残された者達の思いの行方
国王→騎士団サイド
トレバースはテッドと共に執務に励みながらも、時折遠くを見るような顔をしては小さなため息をついていた。
「陛下、いくら陛下が気を回されようと、なるようにしかなりません」
「分かっているよ。それでもね、心配だろう? 影を付けるわけにもいかないし……」
「そうですね。理由がありませんので。影を付けるのは監視か王族の警護のため。それ以外ではみだりに動かすことはできません」
「不便だよね」
「私利私欲で動かしてしまっては国が乱れます」
「それも分かっている。でも、思ってしまうんだ。わたし達は彼に色々なものを背負わせすぎてはいないかとね」
「確かに、彼の年齢を考えますとそうですね。つい忘れがちになってしまいますが、彼はまだ成人もしておりませんので」
「だよねぇ。ロイドがいたら怒られそうだ、カレナさんにも無言の威圧を受けそうだよね」
「わたしはその二人を存じ上げませんのでなんとも」
「カイル君はその二人の性質をそれぞれよく受け継いでいるよ。生まれついて人を引き付けるような魅力はロイド譲りだろうし、無自覚で人の心をつかむのはカレナさん譲りだ。本当にあの二人の息子なのだと実感できる」
「なるほど、少し想像ができますね。カイル君は母親似ということですが……」
「うん、顔立ちとか人への気遣いとかよく似ている。時折感じさせる儚さなんかもね。体は丈夫みたいだけど、華奢に見えるところとかもね」
テッドはヒルダから報復と同時に報告された内容を思い返す。カイルはロイドから龍の血と龍属性を受け継いだだけではない。カレナから眼と宝玉、さらに幻とも言われる創造属性を受け継いでいるのだという。聖剣を抜けたのもそのことと無関係ではないだろうと。
ただし、抜けることと契約ができることは別で、契約できたのであれば紛れもなく剣聖の素質を見出され、剣聖として選ばれたのだろうと。龍の血もロイドより濃いことで、その肉体的なつくりも龍に近いためにどれほど力をつけようとあの体型であり、見た目なども妖魔であるクロとの契約により数百年か、ともすれば千年単位で変わらないだろうということも。
つまり、カイルは見た目がほとんど変わらないまま、修行で鍛えるほどに見かけからは測ることのできない、かけ離れた力を身に付けて行くということだ。それはある種の憧れのようでもあり、また恐れも集めるだろうと思わせた。
また、カイルが剣聖としての立場を得てさらにギルドでも上り詰めるようなことがあれば、これまでとは全く逆の形で人々から敬遠され排斥されることにもなるかもしれない。カイルをよく知る者からすればそうでもないのだろうが、知らなければ化け物として見るだろう。
それでもカイルは仕方ないことだと笑うのだろうが、彼がそういう目に合うことを笑って見ていられるほどカイルの周りの者達は寛容ではないだろう。そのあたりの対策もしておくべきかもしれない。トレバースとは別の意味でテッドも頭を悩ませていた。ただし、それはトレバースのように執務に影響しない範囲で、のことだったが。
「けれど、カイル君は確かにロイド様の強さも受け継いでいるのでしょう? ならば信じるしかありません。さらに強くなって、乗り越えて帰ってくることを」
「そうか、そうだね。わたし達にもやらなければならないことが山積みだ。例のメイドはどうしてる?」
「王子を監視する影の報告では、今のところあまり大きな動きは見せていないようです。というよりこちらの監視に気付いているようで尻尾をつかませません。ですが、少なくとも普通の人間ではないでしょう。ヒルダ様に感謝すべきですね。我々だけでは特定にもっと時間がかかっていたでしょうから」
「そうか……。ヒルダは本当に人を見る目があるからね。その辺は歳の甲……」
「ご本人の前でいうと、また薬の実験台にされますよ。この間で懲りたでしょう?」
「あれはひどいよ。一晩中笑いが止まらなかったんだよ。本当に笑い死ぬかと思った。笑うって時には辛いことだと初めて知ったよ……」
カレナの死やカイルの存在を知らされていなかった、何より生存を知っていたのに黙っていたことで怒り狂ったヒルダにより一服盛られたトレバース。おかしくないのに笑いが止まらず、腹の筋肉が崩壊し、けいれんして呼吸困難になるほど笑い続けることになってしまった。
子供達には白い目で見られるしエリザベートには呆れられて小言を言われるしで散々だった。子供達にはカイルのことは明かしていないが、エリザベートにはかの会食の後で一晩かけてじっくりと聞き出されてしまった。別の意味でも絞られたので、もう一人子供ができても不思議には思わない。
「母親でも先生でも女の人は強いね……。今回の事、ヒルダはともかくエリザはすごく怒ってたし。子供になんて無茶をさせるんだって、それ聞いてわたしもカイル君がまだ子供だって思い出して青くなったしね」
乗り越えてくれることを期待し、信じながらもこうして物思いにふけってしまうのはエリザの言葉や怒りがあるから。ある程度心身共に成熟している今ならともかく、十歳という幼い時に負った傷がどれほど大きくて深く心に残るのか考えてみなさい、と。クリストフが同じことをされたら、記憶を失うほどに辛い思いをして、六年後に記憶を取り戻し一か月しかたっていないのに同じ体験をさせられるのか、と。
親としてそれを考えた時、それはとてもではないがさせられないという答えが出た。いくらクリストフが立派になっていようと、原因となったものを見るだけで倒れそうになることを知っていて、無理に向き合わせることなんてできない。
必要だからと言い訳をして、そんなことをさせてしまったのだと気付いたから。国王としての判断では間違っていないかもしれない、けれど人の親として……一人の人間としては間違っていると怒られたからだ。恨まれても、怒りをぶつけられても仕方ないことをしてしまったからだ。
今はただ、祈る様に願うことしかできなかった。
「これでおおよそは片付きましたかね?」
「うむ、……思っていたより少なかったのは幸いだが……カイルには感謝すべきか……」
「ある意味、騎士団の膿、ですからね。他のものはともかく、エゴールは気付いているでしょうね。視察隊に抜擢された理由を……」
あれからの調査で、あの夜カイルに手を挙げただろう者達の調べはついた。しかし、誰もが当時自失していたような状態であり、記憶が残っていてもなぜそのようなことをしたのか判然としなかった。そのため、懲罰と謹慎、減俸などの処分となった。
確かにカイルのことを気に食わなく思っていたが、あそこまでやるつもりなどなかったようだ。やはり、王宮内に入り込んでいるだろう魔人による感情操作を行われていたようだ。その中で一人自身の意思でカイルとクロを殺害しようとしたエゴールだけは証拠をつかむことができていない。
あの時間帯は騎士団でも自由時間となっており、アリバイがなかったとしても不思議ではないからだ。むしろ確かなアリバイを証言する者がいた方がそこから足がついたかもしれない。そういう意味でエゴールは強かだったといえる。
だが、魔人の排除をするにしてもエゴールの断罪をするにしてもそう簡単にはいかない。魔人の方は王宮内に入り込んでいるだけに、下手に追求しようものならどういう影響があるか分からない。それに、いかに魔人といえど単独で王宮内部に入り込めるとも思わない。
王宮関係者にそれを手伝った、あるいは何かの思惑の元引き込んだ者がいるのか。どこかにつながりや裏がある可能性が高い。そのため少し泳がせておいて、それとなく圧力をかけたり密かに噂を流したりして反応を見ている段階だ。
エゴールにしても、若者特有の先走りや嫉妬といえなくもない。それにしては凶悪だが、それだけで確たる証拠もなく断罪してしまっては騎士団で心身の鍛錬を行ってきた、行っていく意義が薄れる。どうしようもないと判断されるまでは、出来る限りやり直す道を残してやりたいのが団長・副団長の意思だった。
そのため、毎年この時期に行っている国内の視察。そのメンバーとして若手の抜擢を行い、表向きには栄転のための下積みということになっている。しかし、その実はカイルに危害を加える可能性がある者達を一時的に王都や騎士団本部から排除するための措置だ。
エゴールは、カイルのことがなければ、誇らしげにもしくは当然という顔で辞令を受けただろうが、その時には拳を震わせていた。かろうじて顔に出なかっただけ、我慢したというところなのだろう。国内視察は何組にも分けて行われるが、最低でも三か月はかかる。場所によっては半年以上だ。
その間カイルが好きに騎士団本部を歩き回ることや、何よりレイチェルと仲がいいことが気に入らないのだろう。レナードはともかく、バレリーはエゴールがレイチェルに恋心というには生々しい劣情を抱いていることを見抜いていた。
エゴールは頭が悪いわけでも鈍いわけでもない。レイチェルがカイルに対して恋情を抱いていることを知っているだろう。カイルを殺そうとした背景にはそうした意味での嫉妬も多分に含まれているはずだ。そのレイチェルからも引き離されるというのだから、エゴールの怒りはどれほどのものだろうか。
願わくばこの視察で騎士の本分や、民に尽くすという基本を学んでほしいところだが、難しいかもしれない。下手に優秀だけに、心が伴わなくても実績だけは積めてしまうのだから。
最近は例の組織が再び息を吹き返してきたことや、魔物達の動きや数などに変化がみられるようになったことなど、世界的に情勢が不安定になり始めている。そうした雰囲気や公僕としてなすべきことを感じ取ってもらいたいという意味も込めての抜擢だ。平和な王都にいれば、どうしてもそうしたものに疎くなってしまうのだから。
「それにしても、カイル君ですか……。まさか、あの二人の子供とは……言われてみれが納得できる部分がいくつもありますね」
例えば、カレナのように少し常識知らずで無自覚な言動で心をえぐってくるところとか、賞賛に対して素直にお礼を言える部分。例えば、ロイドのように無鉄砲にも思える度胸で人の関心を集めるところとか、罵倒に対しても受け流してくじけない部分。
カレナは黒髪に病弱なこともあって色白で、元は青だったと言うが巫女の力に目覚めて紫になった眼。癒しの巫女と呼ばれるほどに自らを省みずに多くの人々を癒してきた心優しき女性だった。人目を引く美しい顔立ちをしていたが、ロイドと出会うまでは憂いの表情を浮かべることも多く、体が弱いこともあって深窓の麗人とも呼ばれていた。
ロイドは銀髪に健康的な小麦色の肌、龍の血を引く故に金の眼をしていた。英雄と呼ばれるにふさわしく豪放磊落で破天荒な言動ながら、救いを求める人々の声に応え剣を振るってきた。龍の血族らしく整った顔立ちに、頑健で筋骨隆々というほどではないが鍛えられた体つきをしていて、王国の昇龍とも呼ばれていた。
カイルはその二人の特徴を程よく、あるいはちょうど混ぜ合わせたかのように受け継いでいる。ロイドより鮮やかな銀髪に健康的だが色白な肌、宝石にも例えられる紫の眼。自らを省みず、多くの孤児達を癒し、救ってきた。男にも女にも見えるような、人目を引く整った中性的な顔立ち。時折儚さを感じさせる表情をする時もあり、華奢に見えるが丈夫で鍛えるほどに見た目はそのままに強くなっていく体。まさにハイブリッドだ。
「うむ。……だが、あの二人の子供にしては……少々大人しいというか、アクがない」
「確かに……いい子すぎますね。元々そうだったわけではなく、遠慮している、我慢しているような部分が見えました。どこか壁一枚をはさんでいるような距離感を感じます……」
クロに対する献身と同じく、カイルの過剰ともいえる気遣いは後から作られたものだろう。成長過程で立場による責任や身の振り方を徹底的に仕込まれたことでそうなった部分もあるだろうし、それに流れ者の孤児でありながら人々に受け入れてもらうためには必要なことだったのだろう。
カイルは子供でいることができなかった。子供として振る舞うことが認められなかった。そうした環境がカイルを年齢にふさわしからぬ成熟した態度や対応を取らせるに至った。顔だけ見るとそうでもないのに、歳を忘れてしまうのもそのためだ。
「ロイドのような奔放さやカレナのような暢気さを感じられない。気楽そうにしていても、どこか張りつめたところを感じさせる。訓練に関しても……俺にも非はあるだろうが鬼気迫るものを感じた」
「ロイドさんのようになんでも背負ってしまう強い責任感や、カレナさんのように他者を優先してしまい自身がおろそかになるといった長所にも欠点にもなる部分もまた受け継いでしまっているようですね」
今回のこともそうだ。カイルの火に対する反応は誰もが予想していた以上に過敏なものだった。普通なら立ち向かう勇気さえ生まれてこないほどの暗い過去だ。それなのに知らずとはいえ、そこへと導かれ、満足に覚悟もできないままに立ち向かわされる。
それでもきっと逃げることなどできないのだろう。どれほど苦しんでも、立ち上がり歩みを止めることができない。たとえ、それで自分が潰れることがあろうと、立ち上がれないくらい傷つくことがあろうと。
「残酷なことを、したかもしれんな。立場としては賛成したが、親としては……承服できん」
「そう、ですね。わたしも、あの場では必要だと確信したために推し進めるような形になりましたが……ひどい、仕打ちでしょうね。しかも、信頼している者達に半ば騙される形で宿命の町に入ることになるのですから」
カイルの信頼とは、心の底から全てをかけて信じているというものではないのだろう。何度も裏切られ、騙され、傷つけられてきたのだろうから。その分、不安を抱えつつも信じたいという強い思いで信頼を寄せてくる。その心を分かっていて踏みにじることになったのだ。
年長者達は、あの随行メンバーの中でヒルダだけはそれを自覚しているだろうが、おそらくレイチェル達にはその認識がない。カイルが自分達に無償の信頼を、完全なる肯定に基づいた信頼を寄せているわけではないということに気付いていない。不安を抱えつつも、そばにいることを選択していることを知らないのだ。そういう意味で、レイチェル達もまた傷つけることになる。
「悪い大人ですね、わたし達は。子供の成長のためとはいえ、あえて傷つける選択をしたのですから。そう、まだ、子供なんですよね。体は大きくなっても、十六歳の心を持った……子供。…………団長、その、もし、ですよ。もし、カイル君が、その……乗り越えられずに潰れてしまったら……闇に堕ちるなんて最悪な事態になったら……わたし達どうすればいいでしょう?」
「む、う、う、うむ。そうだな……責任を持ってカイルの面倒をみたとしても、その後で死を持って償ったとしても……冥界でロイドとカレナに袋叩きにされるな、確実に」
「ですよね……。あの二人、身内に恵まれなかったこともあって、お互いには甘々でしたから。その子供となると……溺愛していたでしょう。それなのに、頑張って今まで生きてきたカイル君に余計なことをしてしまったとなれば……」
烈火のごとく怒って切り殺さんばかりに飛びかかってくるロイドと、いつも浮かべていた笑みが消え無表情で冷たい目線を向け無言の威圧をしてくるカレナの姿が思い浮かんでくる。普段はあまり怒ることのなかった二人だが、怒らせると対照的だが非常に恐ろしく、敵に回したくないと思う二人でもあった。
責任を取って死ぬなんて事態は避けたいが、それ以上にあの二人に囲まれて怒りをぶつけられることの方が恐ろしい。レナードとバレリーは、本気でカイルが乗り越えてくれることを願うのだった。
 




