野外学習編22-1
「……本国から和平派が活発な動きを見せているとの報告がありました」
明日にひかえた野外学習の最終準備のため、せっかくの休学日に、ライディアン竜騎士学園の生徒会室にいる生徒会長は、同じ目的と業務のため、この場にいる苦々しい表情の副会長兼会計と書記二名に、同じく苦々しい表情でそう告げた。
外的要因により、一時は決行が危ぶまれた野外学習も、紆余曲折を経て、例年より大いに遅れながらも、明日から開始されることになり、本日、生徒らがライディアン市へ野外学習に必要な物を買い出しに行くのを尻目に、生徒会メンバーが友人などに必要な物を買ってきてもらうのも、毎年、恒例のことである。
ライディアン市に出かけているのはフレオールやイリアッシュ、さらにベルギアットも同じだが、侵略者と裏切り者にはクラウディアとウィルトニア、そしてレイドが監視役として同行している。
幸い、昼を大きくすぎた今まで、ライディアン市から急使が走ることのない一方、フレオールらがまだ帰って来ないのは、先日の敗戦の影響によるものだ。
タスタル軍と共にワイズ軍はアーク・ルーン軍の挟撃を受けて大敗した際、ウィルトニアは命こそ助かったものの、武器を失ってしまい、その補充などで工房で多くの時を費やし、それにつき合うフレオールらは、自然とライディアン市に留まる時間が長引くというもの。
戦場で武器を失ったなどという不名誉を吹聴できるものではなく、事情を知らぬナターシャらはやきむきしながらも、明日からの準備を全て整え、タスタルのみならず、七竜連合で活発になっている「和平」への動きについて語る時間を設けたのだ。
和平派は親アーク・ルーン派と重なる者もいるが、基本的に違う。
平和外交によって国の安泰を計るべし。そう主張する和平派は、これまで弱小派閥でしかなかったのは、全て竜騎士の存在によるものである。
周辺諸国との戦いで活躍し、数々の勝利をもたらしてきた竜騎士たちの武勇によって、四の五の抜かすより戦った方が早いというのが、七竜連合の基本方針となっていき、和平派は多数の支持を得られずにいた。
が、その竜騎士たちの武勇もアーク・ルーンには通じず、いくつもの敗北が重なって不安となると、和平派の言葉に耳を傾ける者が増えていった。
もし、和平派の提案が、愛と平和を説き、アーク・ルーンと仲良くやっていこうというものなら、誰もが呆れただろうが、
「領土の一部を割いてアーク・ルーンの矛先をかわせるつもりとは、まったくおめでたい話ですわ」
戦って多くを失うより、一部を失うことで戦いを回避すべき。この和平派の提案に、フォーリスが腹を立てるのは、その程度でアーク・ルーン軍の侵攻が止まると考える思慮の浅さだ。
ワイズ一国を滅ぼし、さらに兵を進める連中が、国土の一部を譲っただけで、侵略戦争を白紙にすると思っているのだろうか。
「ナータ先輩やシィルには悪いけど、領土うんぬんより、ボクが気にかかるのは結婚の方かな。フレオールか、その義理の姉になるってのは、どうにもね」
苦笑できるミリアーナと違い、ナターシャとシィルエールの表情は本当に苦々しい。
ワイズ王国を征したアーク・ルーン帝国と国境を接するのは、七竜連合の中ではタスタル王国とフリカ王国なので、領土を譲るならその両国の土地となるだろう。
だが、それよりうら若き乙女たちにとって聞き捨てならないのが、
「領土を譲り、アーク・ルーンとの和平が成れば、それが末永く続くよう、親類となるべきでしょう。アーク・ルーンの大宰相の弟の内、ヴァンフォール、ベダイル、フレオールなる者は独身であります。王族の誰かを嫁がせ、両国の絆を固くするべきです。また、アーク・ルーンの高官には伴侶のおらぬ者が何人もおり、伴侶を失った者もおりますれば、彼らと貴族のどなたかが結婚していただくべきでしょう」
この和平派の提案と方針である。
婚姻によって国や家の結びつき強めるのは当たり前の政策であり、それでアーク・ルーンと真の和平が結ばれるなら、ナターシャらもネドイルの義妹になるの我慢したかも知れない。
だが、和平派の提案は、あまりに主観的で非現実的な方針でしかなかった。
「アーク・ルーンの皇族に嫁ぐように言わないのはいいけど、家臣たちよりネドイルの肉親を重んじるようじゃあ、敵のことをちゃんと理解しているとは言い難いね」
アーク・ルーン帝国の皇帝も皇族も、大宰相ネドイルの生殺与奪の権を握られた、形だけの支配者である。
だが、一方でネドイルの一族が隆盛を誇っているわけでもない。
意外に、ネドイルの身内で高職にある者は少ない。父親が軍団長、異母弟の内の二人が、財務大臣と師団長にあるぐらいだ。後は形ばかりの役職を与えているだけで、それで満足できず実権を求めた者は、例外なく幽閉や処刑の憂き目を見ている。自分の母親、妻子、同母弟ですら監禁して邪魔にならないようにしている徹底ぶりだ。
ネドイルが重用している者は、血縁でないばかりか、アーク・ルーンに征服された国の者の方が多い。後継者筆頭と目されるトイラックとも血のつながりはなく、血のつながりのある財務大臣のヴァンフォールの方が、トイラックの対抗馬という見方をされている。
にも関わらず、和平派はトイラックやヅガートなどには適当な貴族の娘を嫁がせ、ヴァンフォールやフレオールとは王族との婚姻を考えているのは、前者と後者では血統に大きな違いがあるからだ。
ヴァンフォールとフレオールは侯爵家の男子であるのに対し、トイラックとヅガートは貧民という卑しい生まれだが、アーク・ルーン帝国というより、ネドイルの元では血統なぞ何の意味も持たない。
「しかし、シャムシール侯爵夫人やスラックスっていう将軍も、婚姻政策の対象になるとはね」
ネドイルの身内ではないので、自分たちに関係ないミリアーナは気楽に言う。
侯爵夫人という称号から誤解を招き易いが、シャムシール侯爵夫人は未婚の身である。
貴族社会で女性が当主となるケースとして、夫を早くに亡くし、息子が幼い場合、家をあずかる形で当主となり、息子が成人した際に当主の座を譲るのだが、そうした未亡人の当主は、夫の生前と同様に夫人と呼ばれるのが慣習化している。
四年前の内乱で、前シャムシール侯爵である父と兄たちがスラックスらに討たれ、未亡人ではないが幼い弟が成人するまでの間、家をあずかる形で当主となったため、貴族社会の慣習に従い、シャムシール侯爵夫人と呼ばれているのだ。
ただ、女性ながら当主を務めた人物は七竜連合にもいるが、官宦という制度はないので、男でなくなったスラックスとの結婚がどのようなものか想像ができなかいのは当然だろう。
官宦は男性機能がないので、普通に結婚などできるものではないが、大半が独身で一生を終える一方、一部の官宦には子供や、時には妻のいる者がいる。
身分の高い官宦となると、財産ができ、それを相続して自分の墓を奉ってもらうため、養子を求めるようになる。さらに、自分の家を守ってもらいたくなり、妻を求めるようにもなる。
あるいは人並みの体を持たぬゆえ、人並みの生活に人より強く憧れているのかも知れない。
スラックスの副官である官宦のシダンスも妻子のある身であり、スラックス当人も結婚は念頭にないが、弟に子供ができたら、その内の一人を養子にもらおうとは考えている。
もっとも、スラックスのような特異な例も含めなくても、トイラックやヅガートなど、アーク・ルーンの高官で独身者は少なくない。
リムディーヌも子供どころか孫もいるが、夫を失ってから再婚していないので、独身の身ではある。サムもレミネイラも既婚者だが、伴侶と子供とは死別しているので、再婚が可能ではある身だ。まあ、レミネイラの場合は、死別ではなく殺別と表現すべきかも知れないが。
「ミリィ、少し事態を気楽に考えすぎていませんか? 先ほどは活発とおとなし目に言いましたが、和平派が暴走して、勝手に我々の婚約を決めてしまう恐れもあるのですよ」
「ああ、その危険性はあるね」
ナターシャの懸念に、ミリアーナのみならず、フォーリスもシィルエールも渋い顔となる。
平和の言葉など、アーク・ルーンが応じるわけがないのは明白である。だが、応じさせなければ、和平派の面目は丸潰れとなる。
となれば、和平派は平和の言葉に賛同させるため、躍起というよりも、暴走気味に交渉をしかねない。
それこそ、勝手に譲る領土を増やしたり、七竜姫の嫁ぎ先を決めたり。
無論、和平派が無断で決めた取り決めなど律儀に守る必要はない。最悪、和平派の首をはねればいいだけの話だ。
が、ナターシャの場合、他の三人の王女と違い、トイラックと面識があり、ヘタに失策をすれば、その隙をどのように突いてくるかという恐怖もあるが、それ以前に恐いのが、
「私たち、決戦に向けて、動いている。この動き、どれだけ和平を唱えても、止まらない。けど、万が一と言われたら……」
「ボクたちか、身内の誰かが、アーク・ルーンに嫁いでいくか」
シィルエールやミリアーナが口にする不安は、ここまで負けが込むと、あり得ない話でもないのだ。
ドラゴン族の助勢を得れば勝てるとの意見は根強いが、誰かが万が一と言い出したら、敗滅に備えた手を打つかも知れない。
その一つが、アーク・ルーンの高官と王族との婚姻である。
和平派のように、婚姻で敵国と仲良くしようというのではない。王族の誰かをアーク・ルーンの者と結婚させておけば、国が滅びてもその王家の血は残る。
この手の方策は、普通、敵国と裏面で交渉できるようにするかがネックになるのだが、その点はフレオールを介せばクリアできる。タスタルの捕虜返還のため、ナターシャとトイラックが直に交渉できたのも、フレオールがいたからこそである。
無論、仲介役だけではなく、フレオール当人も、七竜姫の誰かの嫁ぎ先に挙げられるのは言うまでもない。
「しかし、心配しすぎなのではなくて? ようやくですが、ドラゴン族に助勢を頼む使者はもう出ていますし、連合軍も再結成に向けて動き出していますわ。後は時が来れば、アーク・ルーンに我々の力を見せつけてやれますわ」
「わたくしやシィルにとっては、その時がどれほどかかるかが重要なのです。何より、我々が急いで準備しても、ドラゴン族の方が急いでくれねば、タスタルとフリカの苦境は変わりません」
シャーウやゼラントと違い、アーク・ルーン軍の矢面に立ち、大敗しているタスタルとフリカは、早急な援軍と早期の決戦を必要としている。
バディンなどの同盟国は急かせば応じてくれるが、急ぐとか日数といった感覚のないドラゴン族は、人間社会の状勢など関係なくマイペースに行動する。
ドラゴン族はその時により、即座に駆けつけてくれることもあれば、年とまでいかなくとも、何十日かを置いてから動くことがある。
ナターシャやシィルエールからすればただ神に、ドラゴンたちのノリとテンションが高いことを祈るしかなく、
「けど、二人には気の毒だけど、ドラゴンたちの到着するまでは、どうにかアーク・ルーン軍を防ぐしか手立てないんだから」
ミリアーナが言うとおり、ドラゴン族のリアクションがどうなるかは、長年の盟友である七竜連合でも読めるものではなく、その到来をただ待つしか選択肢はないのだ。
一方で、和平派が活発に動いていても、ドラゴン族の助勢を得ての決戦という、七竜連合の方針に何ら影響を受けてはいない。
七竜姫が困っているのは、和平派が自分たちを勝手にアーク・ルーンへ嫁に出そうする点のみである。
当人らは祖国を強大な侵略者から守る最善の手と考え、悪意がない分、余計にタチが悪いが、実害もあるわけでもないので、四人の七竜姫も苦々しくは思うものの、それだけの話でもあるのだ。
そもそも、和平派の活動が決戦への障害になるものなら、野外学習の準備など後回しにして、七竜姫が全員、この場に集っているだろう。
「しかし、考えようによっては、和平派ががんばってくれたら、アーク・ルーンがそれに惑わされて、決戦までの時を稼げるかも知れないしさ」
もちろん、それが気休めにもなっていないのは、言ったミリアーナも、言われたナターシャとシィルエールも理解しており、力ない笑みを浮かべるのに対して、
「あら、和平派の方々の行動は、それ事態は無駄な努力にしかすぎませんが、うまくやれば、敵の中に味方を作れますわ」
意味ありげな笑みを浮かべるフォーリス。
「それはどのような策なのですか?」
大して期待していない内心を隠して、ナターシャが問うと、
「キーポイントは、トイラックとヴァンフォールが後継者争いをしている点ですわ。この点を利用すれば、結婚を名目にヴァンフォールに近づいた後、アーク・ルーン軍が不利になるように働いてもらえるでしょう。何しろ、我々が勝つということは、アーク・ルーン軍が負けて、トイラックの失点となりますから」
アーク・ルーン帝国の東方軍の後方総監を務めているのはトイラックである。実戦を担当するスラックスらだけではなく、七竜連合が勝ち、ワイズを取り戻せば、ワイズの代国官でもあるトイラックの名声や評価が下がり、その分、ヴァンフォールが後継者争いに有利となる。
「凄い。そうなったら、フリカ、助かるだけじゃなく、昔みたいに平和になる」
フォーリスの策に、シィルエールは目を輝かせるが、
「悪くない策ですが、そううまくいくでしょうか? ヴァンフォールという方は知りませんが、トイラックが甘い相手ではないのはたしかです」
トイラックと面識のあるナターシャが懐疑的な反応を見せると、途端に不機嫌となるフォーリスに、ミリアーナも追い打ちをかける。
「フォウ先輩の策は、普通は有効だと思うよ。けど、どう考えても、アーク・ルーンというより、大宰相ネドイルに、普通、なんて言葉が通用するとは思えないんだよね」




