赦しの時
町の者達からの謝罪を受け取ると、主とその一家は空を向いて遠吠えをする。冥界に旅立ったクロに届けるように。それから主と番はカイルの胸に鼻先を押し付けて感謝と励ましを贈ってくれる。
「ん、こっちこそありがとな。俺が忘れても、ちゃんと伝えてくれて待ち続けてくれてたのに。六年も待たせて悪かった」
クロの兄弟達も鼻先をカイルに近付けて低く唸り声をあげてくる。
「俺はもう大丈夫だ。クロの分もしっかり生きる。だからこの町やクロの事よろしくな」
力強い吠え声でカイルの言葉に答えると、主達は踵を返し、群れを率いて帰っていく。クロもまた大きさをいつもの二mほどの体躯に戻す。
町の人々は、まだ町の入り口付近に集まりひざまずいたままだ。カイルはフランを見て、その左足にも視線を向ける。それからフランのすぐ目の前に立った。フランはどこかおびえたような、それでいて泣きそうな顔でカイルを見上げる
「相変わらず、リーナ姉がいないとフラン兄は駄目駄目だな。リーナ姉が生きてたら箒持ってボコボコにされるまで追い回されてるぞ? どうせその足も責任とって、とかだろ? 変なとこで義理堅いってか、馬鹿だよな」
「なっ、おま、お前な、仮にも年上に向かって……」
「仮でも実でも年上なんだから、もうちょっとしっかりしろよ。いい大人だろ? 警備隊やめて店手伝うにしても、それじゃ足手まといだろ。……光の恩恵を持って、傷を癒し活力を与え、生命の息吹を吹き込み失われし肉体を取り戻せ『全回復』」
会話の中で唱えた魔法によりフランの左足が光に包まれると、骨が肉が神経が再生していき、失われていた膝から先の足が元通りになる。光属性、最上級上位第九階級の回復魔法だ。これは肉体のいかなる部位であろうと、欠損であろうと完璧に治してしまう魔法だ。
「お前……これ……?」
「俺が、あん時のままの無力なガキだと思うなよ? 魔法だって剣だって修行中だ。ちゃんとギルドにも入ったし、今は王都に住んでる」
「王都……そう、か。ギルドにも……いい人に、出会えたのか?」
「ああ。ドワーフだけどな、俺のこと息子だと……身内だと言ってくれる人達に拾われた。仲間や友達だってできた。相棒にも……出会えた。俺は、ちゃんと前に進んでる。だから、フラン兄もちゃんと自分の足で前に進めよ。その足は餞別代りだ、いつか冥界でリーナ姉に会った時恥ずかしくない生き方をしろよ?」
「そう、だな。その通りだな、あのまま腐ってたら、リーナに殴られるな」
「足して二で割るとちょうどいいくらいだったからな、二人とも」
「全く頭が上がらなかったからな……忘れてたよ、こんなことも」
子供に説教される大人の図だが、これは六年前にも何度も見られていた光景だった。その時にはまだ小さかったカイルに合わせて、フランが正座したまま怒られていた。町の人々も懐かしい光景に思わず笑みが浮かんでくる。
同時に、カイルが最高峰ともいえる魔法を使ったことにもまた驚きが広がっていた。当時も年齢に似つかわしくない器量があったが、大きくなった体と共に確かな成長をしたのだと実感する。
そこへ後ろからやってきたトーマがカイルの首を絞めるように後ろから飛びかかる。
「カーイールー、この、ビビらせやがって。くそっ、俺達も大概だけど、お前シャレにならないぞ?」
「シャレじゃねぇよ、本気だ! あんくらいやらないと意味ないだろ。罪を忘れないで生きてる限り、報復で町を襲うことはないって納得してもらうためにも。俺らの心情的にも」
「ともかく、帰ってきてくれてよかった」
「……まぁ、家出ってやつは帰る場所があって初めてできるもんだしな」
安堵した表情を浮かべるキリルにカイルは微笑みかける。レイチェル達の元に帰るつもりがあったからこそ、帰る場所だと考えることができたからこそ出ていけた。
「だが、心臓に悪い。二度と経験したくない気持ちがよく分かった。俺達も気を付けよう」
ダリルはまだ動悸が完全には治まっていない胸を押さえる。自らを救ってくれた者を自らの手で闇に突き落としてしまったかと思った。それでもカイルは立ち直り戻ってきてくれたのだ。
「カイル、すっきりした顔してる」
「まぁ、色々と吹っ切れたからな」
「それは、トラウマも克服できたということかしら?」
「そうだな。少なくとも、もう火を見て震えることはないな」
カイルの顔をじっと見上げたハンナは、カイルの中にあった最後の壁が取り払われたのを感じていた。そして、ヒルダもまた呆れたような、安心したような顔をする。あんな形で教え子を失う何て考えたくもないことだった。
「その……霊力の方はどうなりましたの?」
「ん、うーん、どうなんだろ。普段と変わりないようにも感じるし……」
首を傾げるカイルだったが、アミルともども周囲の精霊達からの熱烈アピールに閉口する。あまりにも一度に語り掛けてきたため、各々の意思を読み取ることさえできない。ただ、分かったのは前よりも精霊達が生き生きとしており、さらにカイルの周囲に集まってきているということだ。
「心配……いらないようですわね? むしろ高まりました?」
「さぁ? 昔っから何か乗り越えるたびに増えてったしなぁ。それって高くなったってことなのか?」
「…………そのようですわね……」
苦難を、困難を乗り越えるたびに磨かれ強くなっていった魂。それに合わせて輝きを増し高くなっていっただろう霊力。精霊達が好み、応援し、味方でいるはずである。ただ綺麗なだけではない。魂に根差す強さをも兼ね備えた霊力だからだ。
「カイル……すまない。わたしは、カイルを信じきることができなかった。カイルがこんなことをするはずがないと、否定することが……できなかった」
「んー、まぁ、仕方ないだろ。俺だってどっかで不安を抱えてる。大丈夫だって思っても、また裏切られるんじゃないか、見捨てられるんじゃないかってな」
「それなのに、カイルはどうしてわたし達を、人を信じようと思えるんだ?」
「んなの、信じたいからに決まってるだろ。何度裏切られても、見捨てられても、死ぬほど嫌なことをされたって、俺が信じたいと思うから信じるんだ。俺は欲張りで強情だって言ったろ? 簡単に心変えられるくらいなら、生き方変えられるくらいならここにはいねぇよ」
「不安に思うことがあっても、完全に肯定できなくても……信じたいから…………」
「相手の心も生き方も、自分のものじゃないから完全に理解何てできないだろ? だから、相手がどうだろうと信じたいと思えば信じるし、一緒にいたいと思えば一緒にいる努力をする。んでもって、相手を理解するためにちゃんと見ることを忘れない。人との付き合いってそういうものじゃないのか?」
レイチェルは虚をつかれたような顔をして、それから徐々に笑顔が広がっていく。
「そうか……そうだな」
「ま、あんまり難しく考えるなよな。俺も肩ひじ張って生きるの辞めたし、趣味だって見つけたし……」
「趣味……何?」
「ん、今はまだ内緒、だな。俺とクロとシェイドの秘密。それに、他にもやりたいこと見つけてみたいしな」
「……手強くなった。でも、いいこと。趣味は大切」
気ごころを許した仲間達と楽しそうに会話をするカイルを見ていて、かつてカイルと関わった人々は安堵と共に昔を思い出す。成長したところも多いが、それでも変わらぬ心や笑顔がある。それが失われることなく、さらに輝きを増して元気な姿を見せてくれた。それが何よりの救いであり、赦しに思えた。
「……お兄さんが……守り神様?」
「ん? なんだそれ? 俺は人だけど?」
「ううん、わたし達、孤児の救世主」
落ち着いたものから徐々に立ち上がり、町に戻って行く中カイルに近付いてきたのは幼い子供を含む未成年者達の一団。その中の一人が、おずおずとカイルに尋ねてくる。カイルは首を傾げて否定するが、返ってきた答えに彼らが孤児であることを知った。
「そっか、お前らがカルトーラの町の……」
「六年前まで俺達はゴミ扱いだった」
「でも今は違う」
「町の人達が償いのためにって、わたし達を人に戻してくれた」
「だから、僕達孤児にとって、お兄さんは守り神みたいなものなんだ」
「死んじゃったって聞いて悲しかったけど、生きててよかった」
口々に訴えてくる声。話しかけてくるのは大体がまだ小さい子供達だったが、一団の中にはカイルとさして歳の変わらない者もいる。どことなく見覚えがあるのは、あの時に出会っていたのだろう。
「俺がきっかけでも、今のような形になるまでなんかしたってわけでもないしなぁ。感謝するなら町の人達にだろうし、拝まれても困るんだが……」
『我とて同じ気持ちであったわ。町に入っただけで礼拝されるとは思わなんだ』
「だよなぁ」
妖魔ということが分かっていなくても、獣の姿をしたクロがしゃべるのはやはり少し怖いのか、反射的に体を引いている子供達。
「こわく、ない?」
「ん? 別に何もしなけりゃ、クロだって何もしないぞ? 妖魔っていうのは人と同じかそれ以上に頭もいいし分別もある。撫でたって怒りゃしないさ」
『ふむ、まあよかろう。無関係であろうそなた達を驚かせてしまったのは確かだからな』
初めは恐る恐るだったが、クロの毛並の気持ちよさや、意外な温かさに子供が殺到しクロが埋もれてしまう。思わず大きくなったが、そうするとさらに子供達が集まってくる。触ったり、少し毛を引っ張ってしまっても怒るそぶりを見せないクロの姿に、大人達もみな安堵を浮かべている。この妖魔は怒らせない限り自分達に害をなすことがないと分かったためだ。
「お前、あのカイル何だってな」
「えっと……誰、だっけ? 見覚えはあるんだけど……」
「パースだ。……あの時は俺、お前の事馬鹿なことする奴だと思ってた。案の定、ひどい目に合って……でも、そのおかげで俺達みんな救われた……ありがとう……」
顔を赤くしながら、同じ年頃の少年、パースがお礼を言ってくる。カイルは何となく複雑な気持ちになりながらもそれを受け取った。
「いいさ。この町には、本来あるべき形だろう孤児と町の人達との関係を学びに来たんだしな。この町の体制とか、孤児院とかいろいろ参考になりそうだし」
「参考?」
「ん、俺な、この町出てから、この町で学んだことを元に同じような孤児達を人に戻して、人らしい生活をさせるために色々やってきたんだ。俺が、この町でやってたようなことみんなに教えて実践して、生活基盤を整えられるようにな」
カイルの言葉に驚いたのは孤児達ばかりではない。残っていた町の人達もまた驚きの顔を浮かべる。孤児でありながら、孤児を救い上げるために活動していたというのか。
「ずっと、か? 一人、で?」
「ずっと、一人で、だな。ドワーフの親方達に拾われたの四か月前だし、それまではずっと流れ者の孤児としてあちこち放浪してた。で、行く先々ではそういうことしてたな」
「でも、それなら王都には入れないだろ?」
「王都に入ってまだ一か月にもなってねぇよ。王都の北にあるペロードの町で親方達と知り合ってな、で、レイチェル達ともそこで知り合って一緒に王都に行ったんだ」
「レイチェル……って、まさかあのハーフエルフの剣士のレイチェル!?」
「そのレイチェル。だから、ここにいる仲間とも出会って一か月くらいか? ヒルダさんなんて十日余りだし」
「そんな有名人と……仲間。二つ名持ちと……仲間。もしかして他の人達も?」
「みんな二つ名持ちだな」
レイチェル達が予想以上に実力者であったことに驚きを隠せない面々。何よりそんな人達とカイルが仲間であることが一番の驚きでもあった。
「じゃあ、修行って」
「みんなとだな。あとは、まぁ他にもいるけど」
二つ名持ちと修行と聞いてどこか憧れるような表情を浮かべる者達はギルド登録をしている者達だろうか。カイルとしてはそんな甘いものじゃないと声を大にして言いたい。レイチェル達もレナードもヒルダも情け容赦なくしごいてくるのだから。別の意味で泣けること請け合いだ。
「まさか……カイルもってことないよな? 四か月前って言ってたし」
「そうだな。俺はまだだな」
「そう遠くないかもしれないがな。ギルドマスターが二つ名を考えているとも言っていたし」
「げっ、そ、そんなにランク上がっているのか? よ、四か月で? ど、どれくらい?」
「えっと、一番低いのが商人でB、ハンターと生産者はAで、魔法がSだな」
カイルの答えにパースは口から魂が抜けていきそうな顔をする。カイルの処刑騒ぎがあってすぐ保護されることになったパース。同時にギルド登録も行っていた。そして今までいろいろやってきたが、そのどれもカイルに及ばない。
「くっ、ま、負けた。……それにしても、どれか一つに絞ったりしなかったのか?」
「んー、ハンターは必須だろ? 魔力があるから魔法ギルドは義務みたいなもんだし、ドワーフに拾われたから必然的に生産者として鍛えられて、でもって作ったものを売るには商人でってなるとな。おかげで毎日忙しい。ま、それでも嬉しいけどな」
パースはギルドに入って初めて仕事をした時のことを思い出す。緊張してうまくできず、報酬も低かったが、初めて人として仕事をした喜びと感動は忘れない。自分達は十歳で、十歳になれば味わえるものを、カイルは十六歳になって初めて感じたのだ。
「で、でもこれからだって挽回できる」
「そりゃそうだ。俺だってさらに上を目指すしな。いつか、この町みたいに国中の町や村で、世界中で孤児達が人として生きていけるように、今の常識そのものをひっくり返す。俺にそれができたら、そん時には拝んでもいいぞ?」
おどけて言うカイルに、目をいっぱいに見開いた孤児達も笑顔を見せる。
「お前、そんなこと考えてんのか……でも、なんかお前ならできそうだよな」
杖なしで歩けるようになったフランが近づいてくる。まだ完全ではないが、慣らしていけば普通に歩いたり走ったりもできるようになるだろう。
「まあな。それが俺とクロとの約束でもあったし、この町で俺が学んだことを生かす道でもある。辛い思いもたくさんしたけど、それと同じかそれ以上にいい思い出もたくさんあるんだ。いつか俺が夢をかなえたら、きっとこの町は”疫病の町”じゃなくて”始まりの町”って呼ばれるようになる。だから、フラン兄にはまた警備隊に戻ってこの町を守ってほしいと思う。警備隊の仕事、好きだったんだろ? 個人的には警備隊には嫌な思い出の方が多いけど、警備隊をしているフラン兄は格好いいと思った」
フランは目を見開いた後、少し恥ずかしそうな嬉しそうな顔をして、自分よりも背の高くなったカイルを少し見上げるようにして笑いかける。あの日以来、本当に心から笑えた瞬間だった。
「リーナと同じこと言いやがって。でも、そうか……ここが、始まり、か」
「国内でも、孤児達に対する救済活動が盛んで孤児院が正しく機能している町はここだけだという話ですわ。まさしく、始まりの町と呼ぶにふさわしいと思いますわ」
「そうね、ここからカイル君の今の旅も始まったようなものだものね」
アミルの美貌に思わず目を奪われ、またヒルダの妖艶さに赤くなりながら、フランは麻痺していた凍り付いていた心が戻ってきていることに気付く。誰を見ても、何を話しても動くことのなかった心が、今回り始めた。
「また、ここから始める」
「そうだな、俺達もここから本当の仲間として一歩を踏み出すべきだな」
「なんか、ますます楽しみになってきたよな」
「トーマは少し落ち着け」
「ここからが、始まり……か。カイル、改めてよろしく頼む」
「おうっ! みんなもな」
互いに傷つけあい、辛い思いをしてようやく本当の仲間になれた日。一緒にいるだけではない、一緒にどんなことでも乗り越えて、どんなものでも共感できる仲間になった日だ。ここから、カイルと仲間達の本当の戦いが始まるのだ。誰しもの胸の中で、そんな予感がしていた。
 




