自覚と覚悟
自分達の前に立つカイルは、先ほどまでの穏やかさとはかけ離れた、身を切り裂かれるほどの冷たい厳しさが感じられる。華奢な体なのに、そこから放たれる威圧に呑み込まれそうになる。自分達の無責任な言動がカイルの怒りに触れたのだと、ようやく理解した。
「俺に対する意見も文句も、聞く耳は持つさ。言いたいことがあるなら言えばいい。それが俺を納得させられるものなら反省して改めることだってある。でも、自身の言動に責任を持つ覚悟もないのに俺の前に立つな。俺のことが気に食わないなんて理由で俺の道を邪魔するなら、最低でも命を懸ける覚悟をしろよ? 俺は自分の夢のためならこの手を汚すことにためらいはない。それで一人でも多くの仲間達が救えるなら、敵となった相手の命を奪う選択だってできる。その命を背負って生きる覚悟もしている」
ずっと家族に守られ、教師と制度に守られてきた学園の生徒達は本当に命のかかった場面に直面することなどほとんどなかった。人の死に立ち会うことさえも稀で、だからこそ人が死ぬということがどういうことなのか本当には理解できていない。
そんな彼らでは、幼い頃からずっと人の死に向き合い続け、その中で立ち上がったカイルに匹敵するほどの覚悟をすることなどできないだろう。無自覚に、無責任に犠牲を強いてきた彼らにはこれ以上カイルを批判し、非難することなどできそうになかった。
しかし、自殺未遂をした女生徒の親友で、自殺を図った彼女を見つけた女生徒は涙を浮かべながらも顔を上げる。彼女の脳裏には今もその時の光景がくっきりと残っている。各部屋にあるお風呂、その中で手首から血を流して倒れていた親友。真っ青な顔色と、流れ続ける水音、白いタイルに鮮やかな血の色と、充満する血の匂い。何度もその時のことを夢に見て飛び起きた。
一命をとりとめても、以前とは全く様子の違う親友。地味で大人しくも優秀な子だったのに、暗く沈みこみ、目はいつもどこか遠くを見ていて彼女を映さない。時折発作的に暴れたり、自傷行為をしようとするため、学園にある医療施設に収容されている。何度お見舞いに行っても回復の兆しが見えない。
そんな彼女を見続けてきた。彼女をこんなふうにしたそもそもの原因は孤児院にあるのだろう。けれど、親友となってなんでも話せる仲になっても頑なに語ろうとしなかった真実。それはきっと彼女にとって何よりも大きな重荷だったに違いない。暴かれれば死を選んでしまうほどに。
だからこそ、女生徒は孤児達を助けるためであっても真実を明らかにしたカイル達を恨んだ。話しかけても無視されるたびに憎しみが募っていった。理不尽な八つ当たりであるという自覚はあった。それでも、裏社会にまでつながる大きな闇に怒りをぶつけるよりは、身近にあったカイル達に、中でも最も立場の弱いカイルにそれをぶつけた。
しかし、思わぬ反撃にあって援護してくれた友人達は皆沈黙してしまっている。あの様子では、立ち向かう意思さえ折られているだろう。ならばせめて、せめて自分だけは最後まで抗おうとくじけそうになる心を奮い立たせ、気力を振り絞る。
「な、によ。結局、あなたも同じじゃない。自分のために、自分の夢のために誰かを切り捨てる。覚悟があれば、自覚があれば人を殺しても許されるとでも思っているの? わたしから見れば、孤児院の職員もあなたも変わらない、ただの人殺しよっ!」
この暴言には見守っていた仲間達もさすがに物申そうと一歩を踏み出すが、カイルはちらりと視線をやってそれを止める。ここで助けられたのでは相手も納得しないだろう。顔を興奮のためか赤く染め、涙目で睨み付けてくる女生徒に視線を戻すと、カイルは一度目を閉じて、それからまた視線を合わせる。
「確かに俺は人殺しだ。それは否定しない。けど、俺はそのことを後悔してはいない」
「ほ、ほら。そ、そうでしょう? 孤児達の英雄なんて言われているけど、所詮は薄汚い人殺しじゃない。あ、案外同じ境遇の孤児達だって殺してきたんじゃないの?」
女生徒はカイルの罪を知らしめるように身振り手振りをするが、それに反応する者は少ない。ただ、話を聞いていた者達は皆信じられないといった表情でカイルを見ていた。傭兵ギルドを除き、犯罪者の討伐などの依頼はSランク以上でないと受けられない。傭兵ギルドであっても、未成年者や未経験者には受注させないような仕組みになっている。
それほどまでに人を殺すということがその人に与える影響というものは大きく、そして一般には忌避される行為なのだ。正当防衛が成立するような状況であったとしても、人を殺した者に対する周囲の見方は変わってくる。特に縁遠い学園の生徒であるならなおさら。カイルから距離を取ろうとする者も少なくなかった。
「……そうだな。俺は色んな町で孤児達をゴミから人に戻す努力をしてきた。でも、どうしようもない奴らもいた。更生できないくらい、やり直せないくらい闇にどっぷりつかった奴ら、手遅れの奴らも少なからずいた。すでに闇の一員になった奴らには手出しができなかった。そうすると裏社会が出張ってくるからな? でも、闇の手先になってちょっかいをかけてくる可能性がある奴ら、やり直そうとしてる孤児達に悪影響を与えると判断した奴らは、……俺がこの手で殺してきた」
「っ!! う、そ……そんな、だってあなたは孤児達を救うために……」
女生徒も先ほどの暴言は半ば当てずっぽうでもない、ただの八つ当たり程度の認識でしかなかった。まさか孤児達から英雄と崇められているカイルが、同じ境遇の孤児達を殺してきたなど信じられなかった。
「……手遅れの奴らを生かしておいたら、折角やり直せるかもしれなかった奴らを巻き込んで共倒れになるから。その経験があるから、殺さなきゃならなかった。言い訳にしかならないだろうけど、そいつらにそれ以上罪を重ねさせる前に、闇に使い捨てられて無残に殺されて路地裏に転がる前に、俺がこの手で冥界に送ってやりたかったっていうのもある」
せめて少しでも罪の少ない魂でいられるうちに、辛い思いをする前に苦しませず一思いに死なせてやりたかった。それで彼らの犯した罪がなくなるわけではない。けれど、彼らの死によって救われる同じ境遇の孤児達が数多くいるなら、少しは罪の軽減になるのではないか。彼らの死を、命を今生きている者達につなげることができるのではないか。そう考えたからこそ、カイルが取る選択は一つだった。
「……本当に誰かを助けようと思ったらな、綺麗ごとだけじゃすまない。あんたが友人をどれだけ大切に思っているのかは理解できる。あんたと俺の違いは、自分にとって大切な存在や助けたいと願う相手のためにどこまでやれるかだ」
「どこまで?」
「あんたは大切な友人のために何ができる? どこまでやれる? 重荷を一緒に背負ってやれるか? 自分の時間や将来をそいつのために使えるか? そいつを守るために戦えるか? そいつの未来を守るために自分の手を汚せるか?」
「わ、わたし……わたしは……」
「俺は大切な仲間や、助けたいと願う孤児達のためならそれができる。今、俺がパーティを組んでいる仲間達も、俺や俺の夢のためにその覚悟をしてくれた。だから、俺は仲間を裏切らない、孤児達を見捨てたりしない。英雄なんて言われても、所詮は血で塗り固められた道でしかない。誰より前を歩くからこそ、誰より血にまみれる覚悟はしている」
「カイル一人にその道を歩かせたりしない。わたしが露払いをする」
「わたくしがそばにいる限り、カイルを簡単には傷つけさせませんわ」
「フフッ、教え子を守るのも先生の役目よね」
カイルよりも小さなハンナがカイルの前に進み出て、アミルが左側、ヒルダが右側に立つ。奇しくも女性陣によって囲まれるようにして立つカイルを見て、女生徒の目からついに涙がこぼれた。
分かってしまったから。自分には彼ほどの、彼らほどの覚悟がないということが。親友のためにそこまで自分の身を削る決意ができないから。実力だけではなく、心でも遠く及ばないことが分かってしまったから。
生ぬるい環境で、甘やかされて育ってきた自分とは違う。自らの罪にビクビクおびえて、ついに自分を見失ってしまった友人とも違う。叩かれて叩かれて潰されそうになりながらも、立ち上がって這い上がってきた強靭な心身。強くて深い絆で結ばれた仲間達。いずれも自分達にはないものだ。
だが、おそらく社会に出て生き抜くためには必要な強さと関係性。人としての正しさを見失わないために必要な自覚と、自分の意思を貫くために必要な覚悟。自分達には足りなかったもの、才能だけではない明確な実力の差を生み出したのだろう要因が理解できた。
「俺がやってきたことやこれからやろうとしていることは、誰にでもできることじゃないのは確かだろうな。けど、出来ないなら出来ないなりにやれることはあったはずだ。自分の弱さに目をつむり、罪に背を向ける以外の道だってあったはずだ。今やっている試験と同じ、自分にとっての最善を尽くすことができたはずだ。それをしないで自分に言い訳して逃げて、辛い現実から目を背けて逃げて、それで幸せになれるなんて考えの方がどうかしている。本当に幸せになりたいなら、自分の心に恥じない生き方をしないといけない」
「心を偽っても辛いだけ。自分の心を裏切ったら、自分が信じられなくなる」
「そうですわね。今まで積み上げたものが崩れてしまったのだとしても、また積み上げることは出来ますわ。生きているならば」
「死んだら終わりだものね。友達が大切なら、せめて一人にしないで支えてあげなさい。絶対に死なせちゃ駄目よ?」
「……はい。ご、ごめんなさい……」
カイル達の言葉に、女生徒は泣きながら謝罪する。誰もがカイルのように生きられるわけではないとしても、それでも出来ることはある。やれることはある。自分にとっての最善を尽くしたならば、たとえその結果が望まぬ形であったとしても自分に言い訳をしないですむ。自分の心を裏切らなくてすむ。
辛くても、悲しくても次につなげることが出来るのだ。試験だってそうだ。負けるのは悔しい、けれど何が悪かったのか、どこを直せばいいのか分かれば次にその経験を生かした戦い方ができる。人生も同じだ。ただ、当たり前のように毎日を享受するのではない。その日一日を精一杯生きることが出来れば、それは輝かしくも充実した人生と言えるのではないだろうか。
カイルに、カイル達に感じる輝きや強さはそうやって培われてきたのだ。惰性や優越感、子供特有の甘えによって生を当然のように享受してきた自分達とは違うのだ。
女生徒を支えながらグループが去っていくと、闘技場には妙な静けさが広がる。カイルは小さくため息をつく。覚悟していても、分かっていても、怯えを含んだ眼で見られることはそれなりに心に重くのしかかる。
そんなカイルの心情を察してかハンナは軽く腕を叩いて励ましてくれるし、アミルは気づかわし気な顔をする。ヒルダはカイルの肩に置いた手に一度力をこめると優しく微笑んだ。人を殺したことで誰よりも心を痛めているのはカイル自身だと仲間達は知っている。
ハンナ達にとっても、カイルが人を殺したことは知っていても、手遅れの孤児達をも手にかけてきたことは初耳だった。それでも、責める気にはなれない。人知れず涙を流し、罪の意識にさいなまれ、それでも歯を食いしばって耐えてきただろうことが分かるから。
カイルの影に潜っているクロからも励ましの言葉が届く。クロは初見の使い魔達をおびえさせてしまうことが多いため、使い魔との共闘に支障をきたしかねないということで影の中で待機中だ。試合が終われば交流を含めて出してもいいかもしれない。
学園では使い魔契約を召喚によって行うため、人界には渡っていない魔獣や、珍しい魔獣などもあちこちで見かける。カイルが今までに見たことがない魔獣もそれなりにいるため、そういった意味でも勉強になる。
試験が再開するまでにはまだ時間があるが、先ほどのやり取りのためか距離を置かれているカイル達だったが、そこに鹿型の魔獣がトコトコとやってくる。契約者の姿が見えないため、指示されたのかあるいは魔獣の独断か。
ハンナ達もわずかに警戒する様子を見せたが、魔獣はカイルの前で立ち止まるとぺろりと頬を舐める。まるで流れてもいない涙をぬぐうかのように。その行為を含めてその魔獣の意図を読み取ったカイルは思わず笑みがこぼれる。
なるほど、契約者達は子供で少々世間知らずであろうと、元々野生であった魔獣達の方がカイルの話に共感を覚えてくれたらしい。ふがいなくも情けない契約者に代わり、というより契約者を放ってこちらに来たということだ。
「大丈夫か? その後の関係とか?」
カイルの問いかけにも、角で腕をぐりぐりしながら平気だと伝えてくる。その様子を見てか、あちこちから次々に魔獣が集まってきてカイルを取り囲む。前にもあったカークの包囲を思い出すが、あれとは数がそれこそ桁違いだ。
おまけに大小種族様々で、前後左右だけではなく上下にも首を動かさなければならない。伝えてくる意思はみんな同じようなものなのだが、やはりそれぞれが自分から伝えたいのか、次々に主張してくる。
その光景には、先ほどとは別の意味で唖然とした顔をする生徒達が後を絶たない。特において行かれた契約者達は混乱している上に、魔獣達の作る垣根に邪魔されて自身の使い魔の元にたどり着くことさえできない。
カイルも数百を超える魔獣達に囲まれるのは初めてであり、主張を聞き取るのに忙しくて、物理的にも目が回りそうだ。大体の励ましの言葉を受けたところで、さらにもみくちゃにされそうな気配に若干恐怖を感じ、思わず言葉が口をついて出る。
「お、お座りッ!」
今にもカイルを覆いつくそうとしていた魔獣達が、揃いも揃ってびしっと地面に座り込む様はなかなか見られない光景だった。しかもなぜかカイルを取り囲んでいない、というより契約者によって止められていた魔獣達までそろって同じ姿勢をとっている。
血統属性の場合、自覚が特性の発動を促進すると言われているが、カイルは自身が龍王の血筋であると知ったことによってこうした命令に近い指示の効果範囲や強制力が増しているらしい。肉体構造的にお座りができず、地面にヘニャリと伏せている魔獣達もいて、カイルの頬が引きつる。やってしまった感が強い。
「あー、えっと、みんなありがとうな? おかげでちょっと元気が出た。でも、来るならちゃんと契約者に伝えてから来てくれないか? 困ってるみたいだし……さすがに俺もこれだけの数といっぺんに交流はできないからな」
十匹程度なら問題ないがそれ以上になるとさすがに対処しきれない。魔獣達は各々カイルの言葉を理解してくれたのか包囲を解いて契約者達のところに戻っていく。使い魔は基本的に契約者の指示しか受け付けない。
それも十分に交流をして絆を深めて初めて指示に従ってくれるようになるのだ。個々の使い魔にはそれぞれの意思があるし、行動も必要以上に縛られることはない。だからこうして使い魔が勝手に動くことはあるのだが、他人の指示を聞いて行動をするということは異例中の異例だ。
生徒達は帰ってきた使い魔達から伝えられた意志にもまた混乱する。生きるために殺すことを受け入れられていない生徒達を情けないと呆れ、それができる者を受け入れられないことを嘆いている。おまけに、またカイルの元に行っていいかなど伝えられたら、どう答えたらいいのか。
あちこちで上がる驚きの声を、カイルは頬をかいて苦笑いで見ていた。カイルもクロが他者に懐くようなそぶりを見せたなら少なからぬショックを受けるだろう。これからの試験に響かないか心配なところだ。やはりどうにも休日の外出はトラブルなくして終わらないらしい。
生徒達の許可をもぎ取って、意気揚々と戻ってくる魔獣達を見ながら、自身の体質は筋金入りらしいことを実感するカイルだった。
 




