ハンナの事情
王都での地震騒ぎの後、数日は対応に追われていた。トレバースへの事情説明や謝罪、急に伸びた髪に関しても周囲の視線が集まった。気功のことを知っている者は、おおむね納得してくれた。ギルドの先輩達の中でも気功を使う者は頑張れと声をかけてくれる。
一月ほど経ってみて、気功の力は思っていた以上に恩恵が大きかった。まず、修行での体力消費や回復の速さが違う。それに、一度遮断して自分の力で肉体制御を取り戻したおかげか、それまでよりも自分の体や動かし方というものがよりよく理解できた。
だんだん長くなってくるレイチェルとの最初の全力疾走にもどうにかついて行けるようになったし、トーマとやる崖登りも様になってきた。命綱や互いに落ちた時のフォローをしあうというのは、当たりだった。
おかげであわやという事態を何度も防ぐことが出来た。ある程度体作りができてくると、技の方に関しても教えてもらうようになっていた。レイチェルからは理想的な剣の動きや流れを、トーマからは身のこなしだけではなく、体術に関しても少しずつ学んでいる。
特に気功の力がなければ難しかった技などもあるようで、今では心置きなく教えられるといったところだろう。
ただし、レイチェルもトーマも説明が苦手なことがあり、いつだって肉体言語で教えてくるので生傷は絶えない。
ダリルの方は、少しずつ戦い方に自覚と変化が出てきたように思う。前のような誤射というか、仲間の立ち位置を把握していないフレンドリーファイアは減ってきたし、自分だけで片を付けようという動きも改善が見られるようになってきた。
そうなると、文字通りカイルと背中合わせで、剣と魔法を使って相手を補い助け合うといった戦い方ができる日も近いかもしれない。少なくとも、敵の攻撃だけではなく、味方の攻撃にも備えておく必要はなくなるだろう。何気に心臓に悪い。
キリルとの毎朝の日課は続けている。トーマと道場に通うようになったおかげでキリルも気の力に目覚めたのか、さらにキレが増している。それに前にあった癖もなくなっており、両腕から繰り出される攻撃と防御に翻弄されることもしばしばだ。
いまだ気功の段階には至っていないようだが、それも遠からずと言ったところだろう。なぜか激しくトーマが落ち込み、その後猛烈なやる気を見せていた。仲間内でも刺激があるのはいいことだ。
それまでは一緒に依頼を受けることも多かったハンナとアミルだが、最近ではそれぞれ別々に指導を受けるようになっていた。
二人の受け持つ分野が違いすぎることもあるが、二人ともさらなる躍進のため苦手としていた分野においても挑戦しようとしているのだ。ハンナから教えられたことをアミルに教え、アミルから教えられたことをハンナにも伝える。
それなら二人で教え合えばいいのではないかと思うのだが、適性が正反対なこともあり当人間では埋められない齟齬が生じてしまうのだという。そこにカイルというクッションを挟めばお互いに認識しやすくなるのだとか。
攻撃にも守護にも通じているカイルは、正反対な二人の溝を埋めてくれるらしい。依頼もこなすが、それまでのようにがむしゃらというわけではなく、その日の修行に見合ったものを受けるようになっていた。
相変わらずハンナが選ぶ依頼には、昆虫系の魔物が多い。虫好きなのに虫を殺す依頼を受けるとはこれいかに、と思うのだが、その辺はハンナにしか分からない何かがあるのだろう。アミルの場合、結界の補修や補強、治療院の手伝いといった王都の外に出ない依頼を受けることも多かった。
レナードとの訓練では、気功の扱いに慣れ、また実戦で運用できるようにするためと気功の使用が認められた。レナードだけではなく、バレリーも気功について精通しているのか、カイルの髪を見ただけで気の力に目覚めたことを悟ったようだった。
気の扱いに慣れるには使ってみるのが一番と、回復魔法抜きでトレーニングを行うことになった。確かに使っていくたびに滑らかな運用や、扱える気の量が増えていくようだが、その後の反動が半端なかった。
意図せず聖剣の癒しの力が発動してしまったくらいだ。ただし、回復魔法とごまかすことが出来たのは幸いだった。無詠唱で魔法が使えることを見せておいてよかったと胸をなでおろした。
このところ聖剣デュランダルは力を使う際にも文句を言わなくなってきた。もちろん言いたいことは言ってくるのだが、無闇に批判したり嘆いたりといった愚痴が少なくなったのだ。
それが認めてもらえ始めているということなのか、諦めの境地なのかは聖剣のみぞ知るだ。それまでの剣聖達の記憶と経験が刻まれていても、体がついてこなくてできなかった動きなども自主鍛錬の時間に少しずつ挑戦している。
それぞれに戦い方が違うし、性格も違うからすべてを真似することは出来ない。ただ、臨機応変に対処したり、強敵との戦い方などに関しては参考になる部分も多かった。
そんな忙しくも平和な日常を謳歌していた。ある無の日、その日は誰との予定もなく、カイルは朝からシェイドやクロと共に部屋で書き物をしていた。
それまでも空いた時間を見つけてはちょこちょこと書いていたのだが、将来本にしたい内容などをまとめているのだ。出身が違う二人の意見は色々と参考になることが多い。
『ふむ、我も人界に来て新たに知ったことは多い。特に魔界に存在せぬ精霊や、魔の者には扱えぬ気功などといった技術は新鮮であったな』
『アタシも、魔界の生き物なんてみんな野蛮で人を見れば殺しにかかるとばかり思ってたわ。でも、そうじゃなかったのね』
それぞれ人界に来ない限り全く交流のない二人だ。相反するといってもいい性質を有しているだけに一同に会することなどなかったのだろう。
「同じ闇を司るのに、二人が扱う闇は全然違うもんな。俺の中でいろんな力が混ざってるせいもあるかもしれないけど、最近その違いがはっきり分かるようになってきたし」
闇の眷属の妖魔と闇の大精霊。扱うのは同じ闇でありながら、全く違う。感覚が鋭くなったおかげか、この二人と契約しているからか。その違いもまた二人と出会うことがなければ知ることができなかっただろうことだ。
カイルはつい最近、というより昨日になるのだがハンターギルドにおいてもSランクに昇格した。Sランク以降の試験はいつでも受けられるというわけではない。ギルドカードのポイントが規定値以上に達した上で、予約を入れる必要がある。
なぜなら、昇格の合否を判定してくれたり、その間試験官となってくれたりする者もまたギルドの先輩達から公募するためだ。試験官になるにはそれなりの実績や信用が必要になるので、個人の思惑でわざと落とされるということは少ない。
しかし、いくら王都と言えど、受付をした当日に試験を受けられるわけではないのだ。
カイルの場合も受付をしてから三日後の試験となった。内容は筆記と採取と討伐の実地試験だった。ハンターギルドと言えど、実力さえあれば上に上がれるわけではない。高ランカーとはギルドにとっての顔だ。
必要最低限の一般常識やギルドの規定、町の外での身の振り方など知っておかなければならない知識はある。生産者や商人ほど専門的な知識は必要とされないが、ハンターとして有るべき姿勢くらいは問われるということだ。
採取に関しては全く問題なかった。探知を使ってどこに何がどれだけあるのか分かるので、採取試験においては異例の過去最短を記録した。この件もあって、ハンターギルドの中でも魔力がある者は探知の魔法を身に付けようと躍起になることになる。
元は応用魔法だったことや、カイルが詠唱を必要としていなかったことで、他の人には使えないかもしれないと思われていたが、アミルやハンナの助けも借り、ギルドマスターであるミシェル監修の元、探知の魔法が生み出された。
”風よ、探せ『探知』”というものが、正式な詠唱と魔法名として登録されたようだ。第一階級の魔法なので至極簡単な詠唱と魔法名だが、誰にでも使える形になった。
発案者であったカイルとしても、魔法が新しく作られていく過程というものは非常に面白く、簡単そうに思えて難しいのだと理解することが出来た。詠唱は属性と役割、魔法名は本質を表す。
ただし、魔法というのは本人のイメージに左右される部分も多い。同じ魔法を使ってもどの範囲、どれくらいの精度かは本人次第というわけだ。
「魔法を作るのも楽じゃないんだな……」
「そう、大変。でも、楽しい」
「だよな。物作りにも似てる。やることやって時間が開いたら魔法研究するのもありだよな」
「面白そう、わたしもやりたい」
「相変わらず楽しいこと好きだよな、ハンナも……ハンナ!?」
カイルは独り言に返事があり、思わず会話を続けていたが、椅子をがたりと揺らすほどの勢いで立ち上がる。
なぜかカイルの部屋に、音も気配もなくハンナが入り込んでいた。
「おはよう、カイル。前に教えてもらった闇魔法の隠蔽、使ってみた。どう?」
「そりゃ、気を抜いてたこともあって気付かなかったけど……」
わざわざそれを見せるためだけに来たのだろうか。ハンナのことだからあり得ないことではないのだが、どうも少し様子が違うように見える。何というか、少し落ち込んでいるような。いつもと変わりない表情に思えるのに、気落ちしているかのようだった。
パーティの中では一番小柄で変わり者ではあるのだが、ハンナは何気にパーティのお姉さん役をしている。それぞれに足りない部分をさりげなく補うかのように立ち回る。自身の興味や楽しいことを優先してしまう部分もあるが、仲間達のことを誰よりも気にかけているのはハンナだろう。
直情的な者が多いメンバーの中にあって影から支えてくれる頼もしい部分もあった。そのハンナが弱みを見せたことは今までなかった。それなのにどうしたのだろうか?
「……何か、あったのか?」
「…………やっぱり、カイルは気付く。予定がないなら、少し付き合ってほしい」
カイルは足元のクロと肩の上のシェイドと視線を合わせる。シェイドはにこりと微笑んで姿を消し、クロもカイルの影の中に潜る。例え契約という繋がりから分かってしまうにしても、二人だけの方がいいだろうと配慮してくれたようだ。
「いいけど、どこに行くんだ?」
「北区」
いつも以上に簡潔な言葉にカイルは簡単に身支度を済ませるとハンナと共に店を出る。
相変わらず賑やかな商店通りを通り過ぎ、貴族街の外壁を迂回するようにして王都北区へ入る。親方やディランの知り合いのドワーフも多く、また前回色々と世話になったことで何度か通ったことがある地区だ。
あちこち所狭しと店舗が立ち並び、競い合っている。生産者達の聖地とも言われる北区だが、区画ごとに商品の系統は統一されており、あちこちを歩き回らなくてもその区画で見比べながら買い物ができる。
ハンナに連れられてやってきたのは木工製品が置いている区画だ。ドワーフは主に金属加工を主としているが、木工製品にも縁がないわけではない。槍や弓矢、武器の柄など木材を扱うことも少なくない。
さらには炭なども木材から作られるため切っても切れない縁と言えるだろう。また、木材はハンナの種族であるドルイドとも深い関係がある。森の守護者とも言われるドルイドだが、種族で共通して有する属性がある。
アミルの光のように血統固有属性として受け継ぐものだ。
ハンナにもあるそれは、『植物』属性。植物の成長促進をしたり、操ったりできる。ハンナが昆虫型魔物討伐において無類の強さを誇るのもこれが関係していたりする。草原や森など昆虫型の魔物は通常の昆虫と同じような場所を生息域としている。
当然そこは周囲に植物があふれている。植物属性は自動で周囲の植物の加護を得られるらしく、植物がある場所でハンナを傷つけるのは容易なことではないのだ。そうした守護に特化した属性だが、ハンナは植物を伸ばしたり鋭くしたりして武器として扱うことが多い。
周囲を囲んだつもりでも、植物という敵に囲まれた昆虫型の魔物達はなすすべもなく倒されてしまうのだ。
だが、ドルイドはそうした使い方をすることが少ないのだという。元々攻撃魔法の適性が低いこともあって、自分達が住まう森を維持管理することにその力を使っているのだという。人々の生活に欠かせない木材だが、木の成長には時間が掛かることや、無闇な伐採が生態系その物に影響することもあり、伐採や販売に関しては割と厳しい規制がかかっている。
以前考えなしの伐採が元で資源の不足や、住処を追われた獣や魔物達の暴走が見られたこともあり、一時期ドルイドと人が敵対関係に近い険悪な間柄だったこともあるようだ。
どうにか激突は避けられたものの、木の伐採や木材の供給に関してはドルイドに一任するという規制の下和解が進んだ。以来、人は勝手に森の木々を切り倒して木材として利用することが出来なくなった。
森に主がいれば間違いなく敵対関係になるし、沈静化したドルイドとの関係も悪化しかねないからだ。その分、ドルイド達は定期的に一定量の木材を供給することになっている。
「……今日来るドルイドの中に、兄がいる」
「連絡があったのか?」
高価で作成が難しいこともあってそう多くは出回っていないが、遠距離通信を可能とする魔法具は存在している。また、そうでなくても郵便屋に規定料金を払って手紙を預ければ遅くても一週間以内には相手に届く。
「そう、お母さんから。一年ぶりに手紙が来た」
「それって、誕生日に、か?」
ハンナの誕生日は今月、八の月十八日。五日前に仲間内とドワーフ含め、テムズ武具店で祝ったところだった。
ハンナはいつもと変わりないような顔をしていたが、どこか嬉しそうでいつもよりテンションが高かったことを覚えている。いくら遠くで離れて暮らしているとはいえ、ハンナの家族は健在だ。ならば誕生日に近況を報告する手紙位届いてもおかしくない。
だが、それならなぜハンナは落ち込んでいるのだろうか。
「わたしが、ここに来るきっかけになったのは、兄さんのことがあったから」
ハンナは生まれた時から魔力が高く、しばしば魔力暴走を起こしていたのだという。ドルイドの適性的に普通なら大きな問題にならなかったのだが、ハンナは違った。あまりにも攻撃的な魔力は周囲を否応なしに傷つけたのだ。
それでも幼いハンナを家族は守ろうとした。もう少し大きくなって、自分の魔力を操作できるようになればきっと大丈夫だと、そう考えて。五歳年上だったハンナの兄は、魔力暴走を起こすたびに落ち込むハンナを気遣ってよく励ましてくれたのだという。
魔力を抑え込む練習をしてくれたり、ハンナを怖がって近づかない子供達に代わって一緒に遊んでくれた。ハンナはそんな兄に感謝していたし、とても慕っていた。
しかし、ハンナが七歳の時、大分治まってきていたかと思った矢先に再び魔力暴走を起こしてしまった。引き金になったのは子供達だけで冒険に出ていた時に遭遇した魔物だった。
恐慌状態に陥った中でも、十二歳になり年長組であったハンナの兄は魔物に立ち向かおうとした。だが、魔物が植物の檻を脱出し、兄の腕が切り裂かれた時、押さえ込んでいた感情と共に魔力が暴発した。
柔らかく魔物を縛っていた植物が鋭利な刃となって切り裂き、木の根や枝が魔物を貫く。気が付けば魔物は姿を消していた。ほっと息をついたハンナが、うめき声に眼をやるとそこには傷だらけになった兄がいた。
制御しきれなかった魔力は魔物だけではない、守ろうとしたはずの、大切だったはずの兄にも向いてしまったのだ。壊し、傷つけることは出来ても、癒すことのできないハンナは、生まれて初めて大声で泣きながら兄に縋りついた。
その声に、血相を変えて戻ってきた子供達から事情を聞いた大人達が駆けつけてくれて、どうにか兄は一命をとりとめた。この一件があって、ハンナを導き育てることが難しいかもしれないと悟った大人達はハンナを王都にいるミシェルに預けることを決定した。
同じように異端のドルイドならハンナの気持ちを理解してあげられるだけではなく、より良い方向に導いてくれることを期待して。
ハンナは涙を浮かべながら見送ってくれる両親や祖父母、まだ事情が分からず呆けている弟達に見送られ、王都に旅立った。その時、兄は未だ意識が戻ってはいなかった。
あれから十三年になる。その間、ハンナは一度も故郷にも家にも戻らなかった。兄に合わせる顔がなくて、何と言っていいのか分からなくて。あんなに仲が良かったのに、父や母、祖父母からの手紙は届くのに兄からの手紙は一度も届かなかった。
だから、きっと怒っているのだと、ひょっとすれば憎んでいるかもしれない。そう思えば、手紙を出すこともできなかった。
その兄が、今日王都に来る、来ているのだというのだ。
 




