花町に生きる女達
飲食店が並ぶ通りからさらに西に行った場所に、木々が立ち並ぶ公園が見えてきた。レイチェルと一緒に行った貴族街の公園とは違って、自然の木を利用した公園というより、植樹して整備された公園だった。広い通りや、芝生のあちこちに布を広げて作品を並べたり、歌ったり踊ったりしている人々がいた。
見物客も多く、あちこちで人山ができている。入り口を入ってすぐに画家の卵なのか似顔絵を描いてくれる人がおり、その横ではいくつものボールを投げてお手玉をしていたりする人がいる。通りにに沿って両側にそうした人々が所狭しと並んでいた。
「おー、思ったより賑やかだな」
「確かにな。見に来てる人も多いみたいだな」
見せる側はやはり若年層が多い。だが、見に来ている者達は千差万別だ。ひょっとすれば、誰かの目に止まってここから大成するということもあるのではないか、そう思わせる。人気のあるなしも一目で分かってしまう厳しさが、非情なる現実をよく表していた。
あちこちキョロキョロしながら公園の中に入っていく。どうやら中央に近付くほどにベテランというか、人気がある者達が陣取っているらしい。目を楽しませてくれる者には気持ちばかりのお代を置いて行った。
公園の中央あたりにはステージがあり、何か劇をしているようだった。ひらひらした服を着て、作り物の翼を背負った女性達が舞台だけではなく客席まで下りて踊っている。
「すっげ、なあ、見てこうぜ?」
トーマの目は、スケスケで、ひらひらときわどいところが見えそうな女性達に釘付けになっている。ため息をついたキリルも、なぜか落ち着かないダリルも反対はしなかった。そのあたりは、やはりお年頃の男というものだろうか。その面ではリードしているカイルはやや苦笑気味に続く。
客席に着くと、多くの客達が魅せられている理由がよく分かった。魔法具を使っているのか、あるいは魔法を使っているのか、公園の中とは思えない幻想的な光景に包まれる。まるで宙に浮かび、多くの女性達が飛び交っているように見えるのだ。
演目は”天使の戯れ”。確かに、天使を演じている女性達はみな容姿が優れている者達ばかりだ。通り過ぎる時、ふわりと触れる羽がくすぐったい。魔力感知をしてみてみると、また違った見方になる。
風景事態は魔法具で作り出しているようだが、風や光といった演出は魔法で行っているらしい。聞いた事のない歌だが、どこか眠くなってくるような歌が流れてくる。お腹いっぱいになって、暖かな陽気もあり、一つあくびをしたカイルは、横に座っているトーマ達を見る。
三人ともうつらうつらしている。思わず苦笑したカイルだったが、客達の様子を見て眉を顰める。一人二人ならまだ分かる。しかし、数十人はいるだろう客達が残らず船をこいでいるさまは異様でしかない。
カイルはとっさに立ち上がろうとするが、天使達が周りを取り囲み天使には似つかわしくない刃物を突き付けてくる。さらには完全に眠りに落ちたトーマ達にも向けられている。目線で確認をすると、天使達が眠った客の懐を探り、所持金を残らず奪っている光景が目に入ってきた。
「……なるほど。目が覚める頃にはとんずらか?」
「見られたからには生かしておかない……といいたいけど、有り金全部よこしなさい。そうすれば、見逃してあげるわ」
「生憎と、人にあげられるほど裕福なわけじゃない。それに、見逃してやれないのは俺の方だ」
「何を言っているの?」
「さて、何だろうな?」
刃を前にしても、少しもひるまないカイルに訝しんだ天使達だったが、次の瞬間魔法具の効果が途切れ、睡眠効果のある歌も消える。さらには、なぜかピクリとも動けなくなっていた。
「悪いけどな、この程度で俺とクロの動きを封じれると思うなよ?」
カイルやトーマ達に向けられていた刃は残らず根元から折れ、突き付けていた女性達もまた地面に押し付けられる。そして、魔法具や歌を破壊するのと同時に客達全員にかけた『打ち消し』の魔法によって各々覚醒に向かう。
「ふぁぁ、寝てたのか? って、なんだこれ!」
「目が覚めたか? どうやら芸にかこつけた大胆なスリの集団らしい」
「何っ! ……全部、カイルが?」
「捕まえてるのはクロ。魔法具と歌を止めて、みんなを目覚めさせたのは俺だな。どうやら俺にはあの歌の睡眠効果が効かなかったようでな、直接的な手段で来たから……」
キリルはカイルの周りに倒れている五人ほどの女性達を見下ろす。皆重力によって押さえつけられ身動きが取れなくなっている。他の女性達は、そのままの格好で止まっていた。中には服の中に手を入れたままという者もいて、あっという間にステージが喧騒に包まれる。
彼女達の事情が多少分かっているカイルは、自分達だけなら見逃してもよかったが被害にあった人が多すぎるためそうもいかないだろうと考えていた。すでに警備隊を呼んでくるために走っていった者達もいる。
その間に奪われた所持金を取り戻し、観念した様子の彼女達をステージの前に集めた。自分達を今もとらえているカイルを、あの時声をかけてきた女性が睨み付けてくる。
「ちくしょう、あんたさえいなければ……」
「こんなこと続けてたら、いつか捕まってたさ」
「こ、これで最後にしようと……」
「嘘だな。ここでの稼ぎだけで借金が払えるかよ」
「なっ、あ、あんた、何で知って……」
「半分は勘だよ。当たってたのか?」
半分は精霊情報だが言うつもりはない。カイルの言葉に、女性達はそろってうつむく。彼女達にも分かっていたのだろう。こんなことをしても、返済には到底届かないことを。解放などされないことを。
「……あんたらには分からないよ。借金のかたに売られて、毎日体売って生きてるあたし達のことなんて…………」
「カイル、彼女達ってまさか、花町……の?」
「だろうな。今までやったことがあるのも、ここにいる人達だけじゃないだろうし……」
カイルの推測に、女性は唇をかむ。返済の足しにはほとんどならなくても、日ごろの鬱憤の慰みや解消のために続けられてきた伝統。月に一度の演目だ。すられた者達も、大金を持っていたわけでもないし、途中で寝てしまった気まずさやその後無防備であったことから、彼女達の犯行と断定できなかった。
客同士も行きずりが多いし、西区では油断した者が悪いという風潮もある。そのため今までは問題になってこなかった。彼女達もまさかあの歌によって眠らない者がいるなど予想外だったのだ。そのため脅そうとしたのだが、相手が悪かったとしか言いようがない。
「店でも、客のあたりが悪いとろくなことはないが……あんた、綺麗な顔をしている割に最悪の客だよ」
「そりゃ悪かった。でも、こんなん続けても空しいだけだぞ?」
カイルは膝をついて座り込む彼女と視線を合わせる。こんなその場しのぎでさえない、代償行為を繰り返したところで、彼女達の罪が上塗りされるだけで何も解決などしない。続ければ続けるほどに自身が嫌になるのではないか。
それに対する彼女の返事は唾を吐きかけることだった。思わず反応しかけたトーマ達だったが、当のカイルは気にした様子もなく、さっと浄化して改めて向き直る。
「客取るのは嫌か?」
「当たり前だろ、誰が好き好んで見ず知らずの男に抱かれたいもんか。ただ、割り切ってるだけさ、仕事だって。こうする以外にないんだって。だから、せめて、せめてこれくらいしかあたしらの心を慰めてくれるものはないんだ」
「目標は、あるだろ?」
「目標? そんなもの、あたしらには……」
「借金の返済額。それを払い終われば自由の身だ」
「それは……けど、花のあるうちに払い終わらなきゃ、その後だって……」
「でも、そうすると客取らなくてもいいんじゃないか?」
「その分、嫌な仕事やきつい仕事ばかり回されるんだよ! 簡単に言うんじゃないよ。あんたみたいな苦労知らずには分からない!」
カイルは少しばかり空を見上げる。やはり、こういう格好をしているとそうとしか見られないらしい。これはこれで問題あるのだろうか。あるいは、完全に影から抜けられたと喜んでいいのだろうか。
「仕事があるだけましだろ? 働ける間は食事も寝る場所も服も用意してもらえる。客に無茶なことされても、ちゃんと後の面倒見てもらえるだろ? やるだけやって路地に打ち捨てられたり、殺されたりしない」
「そんなのは、王都の外の孤児くらいのもんだろ。確かに、あの子らに比べたらあたし達はましな暮らししてるんだろうけど…………あんた、まさか……あの、噂の?」
「その噂が何なのかは知らないが、流れ者の孤児で王都入りしたってやつなら、俺だな」
笑って答えるカイルに、女性達はもちろん、会話をしていた女性も驚きを隠せない表情をする。噂には聞いていた。けれど、本当だとはとても思えなかった。流れ者でありながら、孤児でありながら同じ境遇の孤児達を救い、今の世の中を変えるために王都にやってきた少年。
些細な勘違いから、その境遇故に人に信じてもらえず、裏切られて手酷く処刑されながらも生き延びた子供。その過去を抱えながらも人として正しい生き方を貫き通して、ついにはこの国のトップと繋がりを持つに至った孤児達の救世主。それが、目の前にいる少年だとは信じられなかった。
「終わりが見えないってのは、きついよなぁ。どんだけ欲望ぶつけられてもはけ口もない。けどさ、こういうことはやるべきじゃないと思う。どんだけ体汚されようとさ、人としての誇りは忘れるべきじゃない。傷つけられてきたからって、罪を犯していい言い訳にはならない。何より、これはあんた達自身の心を傷つけて、魂を穢す行いだ。芸や特技や能があるなら、それを使ってまっとうに稼げばいい。ギルドには入ってるんだろ?」
カイルの言葉にうつむくことしかできない。自分達でも分かっていた。これを繰り返すたびに、心のどこかに埋められない隙間ができていくことに。取り返しのつかない空虚な思いが募っていくことに。それでもやめられなかった。わずかばかりの興奮と優越感に浸りたいがために、常に虐げられてきた者達が、誰かを手玉に取る快感にやめられなくなっていた。
けれど、彼女達ほど洗練されているならば、ギルドで稼ぐ方法もあるはずだ。王都であるなら、それを止めるような動きも少ないだろうと思われる。それなのに、違法行為に走ってしまったことにやるせなさを感じてしまう。
「あんた、あんたは、こんなわたし達でもやり直せると?」
「生きてる限りチャンスはあるさ。俺も諦めなかったから……流されなかったからこうしてここにいられる。あんた達がいる場所は、影に近くてもまだ光の中だ。だからやけにならずに、自由になるための努力をしてほしいと思う。それができるだけの力も、それを望む心もあるだろ? だったら、負けるなよ。真っ直ぐ立って生きろ。そうすりゃ、誰が何と言おうと俺はあんた達を綺麗だと断言できる」
「あ、あぁぁ。なんで、あんた……綺麗? あたし達が?」
「俺の初恋の相手も、元は花町にいた。病気になって追い出されて、俺が拾ったんだ。数えきれないくらい客取って、病気のせいで顔も体中もただれて……でも、俺は彼女を綺麗だと思った。その心も生き方も考え方も、真っ直ぐで、素直で、すごく綺麗だと思ったんだ。だから、あんた達も自分の心に恥じない生き方をすればいい。みんな美人なんだ、そうすりゃきっと自分を理解してもらえる運命の相手ってやつにも出会えるんじゃないか?」
花町を抜けるにあたり、最も幸せなのが愛し愛され身請けをしてもらうこと。しかし、心に陰りがあれば彼女達の魅力も半減するだろう。心の内側から、魂からの輝きこそが最も美しく人を輝かせるのだと思うから。
「……あんたは、そう思うのかい?」
「そうなる様に願っているし、そうあってほしいと思ってる。ガキのたわごとだと思ってくれてもいい。でもみんな、楽しくなさそうな顔をしてた。せっかく生きていられるのに、あんな顔のままでいてほしくないだけだ。俺の我儘みたいなもんだよ」
「……馬鹿だね。そういうのは我儘って言わないんだよ」
「やっぱりかぁ……自分勝手に生きるってのも難しいよな? 俺、我儘一つ満足に言えないみたいでさ。それで困るっておかしいよな?」
「フフッ、フフフフフフ、ほんとにおかしな子だよ。全く、何だろうね、今までやってきたことが馬鹿みたいに思えてきたよ。何やってたんだろうね、本当に。……ありがとうね、あたし達ももう少し頑張ってみるよ」
「……初犯ってことにしとけば、罰も軽くなるんじゃないか?」
「いいや、もう一度一からやり直してみるよ。ギルドカードの罪状に従って罰を受けて、借金を返して今度こそちゃんと生きてみる」
「そっか。なんか力になれりゃいいんだけど……」
「馬鹿だね、ちゃんと力をもらったよ。あたし達よりあんたの方が大変だろ?」
「……それもそうだな。でも、応援はしてる」
「あたし達も応援するよ。頑張んな……疲れたら、癒してあげるからおいで」
「ははっ、まぁ、そっちは、な」
「あぁ、いい相手がいるのかい? 残念だねぇ、あんた、いい男なのに……」
女性達にどこか熱っぽい目を向けられ、若干引き気味に答えたカイルに残念そうな顔を浮かべる彼女達。警備隊が到着しても、抵抗することなく連行されていった。あの様子ならきっと悪いようにはならないだろう。
軽く事情を聴取された後、みんなとも合流する。どこかトーマがいじけている。
「どうかしたのか?」
「べっ、別に……カイルばっかりモテてとか思ってない。お姉さんに熱い目で見られて羨ましいとか思ってないから!」
「思ってるんだな」
「思っているな」
抑えきれない悔しさがにじみ出る声で、けれど小声で主張する。さすがに大声で吹聴するにははばかられるという認識だけはあるらしい。ダリルもキリルもあきれた声を出す。
「それより、悪かったな。気付かずに術中にはまっていたようだ」
「確かに、心に隙があった」
密かに知れたダリルの年上好きや、奥手のキリルも興味がないわけではない男心の隙間をつかれたのは間違いない。客達もみんな男だった。いつも相手にしているだけあり、男心をくすぐる手段はよく心得ているのだと分かる。
「ま、俺に効かなかったのはたまたまだしな。前に似たようなの受けたことがあるんだろうけど……」
あまり覚えがないということは、魔法は同じでも手法が違っていたのかもしれない。若干の眠気は来たわけだし、多少手を加えて応用したものなのか。
「前に、ねぇ……。それより、あの人達大丈夫かな……」
「ああ、見た限りではそう思うけど。女の人って俺達男が思ってるより強い部分もあるから。思っている以上に繊細で傷つきやすくもあるから、その辺難しいよなぁ」
「フォローができればいいのだが、俺には何をすればいいかさっぱりだ」
キリルは頭を振る。生まれてこの方花町の女性に出会ったのも初めてだった。彼女達の現状を知っても、大したことが出来ないことが少し歯がゆい。せめて励ましの言葉だけでもかけられれば良かったのだが。
彼女達、花町に生きる彼女達の苦悩も、今の世界における歪みの一つなのだろう。華やかで楽しみも多い西区の裏側の一端を見た気がして、少しやりきれないような思いを抱いていた。
 




