カイルの報復
カイル→国王→騎士団サイド
その日はそのままテムズ武具店に戻り、家族とのゆっくりとした時間を過ごした。ドワーフの弟子達は皆王都中のドワーフの店を回っている。生産者の筆頭でもあるドワーフ達の伝手とコネを使っての報復のために。
カイルの過去を知った商店通りの人々も、みな悔しさを感じると同時に悲しくもなり、また今のカイルがあることに感謝をした。同時に、そのカイルを怒らせたこの国のトップたちに対する不満や怒りもまた募っていた。
エリザベートやヒルダが事情説明をした時に一緒にいた第一王子を除く子供達は、話を聞くや否や夫であり父である国王の元に殺到していた。あれではまともに執務にはならないだろう。ヒルダはそれを笑いながら見ているだけだった。
自身が知らないところで、騎士団との確執があったことにも憤っていたエドガーだったが、レイチェルやダリルの訪問を受け、カミラと共に今回の旅の経緯を聞くと、青筋を浮かべていた。カミラも体の周囲に冷気を纏って微笑みを浮かべていたという。まさかギルドの有望株をそんなことで潰してしまうところだったのかと。何より、今やギルドに欠かせなくなってきたカイルの笑顔をそんなことで失うことになるところだったのかと。
魔法ギルドでも、ミシェルは笑顔のままで羽ペンをへし折っていた。ドルイドとして長く生きてきたミシェルとしても、見聞きしたことがないくらいひどいカイルの過去もそうだが、それ以上に許せないことがあった。そんな過去に無理矢理立ち向かわせたくせに、これ以上なく傷つけたくせに、怒っていることや謝罪を求めていることを知っていたくせに、行動に移せなかった者達に対する怒りだ。
クロエが早速奥様同盟をフル活用して広めた結果、その日の内には多くの奥様連中にその話が行き届くことになり、同時に夫や家族達にも知られるところとなる。もちろんハンターギルドや魔法ギルド、そして商人や生産者に属する多くの商人や主だったドワーフ達には話が通っていた。
エリザベートの突撃を受けた国王やテッドはともかく、訓練を終えて帰宅した時、レナードやバレリーは改めてカイルの怒りの大きさや、手の付けようのない報復に頭を抱えることになった。一晩にして、こんなことならあの時謝っておけばよかったと後悔させるに至った。
翌日、いつものようにレイチェル達とギルドに向かうことになったカイルだったが、あちこちから様々な視線が向けられるのに思わず苦笑しそうになる。覚悟していたとはいえ、大した針の筵だ。最近は少なくなってきた、流れ者や孤児だった頃に逆戻りしたような注目度だ。
あまり批判的なものはないとはいえ、憐れみや畏怖の視線というものも心地のいいものではない。
「カイル……その、大丈夫か?」
「ん、気にならないって言ったら嘘だけど。ま、あの人たちよりましだろ? 俺達は故意に噂を広めたけど悪いことしたわけじゃない。何かしてくれって頼んだわけでもないだろ? 堂々としてりゃいいさ」
「いい度胸。やっぱり強くなった」
「そりゃ、あんなことがあればな。俺にこうなってほしかったんだろ? 自分達が無理矢理そうさせたんだから、文句は受け付けない。今は謝罪以外はお断りだ」
「ふふふっ、今頃青くなっておりますわよ。昨日も王宮は上に下にの大騒ぎでしたもの。今朝ちらりと見た陛下やテッド様は憔悴して、十歳は老け込んだようでしたわ」
「父様も、母様に叱られていたようだな。マルレーンもへそを曲げていた」
「ああ、師範もけしからんっていってたな、そういや」
「ギルドマスター達もお冠だったな、無理もないが」
「ドワーフは言うまでもないな。このままだと王都を出ていきそうな勢いだ」
王宮を揺るがす騒動になっただけではなく、王や宰相としてではなく人としての失態が広く知られることになった。結果として立場はともかくこの上なく居心地は悪くなっただろう。その心労の結果だ。
レナードも愛する妻だけではなく娘達にもそっぽを向かれ弱っているようだ。カイルと面識はないがトーマの養父であり、師範をしている人物もまた話を聞いて憤っていたらしい。カイルの将来を期待して目をかけてきたことはもちろん、その人となりも評価していたギルドマスター達はあわやという事態にかんかんになっていた。
王都中のドワーフ達は店を休業し、ともすればこぞって王都を出ていきかねない状況になっている。騎士団の武器などは全てドワーフによって鍛えられたものだし、その鎧に関しても同じだ。もし王都にドワーフがいなくなれば整備も含め武器防具の調達が厳しくなるのは言うまでもない。
「ま、やりすぎないようには注意しとくし、ちゃんとやることやりゃ許す。それでいいだろ?」
王都中に騒乱を巻き起こすことにもなるだろうが、深刻な事態にならないようにだけは注意しておく。たかが謝罪でここまで、と思うかもしれないがこれはカイルの夢のための足掛かりでもある。
トップに立つ者が間違いを間違いだと認め、自分や相手がどういう立場であろうと人としてなすべきことができないのでは今の世の中を変えることなどできない。何より、トップに立つ者がそれをしないのでは誰もついてこない。
一人一人の意識を変えていくことも大事だろう。けれど肝心な上の立場の人が間違ったままでは本当には変えられない。カルトーラの町が変わったのは、町の人を扇動しカイルを処刑に追い込んだ領主をはじめとする町を動かしていた者達もまた自らの過ちに気付いて改めようとしたからだ。
そうしたから、今現在孤児達や流れ者にとっても理想的な町となっている。今までは罪に苦しみその償いのために続けてきたことが、これからは未来のために、世界のためにも先駆けとなる決意の元、罪を背負って生きていくことを決めた。ならばそのきっかけとなった出来事に深く関わるカイルもまたそれを秘すべきではない。
そんなことがあっても支えてくれる存在があれば、人として強く正しく生きていこうとする意思があればそのように生きられるのだと示さなければならない。カイルは正しく、孤児達の希望であらねばならないのだから。英雄、救世主と呼ばれるならば、そうあるべきなのだから。
いつものようにギルドに入ったカイルだったが、一瞬静まり返ったかと思えば、カイルと面識があったり付き合いがあったりする者達がこぞって詰め寄ってきた。口々に何かを言ってくるが、多すぎてガヤガヤとしか聞こえてこない。
半ばレイチェル達にガードされる形でお手上げ状態だったカイルだが、エドガーが姿を見せ一喝したことでどうにか落ち着いた。
「よウ、カイル。元気そうだナ……無茶しやがっテ、この馬鹿野郎ガ! だが、まァ、よく帰ってきたナ。聞いたゾ? あのレナードから一本とったっテ?」
「魔法を駆使して小細工満載だけどな。ちったぁ、肝冷やしてくれたかな?」
「ハハハハハ! ちょっとどころじゃないだろうゼ。それニ、面白いことしているじゃないカ」
「ん、俺としちゃ一度でいいからちゃんと謝ってほしかったんだけどな? 恥だの外聞だの面子だの、そんなんで流されて人としての道理をないがしろにされちゃな。そういうの改めたくて努力してる俺への侮辱でもあるだろ?」
「違いなイ。お前ハ、平気なのカ?」
「……痛い目見させてでも変えたいなら、こっちだってそれなりの覚悟をしなきゃな。俺だって、何されても平気ってわけじゃないんだぞ? ただ、耐えられる、我慢できるってだけだ。大丈夫だよ、これは俺がちゃんと覚悟決めてやってることだ。それに、人の目がある方が手を出されにくいだろ?」
カイルがただ仕返しのためだけにやっているわけではないことを言外に感じ、エドガーは今度こそ会心の笑みを浮かべる。思っていた以上にカイルは策士でもあるらしいと気付いたためだ。言動の一つ一つちゃんと考えてから行っている。そして、その責任を取る覚悟もある。ただ、そこに子供の遊び心も加わっているだけだ。
「どう出てくるか見物だナ。選択肢は一つしかないと思うガ」
エドガーなら同じ状況に追い込まれたら、恥も外聞もかなぐり捨てて土下座する。それほど世間のレナード達に対する目は厳しい。立派な人物としてその人間性を認められていればこそ、些細なことでも命取りになりかねない。
「デ、これからも同じようにギルドで仕事カ?」
「ん、基本的な生活サイクルは変わらない。ちょっと変則的になるところはあるかもしんないけどな。とりあえず当面の目標は二つ名ってことになんだろうけど……あれ、やっぱつけなきゃダメか?」
「駄目だナ。二つ名持ちはギルドの看板みたいなものダ、例外はなイ」
「やっぱ駄目かぁ。なんかあれ、恥ずかしくないか?」
「そんなことはなイ! どの国に行っても二つ名を持っていれば侮られることはなイ。その者を象徴する名でもあル」
「でも、そうなると俺、いずれは複数の二つ名を持つようになるんじゃ……」
少なくとも今のペースで修行をしていれば数年内にはそうなるだろう。あまり例のないことではあるが、存在しないわけではない。
「そうなるナ。心配するナ、相応しい名を考えてやル」
エドガーはノリノリだが、カイルとしてはやはりどうしても気恥ずかしさの方が先に立つ。必要なことではあるのだろうが、それでもこうむずむずするものがあるのだ。
カイルが受付のナナの元に向かうと、なぜか涙ぐんで鼻声のまま受注をしてくれる。そして、いつもより五割増しの”頑張ってください”の声で送り出されることになった。
王宮にある執務室の机の上に突っ伏していたトレバースは、深い深いため息をつく。いつもならそれを注意してくるテッドもまた似たようなどんよりした表情で肩を落としていた。
「…………さすがにこれは予想外だよ。いや、でもあの二人の子供なら……」
「……カイル君の人脈の広さを侮っていましたね。元はといえば我々に責任がありますが……まさか、こう来るとは……」
カイルが帰還して二日、トレバースとテッドはすっかり参っていた。カイルの怒りは感じ取れたのだが、まさかここまでのものだとは思っていなかったのだ。そして、こんな手段に出るとも。今やカイルの処刑騒ぎや、それによって生まれたトラウマ解決のための無茶振りなどは王都中の人々の知るところとなっている。
中にはそれが真実であるか疑っている者も多いが、確かな筋から聞いた者達は皆トレバースやテッド、さらにレナードやバレリーといったこの国のトップ達に対して冷たい目を向けてくる。王宮内を歩いても、最低限の礼はとるものの、あちこちでヒソヒソと噂されている。
大人として、親としてあるまじき無茶を子供にさせたばかりか、その後の対応もなっていないと不信感さえ募っている。ひどくすれば国王としての進退にも関わってくる。今でさえ、あちこちで不具合が出始めている。
騎士団に武器防具を収めているドワーフ達はそろってストライキを起こしているし、整備にも全く応じない。商人達は王宮への物資の売買などに対して値上げをしてみたり、事故を装いわざと商品の納入を遅らせてみたり。
何より問題なのが魔法ギルドとハンターギルド。王宮からの依頼を一切断っている。王宮内には魔力補充を必要とする魔法具も多くある。魔法師団という、騎士団とは対を為す魔法使い達の部隊もあるのだが、なぜかそろって王宮を空けている。王都内にはいるためあまり強くは言えないのだが、彼らの助けなくては最低限必要な魔法具にしか魔力を補充できない。
ハンターギルドもよほどの重要案件でない限り、話を聞こうともしない。そして、話を聞いてもギルド主体でその依頼を出してしまい、王宮からの依頼だということは一切表に出さないし、王宮からの報酬も受け取らない。
こうなってくると、あらゆる面で不足や不備、支持率の低下など問題が山積みになってくる。しかも、それを解消するための手段は残されており、ある意味では非常に簡単なことで済む。国王だの宰相だの、そんなことを気にしないで、一回り以上も年下の少年に謝罪をすれば済むのだ。
「宰相になって以来初めてですね。ここまで迅速にして徹底的に外堀を埋められてしまったのは……案外カイル君は、国家の運営に関わったとしてもやってしまえるかもしれません」
「そう……だね。強力なコネクションと幅広い人脈と、精霊達の協力を得た膨大で迅速な情報収集能力。正直、彼を舐めていたよ。……というより、甘えすぎていたんだね。彼はロイドじゃない、息子と同い年の子供だったのに……」
「わたしも、この偏屈な性格を恨んでいます。なぜあの時、彼が最後のチャンスをくれた時に謝ることができなかったのかと……」
「騎士団の方も、同じような状況らしいね……」
「ええ、大分参っているようです。そして、明日はカイル君が騎士団に訪れる日です。恐らくはそこで……」
「……わたし達も、それに合わせて謝罪をしようか。遅すぎるけど、ちゃんとやっておかないとね」
「はい。予定を調整し、騎士団とも時間等すり合わせておきます。一同そろってやった方が、カイル君にとっても面倒がないでしょうし……」
「もう、二度と怒らせたくないものだね……」
「同感です……」
「では、どこも、か?」
「はい。武器防具の整備はもちろん、新たな発注もできません。さらに、その、騎士団が所有する騎獣達も一切言うことを聞かなくなったらしく、訓練もままならなくなっております」
バレリーの報告にレナードは頭を抱える。まさかここまで大問題になるとは思わなかった。今の騎士団の状況は体裁だの面子だの言っていられる場合ではない。存続の危機と言っても過言ではない。
「……そういえば、昔考えたことがある。あの二人は、どちらかが本気で怒ってももう片方がなだめる役をしていた。だから、それぞれに怒りをぶつけることがあったとしても、そこまで大きな問題にはならなかった。しかし、この二人が同時に同じことに対して怒りを爆発させたらどうなるだろうか、と」
「そう、ですね。ロイドさんは、周囲の人達も巻き込んで仕返ししたり身を切っても骨を断つことをためらわなかったりするところがありました。そして、カレナさんは人脈や精霊達からの情報によりとても痛い場所をついてくるところがありましたね」
今カイルがやっているのはその二つの合わせ技と言っていい。帰還から二日たった今では、なぜか限られた者しか知らないであろうレナードやバレリー、トレバースやテッドなどの失敗談なども出回ってしまっている。
悪質なものではないのだが、思わず羞恥に顔を赤らめたり、気まずさに俯いたり、妻や家族からの圧力に青ざめたりするような情報だ。ちょうど、昔カレナにされた些細な嫌がらせと同じものだ。
そこへきて、能動的で影響力があり、自身にも類が及ぼうともためらわずに仕返ししてきたりするロイドの報復が加わっている。それが今の八方ふさがりの状況を作り出してしまっていた。そこへきてようやく二人も理解した。自分達は怒らせてはならない者を怒らせた。同時に、与えられたチャンスを生かせなかったばかりに、自業自得の責めを受けていると。
「…………押し付けられた試練が、カイルがかぶっていたいい子の仮面も剥がしたか……」
「やはり、どこまでもあの二人の子供ですね。……痛感しました、カイル君は怒らせるべきじゃないと」
「う、む。最近では家の中でも肩身が狭い、無言の圧力が四六時中向けられている」
「まさに針の筵ですね。わたしも、妻や子供達に散々なじられました。人様の子を何だと思っているのか、と。自分の子供だったら、同じことをさせられるのか、されて許せるのか、と」
「それは、俺もティナに言われたな。俺達はレイチェルの傷を知っていても、そこに触れることさえできなかった。レイチェルが大人になり、やがてその傷も浅くなり、癒えるだろうと。それなのに、それよりはるかに深い傷を負っていただろうカイルには……当然の義務であるかのように、短時間で乗り越えることを強要した」
英雄の息子だから、自らもまた英雄の道を歩こうとしている者だから。どのような過去を持ち、傷をつけられても、それでも前を向いて人を恨まずに生きてきたから。だから、何をされても、どのような苦難を与えられても、大丈夫なのではないか。乗り越えられるのではないかと、身勝手な期待を押し付けた。
癒えていないいくつもの傷を抱えたまま、満身創痍でありながらそれを人に見せず、悟らせずに必死になって足を踏ん張り、顔を上げて生きてきたということになど気付きもしなかった。子供なのに子供でいられない、甘えを見せられない生き方を強要されてきたことなど考慮しなかった。
カイルがいい子の仮面をかぶって、その言動によっても自らを追い詰め、張りつめさせているなど見ようともしなかった。魂を結んだ相手以外に弱音も吐けず、弱った姿も見せられず、涙を流していたことを知らせることもできなかったなど、理解しようともしていなかった。
こうまで自らの過ちを突き付けられたのでは、認めざるを得ない。間違っていたのは自分達であるのだと。カイルの怒りは正当なものであると。そうであってなお、カイルは自分達にやり直す道を、許す道を残しているのだと。




