野外学習編28-2
「むか〜し、むか〜し、あるところに、おじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川へせんたくに……」
ベルギアットが朗々とつむぐ昔話の聴衆は、ドラゴンの背から落ち、一斉にでんぐり返りを始める。
これで、この場にてドラゴンの背にいるのは、一頭と三人となる。
一頭は怪現象の原因たるベルギアット。三人は、両手で両耳をふさぐフレオール、イリアッシュ、そしてナターシャ。
クラウディアやミリアーナらによって、すでに敗退したと思っていたアーク・ルーン勢が来襲し、ナターシャは驚きつつも、同胞らに迎撃を命じるや、眼前の魔竜参謀が訳のわからぬ話を語り出したのである。
この奇行に、タスタルの竜騎士見習いらが虚を突かれ、目を丸くする中、フレオールとイリアッシュが耳をふさいだのに気づいたナターシャは、とっさに二人に倣ったので、ぬかるんだ地面の上ででんぐり返しをし、その美貌と運動着を泥まみれにせずにすんだが、孤軍奮闘を余儀なくされた身としては、敗北が先延ばしになったにすぎない。
ちなみに、この場にはタスタル出身の教官が、争旗戦の監督のためにいたが、彼も年下の同胞らと共にでんぐり返しをする状態にある。
魔竜参謀の口が閉じると同時に、フレオールとイリアッシュは耳から離した両手で武器を手にする。
ナターシャもそれに倣ったが、相手の次の行動、イリアッシュがギガを前進させると同時に、その背から飛び降りたフレオールとベルギアットが背後に回ろうとするのは、彼女一人ではどうにもならない。
「ガアアアッ!」
「ハアアアッ!」
ナターシャの跨がるサンダー・ドラゴン『ライトニングクロス』は、咆哮と共に口から電撃は吐くが、イリアッシュはそれをドラゴニック・オーラで相殺するや、空間を渡ったベルギアットがナターシャの背後、タスタルの旗のすぐ側に出現する。
「ガアアアッ!」
だが、ベルギアットの伸ばした手がタスタルの旗をつかむ直前、一陣の強風がその場を吹き抜ける。
強い風であったが、踏ん張ればやりすごせる程度のものなので、その場にいる一同の動きが一瞬だけ停滞し、次の瞬間、状況が大きく変わる。
共に踏ん張って風をやりすごした後、先にうごいたナターシャは矛を繰り出し、自国の旗へと伸びていたベルギアットの手を引っ込めさせたのだ。
乗竜ライトニングクロスにはベルギアットだけではなく、フレオールも乗り込みつつあり、イリアッシュも乗竜ギガを駆って迫りつつあるが、ナターシャの苦境は今、この一時だけのこと。
風切り音と共に、エア・ドラゴン『スカイブロー』を駆るシィルエールが、放った強風を届かせるところまで来ているだけではない。
フリカの王女の背後には、六頭のエア・ドラゴンが飛んでおり、そのドラゴン族で最高速を誇るエア・ドラゴンの編隊から大きく遅れはしているが、フリカの竜騎士見習いらが駆るドラゴンが続いている。
フレオールが『マジカル・クレアポイアンス』を用いたように、シィルエールも同じ術を使い、アーク・ルーン勢の様子を探り、クラウディアらを負かし、ナターシャらに仕掛けたのを見て取ると、フリカの総力を以てタスタルの救援に動いたのだ。
一方、フレオールは七竜姫らが外交問題と成りうる自分たちを、早々かつ穏便に排除にかかるのは目に見えていた。
あまり大勢で動くと場が混乱するので、クラウディアとミリアーナが同国の学友らを率い、アーク・ルーン勢を退場させた後、改めて七ヵ国で争旗戦を行うプランは、ベルギアットの特殊すぎる能力の前に脆くも破綻した。
魔竜参謀の能力でバディン、ゼラントを下した後、タスタルを標的に定めたのは、ここが残った五ヵ国の中で二番目に厄介だからだ。
言うまでもなく、争旗戦で最も厄介な存在はワイズ勢、正確には双剣の魔竜レイドであるから、フレオールはワイズ勢と相対するのを最後と定め、その前に厄介な順から他の陣営を排除していこうとし、タスタルの陣営へと向かった。
クラウディアを下し、ウィルトニアを後とすれば、最も手強い七竜姫はナターシャとなる。フレオールの心算としては、タスタルの次はフリカ、ロペス、シャーウと下していくつもりであった。
ちなみに、シャーウを最後から二番目と定めたのは、フォーリスの実力よりもウィルトニアとの関係を重視したからである。
もっとも、フレオールは七竜姫がかかしのように突っ立って、やられる順番をおとなしく待っていると考えるほどなめていたわけではない。ゆえに、予想外のフリカ勢の乱入に、アーク・ルーン勢は動揺することなく対応する。
ライトニングクロスの背へとよじ登ったフレオールは、真紅の魔槍をナターシャに繰り出す。
突き出された魔槍を矛で払いつつ、同じ土俵にいるベルギアットの動きにも注意を払わねばならいナターシャは、かなり苦しい状況にあるが、それも少しの間の辛抱である。
シィルエールが到着し、その後続が参戦すれば、形勢は一変する。
イリアッシュは乗竜の向きを変え、シィルエールを迎え撃たんとするが、ドラゴン族で最も鈍重なギガント・ドラゴンが、ドラゴン族で最もスピーディなエア・ドラゴンの動きに対応できるものではない。
十を数えぬ間に、ギガの巨体をかわしたシィルエールの駆るスカイブローと合流できる。乗竜ライトニングクロスの背で苦境をしのぐナターシャが見出だした希望は、
「ガアアアッ!」
ベルギアットの発した咆哮によって打ち砕かれる。
正確には、ナターシャの希望であるフリカ勢の来援を粉砕したのは、イリアッシュとその乗竜たるギガだ。
七竜姫の一人であるシィルエールは、若年ながら優れた竜騎士見習いだが、ドラゴンを操る術においては、イリアッシュに一日の長がある。
とはいえ、技量に多少の差があろうが、エア・ドラゴンのスピードにギガント・ドラゴンで対抗するのは物理的に不可能である。
ただし、失速した場合となれば、話は別だ。
ベルギアットの展開した重力波に捕らわれ、エア・ドラゴンらは空中でバランスを崩し、その飛行速度が大きく落ちただけではなく、地上へと落下しかねないほど不安定な状態となる。
ベルギアットの重力波はドラゴンだけではなく、人をも捕らえ、シィルエールは乗竜スカイブローの姿勢を何とかするどころか、ドラゴニック・オーラを全開にして、重力波に押し潰されぬようにするので精一杯であった。
その重力波から身を守らねばならないのはイリアッシュも同様だが、その乗竜たるギガはいつもと大して変わらぬ力強い動きを見せる。
ギガント・ドラゴンの体格とパワーはドラゴン族の中でも群を抜いており、エア・ドラゴンとは比較にならない。何より、四肢で大地を踏む側と、二枚の翼で天を舞う側では、姿勢の安定度が違いすぎる。
失速して落下中のスカイブローの胴体はギガのあぎとに捕らえられ、そのまま抑え込まれると、ベルギアットは重力波を停止させる。
ドラゴンとはいえ、ここまで体格と力に差があり、ここまで体勢が定まってしまい、しかも口でくわえ込んで抑え込む間に、シィルエールが地面に投げ出されてしまっているのだ。
イリアッシュが易々と、スカイブローの背に立てられたフリカの旗をゲットした直後、ベルギアットの手にタスタルの旗が握られていた。
フレオールの激しい攻めに、ナターシャは周りに気を配る余裕を失っていたため、こちらもベルギアットは易々とタスタルの旗を握ることができた。
ゼラント、バディンに続き、フリカ、タスタルの旗を手にしたアーク・ルーン勢だが、まだ取るべき旗は三つも残されている。
フレオールとベルギアットが、スカイブローを放したギガの背に再び乗り込むと、イリアッシュは乗竜をロペスの陣営へと走らせる。
休む間もなく、敗北にいきり立つ、駆けつけて来たフリカの竜騎士見習いらと、それをなだめるシィルエールとナターシャをその場に残して。




