魔物との死闘
カイル→クルト・モニカサイド
町の外では何事も自己責任、自己負担となる。積極的に見捨てようということではないが、どうしようもないと判断した場合、見捨てても罪には問われない。ジェーンと共にいた頃には、何度もそういう場面を目にしては涙を流していた。もう少し自分が強ければ彼らを助けられたのだろうかと。
しかし、自分の身を守ることさえ満足にいかない状況で他人を助けることはできなかった。そのたびにジェーンに言い聞かされていた。自身の命を優先することは恥じることでも間違ったことでもないと。ただし、自分を優先しすぎて大切なものを見失ってはいけないと。
自分の命と他者の命、その重さも尊さも違いはない。それでも違いが生まれてしまうのはただ、人によって、相手との関係性や状況によって優先順位が変わるだけなのだと。自分の命を懸ける場面を間違えてはならないと、何度も何度も言われた。
生まれ育った村の人々の犠牲の上に、それを背負ってもカイルの生存を優先させたジェーンの覚悟と行動の上に今の命がある。その後も、何度も誰かしらの犠牲や助力の上に命を繋いできた。だからだろう。カイルが町の外においては特に慎重になるのは。臆病に見えるほどに安全を優先させるのは、無駄に思えても備えを忘れないのは。
しかし、クルトはカイルの言葉に鼻を鳴らしただけで会話を中断して周囲に注意を向ける。これ以上は何を言っても平行線になると判断したためだろう。これまでのカイルの言動に嘘や偽りはなかった。
伝えた情報は確かだったし、言ったことは必ず実行して守ってきた。だが、町の外でのカイルを知れば知るほどに、その言葉の信憑性もまた二人の中で薄れていった。自分達を捨てていくカイルへの反発心とも相まって疑心を生んでいたのだ。
もしかすると、そういう場面になれば本当に自分達を置いて逃げるかもしれないと。そう思ってしまったからこそ、余計に逃げられないという思いが強くなる。自分達はカイルとは違うのだと、どんな敵相手にも逃げたりしない。立ち向かう勇気があるのだと、そう思いたいがために。
探知を使いながら二人について行っていたカイルだが、二人がカイルの先導であった場合にはほとんど足を踏み入れることのなかった森の奥に向けて進もうとしていることに気付いた。主のテリトリーがある場合もそうだが、そうでない場所であっても森の奥になればなるほど生息する獣や魔獣、魔物のランクも強さも上がっていく。
町の外に出るような依頼であっても、ランクが低いうちは森の浅い部分で事足りるようなものがほとんどだ。だが、それに物足りなさを感じていた二人。自分達が主体ということで、意気揚々と森の奥に歩を進めようとしていた。
さすがに看過できないと感じたカイルが止めようとした時、探知の範囲外で魔物の雄たけびと破壊音、そして何より戦闘音が聞こえてくる。場所は今いる場所よりさらに森の奥に入った所、雄たけびを聞いただけでかなりの相手だと推測できる。
カイルは周囲に展開していた探知を、音が聞こえる方向に向けて集中させる。この頃はまだ移動しながらそういう集中力を擁する探知を行うことができなかった。そのためその場に立ち止まる。クルトやモニカもそこまで命知らずではなかったのか、同じように立ち止まってカイルの探知の結果を待つ。
思っていたよりも距離がある。それなのにここまで届くとなるとよほど激しい戦闘が繰り広げられているのだと分かる。ほどなく返ってきた反応に、カイルは顔色を変えて二人の腕をとる。
「ヤバい、ランドグリズリーだ。少し前までこの森にはいなかったはずの……」
「魔物、か?」
「ああ、でかくて凶暴だし、魔法も使う。それにあいつは人も獣も魔獣も、魔物だって見境なしに襲って食うんだ。主でも食い殺される時がある、相手が悪い。……逃げた方がいい」
「でも、戦っている人がいる」
「そうみたいだな。五人いる、今のところ何とか拮抗してる感じだ。でも、たぶん勝てない」
ランドグリズリーが魔法を使っていない状態で翻弄されている。どうにか攻撃をしのいでいるという感じで、反撃ができていない。それに人の走る速度ではあの魔物からは逃れられない。距離がある今のうちに離れてしまう方がいいだろう。
ランドグリズリーは嗅覚はそれなりだが、聴覚は人並だし、主に目視で獲物を見つける。視界にも入らず、匂いや音も届かないこの距離であれば逃げ切れる公算は高い。今も抵抗しているだろう五人には悪いと思うが背に腹は代えられない。カイルにとっては二人の命の方が優先順位が高いのだから。
「勝てないから、見捨てるのか? その人達はまだ生きているんだろ! それなのに、諦めるのかよ!」
「そうだ! 俺達が行っても何も変わらない、下手すると状況を悪くすることだってある。その人達だって勝てなくても、逃げられる可能性はある。でも、俺達が行って足手まといになればそれも難しい」
五人で森にいるということはパーティを組んでいるということだろう。臨時のパーティでも、長年のパーティでも、あんな場所まで行くということはそれなりの実力と連携が取れるのだと分かる。ならば、彼らだけならばどうにかできる可能性は残されている。
カイル達が参戦して確実に勝てるという保証ができるのならばいい。だが、他人の、それも子供の横やりで彼らの気がそがれれば戦況を悪化させてしまうかもしれない。それに、ちょっかいをかけられれば当然魔物だって自分達に注意を向けるだろう。そうすると今度は自分達が魔物の相手をしなくてはならなくなる。
戦っている五人がカイル達の加勢を得て攻勢に出られるのならばいい。だが、三人の実力を合わせても相手を考えると足手まといにしかならない。それに、言葉には出さなかったが下手に魔物の注意を引けば、それこそカイル達を囮にその五人が逃げる可能性だってあるのだ。
複数の相手がいる場合、魔物達は基本的に弱い相手から狙う。それは当然自分達になるだろう。また、大人と子供であれば子供を好んで餌にするという好みもある。この頃から薄々カイルは自身が魔物達の標的になりやすいことを察していた。
ほんのわずかでも傷があり、血の匂いを漂わせていたりするとどこからともなく魔物が湧いてくる。目の色を変えて襲ってくるのだ。自身を餌と見るその目や生きながらに食われる痛みは言葉に出来ないほどの恐怖と絶望を与えてくる。極力怪我をしないことが安全に直結していた。
逆に言えば、怪我をしているカイルは動く的のようなもの。風の生活魔法の応用で音だけではなく匂いも消せるようになったのはそういう事情がある。
「わたしは嫌! 死ぬかもしれない人を見過ごすなんてできない」
「俺だって黙って見過ごすつもりはない。このまま真っ直ぐ町に戻って救援を頼む。今の俺達に出来る最善だ!」
「なら、お前だけが行けばいいだろう! 俺達は助けに行く!」
「相手を知らないからそんなことが言えるんだ! 俺達の攻撃なんて通じない、それでどうやって助けるつもりなんだ!」
こうしている間にも無駄になる時間と大きくなるだろう危険にカイルの言葉も荒くなる。カイルだって何もせずに見過ごすつもりなんてない。できる限りの速さで町に戻り、救援を要請する。町の近くでああした危険な魔物が出た時には最優先で対策と対応が取られる。
それが孤児達の情報であったとしても、動かなければ被害が出ると判断されれば町とギルドが主体になって討伐チームが組まれるのだ。そうなれば熟練の実力者達が応援に駆け付けることが出来る。今も戦っているパーティを救える可能性が最も高い方法だ。そして何より、自分達の命を守ることが出来る方法でもある。
たとえ間に合わず死んだとしても、誰からも責められることはない。それは暗黙の了解として、またはお互い様として認識されている。逆の立場であった場合、見捨てられたとしても文句は言えないのだ。それが外に出るということ、責任を負うということだ。
「知らない相手だから戦うんでしょう。攻撃が通じないかどうかなんてやってみないと分からない」
「通じなかったら死ぬかもしれないんだぞ!」
「このまま帰ったりしたら、俺達は臆病者だ。命は助かっても、耐えられない。ようやく、ようやく認めてもらえるようになってきたんだ。ここで、ここで逃げたりしたらまた前みたいに役立たず扱いされる!」
クルトとモニカは自分達の腕試しがしたいからだけではない。逃げたりしたら、見捨てたりしたらたとえ相手が助かったとしても何を言われるか分からない。前のように後ろ指を指されるかもしれない。それに、死んだとすれば余計に心が重くなるだろう。知っていたのに、自分達の命惜しさに逃げ出したことを許せなくなる。
「……でも、駄目だ! 行かせられない」
それでもカイルは二人の腕を離さない。二人の気持ちも分かる、不安も理解できる。けれど、勇敢なことと無謀なことは違う。無茶をして町に帰ることは両者を救うかもしれないが、無理をして助けに行くことは両者を死の淵に追いやるだろう。時に逃げることもまた必要で、誰かを救うことにもつながるのだと知ってもらいたい。
「そうか、そこまで言うなら……俺達だけで行くっ!!」
クルトはうつむいて槍を握りしめた。言葉からも引き返してくれるのかと思ったカイルだったが、宣言と共に槍の石突が両腕がふさがっていたカイルの腹に付きこまれる。
「ぐっ……クルト、モニカ……駄目だ、待て……」
カイルはその場にうずくまり、こみ上げる吐き気をこらえながら音のする方へ走っていく二人を見る。しかし、二人に声が届くことはなかった。
クルトはモニカの一歩前を走りながら、言葉に出来ない怒りを抱えていた。例え知り合いでなかったとしても、誰かが魔物に襲われていたら、相手がどれだけの強敵だろうとカイルなら駆け付けるだろうと考えていた。
自分達アルミラの町の孤児達のために尽くしてくれたカイルだからこそ。他人のために献身することをためらわないカイルなら、きっと助けに行くだろうと。それなのに、カイルの口から出てきた言葉は、クルトが一番聞きたくないものだった。
よりにもよって、まだ生きて戦っている人がいるのに見捨てて自分達だけが逃げるなんて。そんなことできるはずがない。それこそ、人としてやってはならないことなのではないか。あれだけ人としての道を説きながら、矛盾しているように思える言動。それが許せなかった。
「わたしが先制する、その間にクルトが仕掛けて」
「ああ、分かった」
モニカは肩にかけた弓を握りしめる。モニカもまたクルトと同じ思いだった。あれだけ命を大切にするカイルが下した決断。それに納得できないでいた。強敵だからと背を向けて、それで生き延びたとして誇れるだろうか。
カイルはいい。例え町の人達から非難されることになったとしても町を出てしまえばそれで済む。しかし、モニカ達はこれからも町で生活していくのだ。ここで逃げたら、町の人達の信用を失う。今まで積み上げてきた実績を無駄にしてしまう。カイルにだってそれくらい分かるだろうに、どうしてあんなに逃げることばかり考えるのか。
カイルが言った最善も、二人にとってみれば言い訳のようにしか聞こえなかった。自分ができないからと、他人任せにする。それはひどく無責任で、何より自身の無力を実感させる。ようやく自信をつけてきた矢先、そんなことでつまずきたくない。
二人は徐々に大きくなる戦闘音と魔物のうなり声に緊張感と共に高揚感も覚える。魔物に勝利した時、倒した後の戦利品を獲た時、それまでにない達成感と満足感が得られた。危険だと言われても、病みつきになってしまったその感覚を味わいたくて積極的に魔物と戦うようになった。
魔物は普通の獣と違ってどれだけ狩ろうともいなくなるということがない。魔物は人界とは違う領域から現れる侵略者だ。試練と呼ぶ人もいるが、二人にとっては最も稼ぎがいのある獲物だった。それがどれほど傲慢で子供じみた考えであったのか、二人は間もなく思い知ることになる。
魔物の姿が見えた時、好戦的な顔をしていた二人は顔を引きつらせて立ち止まった。それまで二人が倒してきた魔物は大きくてもせいぜい大人程度の大きさしかなかった。しかし、見えた魔物は頭からしっぽまで優に五mは超えている。地面についた足から背中までも三m近くある。
茶色い剛毛に覆われ、ずんぐりした体に丸太のように太い手足。鋭い爪と、うなり声を上げる口から覗く鋭い牙は凶器にしか思えない。ランドグリズリーという名の通り、土属性を有する熊型の魔物だ。
二人は一瞬顔を見合わせた。その魔物は今二人とは反対の方を向いている。そちらに戦っている五人がいるのだろう。今ならば不意を付けるかもしれない。その巨体と力強さに圧倒されながらも、震える体を武者震いだと言い聞かせて二人は魔物に向けて攻撃を仕掛けた。
まずはモニカが弓に矢をつがえて急所であろう首を狙って放つ。それでひるませてから駆け寄っているクルトが槍で攻撃しようという作戦だ。今まではこれで大体片が付いた。しかし、モニカが放った矢は魔物の体に刺さることなく強靭な肉体に弾かれる。そしてまた、クルトが渾身の力を込めてついた槍も魔物の体を傷つけることはできなかった。
「う、そ……どうしてっ!」
そう高いものではないが、れっきとした武器として売られていた矢や槍が通じない相手がいるなど思いもしなかったモニカは、次の矢を放つこともできず呆然となる。より魔物に近い位置にいたクルトはなおの事信じられずに立ち止まってしまう。
傷を負わずとも、刺激で別の獲物に気付いたランドグリズリーが二人を振り返る。その目を見た瞬間、二人は武者震いなどと自分をごまかすことのできない恐怖に体を震わせる。あれは、餌を見る捕食者の目だ。町の中にいれば、人の中で暮らしていればおおよそ向けられることがないだろう自分達を食べ物として見る目。
人々の中で誰よりも食べ物に貪欲な孤児だったからこそ余計に理解できた。その魔物が、自分達を食べ物として認識したということが。人格も人権も、それこそ境遇だって関係ない。ただの餌として見ているということが。
「あ、ぁぁぁ、うあぁぁぁぁぁ!」
誰よりも近くでその目を見たクルトは、本能的な恐怖に叫び声をあげてその場を逃げようとする。しかし、そうした急激な動きこそ野性を刺激し、獲物として狙われることになる。巨体とは思えないほどの俊敏さで踵を返し、クルトを追おうとしたランドグリズリーだったが、突如として足を取られたように体勢を崩す。
よく見てみれば、踏み出そうとした前足がそろって地面にめり込んで埋まっていた。しかし、どう考えても力を入れ過ぎてそうなったようには思えない。明らかに人為的なもの。元々戦っていたパーティが助けてくれたのかと、そちらに目を向けたクルトだったが、その視界を横切る様に飛来したものがあった。
細く鋭く研ぎ澄まされ、魔力による強化を受けたそれは動きを止めたランドグリズリーの右目に突き刺さった。
『グギャァァァァァ』
いくら強靭な肉体と言えど、弱点はある。急所でもある目を潰されたランドグリズリーは埋まった腕を力づくで引き抜くと顔を抑えて叫び声をあげる。しかし、そのために大きく開いた口の中に何かが投げ込まれた。反射的に呑み込んだランドグリズリーは残された血走った左目で敵の姿を探す。
しかし、見つけることが出来ない。それはクルト達も同じで、ランドグリズリーをはさんで反対側にいるパーティも困惑した様子が見て取れた。どうやら彼らのやったことでもないらしい。そして、何よりこの戦い方にクルトやモニカは覚えがあった。
魔法を巧みに使い、持てる武器を最大限に利用して相手の戦力を削るやり方。匂いも音も、気配や姿さえ隠して奇襲するこの戦い方は紛れもなく、置いてきたはずのカイルの戦い方だった。傷を負わされ、翻弄されていることに怒り狂っているのか、魔物の注意は自分達からも例の五人からも完全に外れている。
クルトとモニカは後ずさりをするようにその場を離れる。それは五人も一緒だったのかじりじりと距離をとっているのが見えた。向こうもクルト達を認識したのか驚いた様な顔をして、その後顔をしかめる。
なぜそんな顔をされるのか分からなかった二人だが、その間にも周囲を見渡す魔物にどこからともなく攻撃が仕掛けられる。匂いを嗅ごうとする鼻先で連続した爆発が起き、またしても叫び声をあげたランドグリズリーの口の中に同じようにして何かが投げ込まれる。呼吸を阻害するそれを吐き出すこともできず呑み込む魔物の怒りは最高潮のように見えた。
そんな魔物の顔に上から水が降ってくる。いや、それは水ではない、蒸気を上げており、それを浴びたランドグリズリーが思わずのたうち回るほどの熱湯だった。残されていた左目も見開いていたために熱湯の直撃を受けて塞がり、耳や鼻、口の中も少なからぬ被害を受けたようだった。
 




