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レスティア物語  作者: マリア
第三章 遊行と躍進
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龍の気の目覚め

トーマ→デニス→カイル→クロサイド

 キリルとダリルはトーマからというより、ヨハンやアニータから気や気功に関して説明を受けていた。トーマの説明はどちらかというと感覚的なものであり、理論的な説明にはなっていなかったためだ。

「俺の……兄貴としての面目が……」

「元々あまりなかったと思うが……」

 四つん這いになって落ち込むトーマにダリルは慰めにならない声をかける。追い打ちをかけられ沈み込むトーマをキリルは少々呆れた目で見る。実力は確かなのに、どうにも締まらない。


「兄さん、カイルさんがまだ気の力に目覚めていないというのは確かなんだよね?」

「ん、ああ、そうだぞ? なんか気になることでもあるのか?」

 トーマの返事に、ヨハンだけではなくアニータも考え込む。体で覚えるタイプのトーマと違い、ヨハンやアニータはきちんと理論から入った。そのため、兄の補助をして教えることもできたのだが、だからこそ少し引っかかることがあった。

「いくら試しのための弱い気でも、完全に眠っているなら弾けないはず……」

「でも、師範は何も……」

「中途半端に目覚めた気は危険」


 ダリルやキリルは気が目覚めた時には制御できず暴走しやすいことを聞いていた。その時に、どのようにすれば気を静められるのかということも。暴走した場合、潜在する気の大きさによっては周囲に被害が及ぶ可能性があることも知った。そのため、気の覚醒は慎重に行う必要があるということを。

「普通の人ならともかく、龍の血族となったらその危険性も大きくなるはず……」

「それに、龍の気について書かれた本は、武国の昔の文字を知らないと読めない。義父さんは、それも知っているはず。内容だって……」


 ヨハンやアニータの鋭くも冷静な考察に、トーマは体を起こすとキリルやダリルと顔を見合わせる。ヨハン達が知っているなら、当然デニスは知っているはずだ。それでもあえてカイルを連れて行った理由は何だろうと考えると、何やら嫌な予感がしてくる。

 トーマはデニスの性格をよく知っていた。厳格で落ち着いて見えるが、その実トーマよりも手が早かったりする。家族を大事にしており、少しでも危険が及ぶようなことがあれば、それを知っていれば先んじて潰そうとする過激な部分があることも。


「な、なぁ。確か気って一度目覚めたら封じることってできなかったよな?」

「うん、極力抑えることは出来ても、目覚める前と同じようにはできないよ」

「無理に封じたら身体を壊す」

 カイルがデニスの気を弾けたのは気に目覚めつつあったから。そして、それはいつ暴走するかもしれない危険をはらんでいるということだ。それを知っていて、デニスが何も手を打たないでいるだろうか。

 読むこともできず、おおよその内容を知っている書物を探しに行くだろうか。そこにカイルを連れて行く必然性があるとするなら。


 トーマはバッと立ち上がると、少し前に二人が向かった部屋に駆け込む。あまり事情が飲み込めていない二人と、トーマと同じような結論に至った弟妹達も続く。

「どういう事だ?」

「師範は、義父さんは身内にはちょっと過保護で過激なところがあるんだよ。もしカイルが俺にとって危険をもたらしかねない存在だと気付いたら……」

「気付いたら、どうする?」

 階段を駆け下りながら、キリルはすぐ前を行くトーマに尋ねる。しかし、答えたのはトーマではなく弟妹達だった。


「義父さんなら、遠ざけようとする」

「被害が大きいなら、最悪排除しようとするかも……」

 アニータの排除という言葉に、ダリルもキリルも揃って嫌な汗をかく。仲間の家族だからと、安易にカイルを預けたのはまずかったのかと。

「排除というが、どうやって?」

「言ったろ、気功の扱いに長けりゃ他人の気にも影響を与えられるって。もし、もし気を封じられることにでもなれば……」

「それは、死ぬのと変わらない」

「気は血や魔力と同じ」


 ダリルは兄弟の言葉を聞いて青くなる。強くなるための新たな力ではあるが、同時に他者を殺めることも可能な力なのだと気付いた。

「だが、カイルは弾いていたようだが……」

「あれは、ごく微量の気だ。気功を使えるようになれば誰でもできる程度のな。義父さんが本気になりゃ目覚めてないカイルには対抗できない」

 普段は即断即決のデニスが長考していた理由に、今更思い当たったトーマは歯噛みする。あれはカイルの気について悩んでいたというより、その処遇に関して考えを巡らせていたのだと。

 五人が地下の廊下に足をつけた時、道場はおろか、王都そのものを揺るがしかねない衝撃が足元を襲う。第一波がおさまっても微かに地面が振動しているのを感じた面々は、慌てて二人の姿を探して駆け出した。




 デニスは眼下で力なく倒れ伏し、焦点が合わず光を失った目から涙をこぼす様子を見ながら、背後に迫る死に相対する。カイルの自由の全てを奪う直前に影から飛び出し、巨大化した妖魔がその口内にデニスを収めそうなくらい至近でうなるような声を上げる。

『答えろ、何のつもりだ? 貴様、カイルをどうするつもりだ? 返答次第では……』

「……すさまじい威圧だな、さすがは妖魔といったところか……」


『何をした? 何を、している?』

「言った通りだ。俺は不安材料を身内の側に置いておくことなどできない。これで目覚めるならよし、二度と目覚めなかったとしても後悔はしない」

 ピクリとも動けなくなったカイルの背中に添えられたままの手。そこからはまだ確かにカイルの命の息吹が感じられる。がんじがらめに命を拘束されながら、なおも抗おうとする意思が読み取れる。


『龍の気……か? それは、これほどのことをしなければならないようなものなのか?』

 相手の生死、あるいは意志さえも問わず強硬手段をとらなければならないほどに危険なものであるというのか。突然、死の恐怖を味わわなければならないようなものなのか。体の機能が失われ、それに合わせて魔力の器も休眠したのか、細い糸程度でかろうじてつながるパスから感じられるカイルの恐怖だけでクロはデニスを引き裂きたくなってくる。

 五感どころか肉体の感覚さえも失い、生きているのか死んでいるのか判別もできないままに深い闇の底に引きずり込まれそうになる。今持つ力だけでは抗えないそれに、発狂しそうになりそうな恐怖を感じ、それでもどうにか抜け出そうと抗っている。


「龍の血族であっても、並みならそこまで問題にはしないが……この子は違うようだ。もしかすると、武国の化け物とも比肩するほどの潜在能力。あれは、まだ人だからいい。もたらす被害も人の枠にかろうじて収まる。だが、この子は違う。龍の気は森羅万象に影響を与える、野放しには……できない」

『それで、ここに連れ込んだか?』

「ここならば影響は最小限にとどめられる。そういう作りになっている。最悪でも、犠牲は俺一人に留める」


 デニスもまた、無傷でことを為すつもりではなく、最悪の事態であれば自身の命を懸けるつもりでいた。その覚悟を知っても、クロはこのまま黙ってみていることはできない。カイルに気を送り込んでいる手を外せばと思考を巡らせるが、それに先んじるようにしてデニスが口を開く。

「先に言っておくが、この手を外そうとは思わない方がいい。気を完全に封じていながらこの子がまだ死んでいないのは、俺がこの手を通じて仮死状態にとどめているからに過ぎない。無理に俺を引きはがせば、その時こそこの子は死ぬだろう」


『……だから、黙って見ていろというのか?』

「どのような結果になろうと、この身をもって責任を取ろう。万一手におえない場合というものもある。文字通り寝ている龍を起こそうというのだ、それもこれ以上ない荒業で」

 予測のつかない時と場所で不意に目覚めるより、強引でも対処が取れる場所と人員で行う方が被害が少ない。多少逸ってしまった感はあるが、これから先もトーマと行動する機会が多いというのであればこの機を逃せなかった。

 気功を極めれば、自身の体や心の働きでさえごまかせるようになる。トーマにはまだ伝えていない技術であるが、人の感情の機微や行動に敏感に過ぎるカイルの目をごまかすためには必要だった。現に、異常を感じるまでデニスを疑ってさえいないようだった。


 そのことに心が痛まないわけではなかった。トーマから聞いた境遇や、王都で噂になった過去。そのどれもがデニスの心を動かすに十分なものだった。だからこそ、デニスは危険な状態にあるカイルをそのままにしておけなかったということもある。あのまま知らずに、自分のせいで誰かを傷つけたりましてや死なせてしまうような事態になればこの上なく傷つくだろう。

 それはわずかでも直に接したなら推測できた。まるで雄大な自然を目にした時のような、圧倒されるも清涼な気を感じられたからこそ、憎まれ役になっても、命を落とすことになってもあのまま帰すわけにはいかなかった。


 デニスに手を出すこともできず、かといってカイルに何かしてあげられるわけでもない。カイルの使い魔になって以来、何度も感じた無力感に再びクロは襲われる。大体のことは力で解決できた魔界とはあまりにも違う他の領域。力があっても知識がなければ、知識があっても対処できなければ簡単に苦難に襲われる。

 妖魔としては最高位であろうとも、使い魔としては足らない部分も多い己を省みて、クロもまた研鑽する必要性をかみしめていた。




 暗い。何も見えず、何も聞こえず、何も感じない。けれど、ひどく寒い感じがするのは闇という色の持つ印象からそう感じるのだろうか。この空間に放り込まれ、鎖でがんじがらめにされてどれくらいたったのか分からない。

 どれだけもがこうと、力を入れようと鎖が外れることも千切れることもない。ただひたすらにカイルを底があるとも知れない闇の中に沈みこませていく。はたして今、自分が生きているのか、死んだのかさえ分からない。


 そんなことなど気にならなくなる、圧倒的な恐怖がすべてを塗りつぶしていく。ただ、怖い。どれほど怖いか、言葉にすることなどできない。自分という存在が消えていきそうになることが、ただただ怖い。

 なぜこんなことになったのか、何でこんな思いをしなければならないのか。そもそも、なぜデニスはこんなことをしたのか分からない。危険というなら、こんなまだるっこしいことをせず、一思いに殺せばいい。クロがいるため、カイルを一撃で殺すことは難しいだろうが、油断していたあの時なら不可能でもなかったはずだ。


 それなのに、あえてこんな場所にカイルを落とした。恐怖が高まっていくにつれて、カイルの中でもう一つの感情もまた膨れ上がっていく。頭で感じる怒りとは違う。もっと根本的な、生存本能から生み出される、自身の生命を脅かす相手に対する、純粋で強烈な怒りだ。

 どういう理由があってこんなことをしたにせよ、仲間の身内に抱いてはいけない類の、ぶつけてはいけない類の怒りだ。けれど、そう考える理性さえもバラバラに打ち砕く恐怖が、溢れ出していく怒りがカイルを支配していく。

 そして、生まれて初めてカイルは理性を忘れるなどと生ぬるい、人としてあってはならないほどの野性的な本能に支配された。


 闇の中を沈んでいたカイルは口元にうっすらと笑みを浮かべると、それまでびくともしなかった鎖を引きちぎろうと全身に力を入れる。ギシギシと体の方が悲鳴を上げるが、そんな些細なことには構わない。

 許さない、許してはおかない。こうまで自分を追い詰めた相手を、許してなるものか。

「がっ、あああ、うぉぉおお……ぐっ、グルルルルァァァァァァ」

 鎖でこすれて血が流れようと、筋肉や筋が千切れようと、骨が折れようとも、がむしゃらに鎖から抜け出そうとする。いつしか、カイルの上げる声は人のものというより、獣の……龍のうなり声のようなものに変わっていった。




 意気消沈していたクロは、足の下から感じたわずかな振動に顔を上げる。震源はカイル、クロよりも早く異変に気付いたデニスはどうにか押さえ込もうとするが、かつてのように、それよりもはるかに激しい音と共に手を弾かれる。

 その瞬間、部屋の中を嵐が直撃したかのような烈風が吹き荒れ、激しい揺れが足元を突き上げる。四肢を踏ん張り、それに耐えたクロが見たのは、部屋全体が揺れる中にあってゆらりと立ち上がるカイルの姿。


 それまでは肩口に届かないほどに切りそろえられていた髪が、なぜか腰のあたりまで伸びている。うつむいていた顔を上げ、垂れ下がる髪の間から覗いた眼を見た瞬間、クロは魔界にいた時にも滅多に覚えることのなかった戦慄が背筋を走るのを感じた。

 カイルはその視界にデニスを捕えると、妖魔であるクロの目にさえも留まらない速さで動くと胸倉をつかみあげ、そのまま床に力まかせに叩き付ける。

「がはぁっ!」


 カイルの気の覚醒を感じた時から、最大限の気功を用いて強化を施していた肉体に、信じられないほどの負荷がかかり、デニスは息とともに血を吐き出す。丈夫に作られたはずの床はデニスを中心に陥没してひび割れている。

 たったの一撃で戦闘力のほぼすべてを奪われたことを感じて背筋が凍りつく。見通しが甘かったのかもしれない。龍の血族を、カイルの潜在能力を甘く見たわけではない。だが、人の力で荒ぶる自然そのものともいえる龍の気を押さえようと考えたのが間違いだったのかもしれない。


 自身を覗き込む、純粋な怒りと殺意のみがこもった眼を見ているとつくづく、狭いようで広い人界や次世代を担う若い力は侮れないと感じてしまう。獣人の兄弟を引き取ったことで、獣界についても詳しくなったが故に分かる。こうなってしまったカイルに自身の言葉が通じないことも、自身の死が逃れられないものであることも。

 ただ、正気に戻った時きっとカイルは己の行いをこれ以上なく後悔するだろうことや、それによってあの兄弟達を悲しませてしまうだろうこと。トーマや門下生達とカイルとの関係が悪くなるのではないかということを思えば、簡単に死ぬわけにもいかなくなる。


 対抗するように睨み付けてみるも、獣達の頂点に立ち、地の三界においておよそ最強の生物といわれる龍。その血を色濃く受け継ぐ目の前の少年には、何ら痛痒をもたらしていないこともまた理解できた。

『カイル? 何をしておるのだ! 正気を失っておるのか?』

 クロも吹き荒れる暴風の中、床を踏みしめながらカイルに近付いてくる。尋常ではない様子や直前に見た眼から、カイルが普通の状態ではないことは理解できる。カルトーラの時のように、クロの言葉も通じないほどに何かの思いに、感情に囚われていることも。


 ただ、あの時は自分の中に内側に閉じこもってしまったから他者の心に影響を与えたとしても、具体的に傷つけるという事態には陥らなかった。だが、今回は違う。明らかにデニスに対して殺意と怒りを持って危害を加えている。

 血を吐き、苦しげな顔をするデニスを見ていても、カイルの表情に変化は見られない。かつて国のトップ達に怒りを見せた時のように、無表情で凍るような冷たい目で見つめていた。ただ一つ違うのは、口元にうっすらと笑みを浮かべていたこと。眠れる龍を無理矢理叩き起こした愚か者に相応しい罰を与えることに喜びさえ感じているように。

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