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レスティア物語  作者: マリア
第三章 遊行と躍進
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流れ者のタイムリミット

 エミリー達が味わった恐怖を、このまま路地裏で暮らせばまた起きるかもしれない出来事への忌避感を、モニカは少しも理解していない。分かったような顔をして、全く理解できていない。

「確かにわたしには分からないかもしれない。でも、理解しようとする努力はしてきたつもり……。それに、みんな同じ不安を抱えてる」

 モニカだってそれを何より恐れたからこそこんな髪型にしてきたのだ。それなのに、その不安さえも同じではないのだと言われたようだった。所詮は未経験者の、実体験を伴わないかりそめの不安と恐怖なのだと。


「それが、それが鬱陶しいって言ってるの。理解してもらわなくてもいい。忘れたいの! なかったことにはできなくても、思い出したくないのよ! そんなことも分からないのっ! そんなに理解したいって言うなら、いっそあんたも……」

 カイルはその先を言おうとしたエミリーの口を手でふさぐ。同じ境遇で、同じ性別であっても孤児達それぞれに事情があり、個性がある。それを否定しないし、それによるぶつかり合いはむしろいいことだとも思っている。それができるのは多少なりと心に余裕ができたという証でもあるのだから。


 けれど、越えてはならない一線というものもある。例えはずみでも、言葉の綾でも関係性に取り返しがつかなくなる言葉というものは。熱くなっていたエミリーは、自分よりも小さく男の子とは思えない綺麗な指の感触と、熱を冷ますような冷たさに言葉を切る。

 周りが見えなくなっていたモニカも、カイルの介入によって少しだけ落ち着きを取り戻す。止められてもエミリーが言いたかったことは分かった。でも、それが言葉にならなかったことはわずかばかりであっても救いになったように思う。そんな言葉を叩きつけられていたら、膝を折っていたかもしれない。


「それ以上は、駄目だ。あんた達の思いは俺もモニカも受け取った。でも、さすがに明日から表にってわけにはいかない。モニカだって、何も理解していないわけじゃない。それは、分かってるだろ?」

「……そう、ね。あんたのおかげで希望が見えて、焦ってたの」

「みたいだな。最低限の読み書きと計算ができて、もう少し心と体にゆとりができたら表に案内するよ。明日からでも、みんなが働けそうな場所探して、準備はしておく。その時に、みんなの事情話さなきゃならないだろうと思う。そうすると、どうしてもそういう目で見られることはある。それに耐える覚悟はしなきゃならない」

「……どうして、事情を?」


 座り込んだままのエミリーに視線を合わすためカイルも膝立ちのまま答える。

「同じ境遇であっても、こうやって話してみると色々意見が食い違ったり、思いがすれ違ったりするだろ? 表でも同じだ。知らせなくても問題ないことならいい。でも、今でも大人の男は……怖いんだろ?」

 カイルの問いにエミリーは顔をこわばらせる。どうにか立ち直ったつもりでも、普段は気丈に振る舞っていても怖いものは怖いのだ。歳が近い孤児であっても男に対して体が震えることがあるのだ。カイルの場合、あまり男の要素が強くないためか不思議と触られても嫌悪感を感じないが、他の子であれば鳥肌が立つ。


「事情を知っていれば、なるべく接触を避けてもらうこともできるし、気遣ってもらえることもある。でも、知らないとなんでそうなるのか、他の人には分からない。事情を知っていれば納得してもらえても、知らないと相手の気分を害する場合もある。俺達は信用も信頼も実績も零の状態から積み上げていかないといけない。だから、そのための不安要素や障害はなるべく取り除いておかないといけないんだ」

 表に出るということは少なからず人との接触があるということだ。その際に男を怖がって極端に避けているとなると人によっては怒りを感じる者もいる。周りだって知らなければ対処のしようがない。


「エミリーだってさ、モニカがその、例の件を知らずに無神経に思えるようなこと言ったりされたりすると、それはそれで腹が立つんじゃないか? それで腹を立てて怒っても、モニカにはなんでそうなるのか分からない。理不尽に怒りをぶつけられているようにも感じるわけだ。恐怖心であっても同じことだ。訳も分からずおびえられたら、嫌な気持ちになる。知っていれば溝があっても距離があっても埋めたり近寄ったりできる。でも、知らないと溝は深くなり、距離は遠のくばかりだ。俺達がさらされてる現実をより身近な形で表の人に知ってもらうためにも、必要なことだと思ってる」


 具体例を挙げたカイルの説得に、エミリーは納得しつつ、しかし浮かない顔をする。例えどれだけ必要であっても、自身にとって思い出したくない過去を知られるということは苦痛でしかない。そういう目で見られる可能性があるというだけで、あれだけの決意も熱くなった心もくじけそうになる。

「……こんなこと言っても信じられないかもしれないけどさ、俺はエミリー達の事、スゲー強いと思ってる。辛いことがあっても、立ち上がってちゃんと生きてる。そのことで腐ったりせずに、前を向いて生きようとしてる。事情を話す時にも、俺は起きてしまった事実より、今のみんなの姿の方をより伝えたい。みんな頑張って生きてるんだって自慢したいくらいだ。だから、不安になったり怖くなったりした時は、立ち上がろう、生きていこうと決意した時を思い出してほしい」


 どれだけの葛藤があり、どれほどの勇気を振り絞って決断しただろうか。だからこそカイルはエミリー達を評価する。同じ目に合って死を選んでしまう者も少なからずいる。その中にあって、生きる決断を、立ち上がって前を向く決意をした彼女達。その強さは人としてとても尊いものに思えるから。それこそが生きていくために必要な強さなのだと感じるから。

「……フフッ、そうね。あの時に比べたら、なんてことないか。生きるか死ぬかの瀬戸際じゃない、やるかやらないか。どんな目にも耐えてやろうじゃない、恐怖もいつか乗り越える」

「エミリー……そう、ね。わたしもいつまでも隠れてばかりじゃ駄目、だよね」


 震えが止まり、一転して挑戦的な笑顔になったエミリーにモニカも心を決める。いつかは決断しなければならなかった。女として生きるか、女を捨てて生きるか。けれど、女を捨てても女でなくなるわけではない。おびえ続けるくらいなら、自分からそうならない道を選ぶ方が建設的だ。

 モニカを筆頭に、残った女の子達の髪を切る傍らエミリーはカイルの隣に座ったまま作業を見ている。体を綺麗にして髪を整えればやはり女の子は女の子らしくなる。身を守るためとはいえ長年女の子でいられなかった面々はカイルが作った水鏡に移る自分を見て呆然とした後、嬉しいような悲しいような笑みを浮かべる。

 やはり女であることは否定できないのだと。危険があると分かっていても、身綺麗でいられることに嬉しさを感じずにはいられないのだから。


「……カイルって不思議な子よね。男の子なのに近くにいても全然嫌じゃないし……本当に男の子よね?」

「こんな顔だから間違えられることも多いけどな。これでも、昔よりちょっとはましになったんだぞ? もう少し背が伸びりゃましになるかもしれないけど」

 この頃までは成長が遅い方で、やはり小さい頃からの食生活のせいかと身長に関しては半ば諦めの境地にあった。体つきの割に力はあった方なので仕事や剣を振るのにそこまで不自由はしないがやはり背が小さいとできないことも多い。


「可愛くていいと思うわよ、今のままでも」

「男に可愛いは褒め言葉じゃない」

「フフフッ。……わたしね、弟がいたのよ。両親と一緒に流行病で死んで、わたしだけが生き残っちゃった。だから、不吉な子だって言われてここに追いやられて、あんなことがあって。いっそ死ねばみんなのところに行けるかと思ったの」

 エミリーの言葉にカイルの胸もうずく。カイルの場合、村に不幸をもたらしたことは事実で、追い出されたのも無理のないことだった。そして、今までに何度もエミリーと同じ思いに憑りつかれたことがある。気づけば剣を自分に向けていたことが。けれどそのたびに死んでいった人々の、家族の顔がちらつき、精霊達の悲鳴に手が止まる。


 自ら死を選ぶことは、望まずに死んでいっただろう人々の死を侮辱することだ。誕生を喜んでくれただろう家族を裏切る行いだ。そして、いつも必死で支えてくれる精霊達の思いを踏みにじることだ。それを思えば死ねなかった。何より、死について考えると頭痛と共にちらつく黒い影がカイルを叱咤する。来るなと、こちらにはまだ来るなと吠えたてる。

「でも、駄目だった。弟がね、死ぬ前に言ったのよ。『姉ちゃんは、生きて』って。あの子がどんなに生きたかったかと思うとね、とても死ねなかった。みんなのところに行っても、わたしは仲間外れ、きっと受け入れてもらえない」

「そう、だろうな。俺も怒られるところしか想像できない」


「フフッ。なんだかカイルの側は落ち着けるわ。家族で暮らしてた時みたいに空気が温かい感じがする」

 それはそれで全く異性扱いされていないようで複雑な気持ちになる。あるいは、もしかするとエミリーは精霊に対する感受性が高いのかもしれない。カイルの周囲に常に集まってくる精霊達が作り出す暖かな空気を感じ取っているかのようだ。

「それに、カイルはわたし達を憐れんだりしなかった。知ってた、の?」

「いや、さっきまでは知らなかったけど……」

「そう。他の町にも、やっぱりわたし達みたいな子はいたのね?」

「ああ、そうだな。実際にそういう場面を見たことも、あるし……」


 カイルの言葉にエミリーは少しうつむく。やはりどの町でも同じように辛い思いをしている子達はいるのだと。納得したような、けれど許せない気持ちも大きくなる。なぜ平気な顔でそんなことが出来る人がいるのか理解できない。

「そう……その子達はどうなったの?」

「俺がこういうこと始めたのは十一になる少し前位で……それまでにも見かけたらどうにか助けようとはしたけど、花町に流れる子も多かったな。その後はどうにかうまくいくように進めたはずだけど、最後まで見届けられないことも多かったし……」


 がらりと変わった生態系や食材ばかりではなく、町の人達と話すようになったカイルはここが東地区であることを知った。何をどうしたのか、大陸横断をしてしまったらしい。そのきっかけとなった町の子達は今頃どうしているだろうか。精霊情報では大丈夫だということだが、距離が距離だけに詳しい近況などは入ってこない。

「わたし達を助けてくれるのはいいけど、カイルはここに留まろうとは思わないの?」

「難しい、だろうな。みんなが町の人に受け入れられるようになったとしても、たぶん俺がネックになる。みんなはこの町の子だけど、俺は違う。滞在するだけならともかく、定住は認められないだろうな」


 流れ者が放浪し続ける理由はそこにある。どれだけ大人しくしていても、誠実に向き合っていてもその地に住み続けることを認めないような空気がある。旅の間の骨休め程度の滞在ならまだいいが、長くなりすぎれば警戒される。三か月とは、カイル自身にとっても滞在が許されるリミットでもあるのだ。

「……それは、流れ者でもあるから?」

「ん、どうしても素性の知れない余所者は嫌われるってことだ。大戦で村や町が襲われた背景にも内部の手引きがあった、少なくとも敵が中に入り込んでいたことが被害を広げる原因になったらしいからな」


「何か月もかけて、信用や実績を積んでも?」

「積み上げるのは大変でも、崩れるのは一瞬だ。素性が知れないってことは、しっかりした土台を持たないってことでもある。その上にいくら積み上げても、些細なことで崩れちまう。よっぽど言動に気を付けてても、な」

「……カイルが年相応に思えないのは、そうして鍛えられたから?」

「それはあるだろうな。嫌な顔されたり、辛いこと言われたりされたりしても、耐えなきゃならない。そりゃ、人として許しちゃおけないことには抵抗するし黙っていないけどな。でも、仕事や食糧もらうために頭は下げなきゃならないし、土下座しても叩きだされたり頭を踏みにじられたりしても怒れない。今までの関係性を覆そうっていうんだ、それまでに犯してきた罪を謝罪する意味も込めて誠意と覚悟は見せなきゃならない」


 すぐには理解してもらえなくても、諦めずに続けることで、誠実な言動を繰り返すことで信用を取り戻し築き上げる以外にはない。薄汚い盗人から、親を失っただけの子供として見てもらえるようになるまで。外見や意識の変革は孤児達ばかりではない、町の人達にとっても孤児達を見る目を変えてくれるはずなのだから。

「表に出て働くのも、そう簡単じゃない……か」

「ああ。でも、一人じゃない、そうだろ? 表の人達も自分に出来ないことは誰かに支えてもらって生きてる。みんなも今までそうして生きてきたんだろ? そこは表も影も変わりない、誰かを思いやったり、誰かのために行動できる部分はな。俺達はそれを知ってる。でも、表の人達はそうは思っていない。孤児達はみんな自分勝手で、他人なんてどうでもいいと思っていると考えてる」


 だからこそ、些細な盗みであったとしても、生きるために必要な行いであったとしても、自分達の生活を脅かす孤児達を許しはしないし、よく見ようともしない。人としての生き方を失った、獣のように思っているのだ。何をしでかすか分からない、飢えた危険な獣だと。

「そんなっ、そんなこと、無いのに……。余裕がないから、そう見えるのかもしれないけど。みんな必死で生きているだけなのに……」

「だよな。俺はそれも知ってる、でも表の人達はそれを知らない。そして、みんなも罪を犯さずに人として生きていく方法を知らなかった。互いの無知が、今の溝を生んでる。俺がやる橋渡しっていうのはな、その溝をできるだけ埋める作業だ。表の人達に俺達のことを知ってもらって、みんなには表の人達のことや人としてのあるべき生き方ってやつを知ってもらう。そこからどれだけ溝を埋められるか、その上に何を築けるかはこれからのみんなの行動にかかってる」


 それを思えば、例え腹の立つ出来事があったとしても短絡的な行動に走ることを少しでも止められるのではないか。自分勝手な行動を慎むこともできるのではないか。孤児達全員で共同生活をすることで絆を深めるだけではない、自分の言動に左右される仲間達のことを意識してもらいたかった。

「知らないから……か。モニカには悪いこと言っちゃったわね。確かにモニカはわたし達の気持ち、理解できないかもしれない。でも、同じようにわたし達もモニカ達の気持ち、きっと理解していなかったんだわ」

 辛い出来事があったからと、自分達の方が不幸なのだとずっとそう思ってそう考えてきた。けれど、起きた不幸を嘆くことと、起こるかもしれない不幸を恐れること。それはどちらが辛いのだろうか。そんなことを比べること自体が、間違っていたのだろう。きっとどちらも同じくらい辛くて、同じくらい苦しいものなのだろう。


 エミリーはすっきりとした髪を女の子同士で見せ合っているモニカに視線を向ける。花が咲く前に散らされてしまった自分達とは違う。まだ固いつぼみのような彼女達。不思議と今は彼女達を羨んだり妬んだりする気持ちが湧いてこない。むしろ、彼女達が自分達と同じような目に合わないよう守りたいという決意さえ浮かんでくるのだ。

 そうなったのは、そうなれたのはきっと小柄な自分よりも小さい年下の男の子のおかげ。同じ孤児なのに、自分達にない強さと柔軟さ、厳しさと優しさを持つカイルと話したから。彼と話していると忘れていた自分というものを取り戻していくかのようだった。凝り固まった意識や建前をほぐされ、取り払われ、丸裸にされる。

 嘘偽りのない、本来の自分という存在を引きずり出されそれを真っ直ぐに見つめてくる。立場も年齢も性別さえも関係なく心に入り込んでくる。それなのに、それを不快に思えない。きっと相手を見てどこまで踏み込んでいいのか見極めているのだろう。本当に不思議な子だった。

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