王族との勉強会
自分に出来ることは自分でやってきたが、さすがに自分の誕生日を自分で祝うというのはどこか物悲しく痛々しい。一番古い誕生日の記憶は三歳位、その時にはロイドもいた。
しかし、四歳からはジェーンと二人。村を出てからは特別なごちそうなどもなくなった。それでも、互いの生まれた日には精一杯のお祝いをしていた。ジェーンが死んでからは一切なくなったイベントだ。
「町の外で過ごすことも多かったら、日付の感覚も曖昧になるわよね。時々確認していたの?」
「ん。町に入る時とかには聞いてたな。答えてくれるかどうかは半々だったけど。大まかな季節や月は何となく分かるけど日付までははっきりしないことも多いし。まぁ、だからカルトーラの追悼祭の日付を聞いてもピンとこなかったんだけど」
ちゃんと日付の認識があって、もう少し冷静な精神状態だったなら、どこにどんな目的で向かっていたのか察することも出来ただろう。
「日付を聞いた日から数えたりはしなかったのですか?」
「出来る限りはそうしてたけどな。それが難しい時もあってな」
「どんな時?」
「んー、怪我とか病気で寝込んだりした時とか……トラブルや厄介事に巻き込まれてそれどころじゃなくなった時とかな」
「そ、それは……例の、その処刑……騒ぎなどですか?」
「まぁ、そうだな。実際あん時も何日生死の境を彷徨ってたかはっきりしないし。地下に潜ってたり、ほとぼりが冷めるまで外でサバイバルしてると時間感覚も狂うしな」
親方達に拾われ、規則正しいというかある程度定まった生活サイクルになるまではそれほど日付や曜日など関係なかったこともあって、余計そうした意識も薄かった。季節が移り変わるくらいで確認できればくらいのつもりだった。特にカイルの誕生日は新年からそう遠くないこともあって分かりやすかった。
どこでも新年の祭りというか恒例行事を行うため、そこから数えて十七日目が自身の誕生日になる。前後に分かりやすい行事でもなければ自身が何歳になったのか正確に把握することはできなかったかもしれない。
「地下に潜る……ほとぼりが冷めるって……カイル、あなた何をしたの?」
「俺から進んでなんか問題起こすってことはあまりないけど、まあ色々とあってな。表からも裏からも人目を避けようと思ったなら地下水道に潜るんだよ。上下水道合わせると相当複雑で入り組んでるし、町中のどこにでも繋がってるからな。俺の場合探知の魔法とかあったから迷って出られなくなるってこともなかったし……」
実際魔法だけではなく、精霊達の案内もあって人にも見つからず、迷うこともなく地下を移動できる。そこに目を付けられ、裏社会から狙われた経験もあるくらいだ。
「ま、迷って出られないと、どうなります?」
「ん、そりゃ……まぁ、死ぬかな。裏社会の奴らでさえも地図がないと地下水道には足を踏み入れない。地図があっても迷うことがあるってくらいだ」
「よくそんなところに入ろうと思うわね」
「俺だって入るのは非常時くらいだよ」
「町の外……ですか。僕はまだ出たことがないです。王宮から出ることも少なくて……」
「クリスの年齢ならそんなもんだろ? 町の外なんてギルドに入って、外に出られる実力つけて装備整えて、依頼受けて初めて出るのが普通だって聞いてるけどな」
王族でなくても、子供がそうそう町の外に出る機会などない。まして、カイルのように一人でなどもっての外だ。止むを得ずそうなったならともかく、真似して無謀なことはしてほしくない。
「そうね、カイル君が例外よ。魔物や魔獣の危険性は習っているでしょう?」
「王族には王族の責務と生き方というものがあります。興味を持つのは構いませんが、人に迷惑や心配をかけてしまうのは感心しません」
カイルと出会い話をしたことで、クリストフの興味が王宮の外に向いたこと自体はいいことだ。しかし、アレクシスのように自分本位に王宮を出てうろつかれるようになっても困る。
「はい……」
「これから先、王宮からだけじゃなく王都から出る機会だってあるさ。王様の兄弟って、国にとって重要な町とかを治めることになるんだろ? 確かに実際に見たり経験しないと分からないこともあるけどさ、腰を落ち着けてでないと学べないこともたくさんある」
カイルは気落ちした様子のクリストフの頭をぽんぽんとなでる。自分の知らなかった世界を知って焦る気持ちはよく分かる。カイルもまた経験したことだから。
「俺は生きてくのに必要な常識さえ満足に学べないまま町の外に出ることになった。そのせいで、今でも苦労してる。普通なら知ってなきゃならないこと知らないせいで面倒なことになったりな?」
「カイルお兄様……」
「だから、外に出る前にしっかり学べる環境にあるなら学んで欲しいと思う。苦労して学ぶことや成長する部分もあるけど、背負わなくていい苦労は背負わない方がいい。ただでさえ、王族なんて重たいもの背負ってんだ。大きくなりゃ嫌でも外に出て行かなきゃならなくなる。だから、それまでここで必要な力を身に付ける方がクリスのためにも、国や人々のためにもなる。俺はそう思うし、この二人が言いたいのもそういうことだと思うけどな」
クリストフは俯けていた顔を上げてカイルを見ると、ヒルダやエリザベートも見る。心配そうな、それでいて肯定するような顔を見て、ただ反対されたのではないと分かった。
今のクリストフでは、町の外に出ても身を守ることさえできない。生きていくための知識や力が足りない。
兄を見ていれば分かる。自分達王族がどれほどの立場にいるかということが。毎度のことでも、いなくなるたびに侍女や護衛達が顔色を変えて探し回っている。
それだけ大切にされ、同時に期待と責任を課せられている。勝手が許されない代わり、誰よりも優先して守られている。何より恵まれた環境で学ぶ権利を得ている。それを生かすも殺すも自分次第なのだと。
「僕にはまだ、たくさん学ばないといけないことがあるのですね」
「俺と一緒だな。お互い知ってることや知らないこと教え合っていこうぜ?」
「はいっ!」
「クリスお兄様、ズルい! カイル、わたしにも教えなさい。代わりにわたしも教えてあげるわ」
「期待してるよ」
「カイル様……その、わたくしも……」
「もちろん、ビアンカもだな。だよな? ヒルダ先生、エリザ様」
「ええ、もちろんよ」
「そうですね、一緒に学んでいきましょうか」
ヒルダもエリザベートも、子供たちのやる気を歓迎する。嫌々やるよりも、その気になった時に学んだ方が身につきやすい。その気にさせるのが一番難しいともいえる。その難関を越えたなら、あとは自分達の腕の見せ所だろう。
ヒルダとエリザベートによる勉強会はおやつどきになるまで続いた。
カイルは椅子から立ち上がると背伸びをする。学ぶことは好きだが、ずっと座ってばかりも肩がこる。
トレバースの息抜きは、ため息をつきつつエリザベートも許可してくれた。今は彼らを待ちながらの休憩時間だ。折角なので中庭を散策しようとクロと一緒に歩き出したのだが、目ざとく見つけたエルネストが付いてきた。
「カイルは、わたし達相手でも変にかしこまったりしないのね」
「あー、そうだな。嫌か?」
「そ、そんなことはないわ。ただ、みんなは違うから。大人でも、わたしに頭を下げるわ」
「それが、嫌なのか?」
「……仕方ないことだと思うわ。わたしは実際にそんな立場なんだから。でも、時々すごく悲しくなったりつまらなく思ったりもするのよ」
カイルもあの村にいた頃は度々そんな思いをしてきた。大人達ならまだ分かる。体裁や面子があるのだと。ただ、それにつられるように子供達にまでそんな態度を取られることは悲しかったし、つまらなかった。
「簡単に割り切れるもんじゃないからなぁ。友達になりたい奴でもいるのか?」
カイルの言葉に、エルネストはバッと音がしそうなくらい勢いよくカイルに顔を向ける。驚きで一杯の顔で聞いてくる。
「ど、どうして分かったの?」
「何となく、かな。俺にも経験があるし……」
エルネストの顔が曇ったのはカイルの境遇を思い出したからだろうか。エルネストとは全く逆の立場で普通の友達を持てなかったのだろうと予想して。
カイルもあえて訂正はしない。エリザベートや子供達の態度から子供達はカイルの素性については知らないのだろうと予測がついたから。
「そう。わたしの侍女の子供でね、メイド見習いをしてる同い年の子がいるの。すごく一生懸命で、真剣に仕事してて、話しかけたりしたら邪魔しちゃうかなって思って……」
「そっか。エルはその子のことちゃんと見て、考えて我慢してるのか……。その子のお母さんに相談してみたか?」
「え? そういえば、言ってなかったわね」
「その、侍女だっけ、とは長いのか?」
「ええ、わたしが三歳位から色々と世話をしてくれているわ」
「ならその人がどんな人か分かってるだろ?」
「そうね、分かるわ。優しいけど、厳しいところもあって、すごく良くしてくれるわ」
忙しい王妃という立場である母の代わりに何かと世話を焼いてくれた。同い年の子供がいたはずなのに、エルネストと過ごした時間の方が長いのではと思えるほどに。
それもあって話しかけづらいのだ。母を奪った形になったエルネストを恨んではいないかと。
「恨んでなんかないと思うぞ? むしろ誇りに思ってんじゃないかな。母親が王女様の侍女やってること。そりゃ寂しい思いはしたかもしれない。でも、立派なことだと考えたから、母親と同じ仕事を選んだんじゃないか?」
「か、カイルって……こ、心が読めるの?」
先ほどとい、今といい。あまりにエルネストの考えを正確に読み取っているためそんな風に思ってしまう。
「んなわけあるか。エルの考えてることが分かりやすいってのと、バースおじさんと一緒だからな。バースおじさんも、俺が恨んでるんじゃないかって思って避けてたみたいだったからな」
「お父様が!?」
エルネストの知るトレバースは、自分達以上にカイルに構いたがっていた。それなのに、避けていたというのか。
「俺の父さんな、人界大戦で死んだんだ。俺が生まれる前も、生まれた後も国や人々のために働いてた。だから、家にいないことの方が多かった。それでも、俺は家にいない間父さんが関わっていただろう人達を恨んだりはしなかった。死んだって知らされた時は滅茶苦茶悲しかったけど、それでも恨んだりできなかった」
人界大戦において国王の命の元、戦って死んだ者達は多くいる。遺族に残ったのは思い出とわずかな殉職手当。中には国王を恨むものもあったかもしれない。けれど、カイルはそう考えることが出来なかった。
「父さんが望んで、誇りと信念をかけてやってきた仕事を、なすべきだと考えた行動を否定するように思えたから。だから俺は今ここにいる。形ややり方は違うかもしれないけど、父さんがやろうとしてたことに繋がってると思ってるからな」
「じゃあ、あの子もわたしを恨んでいないかしら?」
「それを確かめるのはエル自身だ」
「何か他人事ね、子分なのに」
「実際、他人事だろ? 俺はエルしか知らないわけだし。ただ、エルの話やその子の行動からそう考えただけだからな」
「それもそうね……」
何だかすごく身近に感じていたが、カイルは王宮で暮らしているわけではないし、彼女達のことも知らない。エルネストは納得のうなずきをしながらも、難しい表情をしたままだ。
「一歩を踏み出すのって勇気がいるよな。でも、こればっかりは自分の中から出す以外にない。こうやってきっかけは与えられても、行動するのはエルだから」
「カイルも……不安だった?」
「当たり前だろ。いつだって逃げ出したいくらい不安だった。今でもそうだよ。でもそれじゃ変わらない、変えられないから。望む未来があるから、努力して勇気振り絞って歩いてる」
進んだり戻ったり、時に迷ったりしながら歩んできた人生だ。常に不安はあった、今も不安は消えていない。
「でも、一人じゃないって分かった。一人だった時も、側にいなくても支えてくれる人達がいた。エルにもそんな人達がいるだろ? 不安なら頼れよ、一人で悩んでるよりはいいだろ?」
「ふふっ、そうね。カイルみたいに怒られちゃいそう」
「だな。俺も懲りた」
エルネストと二人して顔を見合わせ笑ったところで中庭を一周していた。テラスのテーブルにはお茶の準備が出来ていて、トレバースやテッドも揃っていた。
なぜかふくれっ面をしたビアンカに迎えられる。全員が席に着いてから、ビアンカはエルネストにふくれっ面のままはなしかける。
「エル、ズルイです。わたくしもお散歩行きたかったです」
「お姉様はお茶の準備で忙しいみたいだったから」
カイルに美味しいお茶を飲んでもらいたいと張り切っていたら、エルネストに先を越されていた。
「……カイルお兄様、エルに何か言いました? 何かスッキリした顔をしていますが」
「ん? まぁ、ちょっとしたアドバイスみたいなもんかな」
「カイルお兄様のちょっとは、ちょっとじゃない気がします」
「そうか? 」
姉妹で言い合っている間にクリストフがカイルの方に身を寄せ、ささやき声で尋ねてくる。散歩ついでの雑談という認識だったカイルは気楽に答えるが、クリストフはどこか遠い目をする。
自身がそうだっただけに、エルネストが受けた感銘も理解できる気がした。
「な、何だか随分仲良くなったね。何かあったのかい?」
「あー、まぁな」
「お父様には内緒です」
「そうよ! お父様達のせいなんだから! 子分を泣かせるなんてお父様でも許さないわ!」
「エル……」
カイルが言葉を濁し、ビアンカが断固たる態度を取ったのだが、エルネストの言葉で台無しになり、クリストフが頭を抱える。
トレバースやテッドはカイルが泣いたと聞いて、驚いた顔で見てくる。カイルはテーブルに額を乗せて項垂れる。まさかの方向からの攻撃だった。
「エルちゃん、かばうなら言葉を選ばないとカイル君がダメージ受けてるわよ」
「えっ? あっ、ご、ごめんなさい、カイル」
「いや、事実ではあるし…… 俺のためってのも分かるから」
少し呆れたような、楽しそうな様子で言うヒルダから指摘され、エルネストはカイルの様子に気づいて慌てる。大人と子供の境の複雑な心境というか、男としての意地というか、何気にダメージが大きい。
「ご、ゴメンね、カイル君。あんな無理させたから……」
カルトーラの町での経緯は聞いても、詳細は誰も話してくれなかった。そのため、カイルがどんな様子だったのか知らないでいた。どれ程涙を流したのかも。
こうして帰ってきてくれて、前よりも強くなったと感じていたが、子供達の前で泣く程傷が癒えてはいなかったのかと心配になる。
「あー、前のことだけじゃなくてな……。一人になってからの七年間のあれやこれやが溢れ出したというか、まあ、そんな感じでな」
「エリザの母性にカイル君も勝てなかったってことね。どうせなら、わたしに泣きついてほしかったわ」
「母性より煩悩が出てくるヒルダでは駄目ですよ。子供でも出来れば別でしょうけれど」
「子供ね……。カイル君、わたしと子作りする?」
どうにか気を取り直し、紅茶のカップに口をつけたばかりだったカイルは、吹き出さないように口を手で押さえて何とか飲み込む。
子供達はおろか、トレバースは固まっているし、テッドでさえむせていた。
「は? や、何言ってんだ?」
「レイチェルちゃんとの可愛い約束は知っているわよ。でも、カイル君が有名になったら子供を欲しがる人は多いと思うわよ?」
「ああ、なるほど……でも、それとこれとはちがうだろ?」
「……こういう所は母親譲りなのよね。彼ならもっと動揺してくれたのに」
押しが強いように見えて揺さぶりに弱かったロイド。奥手に見えても、以外としっかりしていて冷静だったカレナ。二人の子供は、押しても引いても手ごたえがない。
「な、なんだ、冗談か……。そうだよね、年も大分……ヒィッ、な、何でもないよ」
戻ってきたトレバースが、安堵しながらヒルダの年齢に触れようとして睨まれ、青い顔で取り繕っていた。
「別に冗談じゃないわよ。キスまで済ませた仲だもの」
ヒルダの言葉に、今度はカイルに視線が集まる。どこか殺気じみたものも感じるのだが、気のせいだろうか。
「事故だよ。椅子から落ちたヒルダさんを支えようとして下敷きになった時に……」
「カイル君の顔が間近にあって、吐息を感じたらつい、ね」
「俺、待てって言ったのに」
「怪我してるなんて知らなかったのよ。気持ちよくて止まらなくて……カイル君はどうだった?」
「そりゃ、まぁ、な。刺激受けりゃ意思とは関係なく体は反応するもんだし……」
ヒルダとカイルの会話を聞いていたビアンカは、蒸気が出そうなくらい顔を真っ赤にしてテーブルに突っ伏した。ガンッという音で二人の会話も中断する。
よく見れば、エルネストは固まっているし、クリストフは顔を赤らめてモジモジしている。
「二人とも、お茶会の場に相応しからぬ話題は避けてください。今回はわたくしにも原因がありますが……」
カイルとヒルダは二人揃って頭を下げることになった。大人達からは生暖かい目を向けられたが、なぜかクリストフからは尊敬の念を向けられていた。同じ男として何か感じるものがあったのかもしれない。
穏やかなお茶会の時間は、終始笑顔に包まれていた。
 




