をもたらした。人を踏みにじり、欲望のままに破壊することが何よりの楽しみになったのだ。
気づけば男も女も死んでいた。さすがにこれはまずいと感じたカミーユは二人の死体を始末して証拠を消した。だが、あの悦びを知ってしまった今、退屈に過ぎる村にとどまることに意味があるとは思えなかった。
金目になりそうなものと、身分を証明できる家紋の入った指輪。それらを持って村を出た。そこから先は言うまでもない。あちこちで似たようなことをしてきた。ただ、巧みになったのは町の中ではなく外で襲うようになったこと。外なら魔物や獣の仕業に見せかけることができると気付いたのだ。
誰もカミーユを疑わなかった。疑っても手出しできなかった。剣聖の息子であるカミーユには。そうやって有頂天になっている時、キリルに出会った。キリルは剣聖に恩があり、息子がいると聞いて恩を返すためカミーユに仕えるのだという。
最初は童顔で身長も低いキリルの実力を疑っていたカミーユだったが、二つ名を持つにふさわしい実力にいよいよ運が向いてきたことを感じていた。剣聖の息子であることが知れれば、他にも同じような実力者を従えることができる。そうなればカミーユはもっともっと好き勝手なことができるようになる。
そう考えていた矢先、楽しみにしていた主だという狼にキリルをけしかけたところカイルとかいう男に邪魔された。実際はカミーユと同い年なのだが、カミーユはカイルの方が年上だと思っていた。
カイルは剣聖の息子であるカミーユに不愉快な言葉を投げつけ、あまつさえ膝をつかせた。それを思い知らせてやろうと森で襲い、あと少しでいたぶれるというところで狼に邪魔をされた。だが、あの怪我だ。カイルが生きて戻ることはないだろう。カミーユは笑いを押さえらえなかった。カミーユに逆らうから、獣に食われる最期などを迎えるのだ。
だが、今一番許せないのはキリル。一度忠誠を誓ったくせに、カミーユを裏切り死んだ人間をとるあの剣士。どうやって思い知らせてやろうか。下手に罪を偽造しても、キリルが持つギルドカードで証明されてしまう。
だが、それが逆に罪も証明するのではないか。誤解とはいえカミーユの命令でキリルが森の主を殺そうとしたことは間違いない。ならば、きっとキリルのギルドカードにはその罪が刻まれているはず。
そうなれば……。カミーユは頭がいい方ではなかったが、悪知恵だけは回った。どうせならカイルも同じように貶めてやればいい。昨日十分な復讐ができなかったのだ。せめて名前だけでも地に落としてやろう。カイルがギルドメンバーであってもギルドカードを回収できないのではそれを証明できない。
ならば、行かなければならない場所がいくつもある。カミーユは忍び笑いをしながら、これから先演じる自分の姿を思い浮かべ胸の中の黒い思いを満足させていた。




