ゴミから人になるために
クルト→カイルサイド
表に住む人々からの目から逃れるようにして、自分達が住む路地裏よりもさらに深い闇の者達に目を付けられないように息をひそめながら生きていた。いつ終わりが来るともしれない、救いも光も見えない毎日をただ生きていた。
二人は孤児達のまとめ役として、何日かに一度は見回りと点呼を行っていた。そうすることで孤児達の動向を把握したり、あるいは人数の変動がないかを常にチェックしていた。いつもの場所にいなければ探せる範囲で探す。それでもいなければ死んだものとして扱う。それがルールだ。
ある時、一人姿が消えていることに気付いた。クルトやモニカにとってあまりいい印象がない相手だったが、それでも自分達の仲間であることに違いはなかった。探せる範囲で探して、死んだものとしてみんなには報告した。
それでも二人はどこか納得のいかないものを感じていた。自分達がお腹を空かせていた時にもどこか余裕そうな表情をしていた孤児。いなくなる前も自分達に嫌味を言って去っていったばかりだった。それなのに自分から姿を消すということがあるだろうか。
不穏なものを感じた二人は次の日も見回りを行った。そこでまた一人消えていることに気付く。同じく死んだとして扱ったが、疑惑が確信に変わるようだった。二人で話し合い、消えた両名の共通点を探った。ほとんど考えるまでもなかった。いずれも孤児でありながら、仲間であるはずの自分達をどこか見下していたこと。そして、孤児特有の切迫した飢餓を感じられなかったこと。
もしその二人の失踪に関係している存在がいるなら、次もまた同じような者が狙われるのではないか。そう考えた二人は、思い当たる最後の一人に会いに行った。まだ無事であったことに安堵しつつも、警戒を促す注意喚起を行った。最初は馬鹿にしていたが、二日続けて二人消えたことを話すと顔を青くさせていた。
追い払われるようにその場を去った二人だったが、やはり気になったためその日の夕方もう一度訪ねた。そこで二人が見たのは信じられないような光景だった。
昼間でも薄暗い路地裏だが、中でもそこは日当たりのいい場所だった。空は茜色に染まり、その光に照らされた路地も、白い石造りの壁も赤く染まっていた。しかし、地面はそれ以上深く、どす黒い赤に染められていた。
光を反射して鈍く光る剣、そこから滴り落ちる血が涙のようにも見えた。血の海の中沈むのは朝話したばかりの孤児の少年。そして、その少年を殺したと思われるのはその少年よりも、そしてクルトやモニカよりも幼い、子供……だった。
返り血で手や服、顔を染めながら、驚いたような表情でこちらを見ていた。血で汚れていても、凄惨な光景を作り出した殺人犯だとしても、クルトやモニカは一瞬見とれてしまっていた。
路地裏だけではない、表にいる人々の中でもめったに見ることがないほどに整った容姿。よく見かける色合いの髪と目なのに、夕日の中で見たそれはどこか幻想的な色合いを醸し出していた。
しかし、直後に届いた鉄さびのような濃い血の匂いが二人を現実に引き戻す。相手が武器を持っているのも構わず、クルトはその子供に飛びかかった。身長でも体格でも勝っていたことが自信につながったのか、あるいは恐怖さえ凌駕する怒りのためか。
よく見てみれば、その子供の格好は自分達とさほど変わりない。つまりは、その子供もまた孤児であることを意味していた。手足も細く体も華奢で、顔だけでは男女どちらとも判別できない。けれど、表に住む子供がつぎはぎだらけの服を着ていたり裸足でいることなどあり得ない。
つまり、孤児が孤児を殺していた。その事実は、アルミラの町の孤児達のリーダーであったクルトやモニカの頭を沸騰させるに十分な理由だった。その子供ほど印象的であれば、一度見れば忘れるはずがない。つまりは新しく入った孤児だということ。しかも、孤児であるにも関わらず武器を持っている。それがどれほどの脅威か分からない二人ではなかった。
二人は無我夢中で武器を取り上げ、思っていたより小さな体を二人がかりで地面に押さえつけた。不思議と一切の抵抗はなかった。
カイルは背中の上に馬乗りになる二人の体重を感じながらどうしたものかと思案に暮れていた。町に入ったのは一週間ほど前だ。いつものようにすぐ孤児達と合流するのではなく、一人で動いていた。昼中は町に馴染む努力をしつつも、調査と危険排除のために夕方からの時間を割いていた。
経験則で孤児達が活発に動き始める時間でもあり、闇に紛れて動くことが出来るから。そして二日前から行動を起こしていた。最後の最後で見つかってしまった。それも、最悪なことにこの町の孤児達を取りまとめる二人に。
二人の鼻息は荒く、カイルの剣を取り上げた少年の方は、今にもカイルを刺してしまいかねない。急所さえ外せればそう簡単に死ぬことはないが、痛いのは勘弁だ。なので、二人に話しかけてみることにする。
「あー、えっと、こんな状況で俺から言うのもなんだけど……落ち着いてくれないか?」
「なっ! 何をっ、お、お前、自分が何したか……」
「知ってるよ。たぶん、あんたよりもよく知ってる。見て分かる通り、俺が殺した」
「どうしてっ! どうして殺したっ!」
なるべく低く、どすの聞いた声と男勝りの口調で話そうとしているが、カイルはもう一人が少女であることに気付いていた。精霊に教えられたというのもあるが、背中に感じる感触はどう考えても男のものではないからだ。
「……必要だからだ。こいつは……こいつらは裏と繋がりがある。闇の手先になることで、この境遇から抜け出そうとしてた。でも、駄目だ。闇はそんな都合のいいものでもないし、救いにもならない。これから先、俺がしようとすることの邪魔をしてくる。だから、その前に殺した」
「必要? 殺しの何が必要だって言うんだ! たとえ闇の手先になっても、死にたくないって気持ちが分からないわけじゃないだろう! お前だって、お前だって孤児だろうがっ!」
少年は剣を投げ捨てるとカイルの体を持ち上げて、近くにあった壁に叩き付ける。その後ろで少女もカイルを睨み付けていた。カイルは背中に感じる痛みに歯をかみしめながら少年を見返す。怒りの中に深い悲しみと、そして奥深い場所に根付く憎しみの炎が見えた。でも、まだ大丈夫だ。まだ、やり直せる。仲間の死に涙を流せるなら、怒りを感じるなら、人に戻れる。
「そうだ。俺も孤児だ、死にたくないって気持ちも、表の人達に憎しみ感じてしまうくらいの飢えも分かる。でも、だからって生きるためなら何をしても許されるってことにはならないだろう! どんな理由があっても罪は罪だ。だから俺は人殺しの罪を背負って生きる。許されようなんて思ってない。でも、こいつらの死を無駄にはしない。俺は、俺はこの町の孤児達を表で……光の当たる場所で暮らせるようにしたいんだ! だけど、こいつらが生きていたらそれができない。だから、殺した。俺を罵ってもいい、殴ってもいい。でも、俺の話を聞いてくれ」
「な、にを……表で、生きる? わた……俺達が?」
「無理に男の振りしなくていい。ここにいるのは俺達だけだ」
カイルの指摘に髪の間から覗く少女の顔が驚きに染まる。初見で見抜かれたことがないのか、ひどく狼狽していた。少年はカイルから手を放すと少女をかばうようにして数歩下がる。カイルはいつものように探知を発動させながら同時に別の魔法も使う。闇属性第一階級魔法『幻惑』、幻を見せることが出来る魔法だ。この場所が見られないように入口を壁に見せている。
「なっ……知っていたの? それに、何でそんなことが言える?」
「そりゃ分かるだろ、体のつくりが違うんだから。まぁ、なんとなく分かってると思うけど、俺は町の外から来た。つまり、俺は流れ者でもあるんだ。で、町の外で生き抜こうと思えば自然とそういう技能が身に付くってわけだ」
「外から? 何でお前みたいな子供が流れ者に?」
「色々あってな。俺はカイル。カイル=ランバート。お前らは?」
「……クルトだ」
「モニカ」
「クルトにモニカ、か。二人がこの町の孤児達のまとめ役、でいいんだよな」
「なっ、何で……」
「俺がどうやってあの三人を選別したと思ってるんだ? 二人の名前まではともかく、顔くらい知ってる。それに、言い訳じみて聞こえるかもしれないけどあの三人、近いうちにモニカを襲って闇に献上する計画を練ってた。孤児でモニカくらいの年齢で……その、そういう経験がないの珍しいからって」
クルトの後ろでモニカが息を詰める。常々あの三人から嫌な目で見られているような気はしていた。そこまで成長や発育がいいわけではなかったが、確実に男とは違う発達を遂げている体。いずれはごまかしきれなくなることは分かっていた。だが、まさか同じ孤児からそんなふうに見られていたなんて思わなかった。
「お前ッ、言っていいことと悪いことが……」
「知らなきゃ、備えられないだろ? いつまでもごまかしきれるもんじゃない。そうなる前に、ここを抜け出す努力をすべきだ」
「抜け出す努力? はっ、どうしろって言うんだ! 俺達に何ができる? 町の大人達はみんな俺たちをゴミみたいに見てくる。ドブネズミって呼んで唾を吐きかけて、近づけば顔をしかめる。それでどうやって表で生きていけって言うんだ!」
クルトだって何度も助けを求めた、救いを探した。けれど自分達に手を差し伸べてくれるような人などどこにもいなかった。みんな顔をしかめて、遠ざかっていく。どれだけ叫んでも、聞いてくれようとはしない。それでどうやって抜け出せるというのか。
「そうだな、まずは体を洗え」
「はっ?」
「んでもって、服を綺麗に洗って繕って、髪を切りそろえたらいい」
「何、それ?」
「表に出ても顔をしかめられずに済む方法だ。お前らどれだけの間体を洗ってないか覚えてるか。もう鼻も麻痺してんだろうけど、知ってるか? お前ら、自分が思わず顔を背けられるくらい悪臭を漂わせてるってこと」
カイルの言葉に顔を見合わせた二人は、思わず距離を取る。相手の匂いのためではない。自身の匂いを相手に感じ取らせないために。その様子にカイルは苦笑を浮かべる。やはり大半の孤児は自身の身なりや匂いに頓着していないらしい。そして、それが表の人達から顔を背けられる一番の要因であったことにも自覚がないようだ。
「それだけで、何か変わるの?」
「そうだな、少なくとも近づくことでさえ拒絶される回数は減るだろうな。俺達は孤児だけど、この町の表に住む子供達と何が違う? ゴミ扱いされるのは、俺達がゴミと変わらない汚さと匂いだからだ。ドブネズミって言われるのは、生きるためにどんな悪事にも手を染めてしまうからだ。ちゃんと身なりを整えて、人に迷惑をかけず、働いて報酬を得てまっとうに生きることが出来たら、俺達は胸を張って人だと言える。それでも虐げてくる人がいるなら、間違っているのはその人の方だ」
少なくともカイルはそう思って生きてきた。ゴミ扱いされても、ゴミでいることを良しとしなかった。ドブネズミと呼ばれても、人としての矜持は守り続けてきた。だからこそ、誰になんと言われようとカイルは自身を人だと声高に主張できる。こうして罪を背負うことになろうと、人として生きていくことを諦めたりはしない。
それに、人を殺して初めてカイルは自身の命もまた多くの命の上に築かれているものだったのだと自覚した。それまでに殺してきた数多の獣や魔物達。生きるために彼らを殺してきたことと、人でいるために人を殺したこと。一体何が違うというのだろうか。
どちらも生きていくために必要な犠牲で、どちらもカイルの勝手な思惑のせいで奪われた命だ。ならば今ここにある自身の命は、彼らの犠牲の上に成り立つもの。彼らの犠牲によって、自分の命を繋いできた。ならばなおの事、奪ってきた命に恥じない生き方をしなければならない。殺してきた命を無駄にするような生き方などできない。
殺された側からするとただの詭弁なのかもしれない。都合のいい自分本位の解釈なのかもしれない。それでも、そう思うことでしか立ち上がることができなかった。前に歩み続けることなどできなかったのだ。
「本当にそんなことが出来るのかよ。信じられねぇ……いくらいけ好かない奴だったって言っても、仲間を殺したお前の言葉なんて……」
「分かってる。簡単に信じてもらえないってことも、すぐには表に受け入れられないってことも」
「……もしかして、今までにもこういうことを?」
モニカの言葉でクルトも視線を向けてくる。流れ者として放浪を続けてきたなら、あちこちの町に寄ることもあっただろう。同じようにして孤児達と関わってきたのだとすれば、カイルがこういう行動をとるのは初めてではないのかと。
「って言っても、一年ほど前からだけどな。最初にこういうことし始めた時、もう少しでうまくいきそうだったんだ。表の人からもある程度受け入れられて、みんなも少しずつ変わり始めてた。けど、俺が殺したような、もう表には戻れない奴らが……それを妬んで、俺達が世話になってた店とかに火をつけた」
最初はあざ笑うだけだった。無駄なことをしていると、どうせうまくいくはずなどないのだと。しかし、諦めず日々の積み重ねを行い、路地裏の子供達に笑顔が戻ってき始めると立場が逆転した。置いて行かれるのは自分達の方だと。薄暗い影の中から抜け出そうとしている孤児達を黙って見送ることができなかった。
「まだ付き合いの浅かった表の人達からすれば、まっとうに生きようとする孤児も、もう戻れない孤児も見分けがつかない。分かるのは、信用し始めていた矢先に、裏切られたことだけだ。警備隊も一緒になって追い立てられた。火をつけたやつだけじゃない。情けも容赦もなく、理由も犯人かも聞かれることなく、見つかった孤児はみんな殺された。何も知らず、明日からまた光の中で過ごせると思ってた多くの仲間達が道連れになった。俺は、近くにいた奴らだけでも逃がすのに精一杯で、けど、みんな町の外では生きていけなかった」
夜眠ることもままならず、常に警戒していなければならない外の世界。知識がなければ何が食べられて、何が食べられないのかも見分けられない。カイルが狩りに行っている間に、耐え切れず逃げ出した子供を探しに行っている間に、次々と犠牲者が出た。町を出て十日がたった頃には、カイル一人しか残らなかった。最後の一人は、自分で自分の命を絶ったのだ。
「クルトは、表の人達を恨んでるだろ? 道一つ隔てただけで違いすぎる世界。少し前までは自分もその中にいたはずなのに、親を失った途端にここに追いやられた。自分と同じ目に合わせてやりたいと思ったことだってあるはずだ。でも、それじゃ何も解決しない、誰にも理解してもらえない」
「恨んで当然だろ! あいつらは、俺達の苦しみなんて理解しようとしていない。俺達の痛みも知らない。何も知らないで、笑ってるんだ。誰も……助けてくれない」
クルトの顔が憎しみから痛みをこらえるような顔になる。最初から理解しようとしてくれない相手にどうしたら伝えられるというのだろう。どうすればこの痛みを知ってもらえるのか。誰も助けてくれない状況で、どうすればよかったというのか。
「じゃあ聞くけど、孤児になる前、お前達は路地裏に住んでいる孤児達の事気にかけたことがあったか?」
「っ! そ、それは……」
「ないだろ? 人ってのはさ、実際に自分がその立場になってみないと分からないことや、見えないことが色々ある。見ようとしないと見えない、知ろうとしないと分からない。なら、俺達がまずやらないといけないことは、見てもらうこと、知ってもらうことだ。そのために、近づいても嫌悪感を抱かれないように身なりを整えることから始める」
「なんで……なんでそこまでして表に出ないといけないの?」
モニカは親を亡くして、行き場も失った後人々に向けられた目を忘れない。まるでその場にいることを許さないかのような、存在さえ否定されているような冷たい目。そして、それは路地裏に住むようになってからも常に付きまとう目でもある。そんな目を向けられて、どうして表に出ていかないといけないのか。
「……影の中では、人として生きていくことが難しいからだ。何も悪いことをしていないのに親がいないだけでこんな生活をしなきゃならない。どれだけ必死に生きようとしても、誰もそれを理解してくれない。成人するまで生きられる奴がどれだけいる? 行きつく先は死か、闇の中。俺は死にたくない。でも、闇の一員になってまで生きたいとも思えない。人としてあるべき心と正しさを失えば、生きていても人としては死んだも同然だ。闇に堕ちることは人としての死を意味する」
カイルの言葉に、クルトやモニカは虚を突かれたような顔をした。ただ生きていればいいのだろうか。闇に堕ちてでも、生きてさえすればそれでいいのだろうか。人を虐げ、人の痛みに笑みを浮かべる。そんな存在になってまで、生きていくことが正しいことなのか。
生きるのに必死で、表の人達への憎しみを支えに今まで生きてきた。しかし、それでも先は見えない。このままでは、行きつく先には絶望しか残されていないだろう。それでも、死にたくなかったから足掻き続けてきた。問われて初めて、自分達の今までの生活を見直すことが出来た。だからこそ分かってしまった、このままでは希望がないことに。人として肉体的に死ぬか、心が死ぬか、どちらかしか残されていないのだと。




