命を懸ける覚悟
「また、逃げるのか?」
「ああ、町に知らせないと。あれは、魔物の中でも優先して討伐が推奨される。出現が確認されたら何を置いても近隣の町に知らせないといけない類の魔物だ」
「で、でも、それなら倒したほうが……、い、今ならやれるかも……」
「馬鹿を言うな! 魔物ってのは手負いの時の方が厄介なんだ。倒せる実力があれば今の状態は有利だろうが、無ければ危険なだけだ!」
走り出そうとした一同だったが、クルトが足を止め、言い出した言葉に誰もが焦りを見せる。唯一モニカだけがクルトの味方をして対峙する。ランドグリズリーへの恐怖はもちろんある。けれど、今二人の心を占めているのは幾度も危機を救い、誰から見ても明らかに戦力となっているカイルに対する嫉妬や劣等感。
自分達はできると、カイルよりも強いのだと確信していたのにそうではなかった。臆病で自分勝手だと思っていたカイルにこれまでずっと守られてきた事実、かすり傷さえも与えられなかった自分達に反し、カイルはもしかすると致命傷に近い傷を与えたかもしれない。
そして、全く無関係な第三者の行動から、カイルの言動が正しく、間違っていたのは自分達なのだと思い知らされた。自分達の実力など、町の外では取るに足らないものであることも。逃げる選択が時として最善であるということも。だが、あそこまで追い詰めたらもしかすると自分達でもやれるのではないか、そんな淡い期待が、功名心が逃げることを良しとしない。
「俺だって、俺だってやれるはずなんだ。カイルに出来て、俺に出来ないはずがない!」
「つまらない意地を張るな! 命を懸けてそれを証明しても誰も褒めてくれないぞ! お前の行動は仲間を危険にさらす行いだ。その子や、この子が死んでもいいのか!」
槍を握りしめて吠えるクルトに、パーティの一人がつかみかかる。ぐずぐずしていれば、折角カイルが稼いでくれた時間が無駄になる。いっそのこと気絶させて連れて行こうかと物騒な考えもよぎる。例えそれで移動速度が落ちたとしても、ここに留まるよりはいい判断だろう。
クルトは槍を振り回して腕を振りほどくと後ろに飛んで距離を取る。興奮して頭に血が上った様子に、大人達は強引な方法をとることもやむなしとうなずき合う。モニカもクルトの隣に並んで矢をつがえようとする。
一触即発の中、カイルは崖下に探知を集中させていた。精霊達からの言葉にならない警告を受けたからだ。カイルの周囲にいる微精霊達は、カイルからの働きかけがあるか、生命の危険がない限り自分達から行動を起こすことはほとんどない。だが、こうして危険が迫っている時などに警告を与えてくれることはある。返ってきた反応に、カイルは考える間もなく動いた。
じりじりと後退しながら槍を構えるクルトだったが、不意に横合いから強い力で突き飛ばされる。それはモニカをも巻き込み、二人は揃って地面に倒れこんだ。大人達五人は視界に入っていた、ならば自分達にこんなことをした者は一人だ。
倒れこんだまま振り返った二人は、それまで自分がいた場所で両手を突き出した格好のカイルを睨み付ける。だが、声を上げることはできなかった。突如として地面から飛び出した大きな口がカイルの右足に食らいつく。肉を切り裂く音と、骨が砕ける音が、熱くなった二人の頭を冷やしていく。
「うぁぁっ、ぐっ……このっ!」
カイルは剣を引き抜くと、とっさに閉じようとする口の隙間から押し込む。食いちぎろうとしていたランドグリズリーは鋭い痛みを感じて動きを止める。そのまま閉じれば自分の力で自分の口を切り裂くことになる。なおも口の奥に押し込もうとする剣を止めるためにも口を開くことも閉じることもできない。
その上、痛みによって魔法を中断されたため首から下が地面に埋まったままだ。土の中を水の中のように移動できるランドグリズリーだが、地面から出る前に魔法を中断してしまえば地中に埋まるということになる。それで死ぬことはなくても動きを封じることは出来る。
「…………行けっ! 早くっ、町に!」
「そんな……お前は、お前はどうするんだよっ!」
「助けられないなら、見捨てろって言ったろ! 町に戻って知らせろっ! 俺は生きることを諦めたりはしない。最後まで抵抗する、俺を助けたいと思うなら、少しでも早く助けを呼んでくれ!」
カイルは二人から視線を外して、五人組のリーダーに目を向ける。
「頼む、二人を連れて行ってくれ。できる限り足止めはする。だからっ……」
「くそっ! すぐに戻る、だからっ、死ぬなよっ!!」
リーダーは歯が砕けそうなほどかみしめると、クルトとモニカを引きずるようにしてその場から連れていく。大きな衝撃を受けたためか、抵抗することのなかった二人は見えなくなるまでカイルの方を見たままだった。
「相手を見捨てる覚悟をするってことは、見捨てられる覚悟も決めてるってことだと、その時に分かったんだ」
「助けるために逃げるって選択が必要な時もあるってこともね」
森を抜け、どうにか町にたどり着いた面々はすぐさまギルドに駆け込んだ。尋常ではない様子にギルドマスターも出てきてランドグリズリーの出現が知らされると、ギルドは騒然となった。見境のない森のハンターは、その危険度からSランク指定されている魔物だ。最低でもSランクの実力がなければ対抗できない。Sランクであっても命の危険は避けられない相手だ。
すぐさまSランク以上のギルドメンバーが集められ、討伐隊が森に派遣されることになった。その際、クルトとモニカは同行を希望したがギルドメンバーでもなく、実力も不十分とのことでギルドで待機となった。
代わりに渡り鳥のメンバーが案内役となって森にとんぼ返りした。カイルと別れた場所まで戻ってきたが、そこに残されていたのは血痕のみ。カイルの姿もランドグリズリーの姿もなかった。引き続き捜索を続けた結果、その場所から数百メートル離れた崖下、川べりの石に混ざってランドグリズリーのものと思われる魔石と素材が発見された。
日が暮れるまで近隣の捜索が続けられたがカイルの姿はなく、ランドグリズリー討伐の真相も行方も分からないまま捜索は打ち切りとなった。ランドグリズリーが死んだとしても、足に深い傷を負った状態で森にいて無事に済むはずがないと判断されたためだ。
「結局、カイルは死んだことになって、俺達はフランツさん達に滅茶苦茶怒られた」
「エミリーにも殴られたわ。カイルが死んだのはわたし達のせいだって。その通りだったから、反論もできなかったけど」
危険を未然に知らせてくれたことで町の人達からはそう悪く言われなかった二人だったが、仲間達からは信用を失った。あれだけ世話になって、面倒を見てくれたのにカイルを死なせた原因を作った二人はもうまとめ役ではいられなくなった。
途方に暮れた二人だったが、そこを拾ってくれたのが渡り鳥だった。彼らもまた、カイルに返しきれない恩があった。同時に負い目もあった。後でクルトやモニカに話を聞いて愕然となった。我が身を呈して自分達を逃がしてくれた子供がわずか十二歳であったという事実に。誰からも見捨てられる孤児で流れ者であったということに。
また、この町に来て、クルトやモニカを知って、自分達の孤児に対する認識を改める必要性を感じていた。無謀で無知なところがあっても、孤児達は自分達と、他の子供達と何も変わらなかった。むしろ誰よりも必死で生きていた。町の中で真面目に一日中働いて、時に高い通行料を払っても町の外に稼ぎに行って。それでも満足にできない食事でも、誰もが幸せそうにそれを味わう。
そんな姿を見ていて、何もしないでいることができなかった。孤立して、素質もあった二人は自分達の保証の元ギルドに登録してパーティに入れることにした。その際、過去の罪歴なども明らかになったが情状酌量が十二分に認められ今後の活躍で挽回するということで不問にされた。
二人は町に残る孤児達のためにギルドの依頼をこなしてみんなの登録料を稼いだ。それには渡り鳥も協力して、全員分を稼ぐとエミリーに渡した。これであとは身元保証人さえいればみんなギルドに入れる。ギルドの方も問題を起こさなくなったばかりか、あらゆる場所で仕事をこなす孤児達に対する見方が変わってきていた。
見て見ぬふりをしてきた罪悪感に蓋をすることが出来なくなっていた。それに、いつまた貧困のせいで問題を起こしてしまうか分からない。それを一挙に解決する方法は、彼らもまた人だと認めギルド登録を許可すること。
そうすれば立場的には自立者と同じだ。罪の監視もできるし、落ち込んでいたギルドの収益も増える。実のところ、ギルドに委託されていた町の中で受けられる依頼が激減していた。なぜなら、ギルドに依頼しなくてもそれよりはるかに安い賃金で孤児達がその仕事を請け負ってくれていたからだ。
最初はギルドに依頼するまでもない仕事や手伝いばかりをさせていたが、徐々にギルドに依頼するような仕事も任せるようになっていた。そうなれば既定の依頼料と手数料を払わなければならないギルドに依頼する人が減る。つまりギルドの収益も落ちるというわけだ。
ランクが低いこともあって一つ一つの依頼で得られる収益は微々たるものだが、そうした依頼は日々存在しなくなることがない。それなりに重要なギルドの収益源でもあったのだ。そうした事情もあって、身元さえはっきりすれば登録手数料を払うだけで登録できるようになったのだという。
孤児達を安い下働きとして扱っていた者達の不満は当然あったが、親身になってくれていた者達は皆その動きを歓迎し喜んだ。そうして、アルミラの町からは一目で孤児と分かる者達はいなくなった。
「……カイル、分かってた? 孤児達が町の仕事をすれば、いずれギルドも無視できなくなるって」
二人の話を聞き終えたハンナはカイルを見上げてくる。その言葉で、クルトやモニカもカイルを見つめる。まさか、あの時点でそこまで計算に入れて行動していたのかと。
「ん、まぁ、可能性はあると思ってたな。ギルドでもそうした依頼を受けるのは俺達と同じ年頃くらいの子供だろ? でもって、そいつらとはかけてるもんが違う。こっちは生活どころか命がかかってる。同じ仕事ができるなら、嫌がらずに何でも真面目にやって、でもって安く上がる方を選ぶだろ? 俺一人ならともかく、何十人もってなるとギルドの仕事を横取りできるかもってな」
そうなればギルドも動くだろう。しかしてカイル達は何も悪いことはしていない。むしろしないために必要な行動だ。それを罰することは人道に反する、何より市民を敵に回すことにもなりかねない。労働力としてばかりではなく、人として見てもらえるように努力しているのだから。
路地裏から表に出てきて必死に働いて生きる子供達を不当に扱うことはギルドの信用を失墜させることにもつながる。ならばむしろ取り込む方向に動くのではないかと。それまでつまはじきにしてきた孤児達を取り込むことで、孤児達がやることは変わらなくてもギルドの利益と信用を取り戻せる。何より町の人達に受け入れられつつある孤児達を援助することにもなる。そうなればむしろ信用が上がるだろう。
同じ仕事をするならギルドを通したほうが報酬や待遇の面で孤児達に有利に働くので、貧困を脱しようとすればギルドで依頼を受けることになる。また、町の人達もギルドを通すことで負い目や引け目を感じることなく孤児達を働かせられる。そうすることで、遅すぎるかもしれないが、それでは不十分かもしれないが、間接的にもこれまでの償いができるのだから。
「ギルドが俺達の登録を認めないのはギルドにとっての利益が見込めないからだ。なら、登録せざるを得ない状況を作り出すしかないだろ? その上で利益も見込めるなら乗ってくれるかな、と。逆にこっちの行動が規制される可能性もあったから、賭けでもあったけどな」
「フフッ、やっぱりカイル君は強かね」
「これでも必死で考えたんだぜ? どうすれば認められるかって。人として生きていけるようになるかってな」
「考えても行動に移し、実現させることはなお難しいですわ。それをその歳で……素直に賞賛に値しますわ」
アミルの真っ直ぐな賛辞に、カイルは照れて頬をかく。やはり褒められることには慣れない。すると、隣で焦れたようにレイチェルが声を上げる。
「カイルっ! その、あの後はどうしたのだ? ランドグリズリーを倒したのは?」
レイチェルも依頼で何度か相手にしたこともある相手だ。間違いなく強敵で、今のカイルならともかく十二歳のカイルが勝てる相手ではない。それなのにカイルが生きているということは、誰か討伐した相手がいるのか。
「ああ、あの後地面の中に引きずり込まれてな。ランドグリズリーの魔法って触れてる相手にも作用するのか、スゲー不思議な感覚だった。真っ暗な水の中にいるみたいな、でも確かに土の感触があって。けど、息ができないし、魔法もうまく働かないしで焦った。だから剣に思いっきり魔力流して突き刺したんだ」
もしそこで魔法が途切れたら土の中に取り残されるかもしれないなんて考えもしなかった。とにかく土の中から出ようと必死だった。ランドグリズリーも自身に有利な場所に引き込んだことで油断していたのか思わぬ反撃に土の中で進む方向を見失い、とっさに飛び出した場所は崖の斜面だった。
二度目の落下に思わず開けた口から足を引き抜き、腹の上に馬乗りになるような形で剣を両手で握る。落下の衝撃は全身を揺さぶり、剣を握っていた両腕にもすさまじい負荷を与えたが、ランドグリズリーの頭を剣が貫通する手助けをしてくれた。
カイルのクッションになっていた体が消滅していき魔石と素材が残るも回収することはできなかった。痛み止めと止血、浄化にかかりきりになっていた。膝上からふくらはぎにかけて深く食い込んだ牙の痕からはとめどなく血が流れ、砕けた骨が痛みを伝えてくる。両腕もまたひびが入っており、落下の衝撃で体も痺れている。
「どうにか血は止められたけど、その場にとどまるのは危険だったんでな。川に入って流された」
そうすれば匂いは消せるし、自力で動かなくても流れに沿って移動が可能だ。春になって大分暖かくなっていたし、冬でもためらわなかっただろう。そのまま流れていった先で水浴びに来ていた主に拾われ生き延びたというわけだ。
「生きていたなら、どうして町に戻ってこなかったの?」
孤児達の登録料を稼ぎ、ある程度ギルドランクが上がるまでクルトやモニカも町にとどまっていた。その後は渡り鳥のメンバーと一緒にあちこちを移動することになったが、生きていたならなぜ戻ってこなかったのか。
「それは、本当に悪かったと思ってる。でも、町に戻ってももう俺に出来ることはない。それに、二人のためにもならないかもと思ったし、俺もあんな無茶は二度と御免だったしな」
カイルが生きていると知ったら、二人はこれほどまで自らを省みて改めることができただろうか。また、カイルに頼って無茶をしようとしないだろうか。それを思えば戻る決断が鈍った。二人のためにも、自分のためにもあのまま去るのが一番に思えた。
「確かに、こいつらにはいい薬になっただろうな。……俺達も、改めて礼を言いたい。あの時には、言えずじまいだったからな」
「いいよ、別に。俺だって最初は見捨てようとしたんだから」
頭を下げてくるフランツにカイルは苦笑する。もし二人が飛び出していなければ、カイルは確実に渡り鳥を見捨てて町に戻っていた。力にはなれなくても二人の行動が結果的に彼らを救うことになったのなら、それはカイルのみの功績ではないだろう。強がっていても、格好つけても、自身が臆病だったことは誰よりも一番カイルが知っている。
 




