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レスティア物語  作者: マリア
第二章 王都センスティア
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主の報復

レイチェル→カイルサイド

 昼を過ぎ、おやつ時に差し掛かった頃カルトーラの町には動揺と恐怖と混乱が広がっていた。同時に諦念を浮かべる者も少なからずいた。来るべき時が来たのかと、地に膝をつき祈りをささげる者達も抑えきれない恐怖に体を震わせていた。

 落ち着かず町をうろついていたレイチェルとアミルを除くメンバーはいったん宿に戻り、それから多くの人々が集まっていた町の入り口あたりへと移動する。


 まだ開かれていた門から見えてきたのは、地平に広がり、見渡す限りの草原を埋め尽くす黒い波。だんだんと近づいてくるのが分かると、その正体もまた明らかになってきた。黒い波は、黒い犬達の群れ。

 魔獣と魔獣に率いられた獣達の集団だった。こんなことが起きる原因は一つ。主の……報復。昨日ついぞ響くことのなかった追悼の意を込めた主の遠吠え。その時から、町の者達が恐れていたその時が訪れたのだ。


 本来であればできる限り被害を少なくするために門を閉じ、結界を強化して人員を配置し襲撃に備える。しかし、主の報復を守り神からの罰と考えるカルトーラの町の人々は戦いの準備をすることなく、ただただ恐れと諦めの心境で門の近くに集まるばかりだった。

 特に、身に覚えのある者達は皆こぞって前に出る。せめて自身を盾にして、関係のない者だけでも逃げる時間を稼ぐために。断罪を受け入れ、贖罪とするために。


「これは……」

「主の……報復、ね。まずいわね、この数に加えて町の人達には抗う意思も戦う姿勢もない。蹂躙されるわよ」

 異様ともいえる光景に足を止めた面々。いつになく、ヒルダが焦りの表情を浮かべている。長い人生の中で幾度か主の報復を経験したことも、見聞きしたこともある。その中でも一・二を争うほどに危険で絶望的な状況だった。


 少しでも抗おう、戦おうとする姿勢があればこそ、町の人達は報復を当然の報いとして受け入れてしまっている。無関係であろう人々は後ろの方でおびえて、恐怖に震えているが、多くの者に浮かぶ表情は諦めと、どこか安堵したような表情。

 今までいつ来るかとおびえながらも生き続けてきて、ようやく訪れた終わりの日だ。これで苦しみや罪から解放されるのなら、死に震えながらも受け入れよう。そうした集団心理も働き、どこか祈るような面持ちで迎えている。


 しかし、レイチェル達はこのまま、カイルにもう一度会うこともできないまま終わるわけにはいかない。せめて自分達だけでも抵抗しようと入り口近くにひざまずく人々を越え、町の外に出る。各々武器を構えて戦闘態勢を整えようとしたが、集結した群れの奥から歩み出てきたひときわ大きな黒い影とそれに付き従ういくつかの影の中に見知った姿を見た瞬間、その気持ちがしぼんでいく。


 武器を握る手から力が抜けて、進み出てくるその姿に押されるように門の端に後ずさってしまう。信じられなかった、信じたくなかった。けれど、心のどこかで可能性があるかもしれないと恐れていたこと。それが現実として自分達の目の前に現れてしまったことに、それを受け入れることができないでいた。

「ク……ロ…………」


 うめき声のようにレイチェルの口から出た言葉にも、クロは反応を見せない。主とその家族と共に群れから抜け出て人々の前に立ちはだかる。人々もまた、主とは少し違う、けれど知っている姿に、知らされた正体により眼を見開いていた。クロが妖魔であり、カイルの使い魔であることは……今の相棒であることはフランから町の者達に知らされていたからだ。


「まさか……そんなっ……」

 アミルが悲鳴を上げるように声を出して口元を覆う。そんなことがあるわけないと思いながらも、否定しきれなかった。こうして姿を見せた以上、自分達の罪が確定してしまったのと同じことに思えた。

 そんな一同の考えに反応したように、クロの足元の影がうごめき、そこから一つの人影が現れる。レイチェル達も町の人達もよく知っている、自分達がこの上なく傷つけてしまった存在。信頼を裏切ってしまった存在だ。


 カイルは閉じていた目を開けて集まる人々を見た。しかし、そこには何の感情も浮かんでいない。ただただ暗い闇があった。夜の闇よりも、影が重なり深くなっていく闇よりも暗い……闇。

「カイ……ル?」

 レイチェルのつぶやきに、一度視線を向けてくるがそのあまりの冷たさと鋭さに、ヒヤリを越えてゾクリとする寒気を感じた。秀麗な顔であるだけに、無表情で何の感情も示さないその様は恐ろしいほどの戦慄をもたらした。


 レイチェルの言葉に答えることなく視線を町の人々に戻したカイルは、傍らに侍るクロの体を一度軽くたたく。すると驚くべき、恐るべき変化があった。

 走狗の子供といっても疑われない二mほどであった体躯が見る見るうちに大きくなっていく。足が体が頭が太く、力強く変化していき、ついに町を囲う壁の高さを越える位置に頭が来る。五メートルはあった町の壁ごしに、クロの睥睨するような目が町の者達を捕えた。


 同時に、静かなけれど確かな威圧が人々の抵抗も逃走も不可能なものにしてしまう。妖魔という言葉は知っていても、存在がどのようなものか聞いたことがあっても、実際に見たことも感じたこともなかった人々はようやく理解した。

 これは、それは人が抗えるような存在ではないのだと。たった一睨みで、全ての希望を断ち切ってしまえる存在なのだと。たとえ全力で抵抗したところで意にも歯牙にも介さず踏みつぶし、蹴散らしてしまえる存在なのだと。

『……逃げようなどと考えぬことだな。我から逃れられると思うな』


 地獄の底から響いてくるような、天から落ちてくるような声に人々は立っていることすらできず一人残らず座り込んでしまう。粗相をする者さえいた。そしてまた、唯一抵抗できる可能性があったレイチェル達は、前と同じようにクロによって身動きも言葉も魔法も封じられその場に縫い付けられてしまう。

 懇願するような目を、声にならぬ訴えを伝えようとするも、カイルがレイチェル達を見ることはない。透徹した、覚悟の定まっているような目で、おびえて震える町の人達を見ているだけだ。


 レイチェルはやめろと叫びたかった。そんなことをしては駄目だと、戻れなくなると。けれど声は出ず、代わりに涙だけが零れ落ちる。町の外に出ただろうカイルが向かったのは主の元だった。同じ恨みを抱く者同士、意思の疎通ができるだけに意気投合してしまったのだろうか。そして、決して踏み込んではならない場所に、闇に堕ちてしまったのだろうか。


 すぐそばで、必死に体を動かそうと力を入れる仲間達を感じながら、レイチェルは一心にカイルを見続けた。その中に少しでも希望はないのかと、光は見えないのかと祈るような気持ちで。しかし、涙で潤み歪んだ視界ではそれを見ることができなかった。

「……俺と主の子は、六年前の昨日、あんたらによって処刑された……」


 クロの巨体が作り出す影の中から、光の当たらぬ闇の底から、無機質なカイルの声が聞こえてくる。苦痛の表情を浮かべることもなく、淡々と事実を語っていく。

「俺達は何も悪いことをしていなかったのに、話も聞いてもらえなかった。二か月とはいえ、親しくしてきたのに、信じてももらえなかった」

 町の人々はそろって顔をうつむける。その通りだ。十歳の幼子の訴えに耳を貸すこともなく、短いとはいえそれなりに深い付き合いをしてきたのに、信じようとすることもなかった。


「俺が、流れ者で孤児だったから。あいつが、クロが疫病を媒介する犬と同じ姿をしていたから。ただ、それだけで俺達は生きる権利を否定された。熱かった……痛かった。けど、それ以上に裏切られて見捨てられたことが苦しくて辛かった」

 カイルを最も苦しめたのは心の痛み。体の傷以上に深く刻まれた、心の傷だ。


「クロが俺の腕の中で冷たくなっていった時、俺はあんた達を恨んだ、憎んだ。けど、つい最近までそれを忘れてたんだ。あんなに大切だったクロとの思い出ごと、あんた達から受けた仕打ちのせいで、忘れてしまってた。そのせいで、訳も分からず火への恐怖心だけが残って苦しみ続けてきた」


 何よりも大切だった存在との思い出、最悪の形での別れになってしまったために、記憶の中から消えてしまった宝物。記憶をなくしてしまったがゆえに、原因も理由も分からずどうすれば克服できるかも分からずに苦しみ続けたトラウマ。そのせいでできなかったことも多い。


「けど、今日クロの墓参りをして分かったんだ。俺がしなきゃいけなかったこと、記憶をなくした俺に主が伝えてくれたこと。あの時は意味が分からなかったけど、今なら分かる。だから、みんなで話し合って決めたんだ。あんた達をどうするかってこと、俺が……俺達がどうしたらあんた達を許せるようになるかってこと」

 町を出たカイルが主の元を訪ね、クロの墓参りをした。そこで、決断した、出した答えが目の前の光景だ。そして、それに逆らうことができる者は一人もいない。レイチェル達であろうと、カイルを主達を止めることはできない。


 レイチェルは心が壊れてしまいそうな痛みを感じていた。あれほどに痛みに痛みを、悪意に悪意を返すことを良しとしなかったカイルがやろうとしていること。これからやるであろうことは、レイチェル達との別離だけではない敵対を意味する。国や世界の敵になることを意味していた。

 光にあふれ、明るい将来が待っていたであろうカイルの道が、突然崩壊して奈落の底へと堕ちていった。その道を崩したのは、壊してしまったのは紛れもない自分達であるという罪深さに死んでしまいたくなる。


「でも、まあ、俺達はあんた達と違って道理は通す。六年前の件に無関係なやつらは見逃してやるよ。俺や今の相棒であるクロ、主達の怒りが向くことはない、それだけは保証してやる。けど、それ以外の……あの日、俺とクロの死を願ったやつらは。少しでも関わりを持った奴らは全員……」


 一度言葉を切ったカイルだったが、その先は言わなくても分かっていた。座り込んだまま腰を抜かしていた者達は、恐怖を張り付けながらそれまで無表情だったカイルが、まるで悪戯を思いついた子供のように笑みを浮かべる様を見ていた。その口が、その先の言葉を紡いだ時、自分達の命は……この町は終わるのだと。目を閉じて、死に身をゆだねる覚悟を決めた。




 カイルはクロの足元で、主一家と並んで町の者達を見据えながら湧き上がってくる衝動を抑えることができず、笑みを浮かべてしまう。打ち合わせ通り、ちゃんとやってきたのに台無しになったかと見てみるが、どうやら問題はないらしい。むしろ、予想外に効果的に人々の心を折ったようだった。

 だからこそ、カイルは最後の言葉を紡ぐ。昼食を取った後主達と話し合い、群れを集めてこの町に向かった目的を果たすために。自分と子を失った主が町の者達を許し、前へ未来へ進むために。そしてまた、町の者達もそうできるように。


「全員! この場で土下座して俺達に詫びろ!! そうすりゃ、許してやる!!」

 町中に響くほどの声で告げたカイル。人々は、最初その言葉の意味が理解できず、理解してもポカンとした表情を浮かべて固まっていた。町中の人々だけではなく、邪魔されないように動きを封じていたレイチェル達でさえ同じ表情を浮かべていた。


 特にレイチェルなど涙でぐちゃぐちゃになった顔で、大口を開けている。ちょっとすっきりしたと同時に、少々やりすぎたかとも思う。でも、これくらいやってもいいだろう。本当に、死ぬかと思うほど辛くて苦しかったのだから。

 だが、いつまでたっても同じ顔をしたまま動かない人々を見ていると、カイルの中で別の衝動が襲い掛かってきて我慢ができなくなる。体を震わせ、腹を押さえてクロに片手をつき、どうにかこらえようとするが無理だった。さすがに不謹慎すぎると思ったが、それでも抑えきれない。


「ふっ、くく、ははっ……はははっ、あははははははははははは……やべ、止まんね。あはは、何で揃いも揃って……同じ顔で、くくくくっ、そっ、そんなに、ははっ、意外……だったか?」

 笑いすぎて目の端に浮かんできた涙をぬぐいながら、カイルは呆けたままの人々を見やる。入り口近くにひざまずく者達の中に、フランの姿も見える。大口を開けた間抜け面で固まっていたが、震える指でカイルや主達を差す。


「おま……何? 詫び……許すって…………」

「聞いた通りだよ。六年前のあの日によって一方的な被害を被った俺達に謝れ。死んだクロに詫びて、大切な子供を殺された主達に頭下げて、で、殺しかけた俺にも謝れ。そしたらあんた達を許してやる。そういう話になってる」

「俺達に、町に報復に……来たんじゃ……」


「そうだ、これが報復だ! 逆らったり逃げようなんて考えるなよ? クロや主達の目や耳はごまかせない。不本意でも無理矢理でも頭下げさせてやるからそう思え。そしたらチャラだ。あんた達にされたことは忘れない。でも、してもらったこともちゃんと覚えてる。過去をなかったことにはできない。だけど、俺達もあんた達もそろそろ前を向いて未来に一歩踏み出すべきだ」

「未来……に?」


「ああ、俺達はそうする。過去にケリ付けて、今を生きて未来を目指す。あいつも、クロもそれを望んでくれてた。今の俺の命はクロにもらったものだ。だから死んだクロの思いも約束も俺達が受け継いで生きていく。前向いて、胸張って生き続ける。そうしないと、クロに顔向けできない。クロはあんた達の死を望んではいない。俺達も望まない。だから背負って生きる覚悟をしろ。どうすればその過去をなかったことに出来るかじゃなくて、その過去から何を学んで今何ができるか、未来に何を残せるか考えて生きろ。そうしないと、許さない」


 決然とした表情で告げるカイルに、町の人々の間で漣のような驚きが広がっていき、次の瞬間にはあちこちで決壊したように涙を流す人々が続出した。長年の重責から解放された喜びと、不安や恐怖からの脱却。罪の意識により重かった心が軽くなっていく。暗雲が立ち込めていた未来に、光が見えた気がした。

「カイル?」

 相変わらず涙で濡れたレイチェルの顔とその後ろに集まる仲間達を見ながら、カイルは半眼になってジト目を向ける。


「俺は、みんなにも怒ってるんだからな。今朝の態度は悪かったと思うけど、みんなもいい加減にしろよ? いっつも忘れてるけど、俺まだ十六のガキだぞ? 限界だってあるし、できないことだってあるんだ! それなのに、俺の意思も歩みも無視して勝手に進めやがって。覚悟もできないままに立ち向かわされた俺の気持ちも考えろよな! ……立ち直れなくなるかと…………思ったんだぞ?」

「わ、わた……わたし達は、もう、駄目かと……もう、このまま終わってしまうのかと……」


「……ちょっとは俺の気持ちも理解できたか? これから先、俺、遠慮しないからな? 今回みたいなことしようとしたら、また家出してでも拒否するから。仲間相手に遠慮してたら、あれもこれも押し付けられて身動き取れなくなるって分かったし。必要なことでも無理してやろうとすれば、どっかおかしくなっていつか壊れちまうってつくづく実感したからな」

「カイル君……」


「クロやシェイドにも言われたし、もっと自分勝手に生きてもいいって。だから、俺は俺の好きに生きることにした。命がけで救ってくれたクロのためにも、俺らしく生きるって決めたんだ。覚悟しろよ? 俺、今までのようにいい子じゃないぞ? レイチェル達にはこれで気が済んだけど、今回の件に関わってここにいない人達には、後できっちり仕返しするから」

 笑顔で指を鳴らすカイルに、レイチェル達は気圧される。これ程直情的な感情を向けられたことはなかった。いつだって気遣いという名のオブラートに包まれていたカイルの本音。けれど、何かのタガが外れたように、吹っ切れたようにそれがなくなっていた。


 悪意に悪意で返すわけではないけれど、善意であろうと自分を傷つけた者達には容赦しないという決意を固める。

 怒らせたらどうなるか、一度きっちり思い知らせておくべきだ。そうでないと自分が潰れてしまう。

「どうせ言い出しっぺはバレリーさんだろ?」

「どうしてそう思いますの?」

「確かにあの人は良識人だけど、あのレナードさんの補佐で騎士団の副団長だぞ? 必要なら無理を押し通して進めるってとこじゃ、レナードさんより容赦ないぜ?」

「よく見ているんだな。数えるほどしか会っていないだろうに」

「一目見て相手を判断できなきゃ命に関わるからな。そういう癖がついてんだよ。っと、準備もできたか?」


 カイルは一度会話を中断して、入り口から町の奥にかけてずらりと並んだ人々に視線を移す。謝ってもらうにしても全員であれば時間がかかるため、その間にレイチェル達と話をしていたのだ。

 地面にひざまずいた人々は、前に立つカイルや主達を真っ直ぐ見ている。その眼にはもう、後ろ暗いところはほとんど見えなかった。そして、澄んだ空に響き渡る謝罪の合唱が行われた。

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