町民の意思
アナザーサイド
八人でも泊まれる大部屋に入った面々は、クロがカイルをベッドに寝かせ、その後小さくなって枕元に寄り添っても、そばに寄ることができなかった。クロによる無言の威圧が、足を止めさせていた。
『……これが、これが貴様らがしたかったカイルの治療か? こんな、こんなものが、こんなものでカイルの傷が癒えると?』
クロの言葉に誰も答えることができない。こんなつもりではなかったと言っても、意味がないことだ。ああなることを防げなかった時点で、カイルならばと過剰な期待を寄せて無理強いをした時点でこうなることは決まっていたのかもしれない。
カイルはあの場で再び、かつての処刑を再体験したのだろう。自分の体が炎に焼かれ、大切な相棒が炎に包まれ死へと向かう様子を。相棒の生存と逃走を願いながら、それでも共にいてくれることを望んだ。共に死んでくれることを望んでしまった。
それを誰に責められる? 死にたくないと願い、死ぬならせめて誰かと一緒がいいと願うことを誰に責められるだろうか。まして、あまりにも理不尽で唐突で、無残な目に合っていてなお最後の最期までその本音を明かすことなく死にゆこうとした十歳の子供を。
「言い訳にしか、ならないでしょうけれど。トラウマの再体験は……克服のために有効な手段の一つよ。こんな形になってしまったのは、わたし達の不手際なのでしょうけれど……」
もう少しやんわりとできなかったのだろうか。あんな、行き当たりばったりの形で、最悪の形でカイルに記憶の想起をさせてしまった。口調が子供のように戻っていたことが、記憶の混濁や現実との乖離を表していた。
『時間がないから……か? 貴様らカイルを何だと思っておる。どれほど強く見えようと、頼もしく感じようと、カイルはまだ……子供なのだぞ? 貴様らの中で、誰よりも年若い子供だ。その子供を必要だからと、こうまで追い詰めることが年長者のやることか? 人ではない我ではカイルの傷を癒せぬかもしれぬと……貴様らを頼ったが、失敗であったかもしれぬな。済まぬ、カイル。辛い思いをさせた』
いまだ涙の止まらないカイルの頬を舐めて、クロは頭のすぐ横に伏せる。クロの言葉に何も言い返せなかったレイチェル達だが、アミルが意を決したようにクロの元に歩み寄る。
「せめて……体調だけでも確認させていただけませんか? 確かに、わたくし達はカイルならと思っていた部分があるのは認めますわ。カイルが一番年下であったことを忘れていたことも。それでも期待してしまうのですわ」
数々の不可能だと思われてきたことを可能にしてきたカイルだから。だからこんな無茶な治療法でもどうにかなってしまうのではないかと。許してくれるのではないかと思ってしまう。
クロは無言でアミルを迎え入れ、アミルはカイルの額に手を当てる。それから顔をしかめ、何かに気付くと布団をめくりカイルの上に着ていた服をたくし上げる。アミルが受け入れられたことでベッドに近付いていたレイチェル達は、アミルの行動を訝しみすぐに驚きを浮かべる。
普段は白いカイルの肌。精霊達のおかげか受けてきた傷の割に痕の残っていない滑らかな肌に赤いあざが浮かんでいた。全身に広がっているのか、首元や顔にも同じようなあざが浮かんでいる。
「これは……」
「恐らくはカイルが強く思い出してしまった記憶による……火傷の……痕ですわ」
「強く心に思い描いたことが、実際に体に現れるということは例があることよ。あの広場で、カイル君の記憶や精神は当時のものに戻っていたわ。そのせいで、頭の中で体験したことに体が反応してしまっているのね」
普段はプラスに作用することの多い、カイルの強い思いが逆に自らの体に傷を刻もうとしている。このままではさらに悪化することも考えられるだろう。
「治療は、出来ない?」
「やってみますが……外傷でも内傷でもなく、心の働きによる傷の治療が……魔法でできるか……」
アミルは言いながらも回復魔法をカイルにかける。魔法が作用した瞬間、あざは消えたのだが、すぐにまた浮かび上がってくる。何度やってもあざを消し去ることはできない。緩和し進行を遅らせることしかできない。
肉体的な苦痛が少し緩和したのか、カイルの涙は止まったのだが、相変わらず高い熱が続いている。燃えるように熱い体が、カイルが今なお炎に苛まれているのだと感じさせる。
そんな中、ノックがあり、対応に出たキリルは部屋の外の人物を見て眉間にしわを寄せる。カイルを混乱させ、追い詰めた人物であったからだ。
「何をしに来た? 帰ってくれ」
「ま、待ってくれ。俺は、俺は……カイルに…………」
「カイルに、何を言うつもり? 今更謝るの? カイルを見捨てたあなたが?」
ハンナもまたキリルの隣に立ってフランを見つめる。フランは唇をかみしめて、それから持っていた杖を投げ捨ててその場に土下座する。
「すまない、俺も混乱していたんだ。都合のいい夢を見て、カイルの様子に気付かなかった。あいつは、あいつは本当に……俺達の知るカイルで間違いないんだよな?」
「……あんたらが、火あぶりにしたカイルだ」
顔を上げていたフランは言葉に詰まる。事実だが、それを突き付けられるとやはり痛い。
「その、通りだ。カイルは……いい子だったのに。俺達が、勘違いで……殺したと、思っていた。あの、魔獣は主の子……なのか?」
『我を魔獣と一緒にするな。我は妖魔よ、主の子クロの名を受け継ぎ、叶わなかった約束を果たすと誓った、カイルの新たな相棒だ』
カイルの枕元で、かの子犬と同じくらいのサイズになったクロが宣言する。さすがに戸を開けたままで会話を続けることはできず、驚きで固まっているフランを中に通すと扉を閉めた。
「妖魔…………名を受け継いだってことは」
『貴様らの望み通り、魔獣であり主の子であったクロは死んだ。必死になって助けようと、生かそうとしたカイルの腕の中で』
レイチェル達は予想がついていても、その事実を聞かされると悲痛な気持ちになる。カイルは親しくなった町の人々にむごい方法で殺されかけただけではなく、無二の相棒を亡くしたのだ。その二つの衝撃がカイルから記憶を失わせ、今に続くほどの深い傷を刻んだ。
「じゃ、あ、主が町に報復をしないのは?」
『報復よりも大切なことがあったのであろうよ。最も、過ちを忘れたならばたちまち襲ってこようがな』
クロには主の気持ちが少し分かる気がした。守るべき大切な者を見つけたからこそ、その者が大切にしている者もまた守るべきなのだろうと考えられるようになってきたから。主はおそらくこの町にカイルが再び訪れる日を待っている。
忘れてしまった記憶を取り戻し、交わした約束を思い出して、もしかすると約束通り相棒を連れて訪れるかもしれない日を。愛する我が子が愛した幼子は、町の者達をも愛していたのだろうから。たとえ思い出したとしても、報復などは望まないのだろうから。
「それより、何しに来たんだよ。あんたのせいで、カイルが……」
「そ、そうだ。そのことも聞きたくて……なんでカイルはあんな……」
「カイルは、この町で体験した記憶を……忘れてしまっていた。思い出したのは一月ほど前のことだ。つまり、カイルにとっては六年前の出来事じゃなく、一月前の出来事と同じだというわけだ」
「じゃあ、あれは……あの時は……」
「正気じゃなかった。記憶も心も十歳の時に戻ってしまっていた。でも、そうなったきっかけは、あなた。あなたは、カイルに、何をしたの?」
トーマやダリル、ハンナに詰め寄られフランは冷や汗をかきながら、それでも罪の告白を行う。
「俺は、当時は警備隊だったんだ。けど、実家は八百屋で……あまりもんもらいに来てたカイルと出会って、仲良くなった。俺は、カイルを弟分として見るようになっていったんだ。でも、当時恋人だった奴が……疫病で死んだ。カイルに疑いが向いて……誰も、否定しなかった」
「なぜですの? カイルを知っているなら……どういう人間か分かっていたでしょう?」
「分かってた。分かってたのに……俺達はそれを認めることができなかったんだ。あいつが、あんまり綺麗だったから……流れ者で、孤児なのに眩しいくらい綺麗だったから。そんなのはあり得ないって否定……しちまった」
かつてレイチェル達がカイルを一人の人として見れなかったように。町の人々もまたカイルの強い面やいい面ばかりを見て、弱い部分や脆い部分を見ようとはしなかった。自分達と同じ人だとは考えられなかった。
「あの笑顔で、俺達を騙してたのかと思うと憎くて憎くて……俺は、警棒で殴られて頭から血を流しながら理由を聞いてくる声に答えることなく、自分の苛立ちをぶつけた。あんなに小さかった子供を踏みつけて押さえて、俺が……両足の骨を砕いた。逃げられないようにするために……」
『そうか、貴様か。貴様がカイルを処刑台に……』
「ああ、そうだ。柱に縛り付けて、無実を訴えてくるあいつに、”死ね”と、苦しんで死ねばいいと罵った。”薄汚い孤児の、人殺し”だとなじったんだ」
キリルは同じ兄貴分としてカイルに頼られているからこそ分かった。それがどれほど深くカイルを傷つけただろうかということが。フランを見ただけで、なぜあれほどに動揺し、自失状態に陥ったのかということが。
家族と呼べるような間柄にまではなっていなくても、家族同然の付き合いをしてきた者に突き放され、裏切られ、見捨てられた。その当人を見て、平常でいられるはずがない。まして、あれほどまでに過敏に、脆くなっていたのだから。
「俺の……俺達の罪は許されない。分かっている、一生背負っていくつもりだ。だが、カイルの姿を見て……生きていることを知って……思わず…………。すまない、あんた達は今のあいつの仲間なのか?」
「そうだ。カイルの……トラウマの克服になればと、ここへ来た」
「それを俺が……俺達がまた、台無しにしちまったのか……くそっ、なんで、俺はいつもいつも……」
生きていると知って、勝手に自分の都合のいい現実を作り上げてしまっていた。重く辛い罪から逃げることを考えてしまった。だから、何も考えずに安易に触れて、話しかけて、謝って許されようとした。それがどれほどカイルを苦しめる行為なのか、考えもせずに。
「それを言いに来たのかしら? なら、カイル君が目を覚ます前に出ていってもらいたいわ。今はまだ町の人達との接触は避けるべきだと思うの」
「……分かった。ただ、伝えたいことがある。俺は……俺達カルトーラの町の奴らは……もし、カイルが何か望むなら最大限叶えるつもりでいる。主の脅威におびえてってやつもいる、でも少なくともカイルと関わったことのあるやつは……償いが、したいんだ。許されなくても、自分勝手かも知れなくても、償わせてほしいんだ」
「話は、分かった。カイルが落ち着いたら、話してみる」
「頼む…………」
もう一度土下座するフランを見て、アミルが問いかける。
「あなたの足はどうしましたの?」
フランの左足は膝から下がない。魔法を用いれば、治療は可能なはずだ。なぜ、そのままにしているのか。
「これは……戒めだ。本当はもう一本も切り落としてしまいたかったが……そうすると、俺はタダの役立たずになるからな。警備隊はやめざるを得なかったが、実家の手伝いくらいはできる」
「そっか、カイルの足を砕いたから?」
「十歳の……ガキだったんだ。ガキのくせに俺よりしっかりしたところはあったけど、それでも声変わりもしてないような、小さな子供だったんだ。その足で未来を歩めるはずだった、きっとすごい奴になるはずだった。それなのに、俺は、それを奪ったから……」
あえて不自由になることで己を戒めようとした。六年間、それで過ごしてきたのだ。自分の罪を忘れることのないように。
『よかろう。本来であれば切り裂いて冥界に送ってやりたいところだが、貴様への処断は保留しておいてやろう。だが忘れるな? 我がその気になれば、この町など塵も残さず滅ぼしてくれる』
「わ、分かった」
フランは小さくともベッドの上で四足で立つクロが自身など歯牙にもかけぬほど強者であることを感じ取り、がくがくとうなずく。そして、名残惜しそうにカイルを見た後に部屋を出ていった。
「……町の方は、どうにかなりそうね。無駄に騒いだり詰めかけたりはしないでしょう。問題はカイル君ね……乗り越えて、くれるかしら?」
覚悟をしてトラウマに臨むのと、不意に同じ状況下に追い込まれ、無理やり思い出してしまうのとは違う。カイルは何度も何度も己を奮い立たせ覚悟を固めようとしていた。それなのに、たった一言が、たった一人が引き金になり、再び処刑の日を体験してしまった。
布団を戻したアミルが定期的に回復魔法をかけても浮かび続ける火傷の跡。今も眠り見ているだろう夢の中で炎に焼かれているのだろうか。こうして床に臥せているところを見ると、ますます教え子の、カレナの姿を思い出す。
どれほど努力しようと、気を付けていようと属性がもたらす負担はカレナの体を苛んでいた。ちょっとしたことで熱を出し、長く活動すれば倒れる。そしてベッドで高熱にうなされ命を削っていくのだ。
『アタシがちょっと離れてた隙に、何てことしてくれたのかしら。この子にとって一番思い出したくないことを、こんなふうに思い出させるなんて』
クロの反対側に闇の大精霊シェイドが顕現する。その顔は怒りというより、むしろ嫌悪のような表情が浮かんでいる。精霊達の愛し子を、こんなに傷つけたのだ。
「だが、これを乗り越えなければカイルは……」
『分かっているわ。だから、アタシも黙認してたのよ。でも、この町に連れてくるなんて……そのせいで、ひどいわ……』
シェイドとてカイルの傷を癒してあげたい。精霊は共にいることはできても、体の傷を癒すことはできても心の傷を癒すことは難しい。安らぎは与えられても、痛みを伴う癒しは与えられない。カイルが頑張っていたのを知っていたから、だから応援しつつも見届けていたというのに。
キリルはまだ何か言いたげにシェイドを見ていたが、シェイドはもう一度カイルを見て、それから周囲に集まってきている人々を見渡す。
『知っているの? あんな、ことがあったせいで……カイルの霊力が濁り始めてる。心が歪んで、魂が、あんなに綺麗だった魂が穢れ始めているのよ! このままじゃ、巫女の力も加護も失ってしまうわ……』
それはつまりシェイドや精霊達との別れを意味している。愛し子が愛し子ではなくなり、底知れぬ闇に堕ちていくということだ。
「そんなっ! なんてことですの、そんなことになればどうしたら……」
アミルだけではなく、部屋にいた者達全員、信じられない事実に愕然とする。何があっても歪むことのなかった心、穢れることのなかった魂が、自分達のせいで壊れてしまったというのか。
『今は、まだ大丈夫よ。でも、もしこれ以上何かあれば……カイルは、アタシ達の知るカイルは死んでしまうわ……。今までにも少なからず霊力が濁ることはあったようだもの。それでも、いつだって闇を振り払い輝きを取り戻していたの。いいわね、これ以上カイルに無理させないで。アタシは、カイルを失いたくないわ』
アミルは一度濁った霊力を、魂の輝きを取り戻すことがどれほど難しいことなのか誰よりも理解していた。カイルが何度もそれを繰り返していたことも知らなかった。濁ったことなどないのだと、その心が陰ったことなどないのだと考えていたのだ。でも、違った。
カイルの境遇で、体質で性格で、一度もそんなことがなかったなんてあるはずがないのだ。精霊達だけが知っていた。何度心を闇に落としそうになっても、それでも踏みとどまって闇を振り払い輝きを取り戻してきたことを。
だから今回も祈る様に見守っていた。しかし、今度はいつもとは違うのだろう。カイルが自分の意志と努力で克服しようとしたわけではない。周囲に促され、無理やり覚悟を決めさせられて、最大のトラウマに直面させられた。それで、本当に立ち直ることができるのか。乗り越えられるのか。必要だからと、己を納得させられるのか。
カイルは自分のやり方で、速さで克服しようと努力していたのに、時間がないからと急がせた周囲が、カイルを壊し失わせてしまうかもしれない。アミルは血の気が引く思いで、ベッドの中で今も高熱にうなされるカイルを見ていた。




