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レスティア物語  作者: マリア
第一章 剣聖の息子
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待ち伏せと襲い来る危機

 しかし、カミーユはカイルの言葉が聞こえていないのか、地面を向いたままぶつぶつとつぶやいている。カイルはもう一度声をかけようとするが、精霊達の警告と肌で感じた魔力の高まりに慌てて距離を取る。

「……水よ、その流れをもって我が敵を飲み込め! 『水流波ウォーターウェーブ』!」

「ちっ! 炎よ、壁となりて守れ『炎壁フレイムウォール』」

 カイルはとっさに魔法を発動させる。無詠唱でもできるのだが、詠唱したほうがより強くなることが分かっていたため、呪文も唱える。

「はははっ、中級第五階級の僕の魔法を、そんな下級第三階級の魔法で止められるわけがないだろ! 大人しく呑み込まれろ!」

 カミーユは高笑いをするが、二人の魔法を見ていたキリルはその違いに気付く。カミーユの魔法は魔力を込めただけで、制御も質も甘い。しかし、カイルが発動した魔法は驚くほどに安定しているだけではなく、込められた魔力量もその質も桁違いだった。それにカミーユは気付いていない。カイルが使ったのが火属性の魔法ではなく、その上位属性、炎属性の魔法であることに。

 上位属性は同じ階級でも、下位属性の数倍の威力を持つと言われているのだ。ならば下位属性の水魔法がいくら第五階級だろうと、上位属性の第三階級の魔法には及ばないだろう。


 ぶつかり合った魔法の結果を見て、カミーユの高笑いが消える。カミーユが放った水の波は、カイルの炎の壁にぶつかったところから余さず蒸発し、消えていく。五メートル以上ある水の帯がすべて呑み込まれるのにもそう時間はかからなかった。

 魔法全てを撃ち消したのを確認して、カイルも魔法を解く。

「森の中で、あんな魔法をつかうな! 森を荒らせばその分人の生活にだって響いてくるんだぞ! 森の主に嫌われたら、テリトリー内での採取や狩りも難しくなる。それに、今主は大事な時期なんだ。これ以上刺激するな!」

 カミーユが魔法を使った時から、また主の気があらぶり始めている。魔法は人が持つ力の中で最も簡単に、そして手酷く自然を傷つけるものだ。それだけに魔法を使う人間は特に注意を払わなければならない。迂闊に森やテリトリーを荒らせば、主を敵に回すことになる。


「大事な時期だと? 獣風情が、何を……」

「子を身ごもってるんだ。あと二か月もすりゃ生まれるだろ。主の子は次世代の主だ。それを殺せばどうなるか、分からないわけじゃないだろ」

 カイルの言葉には、先に主と戦っていたキリルも驚きの表情を見せる。最初に仕掛けた時から気が高ぶっていたため、カミーユの言葉にも多少なりと信憑性があると考えたのだが、それは誤解だった。どんな生き物でも、妊娠中や子育ての最中には神経をとがらせるものだ。

「なっ、たかがそれしきのことで……」

「……あんたも、偉大な親を持つ身だろ。なら分かれよ、主の子だろうと剣聖の子だろうと、肩書を背負う以上は責任もある。あんたの生き方は、剣聖の息子の名に恥じないものなのかってことをな」

 カイルに諭され、カミーユは悔しそうに歯をかみしめる。だが、表情はどう考えても納得していないことが見て取れた。


「キリルって言ったっけ。あんたはどうするんだ? まだ、やるのか?」

「いや……もうすぐ日も暮れる。森を出るべきだ」

 カミーユに反応がないため、カイルは成り行きを見守っていたキリルに話しかける。キリルも薄暗くなり始めた空を見て引き上げるべきだと判断した。森の中では外よりも早く暗くなる。足元が見えなくなるまでに帰らなければならない。


「俺との勝負は?」

「預けておく。改めて剣を交えてみたい」

「へぇ、俺なんて相手にならないだろうに」

「いや、なかなか面白い」

 キリルは粗削りながらも、カイルに素質を見出していた。今はまだ剣の振り方や身のこなしが身に着いていないだけだ。それを身に着ければ今よりもずっと強くなる。そう感じさせるだけの素養があった。


「カミーユ、今日は帰った方がいい」

 キリルは未だにうつむいているカミーユに話しかける。だが、カミーユはキリルとその奥のカイルを睨み付けると身を翻した。取り巻きの男達を連れて、ペロードの町の方へと進んでいく。

「……、お前も戻るのか?」

「ああ、もう少し森の主を落ち着かせてからな。あんたがいると、それもできない。だから、先に帰っててくれ」

 キリルはため息をついてそれを見送ると、カイルを見る。カイルは肩をすくめて、低いうなり声をあげている主に視線を飛ばす。キリルもその様子を見て納得し、その場を離れる。


「しばらくはペロードの町に滞在する。お前はどこにいる?」

「俺か? 俺は今、バーナード武具店で世話になってるよ」

「そういえば、名も聞いていないな」

「俺はカイル=ランバート。あんたは?」

「俺はキリル=ギルバートだ」

「そっか。……余計なことかもしんないけどさ、あんまりカミーユに好き勝手させない方がいいんじゃないか? あいつ、いつか問題を起こすぞ?」

「……分かっている」

 カイルの言葉に、キリルはうなずくだけだ。よほどのっぴきならない事情でもあるのか。カイルももう一度ため息をついて、今度こそキリルと別れて主のところへ歩み寄る。

 主は警戒したままでキリルを見送り、その気配がなくなってようやく落ち着いた。


「森出るころには夜になるな。親方達に迷惑……いや、心配かけちまうか」

 カイルは薄暗くなった空を見上げる。いつもカイルは日が暮れる前には帰っていた。少なくとも町の中には入っている。それなのに、今日は帰るのが夜遅くになりそうだ。

 主は少し心配するように低く唸る。

「大丈夫だよ。夜目は利く方だし、いざとなりゃ魔法だってある。さっきの魔法で、何か被害はなかったか? 一応その辺にも気を使ったつもりだったんだが」

 カイルはきょろきょろと周りを見渡す。水の大部分は蒸発させたし、炎も空中に展開して地面は燃やしていない。だが、火の粉でも飛んでいたら大変だ。ざっと見た限りでは問題なさそうだった。主もカイルのお腹あたりに鼻をこすりつけて感謝の意を示してくる。


「イテテ、旦那は狩りにでも行ってるのか?」

 鼻が当たって、そういえば打撲の治療をしていなかったことを思い出し、回復魔法を使いながら尋ねる。こんな時期だ、番である雄が不在なのは主のために食べ物を取りに行っている以外に考えられない。

 だが、むしろ不在でよかったともいえる。あんな場面を見られては収拾が付かなくなっていたかもしれない。何せ妻と子を殺されかけたのだから。

 カイルの心情を悟ったように、主も穏やかな声でうなる。同意を示してくれているようだ。

「じゃあ、旦那が帰ってくる前に俺も帰るよ。刺激したくないからな」

 ただでさえ、寝床としている場所に人が来た痕跡が残っているのだ。当然何があったのか主に尋ねるだろう。そうなった時に、味方したとはいえ人であるカイルがいるのは好ましくない。主にもそれは分かっているのか、引き留めることはない。ただ、カイルの腰あたりに頭や首をこすりつけてマーキングをする。こうしておけば、帰り道森の獣や魔物達に襲われる危険が減る。好戦的な魔物でも、主の匂いがする者に好んで襲い掛かろうとはしないからだ。


「ありがとな。じゃあ、またな」

 カイルは主に笑顔で別れを告げると、町へと急ぐ。かなり森の奥まで来てしまったし、森を出てからも町まで一時間くらいは歩く。

 小走りで森を駆け抜けるが、警戒は怠らない。探知をしながら足音や気配を消して進む。だが、もう少しで森を抜けると言ったあたりで、探知に引っかかるものがあった。カイルの探知は、一度でも会ったことがあれば相手を特定できる。それだけに眉をしかめる。

「あいつら、なんでまだ……」

 カイルはそのまま素通りしようかとも思ったが、万一また主にちょっかいをかけるようなことがあればまずいため、そちらへと足を向ける。


「まだいたのか? キリルは?」

 そこにいたのは森の中で出会った三人。キリルを除いたカミーユとその取り巻き達だった。

「あいつは僕達のために宿を取りに行っている」

「へぇ。で、何してるんだ? 宿を取るなら町に行くんじゃないのか?」

「そうだ。けれど、僕にはやることがある」

「やること?」

 こんなに暗くなって狩りもないだろう。それとも夜でしか取れない動物や採取を行うつもりなのか。何か嫌なものを感じ、カイルは警戒心を強める。


「そうさ。僕達の邪魔をした、身の程知らずに罰を与えるっていうな!」

 カミーユの言葉と同時に、左右にいた取り巻き達が動く。片方は弓で矢を放ち、片方はカイルの使う針のような投擲武器を投げてくる。

 警戒していたこともあり、カイルは針をよけ、矢を抜き打ちで払う。だが、その間に囲まれてしまった。

「お前みたいなやつが、僕の邪魔をするなんて許されない」

「こんなことしていいのかよ。ギルドカードに記録されるぞ?」

 カイルの言葉にカミーユ達がにやりと笑う。

「生憎と僕達はギルド登録をしていないんだ。そんなものなくても、身の証位立てられる。なにせ僕は剣聖の息子なんだから」

 カイルは不快感に顔をしかめる。剣聖の息子という肩書がどれほど重く、時に自らを苦しめるのかまるでわかっていない。まるでそれが免罪符のように使われていることに腹が立つ。


「要は悪事がばれたら困るから、登録できないってことだろうが! キリルもそのために利用しているのか!」

「あいつは、勝手に僕についてきたんだ。恩を返すとか言って。だから使ってやってるんだろう。実力はあるからいい護衛にはなる」

 仲間に対する言葉とは思えない言い方にカイルの怒りは募る。少しの間だったが言葉を交わし、剣を交えたことで、カイルはキリルが信用に足る人物だと感じていた。律儀に恩を返そうとする、義理堅い性格であることも。

 それなのに、彼らはキリルを利用しいいように使っている。そのせいで危うく取り返しのつかない罪を犯すところでもあった。キリルがカイルの父親であるロイドに恩があるというなら、無関心ではいられない。同じく剣聖の息子として、カミーユの元からキリルを解き放たなくてはならない。

 それにはキリルにカイルの素性を明かすことが必要だろうが、信じてもらえるだろうか。キリルの性格上、そう簡単に鞍替えするようには思えない。


 だが、まずはこの局面を切り抜けることだ。相手はこちらの生死などに頓着してはくれないだろう。たとえ痛めつけるだけでも、森の中で血を流し身動きが取れないということが意味するところを知っているのだろうか。

 カイルは素早く相手を確認する。一度打ち合ったがカミーユの腕は大したことがない。だが、取り巻きの二人はそこそこの腕だ。先ほども連携してカイルを狙ってきた。どちらも飛び道具を使うので距離をあけるのは得策ではない。しかし、片方を狙えば、片方が後ろから狙ってくるだろう。ならば、取る道は一つだ。

 カイルは猛然とカミーユに向かって駆け出す。これなら外れた時にカミーユに当たる可能性があるから簡単には攻撃してこられない。それに、カミーユを押さえられれば盾にもできる。


 カイルの接近を見て、驚いた表情をしていたカミーユだったが、手が届くくらいの距離に来た時不意に笑みを浮かべる。カイルは背筋が泡立つのを感じ、とっさに振り返る。そこには目の前まで迫ってきている数本の矢と針があった。

「くっ!」

 カイルは左手で針を撃ち落とし、剣を振るって矢を弾く。だが、足を狙って放たれた矢が太腿を傷つける。刺さりはしなかったが、切り裂かれてガクンと力が抜ける。後ろにいるカミーユに当たるはずだったその矢は、直前で止まっている。

 よく見てみると、薄い水の膜がカミーユを守るようにして張られていた。


「フフフッ、貴様の考えることなんてお見通しさ。大方僕を捕まえようとしたんだろうけど、貴様なんかが触れていい存在じゃないんだよ、僕は」

 血が滴ってくる足を押さえカイルはカミーユをにらむ。なぜかそれ以上の追撃はなく、取り巻き達が近づいてくる。

「俺達相手にどうにかできるとでも思ってたのか?」

「所詮はガキの浅知恵だ」

 嘲り、見下してくる言葉にも反論できない。というより、先ほどから体に力が入らず手足が震え、体が冷たくなってくるのを感じていた。それなのに、傷を負った足は焼けるように熱い。

 カイルは立っていることができず、ふらついて地面に膝をつくがそれでも体を支えきれず倒れこむ。


「効いてきたか。ああ、心配しなくていい。死にはしない、ちょっと体が動かなくなる程度だ」

 カミーユの言葉で、カイルは先ほどの矢に毒が塗られていたことを悟った。ならばと、解毒魔法を使おうとするが、カミーユ達はそれを許してはくれない。

 うつぶせに倒れるカイルの背中をカミーユが思い切り踏んでくる。一度ならず、何度も何度も踏みつけてくる。そのせいで呼吸がままならず、苦しさにあえぐ。魔法を使うための集中もままならない。

「お前、みたいな、やつが、僕の、道を、遮る、なんて! 許されないんだ!!」

 一言ごとにカイルを踏みつけながら、カミーユがわめく。

「はっ、あっ、ぐあっ、うぐっ」

 踏まれるたびにうめきながら、カイルは何とか体が動かないか確かめる。しかし、指はピクリとも動かず、体にも力が入らない。そのせいで、カミーユから加えられる攻撃を軽減することもできず、体が悲鳴を上げている。


 息が切れるほど、ひとしきり踏みつけると満足したのかカミーユはカイルの背中から足を下ろす。カイルは体の痛みと呼吸困難で朦朧とした意識の中、体が持ちあげられるのを感じた。首根っこをつかまれて、地面を引きずられる。そして、無造作に放り投げられた。背中が固いものにぶつかって、意識が戻ってくる。

 カイルは森の木の一つを背中にして地面に座り込んでいた。頭を上げる力もなく、項垂れていたカイルの視界に誰かの靴が目の前で歩みを止めた。襟元をつかまれ、引きずり起こされる。目の前にいたのは取り巻きの一人だ。もう一人もすぐそばにいた。


 何をする気なのかと考えていると、おもむろに布を口の中に押し込まれる。そして取り出されたものを見て、カイルは音にならない悲鳴を上げた。

 太さ一センチはあろうかという杭に金槌。カイルを押さえていた男が、顔を近づけてくる。そこには悪意しかない笑みを浮かべていた。

「喜べよ。俺達の的にして遊んでやる。運がよけりゃ生きていられるさ」

 これから何をされるのか分かったカイルはどうにか逃れようとするが、口をふさがれ首を圧迫されているせいで何度も意識が飛びそうになる。もう一人の男はカイルの腕を持ち上げると杭を添えて木の幹に押し付け、そして金槌を振り下ろした。


 金属を打つ甲高い音と、肉を穿ち骨を砕く鈍い音が響く。閉じかけていたカイルの意識が手のひらから伝わってくる激痛によって呼び覚まされる。不意の痛みに我慢などできるはずもなく悲鳴を上げるが、口をふさがれているせいでうめき声しか漏れない。続けて、二度、三度と打ち付けられるたびに頭が焼き切れるような痛みが襲ってくる。

 だが、そんなカイルの様子を笑ってみているだけのカミーユは止めるそぶりさえ見せない。左手と同じように右手も縫い付けられ、こらえきれずにカイルの目から涙がこぼれる。単純に切ったとか折れたとかの痛みではない。肉をえぐられ、骨を砕かれさらに皮膚を割いて突き抜ける痛みは、感じたことがないくらいの苦痛をもたらした。


 さらに男達は二の腕と肩も同じように杭を穿つ。薬で動かせないカイルの体だったが、金槌が振り下ろされるたびに小さくはねて震えていた。下準備を終えて男達が離れる頃には、痛みによるショックで全身がけいれんし震えていた。意識もとびとびで、視界にもノイズが走っていた。

 カミーユ達の笑い声や会話も聞こえてきていたが、何を話しているのか聞き取ることもできない。ただ、腹の底からくる震えが心を支配しようとしていた。


『俺、死ぬのか? こんなとこで、こんな奴らに遊ばれて……そんなの、嫌だ! せっかく将来やりたいことが見つかったのに。ようやくまともに生きていけるようになったのに』

 逃れられない状況に、絶望と恐怖で押しつぶされそうになる。危機的状況なら今までにも何度もあった。そのたびに、何とか乗り越えてきた。だが、この状況を打破できる考えが思い浮かばない。

 あの時、彼らの相手をする時に森の被害や、後々のことを考えて魔法を使うのを控えたのがいけなかったのだろうか。問答無用で叩き潰すか、気づかないふりをして通り過ぎればよかったのだろうか。


 だが、そのどちらもカイルの矜持と生き方を否定するものだ。たとえそれで生き延びれたとしても、きっとそのことを喜べなかった。誇れなかった。けれど、どうしようもない死への恐怖が心をえぐり闇へといざなおうとする。

 視界には彼らのいびつな笑い顔とこちらに向けられた矢の切っ先が映る。その矢が今にも放たれようとした時、森中に響き渡るかのような遠吠えが聞こえてきた。その声に驚いたのか、矢は見当はずれの場所に飛んでいく。


 カイル達がいた場所近くの茂みから主よりも二回りほど小さい狼達が飛び出してくる。闇に紛れながらカミーユ達に攻撃を仕掛けていた。突然の襲撃に驚いた彼らは、慌てて森の外へと逃げていく。狼達も、なぜか森の外へまでは追いかけていかなかった。

 カイルは出血による寒気を感じながらも、別の理由で体が震える。最初の遠吠えを聞いた時から分かっていた。あの声の主は森の主ではないことが。森の主ならば、まだ助かる可能性もあったかもしれない。しかし、それ以外の獣であったならば……。


 カイルは自分の周りに集まってくる狼達を見て顔を歪ませる。カイルの流した血の匂いが彼らを引き寄せたとするなら、カイルは獲物として見られているだろう。カミーユからの危機は脱したが、それ以上に危機的な状況に陥っている。

 狼達がそろったところで、奥の茂みから一頭の大きな狼が出てくる。森の主と同等か、それ以上の体格をしている。

 カイルは何とか体を動かそうとするが、薬が効いたままなのと、杭が打ち付けられているせいで身動きが取れない。群れのボスである狼は悠然とカイルに向かって歩いてくる。目の前までやってくると、鼻を動かして匂いを嗅ぎながらカイルを見上げてきた。


 その目には確かな知性が感じられたが、同時にかすかな怒りをも宿している気がした。狼は後ろ足で立ち上がると、その前足でカイルの体を木に押し付ける。そして、大きな口を器用に使いカイルの手や腕、肩から杭を抜いていく。

 カイルはそのたびに悲鳴を上げるのだが、口に詰め込まれた布がそのままだったためにうなり声にしかならない。最後の一本を引き抜くと、狼は前足をカイルから離す。カイルは糸が切れた人形のように崩れ落ちた。怪我を治療するという考えさえ浮かんでこない。

 度重なる苦痛から解放され、急速に意識が薄れていく。最後に見たのは、杭を抜く時顔に散った血をなめとりながら近づいてくる狼の姿だった。

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