カイルの現実
「その目、気に入らねぇな。てめえらみたいなやつは、地べたはいつくばって俺らの慈悲を願いながら命乞いしてるのが似合いだよ」
男は倒れたカイルの頭を、それも傷口をあえて踏みにじり左腕に剣を突き刺してくる。
「ぐっ、く、うぅぅ」
床に縫い止められた腕から伝わってくる激痛に、カイルは歯をかみしめて耐える。たとえ心だけでも屈したくなどない。男が剣を動かすたびに、目の前が真っ赤になるような、頭が真っ白になるような痛みが襲ってくるが耐え続ける。
カイルの様子に、いたぶりがいがあると思ったのかもう一人の男も近づいてきた。そんな時に、この場に誰かが入ってきた。
「何だ、さっきからガチャガチャと。ちゃんと店番してんのか」
声からグレンだと分かったカイルは、どうにかそちらを見ようとするが、頭を踏みつけられていてうまくいかない。
「お前らは……何勝手に剣をとって……! カイルっ! てめぇら、何してやがる、俺の店で」
「ああーん、何って俺達は客だぜ? 試し切りしてるに決まってるだろ」
「試し切り……だと?」
「あんたもなかなかやるもんだよな。こんなにいい的用意してくれてよ」
カイルを踏みつけていた男が、さらに力を入れてカイルを踏みにじる。
「ぐっ!」
「的ってのは、そのガキのことか?」
グレンの声は感情を抑えているためか低く、かすれている。
「はぁ? 決まってんだろ、流れ者の孤児なんざ他にどんな使い道があるってんだ?」
「そこに転がってるのも、お前らの仲間か?」
「ああ、こいつね。油断してこのガキにやられちまってな。ま、俺にはかなわなかったが。所詮はゴミだからな、こいつらは」
「そうかよ。よーく分かった」
グレンは一度うつむき、大きく息を吸う。
「出ていきやがれ!! てめぇらみてえな奴に売る武器は一つもないっ! よくも俺の剣で好き勝手なことしてくれたな!」
「何怒って……」
「お前らとは話す価値もない! 出てけってのが聞こえないのか! それとも大陸中のドワーフを敵に回してみるか?」
「わ、分かったよ。ちっ……」
男達は武器を手放し、あるいは放り投げて店から出ていく。さすがに大陸中のドワーフを敵に回せば、まともに武器を買えなくなることくらいは分かっていたらしい。だが、去り際に忌々しげにカイルの顔を蹴っていった。
「がっ、あぐっ!」
カイルは蹴られて鼻血の出た顔よりも、体が動いたことで走った腕の痛みにうめく。そそくさと去っていった三人組を見送ると、グレンは急いでカイルの元に走り寄ってくる。
床に倒れたカイルは体のあちこちから血を流し、縫い付けられた腕からは血だまりが広がっている。
「カイルっ! お前、これは……」
カイルの受けた傷に狼狽するグレンだったが、どう処置すればいいのか分からず慌てている。
「どうしたのさ、大きな声なんか出して。嫌な客でもきたのかい? まったくあんたは……カイル? カイルっ!」
奥からグレンの声によって店に出てきたアリーシャも荒れた店内の様子と床に倒れているカイルを見て血相を変える。その後からも続々と弟子が出てきては、惨状に言葉を失っていた。
「なんでこんな……何があったんだい?」
「いや、そいつは……」
グレンがどう説明したものかと思い、さらにはどう処置しようかと思っているところに苦しそうなカイルの声が聞こえてくる。
「その、前に……剣、抜いてくれないか? このままじゃ……治療も、できない、から」
真っ青な顔色で、額に脂汗を浮かべている様子に、アリーシャとグレンは協力してカイルの腕から剣を引き抜く。
「っうあっ! く……」
カイルはどうにか痛みに耐えながら、急いで処置をする。服の裾を破いて腕を縛り止血すると、傷口にも布を巻き付けて押さえる。すぐに血がにじんでくるが、そのまま傷口に手を当て続けていた。
「そ、そうだ、医者を……、それに、薬も」
手慣れた様子で処置をするカイルを見ていたグレンだったが、気が付いて立ち上がろうとする。しかし、それを止めたのはカイルだった。
「いい、いらない」
「だが、お前……その怪我じゃ」
「こんくらい、いつものことだよ……。刺されたのは久しぶりだけど、死ぬような怪我じゃない」
「カイル、でも、あんた他にも怪我を……」
「これくらいならすぐに治せる。腕の方はちょっとかかるけど、一晩あれば何とかなる」
カイルの言葉によく見てみると、体中の傷口に薄い光の膜が張っているように見えた。どうやら回復魔法を使っているようだ。右手で左腕の傷を押さえながらも、左手で鼻血を止め同じように回復魔法を使う。
「親方……これは一体、何があったんですか?」
弟子の内で、カイルと同じ人族のマッシュが声をかけてくる。店の惨状と、カイルの様子を見ればおおよそ何があったのか想像はつくが、どうしてこんなことになったのか原因には思い当たらないようだ。
「それは……」
「質の悪い客が来たんだよ。いきなり剣を取ろうとしたから、親方の許可がないと見せられないって言ったら、斬りかかってきたんだ」
言いよどむ親方に代わってカイルが説明する。
「そんなことくらいで逆上したのか? 短気な客もいたもんだな」
マッシュの感想に弟子達もうなずいていたが、親方の顔は険しいままだ。親方だけは彼らと接触し、その言い分を聞いている。だが、それを口にすることはカイルを余計に傷つけることのように思えて言い出せない。
「いや、斬りかかってきたのは俺の言葉に逆上したからじゃない」
だが、黙っている親方に変わりカイルがそれを否定する。親方は驚いてカイルの顔を見るが、カイルは汗を浮かべ、青い顔をしたまま話し続ける。
「じゃあ、なぜ……」
「俺が、流れ者の孤児だから」
「は? それが、理由なのか?」
「らしいな。俺が雇われたのは、試し切りの的にするためだって思ってたみたいだ」
カイルの言葉に誰もが言葉を失う。
「試し切りの……的?」
「よくあることさ、俺らにとっては。俺達はできる限り武器屋の近くにはいかない。なんでか分かるか?」
「まさか……」
「誰だって新しい武器を手にしたら、試し切りしたいって思うだろ? で、そこで俺らみたいなやつらを見かけたらどうなるか。遊び半分に、切れ味を確かめるためだけに斬られて、殺されるんだ。何人もそうやって死んでる。特に子供は狙い目だって言ってたな。反撃されることがないから、安心して試せるって」
武器を持った大人に追いかけまわされ、追いつかれたら斬られる。何の意味もなく、ただ武器の性能を試したいというだけの理由で殺される。
「そんな……」
「俺の、俺らの作った武器で……か?」
「全員が全員そうってわけじゃない。特にドワーフのしている武器屋はそこまでひどくないさ。でも、それでも、よくあること……なんだよ」
カイルははっきりと言葉にはしなかった。だが、それでもグレン達には分かった。ドワーフが作り、相応しいと認めた相手に売った武器が、カイルと同じような境遇の子供達を斬ってきたという事実を。
「親方も聞いたろ? 俺らは、人扱いされてない。この町で俺達によくしてくれる人達だって最初は俺らをゴミ扱いしてた。そういう、ことなんだ。でも、……店番一つできないなんてな、情けねぇよな」
カイルは治療を続けながらも自嘲する。少しはましになれたと思っていた。だが、実際には何も変わっていないのかもしれない。こうやってたくさんの人に受け入れられて、光の当たる場所で働けても、孤児であることが流れ者であることが、カイルを苦しめる。
「悪かったねぇ。あんたのこと、ちゃんと考えてあげられなくて」
「いや、店も汚しちまったし」
「そんなこと気にするもんじゃないよ。あんたはちゃんと仕事をしたんだ。むしろ罰を受けるべきなのはそいつらの方さ」
「親方、警備隊に報告しとくか?」
「あ、ああ、そうだな……」
「無駄だよ」
「カイル?」
「警備隊も裁判官も施政官も役人だろ? あいつらは俺らのことなんて何とも思ってない。言うだけ無駄だ。話も聞いちゃくれないさ、被害にあったのが孤児や流れ者だったらな」
「だ、だが、カイルはギルドにだって登録してて……」
「何の実績もないんじゃな。下手に訴えれば、親方達が目を付けられるかもしれないだろ? 俺がもうちょっと実績を積んで、それなりのランクになるまではどうにもならない。だから、医者にも役所にも行く必要ない」
「でもねぇ……」
傷だらけになっているカイルを見て、アリーシャは痛ましそうな顔をする。カイルはいつだって元気に町を走り回っていた。だから、こんなふうに傷だらけで倒れているところを見た時血が凍るような思いをした。今も顔色が悪いし、心配で仕方ない。
「……前に、ちびどもが熱を出した時、金を用意して医者に見せに行ったことがあるんだ。でも、診てもくれなかった。門前払いで、粘ったら水ぶっかけられたよ。熱出してる子がいるって言ったのにだぜ? だから、この町の医者には世話になりたくない」
カイルも何も理由もなしに拒絶しているわけではない。色んな人がいると分かってからは、町の医者にも関わるようにしていた。そうすれば、いざという時に頼れることもある。だが、この町の医者は駄目だった。カイル達を見ただけで追い出し、粘って事情を説明しようとすれば水をかけて追い払う。
そんな相手に治療してもらえるとも思えないし、こちらから御免こうむりたいところだ。結局、カイルが徹夜をして子供達の看病を続け、どうにかみんな乗り切った。その後、カイルの方が倒れて看病されることになったわけだが。
「医者が……」
「医者も人ってことだろ」
カイルはようやく腕の出血が止まり手を離す。布は真っ赤に染まり、右手も血まみれだ。出血のせいで貧血を起こしているのか、体が冷たく感じる。視界も暗く、音も遠いがまだやらなければならないことがある。
カイルは自身の中にある魔力に意識を向けると、普段はもっぱら回復のために使っている光属性を引き出した魔力に乗せる。そして、それを魔法に変えて放った。
カイルを中心にして店の中に柔らかな光が広がっていく。そして、それがおさまると先ほどまで店内を汚していたカイルの血がきれいさっぱり消えていた。それだけではなく長年のシミや汚れ、隅々の埃といったものまで消えている。
まるで開店したばかりの店のような有様に、誰もが息を飲んでいた。
「カイル、これはお前がやったのか?」
「あ、ああ。やべっ、調整ミスったか。血だけ、消そうと思ったんだけど……」
カイルはグレンの言葉に目を開け、店内を確認してそのきれいすぎる有様に別の意味で冷や汗を浮かべる。
「なんだ、これは? 魔法、なのか?」
「ああ、光属性の浄化って生活魔法。普段よく使うもんだけど」
生活魔法は攻撃性はなく、生活に便利な最下級の魔法だ。それなのに、これだけの効果があるとなると、商売さえ成り立ちそうだ。
「でもカイル、あんた呪文の詠唱は? 魔法名も……」
「ああ、俺、集中すれば何も言わなくても使えたから……ちびどもには無理だったからちゃんと呪文は知ってるけどな」
そう、グレン達が驚いたのは何もその効果ばかりではない。カイルが何の詠唱もせずに魔法を行使したことの方だ。高位の魔法使いになるとそれもできるということだが、まさかカイルにも同じことができるとは思ってもみなかったのだ。
もしカイルが上の階級の魔法を覚え、それさえも無詠唱でできるというなら恐るべき魔法使いになるかもしれない。考えてみれば、カイルが先ほど治療していた時にも何の詠唱もしていなかったことに思い当たる。衝撃が強すぎて、そこまで意識が回らなかった。
「俺、店には出ない方がいいのかもな」
ああいう客ばかりではないが、ああいった客がいることも確かだ。なら、カイルの存在がこうしたもめ事や面倒の引き金になるかもしれない。店番さえ満足にできない歯がゆさに、カイルは顔をしかめる。
「そうだねぇ、少なくともあんたのことがちゃんと評価されるまでは、控えておくかね」
「そうだな。今日はもう休んでろ」
「……分かった。その、悪かった。俺のせいで、こんな騒ぎになっちまって」
「馬鹿野郎! お前のせいじゃねぇよ。つまらんこと言ってないで、さっさと寝てろ」
カイルの顔色から出血のせいで具合が悪いのは明白だ。グレンはしっしと手を振る。その様子にカイルは小さく笑みを浮かべてから店の奥に入っていった。
それを見届けたグレンは、力まかせにそばにあった机に拳を叩き付ける。上に乗っていた剣が跳ね、机にはひびが入る。
「ちくしょうが! あいつらめ、俺の剣で好き勝手しやがって」
グレンは今も床に転がる、カイルを傷つけた剣に目を向ける。血はカイルの魔法によってきれいさっぱり消えているが、その剣に刻まれた悪意と、その剣が生み出した苦痛は消えていない。自慢の出来の剣が、大切な身内を理不尽に傷つけるために使われた。それだけで血管が破裂しそうなほどの怒りを感じる。
「これが……あいつの現実、なんだな」
「吐き気がする。あいつらにも、そんなことに今更気付いた俺らにも」
「あの子、治療がずいぶん手慣れてたね。痛みにも、慣れてる。ずっと、ああやって生きてきたんだろうね。どうにかしてやりたいねぇ」
「それは、いつかきっとあいつ自身がやってのけるさ。俺らに出来るのは、あいつを支えてやることと、あいつを一人前に育ててやることだ。明日からあいつは製作所でみっちり仕込むことにする。だから店番は……」
「分かってるよ、親方。俺達でやらぁ。もう、あいつをあんな目にあわせられないだろ?」
「いつかあいつが、有名になってみろ。あんな奴ら足元にも及ばないくらいに。そうすりゃ真っ青になるだろうぜ」
「違いねぇ」
「ははははは!」
カイルは部屋のベッドに寝転がりながら、精霊達が伝えてくる店の様子に耳を傾けていた。今回のことで、彼らがカイルを厄介者扱いしないか心配だった。だからこそ、頼み込んで聞いていたというのに。どうやらカイルは彼らのことを信じきれていなかったらしい。
厄介者どころか、家族のように大切にしてくれる。それだけで体が熱くなり、痛みが引いていく。精霊達もこぞってカイルの傷の治療にあたってくれている。この分なら、昼にはまともに動かせるようになりそうだ。
初日からケチが付いたが、せめてギルドで一度でもいいから依頼を受けてみたい。もし駄目なら、魔法ギルドで魔法の勉強をする。そう決めたカイルは目を閉じて眠りについた。
予想通り、昼から動くというカイルに難色を示したグレン達だったが、町中での簡単な依頼を受けるだけだということと、それからは魔法ギルドで本を読んで勉強するからという言葉に、しぶしぶカイルを送り出してくれた。
こんな経緯があったためか、それ以降グレンやアリーシャ、工房のみんなはどこかカイルに過保護になるところがあった。それを嬉しく感じてしまうカイルではあったが、甘やかされてばかりでは成長しない。だから今日もギルドで依頼を受けて町の外に出る予定だった。
昼食を終えると、いったん部屋に戻る。剣と簡単な防具、採取や解体用のナイフと飛び道具。それに少し大きめの袋を背負う。亜空間収納が使えるためいらないのだが、カムフラージュのためだ。
「んじゃ、行ってくるよ」
「気を付けるんだよ」
いつものようにアリーシャが見送ってくれる。カイルは軽い足取りでハンターギルドに入る。ギルドは部門ごとに建物が分けられているので、中はそのギルドだけの依頼がそろっている。
カイルもこの三か月で慣れたもので、C・Bランクのある掲示板へ移動する。昼中であるためか人はまばらだ。これが朝や夕方になると依頼を受ける人や、依頼を終えた人でごった返す。
上から下までざっと目を通す。採取と簡単な狩りの依頼を探している。
「これにするかな……」
カイルは三枚の依頼書を手に受付に向かう。依頼は五つまでなら同時に受けられる。目的地が同じなら採取と狩りの依頼を同時に受けておけば無駄なく稼げるということだ。
「はい、解毒草十束、リコルの実一袋、ホーンラビット二匹の依頼ですね」
「ああ、頼む」
カイルはギルドカードを出しながら答える。最初は勝手が分からなかったが、採取や狩りの場合、依頼書とギルドカードを出して受注し、達成すると品物とギルドカードを出して清算する。そして報酬をもらいポイントを加算してもらうという流れだ。この際の満足度は品物の状態や鮮度による。
「では、お気をつけて」
受付に見送られながら、カイルは町の外へと向かう。町のすぐ近くにある森での依頼だ。解毒草はその名の通り、解毒効果のある薬草。リコルの実は直径一cmほどの丸い赤い実で、甘酸っぱい味が特徴だ。ジャムにしたりそのまま食べたり需要は多い。これは渡された袋一杯に取ってくる必要がある。それ以外は多くとってきても引き取ってもらえる依頼だ。
ホーンラビットも角のあるウサギというだけで、そこまで手ごわい相手ではない。素早いのと、角にさえ気を付ければいい食料になる。
「ああ、今日も依頼か。気を付けろよ」
町の門番にギルドカードを渡し、手続きを済ませて外に出る。町を離れる場合は別だが、依頼などで町を出る時には必ず手続きが必要になる。そうすれば帰ってこなかった者もはっきりするためだ。それに、依頼で出入りする際には通行料が必要なくなる。
町に入るためには、身分証を提示するほか通常お金を払わなければならないのだ。身分証を持たない者はさらに割高になる。
この三か月何度も出入りするカイルに、門番もすっかり顔なじみになってしまった。前は町を出入りするたびに世知辛く通行料を取られていたが、ギルドに入れたおかげでその必要もなくなった。それに門番もカイルのことを認めてくれるようになっていた。
カイルはこれまで受けた依頼を失敗したことがない。それも、昼から受注してその日のうちに終わらせて来る。それが続いたことで、確かな実力者だと分かってくれたらしい。




