野外学習編23-1
野外学習の目的の一つに、将来の実戦に備えて、野営に関する知識や技術を一通り学ぶことにあるが、実のところ、ライディアン竜騎士学園の周囲の野山は、いくらか人の手が加えられており、完全な自然な産物ではない。
ただし、そうしなければ、野山が保てない事情がある。
ドラゴンはその巨体に比して、多くの食べ物を必要としないが、あくまで体格の割ということであって、一頭で大型の動物数頭分の量は食べる。
ライディアン竜騎士学園には百頭以上のドラゴンがおり、その腹をこの野山だけで満たそうとすれば、この一帯が禿げ山となるのに多くの時は必要としないだろう。
そもそもが、百頭以上のドラゴンが一ヵ所に集っている時点で不自然なのだ。だから、その不自然さを保つため、ドラゴンの食事用に、いくつもの牧場で飼育した家畜らをこの野山に放ち、飲み水が不足しないように貯水用の池も設けている。
当然、飲食だけでは不充分であり、他にも細々としたことに多くの人手と経費を用いているがゆえ、百頭以上のドラゴンがこの野山だけで暮らしていけるのだ。
そうした不自然さを抱える野山ゆえ、手入れに来る人間らのための道があり、彼らが野営し易いようにもされている。その点では、この行事の主旨の一つである、野外生活への体験という面は適切な学びの場とは言えないかも知れない。
野営に適した場所が不自然なまでに多いのもあるが、何より先の学園占拠事件の間、学生寮の外で暮らしていた生徒らは、天幕を張るのに慣れており、例年に比べて野営地を築くのは手早くすんだ。
野外学習の間は、食べる物も自分で手に入れねばならないが、王侯貴族は狩りの経験が豊かであり、何よりドラゴニック・オーラを使える彼らは、獅子やクマにも負けぬ狩人となるだろう。
そして、わざわざクマを狩らなくても、ドラゴンの食用のための牛やら羊やらがいくらでもおり、その何頭かが竜騎士見習いらに射たれてさばかれ、その肉は焼かれて若い食欲を満たしていたが、実のところ、それで食欲を満たすことしか彼らにはできなかった。
上流階級の者にとって、雑事は使用人がやるものが当たり前なのだ。さすがに、学生寮で暮らすようになると、いかなる身分の者でも身の回りのことは自分でしなくてはいけなくなるが、食事は食堂などですますので、料理をしたことのない者ばかりなので、口にする肉も焦げがあったり、生焼けだったりしていた。
ただし、例外はなくもなく、フレオールはかまどを作り、捕らえたウサギをちゃんとさばき、摘んできた野草と共に小さな鍋に入れ、削った岩塩で味つけすると、ウサギ汁からうまそうな匂いが立っていた。
野外学習の初日は、山中までの移動と野営地の設置、そして食料や燃料の確保で潰れる。
雨季だから仕方ないが、広い集めたたきぎは湿り気があり、煙ばかりが上がるというありさまの中、フレオールは湿り気の少ないたきぎで火を起こしている。
同行している教官の手を借りず、生徒たちだけで野外生活を送るとなれば、この行事が初めてでわからないことが多い一年生らが頼るのは、当たり前だが二、三年生たちであるので、ライディアン竜騎士学園の特性として、同じ国の者で固まるから、アーク・ルーン出身のフレオール、イリアッシュ、そしてベルギアットのみが同じかまどを囲んでいた。
敵対国の面々の側には、できない料理の腕を振るった結果である、焦げのついた牛肉の串焼きを、顔をしかめながら食べるティリエランがいる。
ティリエランがそこにいるのは、牛や羊やウサギの血の臭いが漂うこの場に、人やドラゴンのそれが混ざらぬようにするためだ。
野外学習における教官の責務は生徒らの監督であり、最も目を光らさねばならない相手に七竜姫の一人が張りつくことによって、他の六人が同胞らと楽しめるようにと努めている。
七竜姫の誰かが見張りつくのも慣れたし、それで調理に専念できるフレオールは、ナイフで削った岩塩の塊を適度に鍋に入れながら、
「鉱物資源が豊富であるとは聞いていたが、岩塩が拾えたのはありがたい。これだけでもあるとないとでは、まったく味気が違ってくるからな」
「そんなものですか? 正直、岩塩をなんかいくらあっても、しょっぱいだけでしたが?」
イリアッシュはワイズ王の姪に当たるほどの名家の女子だから、当たり前だが料理などできない。
今年、四度目の野外学習の参加になる彼女が、岩塩の使い道でそう言っているのだから、この行事の食事の時間が、自分たちの失敗を笑い合うものでしかないのがうかがえる。
「どうせ、量を考えずに振りかけたんだろう。まあ、塩の適量というか、料理のできるオレの方が変なんだがね」
「しかし、フレオール様は何で料理ができるようになったのですか?」
飯炊きは使用人の仕事である。女子でもしないことを、男子が習得するのを疑問に思うのも当然だろう。
すると、フレオールは渋面となり、
「オレの母はな、侯爵家の生まれにも関わらず、自らの手で料理する」
「それはそれは珍しいですね。では、フレオール様は母上に習ったのですか?」
「兄だ。オレはヴァン兄に教えてもらい、ヴァン兄は兄の誰かに教えてもらったんだろう。ネドイルの大兄は父上に習った。そうせねば、身を守れなかった」
「それは、まさか……」
「いや、そのまさかとは、違うまさかなんだよ」
負の方向に赴こうとする想像を、沈痛な表情で否定する。
「母上の料理は壊滅的にヘタなんだよ。一口で意識を失うほど、な」
「私も一度、口にし、気を失いましたよ」
「ベ、ベルギアット様が、ですかっ!」
人の姿となろうが、ドラゴンはドラゴンである。人のように焼いた肉を食すこともできれば、人の食えぬ生肉の塊を食うこともできる。
イリアッシュら竜騎士やその見習いも、ドラゴンの肉体機能を借りれば、生肉だろうが木の皮だろうが食べることができるのだ。
毒草をたらふく食べても平気なドラゴンを気絶させる料理など、いったい、どのようなものなのか?
「とにかく、母上に料理をさせたら、こっちが何日も寝込むことになる。母上に料理をさせないために、オレらは自分で料理せんといけんかったわけだ」
「はあ、そうなのですか」
オクスタン侯爵家の食生活など、どうでもいいと言えばどうでもいい話なので、あいづちを打つイリアッシュも、少し離れた所で聞き耳を立てるティリエランも、何とも微妙な表情をうかべている。
「ちなみに、我が家で最も料理がうまいのは、ネドイルの大兄だ。これがフィアナート将軍を口説き落とす決め手なったんだから、世の中、何が役に立つかわからん。まあ、料理の道に精進しようとは思わんが」
「第九軍団のフィアナート将軍ですか。たしか、ネドイル閣下を暗殺しようとして失敗……」
「一応、とある武家の生まれとなっていて、暗殺者だったというのは下らぬウワサとなっている」
フレオールは苦笑しながらたしなめる。
四年前、ネドイルの暗殺しようとして失敗し、捕らえられたら者がフィアナートであるのは、公然の秘密である。だが、いかに知れ渡っていることとはいえ、暗殺者を将軍としたという風聞が悪いので、没落した武家の娘と経歴を詐称させているのだ。
ドラゴンの聴力を借りているティリエランが自分たちの会話を聞き取っているのに気づきつつ、
「四年前、オレも地下牢に叩き込まれたが、ネドイルの大兄もフィアナート将軍もそうだった。起き上がれぬほどの重傷のネドイルの大兄を不衛生な地下牢に置くのは考えものだが、当人がそう強く望んだそうだ。自分を殺しかけた女を口説き落とすためにな」
「口説き落とすということは、フィアナート将軍は死ぬ気だったんですか?」
「失敗して捕まってからは、殺せの一点張りだったそうだ。だから、ネドイルの大兄の向かいの牢屋から、毎日、説得していたらしい」
「フィアナート将軍いわく、あれだけネチネチしつこい男は、世に二人といないとのことです。ホント、そうなんですよね、あの人」
元暗殺者の心情をしみじみと代弁する魔竜参謀。
「けど、そのフィアナート将軍を口説く決め手が料理となったんですか?」
「何十日も牢屋で向かい同士となって話しかけていたら、フィアナート将軍から自身のことをいくつか聞き出せたそうだ。何でも、小さい頃にさらわれ、暗殺者として育てられたから、自分がどこで生まれたかもわからない彼女に、大兄は聞き出した記憶の断片から、フィアナート将軍の故郷の味を再現したそうだ。もちろん、何度も失敗を重ねてのことではあるが」
「大宰相閣下が自らそこまでされたのですか? 優れた料理人を雇うとかせずに?」
大帝国アーク・ルーンの最高権力者となれば、自分より優れた料理人をいくらでも雇える。
にも関わらず、素人としてはうまい程度の自らの腕を振るい、ネドイルは試行錯誤を繰り返して、一人の女性の失った過去を形にして食べさせた。
「その辺りは人任せにしないからなあ、ネドイルの大兄は。まっ、そんなこんなで、フィアナート将軍はうちの陣営に加わったわけだ」
「凄い経緯ですねえ。もちろん、一番、凄いのは、そうした実力を見抜く眼力でしょうが」
ヅガートとリムディーヌがワイズ・タスタル連合軍を大破した直後、フィアナートはフレオールの父親と連携して、フリカ軍も大破している。
ワイズ・タスタル軍が敗れた時点で、第九、第十軍団は戦っていないので、部下や兵が武功を立てさせろ、と騒ぎ出すのは目に見えている上、タスタルの西部ががら空きとなっている。
フリカ王国の南はそれなりに守備を固めているが、北は同盟国たるタスタルと接しているので、その警戒と守りはゆるい。だから、時を置いて、フリカが北の守りを固める前に、フィアナートはフレオールの父親と共に、フリカを北から攻め入り、西の防衛戦を背後から突くと同時に、東からも攻めるダイナミックな挟撃作戦で、二万人以上のフリカ兵を討ち取っている。
この一戦だけでも、フィアナートの将才は明らかだが、四年前は何の実績もない、失敗した暗殺者でしかない。
当たり前だが、ネドイルがフィアナートを必死に口説き落とし、将軍の列に加えたことに、疑問と反対の声を上げた者は多くなかったが、彼らは女暗殺者の将才を見抜いたわけではない。単に、スラックス、レミネイラといった前例があったから、大半の者が何も言わずにしばらく様子見に徹したのだ。
「正直、大兄の眼に何が映っているか、オレなんかが考え及ぶもんじゃないな。ベル姉を参謀と起用する人間なんか、ネドイルの大兄以外におらんだろう」
ベルギアットは単身、万を越すアーク・ルーン軍を撃退している。誰もがその強大な力しか見ていない中、魔法生物の謀才に気づいたのはネドイルのみである。
そして、小さな村を守りたいという心情を見抜いたのも、ネドイルのみである。
フレオールの言葉に、やや遠い目をする魔竜参謀の眼前に、
「ほい、ベル姉。お待たせ」
最年少者は、礼儀を守って、最年長者から、器に盛ったウサギ汁を差し出した。




