孤児達の変化と消えない傷
カイルはそれから表に出る際の注意事項、また非常時における避難経路に関して伝えておく。とりあえずこれで一通りの説明は終わったことになる。カイルは出入り口まで送ってくれたクルトやモニカに向き直ると、小さく笑みを浮かべて出発の挨拶をする。
「じゃあ、行ってくる。それと……クルトとモニカには言っておくけど、他の子には内緒にしてほしいことがある」
「何? 他にも条件があるっていうこと?」
「違うって、ま、それくらい警戒してくれた方がいいんだろうけど。もしもの際の避難経路は教えたよな? そことは別の場所に、日持ちする食料をストックしてる」
「なっ、それは、どういう……」
「言ったろ? 俺はいつまでみんなを支えてフォローできるのか分からないって。どんなに気を付けてても、避けられない事態ってやつもある。そんな時に、何の備えもなかったら元の木阿弥だろ? けど、下手に食料の予備があるって知ったら我慢できずに手を付ける奴もいるかもしれない。だからそれは本当に非常時の備えにしてほしいんだ。二人ならそれを理解してもらえると思ってるし、信用できると思ってる。これからも余裕がある時には増やしていく予定だけど、今の時点でも節約すれば一月近くはみんなで食べていける量を確保してる」
カイルの用意周到さに、年下でも自分達以上の思慮深さや経験の豊富さを感じて二人は何も言えなくなる。ただの思い付きや子供故の夢見がちな理想ではない。きちんとした知識と経験に基づく言葉、そして何より言葉以上に行動で示される強い意志。理想を現実とするために自ら手を汚し、いなくなった時のことまで想定して手を打つ。本当に十二歳だとは思えなくなる。
「これを言うとせかしてるみたいだけど、最長でも三か月くらいを目途に決断して行動に移してもらえたらと思う。大体それくらいで表の根回しも、みんなの準備も整うと思う。それ以上になると、今度はこの環境に慣れて俺に依存することになる。そうならないよう自立を促すつもりだし、準備ができたやつから随時表に連れ出すつもりだ。最終的には生活の場そのものが表に移るのが理想だな」
路地裏で寝泊まりをするのではなく、表で食事をして屋根や壁のある場所で眠る。そうなれば本当に影から抜け出せたと言えるだろう。貧しくても、親がいなかったとしても、人として生きていける。
「三か月……」
「これは、みんなにも伝えてくれ。ここから抜け出すために本当に必要なのは誰かの助けじゃない、自分の意思と努力次第だって。俺にできるのはきっかけを与えることと、表との橋渡し、表に出られるまでの限られた期間の援助だけだ。この環境に依存して堕落したなら……容赦なく切り捨てるって」
「……それは、彼らみたいに、殺すってこと?」
「まずは話し合い、駄目なら援助の打ち切り、それでも駄目な場合最悪も覚悟してくれ。知っての通り、俺は多数のために少数を切り捨てられる。でも、出来るならやりたくない」
例え心の底から殺意を覚えるような人物であっても、人を殺したことによる罪の意識や死に顔は心を苛み、精神を蝕む。できるならば背負いたくない咎だ。まして、自身と同じ境遇でありやり直せる可能性があったのに、自身のせいで堕落してしまったのであればなおの事心に残るだろう。
「肝に命じとく。俺も仲間を失いたくない」
「みんなにも話しておく。その、気を付けて」
「ああ、んじゃな」
カイルは軽く手を上げてから二人に背を向ける。角を曲がってしまうまで二人の視線が注がれていることを感じながら路地を後にした。
その日、それなりの収穫があったカイルはいったん拠点に戻る。クルトやモニカから話を聞いたのか、孤児達は食料を携えるカイルを歓迎しつつもどこか表情が硬い。カイルがただ自分達を助けるだけの存在ではないことを知ったからだろう。援助の代わりに出された条件、それを満たさなければもしかすると敵に回るかもしれないということが。
簡単そうに思えるし、自分達のためになることばかりではあるのだが、行動に移せなければ追い出され援助を打ち切られる可能性がある。そのことに気付いて、危機感も持ってくれたらしい。孤児達が表に出るためには、ある程度安定した生活基盤だけではなく、そうしなければ生きていけないかもしれないという危機感もまた重要になってくる。
初日の今日は朝だけではなく夜も食事を作って配給する。メニューは朝とそう変わらないが、誰も文句を言わない。すでに愛着が生まれ始めたらしい自分の箸やスプーンを使って、一口一口味わって食べている。
寝たきりだった子も、朝よりは少し元気も出たのか壁に背を預けて自分で食べていた。その子達の器を持ってきたモニカはカイルの前に置いた後、じっと見てくる。
「……どうかしたのか?」
「魔法、試してみた」
「ああ、どうだった?」
「今日だけで、ほんの少しでも魔法が使えた子は二十八人いた。その、わたしも、魔法が使えた」
「そっか、よかったな。魔法って使うほどにうまくなるし、魔力も増えるって話を聞いたことがある。無理しない範囲で頑張れよ」
「……クルトも、わたしと同じで魔法が使えたの。それに、わたしとクルトは基本属性だけじゃなくて、わたしが光、クルトは闇が使えた」
「へぇ、珍しいな。にしても、リーダーが二人そろって魔法が使えて、おまけに特殊属性まで使えるなんてよくできてるよな」
あるいは魔力があることで他の子よりも丈夫だったことが幸いして自然とそうなったのか。カイルも自身の見た目以上の丈夫さや病気への強さなどには非常に助けられている。
「魔法が、魔法がもっと上手になればわたし達もカイルみたいに町の外に出られる?」
「あー、それは、難しいかもな。使ってみて分かったと思うけど、生活魔法にはそこまで威力がない。うまく利用すれば補助には使えるけど、決定打にはならない。俺も上の階級の魔法は知らないし……」
「でも、カイルは外に出て狩りをしてる」
「そりゃな、これでも七年そういう生活をしてきてるし、武器もある。魔法使って、知恵振り絞って、危険からは極力遠ざかって、それでどうにか生き延びられる。武器も戦う術もなく外に出るのは自殺行為だ。俺がこうして生きていられるのは俺だけの力じゃない。たくさんの助けと支えがあったからだ。そうじゃなきゃとっくに死んでる」
魔法は無限の可能性はあるだろうが万能ではない。特に生活魔法だけでは心もとない。カイルがそれでも生きてこられたのは自身の力ばかりではない。常に共にいる精霊達の助力あってのものだ。そうでなければとても五体満足でなどいられなかった、何度命を落としていたか分からない。誰よりも心強い精霊達だが、逆にカイル以外にはその力を作用させることが難しい。カイル一人ならともかく、他者が手足を失うような怪我をしても精霊達の力を借りて治すことは出来ないのだ。
「けど、みんな表で暮らすなら町の中だけの稼ぎでは難しい。違う?」
元々みんなからは離れていたカイルだが、モニカはさらに声を落としてカイルだけに聞こえるように話す。カイルは内心図星をつかれたことを苦々しく思いながらも表情には出さない。
「……そうだ、な。全員で稼いだとしても、難しいだろうな」
少なくとも今よりさらに待遇が改善し、また信頼を得られない限り表に生活の場を移すことは難しいだろう。クルトは気付いていなかったが、モニカには分かった。カイルがこれだけの援助ができる背景に町の外に稼ぎに出られることが関係していると。むしろ、町の外に出られなければ支えることは難しいと言える。
「町の人と良好な関係が結べて、一人二人でもギルドに入れたなら状況は違ってくるんだろうけどな」
現時点では孤児達のギルド登録は不可能に近い。カイルも多少町の人達に受け入れられつつあるものの、未だに懐疑的な目で見てくる者の方が多い。まして、元々難関のギルド登録となれば協力してくれる者は皆無だろう。
「なら、カイルがいなくても外で稼げる人が必要でしょう?」
「モニカやクルトがそうなると?」
「魔力量もわたし達は他の子より多かった。だから、武器を用意して戦う訓練を積めば……」
モニカの決意とも提案ともいえない考えを即座に否定することも肯定することもできない。モニカの言っていることも確かに最もだ。カイルの言った最終目標を達成するためには必要なことではあるのだろう。
けれど、それ以上にカイルは町の外の危険性というものを知っている。少しの油断が、ミスが、判断が死につながりかねない厳しい環境であるということを。いくら武器があっても、戦う訓練をしても実戦で戦えるかはまた別だ。
「みんなを守るためにも、武器を用意することや戦う訓練を積むことには反対しない。ただ、町の外に出るっていうのはすぐには無理だ」
「……分かってる」
カイルの言葉にうなずいたモニカだったが、表情はどこか不満げだ。今までになかった力を得たことで、気が逸っているのか。もしくは責任感故に、カイルだけに町の外に出る危険を冒させることを心苦しく思っているのか。
カイルは次に外に出た時にクルトやモニカのために練習用の武器を用意することを約束する。クルトは槍、モニカは弓を希望しているらしい。魔法も含め相手と距離を保ちながら戦えるという点ではカイルのような剣と違って多少は安全と言えるかもしれない。ただし、扱いは難しいため訓練は必須だ。
そこから朝作ったグループごとに入浴と洗濯を教える。さすがに女の子のグループはモニカに任せることにする。路地の一角をいくつかに区切って支柱を立て、横は土の壁で、前は大きめの布で目隠しをする。中はお湯を張れる浴槽と洗い場だ。
魔法で汚れを落としていても、お湯で洗うとやはり気分的にもすっきりする。同じことをみんな思ったのか随分さっぱりした顔出てくる。そこでカイルはあらかじめ集めておいた古着や安く売ってもらった布から作った服をサイズ別に渡していく。
汚れもほつれもない服に感動した面持ちで身に着けていく子供達。これだけで随分と印象が変わった。皆カイルと同じように裸足であることに代わりはないが、後は髪の毛さえ整えれば表にいる子供達とそう変わりなく見えるだろう。
互いに見比べ合ってそう感じたのか、あちこちで明るい声が上がっている。全員お風呂に入った後で、カイルは順にみんなの髪の毛を整えていく。風属性を使っているため切った髪は舞い上がって一か所にまとまり、洗った体や新しい服につくということもない。
短く切りそろえてこざっぱりした男の子達は特に問題にならなかった。ただ、女の子となると別だ。特にモニカや彼女が守ってきた子などは髪を伸ばすことで顔を隠し危険を避けてきた。いくら表に出るためとはいえ、自分を守る防波堤であった髪を切ることに抵抗を覚えているのだ。
ためらって歩が進まない中、モニカと同い年位の少女がカイルの前に進み出てくる。ストンと地面に腰を下ろしてカイルを見上げてくる。
「ずっと鬱陶しいと思ってたの。バッサリとやっちゃって」
「……いいのか?」
「いいわ。わたしは胸も大きくなってきたし、顔を隠す意味がないもの。いっそ、男の子かと思うくらいバッサリ切った方が逆に目立たないと思うわ」
確かに、その少女の髪の色は男の子の大半と同じ茶色。人によって色合いが違っても髪型が同じであれば紛れることは可能かもしれない。こうなっては長い方が目立つのも確かだろう。それに、彼女の場合栄養が足りず体は小柄だが、その分女性らしさを感じさせる部分においては確かな成長をしている。
顔を隠したとしても、体からすぐに女の子だと分かってしまうだろう。表情からも長い髪を鬱陶しく思っていることが読み取れた。念を押しても意思が変わらないことを感じたカイルは、彼女の希望通り前髪も含めてショートカットにする。男の子よりは気を使って、女の子らしい髪型に整えると、少女はにこりとした笑みを浮かべる。
「あー、すっきりしたわ。ありがとう」
「どういたしまして」
「ほら、あんた達もやってもらったら。文字通り世界が明るく見えるわよ?」
少女の言葉に動いたのは三人ほど、いずれも女の子の中では年長で少し影のある子達ばかりだった。同じようにして髪を切りつつ、精霊から教えられた情報にカイルは曇りそうになる顔をどうにかこらえる。
「エミリー、みんなも。ここは前よりも安全かもしれないけど、危険だと思わないの?」
「どこにいても、どんなに隠してても同じよ、路地裏で暮らす限り。少なくともわたし達にとってはね。なら、少しでも早く表に出ることが身を守ることにもつながると思わない? いかにも孤児ですって格好よりこっちの方が手を出しづらいでしょう?」
孤児であれば、例え襲われていたとしてもほとんどの場合見て見ぬふりをされる。しかし、よく見なければ孤児と分からない格好をしていれば躊躇するだろうし、周りの助けも期待できるかもしれない。何より薄暗い場所にいないことが身を守ってくれる。
「それともあんた達はここから出る気がないの? この子も言ってたでしょ? そんな髪してるだけで避けられるんだって。それとも、わたし達みたいにならないと危機感が持てない?」
「そっ、そんなことはっ! わ、わたし達もここから出たいと思ってる! でも、すぐには無理なら、こっちの方が……」
「それが危機感がないって言ってるの! わたし達はね、一刻も早くこんな場所出たいと思ってるの。自分の体を売らなくても表に出る方法があるなら、身勝手に犯されて殺されるかもしれないような場所には一秒だっていたくないのよ!」
エミリーの強い言葉にモニカは反論できずに黙り込む。エミリーに続いて髪を切ってもらった女の子達も同じような考えなのか、モニカ達と対立するような位置に立つ。
「それはっ……でも、表だって何があるか。怖いとは……思わないの?」
少なくともモニカ達にとっては路地裏で生活することより表に出ることの方が怖い。彼女達にそうした恐怖はないのだろうか。髪の間から見える不安を宿したモニカの目を見たエミリーは鼻で笑う。
「そんなの、あの……あの時の恐怖に比べたらなんてことないわ。この子だって協力してくれるんでしょう?」
カイルの方を見ていってくるエミリーにカイルはあいまいな笑みを浮かべてうなずく。確かに協力はする。彼女達ほど強い思いがあれば表の視線にも耐えられるかもしれない。ただ、彼女達が望むように表でだけ生活できるかというとそれはまた別の問題だ。
しかし、表で働くようになれば昼中は町の人の目があるし、行き帰りも一人で行動することもなくなるだろう。そうなれば身を守れる確率は高くなる。カイルに合わせて移動するなら行き帰りの護衛のようなこともしてあげられる。
「あんた、みんなのまとめ役で魔法も使えるからって張り切ってるみたいだけど、肝心なところで臆病だわ。それに、今までは助けられてる部分もあったから言わなかったけど、あんたのいかにも分かってます、気にかけてますって態度気に入らないのよ。わたし達を憐れむような目で見て……それって見下してるのと同じって知ってた?」
髪で隠れていてもモニカが大きな衝撃を受けたような顔をしていることが分かった。体を震わせているのは怒りのためか、あるいは無意識のうちに現れてしまった己の心の醜さを自覚したためか。
「わたし達が心と体に消えない傷を刻まれたことは確かだわ。でも、憐れんでほしいとは思わない。少しでも早く忘れたいのに、その目で見られるたびに思い出すのよ。絶望と恐怖と悔しさと、死にたいくらいの羞恥心を!」
エミリーは自身の体を抱きしめるようにしてうずくまる。よくあることだと言われればそうだ。女の子の孤児が生きていくのに最も手っ取り早いのが花町に自身を売りに行くこと。けれど、それを拒絶しても綺麗な体でいられるとは限らない。
大人達と、男達の身勝手な欲望に抵抗したとしてもねじ伏せられて心と体をズタズタにされる。今もエミリー達の中に大人や男達に対する恐怖心や刻まれた傷は根深く残っている。それでも、またあの恐怖を味わうことを思えば、次は生きていられないかもしれないことを思えば前に進まざるを得ない。分かっていないのはモニカの方だ。
 




