野外学習編8-1
一時、魔法戦士と竜騎士見習いと魔竜参謀と魔戦姫二体に占拠されていたライディアン竜騎士学園は、解放された直後は激しい混乱の只中にあり、生徒や教官の多くが事件の首謀者らを殺せと息巻く中、学園長ターナリィらの努力もあり、十日で授業再開にこぎつけ、それから十日も経った頃、無期停学処分が撤回された学園占拠事件の首謀者らが、半分以上が新しくなった机とイスに着き、授業風景の中に戻っていた。
元来、ライディアン竜騎士学園に退学処分どころか、竜騎士らの手で人生から退場されてもおかしくないフレオールとイリアッシュが、再びミリアーナらと並んでティリエランの授業を受けられるのも、ひとえにアーク・ルーン帝国とタスタル王国の間で、捕虜返還と戦利品の買い戻しの話がまとまったからである。
フレオールの仲介の元、トイラックとナターシャの間で話し合いの末、アーク・ルーンとタスタルの捕虜と戦利品の買い戻しの交渉が成立したが、まだアーク・ルーンからタスタルへと、捕虜ひとり、武器ひとつ帰っていない。
捕虜と戦利品の返送は決済後に行われるので、タスタルはまず金貨七万八千枚の用意しなければならない。
金貨七万八千枚は大金ではあるが、それ以上に問題なのは、トイラックが絶対に譲らなかった条件の一つが、現金一括払いであった点だ。
証文や証書で金貨七万八千枚を払うのと、本当に金貨を手元に七万八千枚もかき集めるのでは、支払いにかかる費用がまるで違う。
個人の間でも、ちょっとした高額な取り引きなら、証文や証書ですませるのが基本で、現金決済の取り引きの方が珍しいくらいである。それだけ、大量の貨幣を集めるというのは、手間や費用がかかるのだ。何しろ、釣り銭用の銅貨を集めて輸出する商売もあるぐらいなのだが、そうしたことをナターシャだけではなく、たいていの上流階級は知らないのが普通なのである。
そのたいてい以外の上流階級であるフレオールは、当初の金貨八万から二千枚を値引いたのも、その手数料を考慮したからだ。おそらく、貨幣の中で最も少ない金貨を万単位も集めるのがどれだけ大変か、交渉が成立してから七竜連合の上流階級は知っただろう。
もし、捕虜と戦利品が送り返される前にフレオールらに危害を加えれば、アーク・ルーン側は交渉を反故にする口実を与えることになり、それなりの手間と費用と時間をかけて金策をしているタスタル王国の苦労が無駄となる。
フレオールとイリアッシュの生首を得た功績は、二万五千個の生首が送られて来た責任で吹き飛ぶどころではすまないだろう。
タスタルの生徒なり教官なりがフレオールを刺したなら、その者の家門を断絶させるだけですむが、他の国の者なら外交問題になる。
実際、ベダイルの母親を侮辱したシャーウの男子生徒は、密かにフレオールに謝罪した後、フォーリスの命令で自害させられている。また、シャーウ王国は先の大敗で大きな被害を受けたタスタル王国に対する支援が、バディンなどよりかなり厚くしている。
優勢な敵対国より、対等な友好国の方がいちゃもんがつけ易い。すでに今の窮状をしのぐため、建国より初の臨時の徴税を決定したタスタル王国は、外交問題を振りかざしても味方から金を引っ張らねばないない情勢にある。
クリスタへの侮辱は、ライディアン竜騎士学園占拠事件の発端であるだけではなく、スラックス率いる第五軍団の軍事行動を促したという見方もできなくはない。であればこそ、フォーリスは発言を非公式なものに留め、家臣を証言台に立てなくし、タスタル王国への支援をかなり割り増しして、因縁をつけられぬように努めた。
請求が正当かどうかなど、現実的に意味を成さない。金は取り易いところから取るのが、恐喝の基本である。
味方の手で死を強要されるのを避けるため、心中はどうあれ、フレオールとイリアッシュを学友として迎えねばならないのは、全ての生徒も教官も理解しているだろうが、それで安心できるものではない。
怒りや憎悪が自制心を圧し、何度も何度も何度もトラブルが生じたので、
「やっぱり、ここに連れて来られるわけか」
授業が終わるや、イリアッシュと共に生徒会室に引っ張られたフレオールが、苦笑しながらぼやく。
「これからは放課後に自由があると思うな。話には聞いていたが、私がいない間にシャレにならないことをしてくれたものだ」
魔法戦士を睨みながら厳しい口調で言ったのは、ようやく祖国のゴタゴタから解放され、何日か前よりライディアン竜騎士学園に戻って来たクラウディアである。
ウィルトニアに強引に誓約書を書かされたことに端を発し、バディン王国というより、第二王子ガーランドがワイズ軍を敵視し続けたせいで、クラウディアはずっと兄のフォローと尻拭いのため、制服の袖に腕を通せぬ日々を送るはめになった。
気が短く、粗暴なガーランドにはバディン王も王太子も手を焼いている。父親と長兄に頼まれ、次兄が後輩とケンカせぬように気をつけていたが、皮肉にもアーク・ルーン帝国の大戦果によって解放されることになったが、
「ああ、わかったわかった。ナターシャ姫がいない間にシャレにならないことをしないよう、気をつけるよ。また、ウィルトニア姫がシャレにならないことをやったらしいから、当分、戻れぬだろうがな」
フレオールの言うとおり、顔をしかめる五人の七竜姫は顧問、副会長、書記二名と前生徒会長で、生徒会長と前副会長はタスタル王国にいる。
正確には、ウィルトニアがまたゴタゴタを起こしたせいで、ナターシャが祖国に留まらねばならなくなったのだ。
「まあ、ウィルのやったことは、軍事的に間違っていないんですけどねえ。ただ、政治的な配慮とか、できてないですからねえ」
「ウィルトニア姫だけを責めるのは酷だろう。タスタル側の配慮が足らなかった点も大きいからな」
「いや、そもそもの原因は、キサマらアーク・ルーンがタスタルの城や砦を壊したからだろうが。ゆえに、ウィルはタスタルの民を駆り出し、堅固な陣地を作らねばならなかったのだぞ」
フレオールとイリアッシュを睨みつけながらクラウディアが言うとおり、カッシア城やファーベラ城のみならず、スラックスは攻め落とした城や砦に全て火を放って使えなくしたので、ウィルトニアは勝手に付近の住民を労役に駆り出し、堅陣を築いている。
アーク・ルーン帝国と和平や休戦の条約を結んだわけではないが、捕虜返還などの交渉が成立した今、互いに暗黙の了解で軍事行動をひかえる状況にある。
この期間を利用して、防備を整え、再侵攻に備えようとするウィルトニアの判断は、軍事的には的確なものだ。
ただし、マズイのは、何の権限もなしにタスタルの民に労役を課した点である。まず、タスタル側の合意なり、協力なりをあおぐ手順をすっ飛ばしたため、ワイズ兵にこき使われる事態に、タスタルの民は強い反感を抱いている。
タスタルの王宮でもウィルトニアの独断を問題視する声が上がったが、貴重な味方である点をナターシャが強く主張し、事後承諾という形で落着はした。
が、感情的なしこりは残ったため、ナターシャが念のために残留したのである。
無論、フレオールが口にしたように、誰よりも国防に心を砕かねばならないタスタル王国の対応が遅いという一面もある。
さらに、ワイズ軍とタスタルの民が対立する原因はそれだけではない。
「しかし、労役よりも深刻なのは、食い物の恨みの方だろ?」
「それもキサマらが、兵糧を奪い去ったからだ」
タスタル王国の西部の要衝たるカッシア城は、軍事物資の集積基地という一面があった。ゆえに、スラックスの第五軍団がタスタル産の食料で腹一杯になっている一方、前線に来た四万のワイズ兵とタスタル兵はひもじい思いをしているが、さらに空腹に苦しんでいるのは、現地のタスタルの民だ。
腹が減っては戦はできぬ。四万人分の兵糧をすぐに手配できるわけがなく、そのしわ寄せは全て現地のタスタルの民にいっている。ワイズ兵とタスタル兵の徴発を受けている彼らは、現状で一日一食の生活を余儀なくされている。
もし、タスタル王国が早急に兵糧の調達をせねば、西部の民は餓死する者も出れば、野盗になってなけなしの食料を奪う者も出てくるだろう。
ちなみに、タスタル王国が買い戻す戦利品の中に、兵糧は含まれていない。アーク・ルーン帝国の東方軍は五十万人分の兵糧を必要としているので、売り払える食料などないのだ。
「で、別段、今日の生徒会の議題は、負け犬の遠吠えではあるまい。たしか、野外学習について、とか聞いているが?」
クラウディア、ティリエラン、フォーリスが鋭い視線を向けるが、フレオールはその反応に、むしろ楽しげに小さく笑う。
からかわれたことに気づき、顔を真っ赤にして席を立ったフォーリスが、
「落ち着け、フォウ。ナータがいない今、生徒会の運営はオマエにかかっているんだ。ティリー教官もお忙しい身。今年度の野外学習がどうなるか、その見通しを聞き、それに生徒会がどう対応していくか。話し合うべきことは少なくないぞ」
クラウディアに制されて着席したので、ミリアーナとシィルエールは密かに胸を撫で下ろす。
フォーリスは悪い人間ではないが、一度、感情的になると、自分で自分を抑えられなくなる。だから、他者の言葉が必要となるが、同じ七竜姫でも年下より年上の方が鎮静効果が高い。
もちろん、同い年の七竜姫の言葉が逆効果なのは言うまでもない。
今日は生徒会の顧問であるティリエランがいるが、彼女はいない時の方が圧倒的に多く、ナターシャも祖国にいる間、三人で生徒会を運営せねばならなかった数日間、ミリアーナとシィルエールの最大の課題は、いかにフォーリスの冷静さを保つかだった。
それゆえ、クラウディアが戻って来たことに、ゼラントとフリカの王女がどれほど喜んだことか。
そうした一年生らの心中にまるで気づかず、シャーウの王女は、
「例年なら、野外学習の準備がもう終わっている頃合いですが、今年はトラブルが多く、野外学習についての話し合いすら止まっている状態ですわ。そもそも、今年度、野外学習を実施する意思があるのか、学園側の考えを教えてくださいませんか?」
「知ってのとおり、今年度に入り、相次ぐトラブルのせいで、予定していたカリキュラムの半分とまではいかないが、かなり遅れが出ている。教官の中には野外学習を中止し、遅れを取り戻すのを優先すべし、という意見も出ています」
ティリエランは難しい表情で、ライディアン竜騎士学園の意向を伝える。
ちなみに、そうした事態を招いた要因たる二人の生徒は、大変だねえといった表情で傍観している。
「学園側の心配もわかるけど、毎年の恒例行事だし、楽しみにしている人もいっぱいいると思うから、その辺りの点を考えてもらいたいかな。正直、ボクも中止になるのは残念だからさ」
意見を述べるミリアーナが、フォーリスの方を気にしながらになるのも、シャーウの王女の欠点の一つである。
自分の判断と考えが正しいと思い込むところのあるフォーリスは、ティリエラン、つまりは学園側と話す際、ミリアーナやシィルエールの意見を聞いてからなどという配慮をしない。自分の意見を生徒会および全生徒の総意のように扱い、学園側との話し合いを進めるだろう。
だから、フォーリスの機嫌を損なおうが、率先して意見を口にしないと、ナターシャのいない今、副会長の意見のみしか学園側に伝わらない恐れがある。
ミリアーナもフォーリスともめたいわけではないが、シィルエールの性格を思えば、彼女が意見を言うしかないのだ。
ナターシャがいなくても、ティリエランとクラウディアがいるが、この二人は立場的に生徒会の運営に口出しをしない。
教官であるティリエランがアレコレと口を出すと、生徒の自主性を軽んじることになる。クラウディアも生徒会長を辞した身ゆえ、学園のトラブル・メーカーを隔離するのにもっと有効な場所があれば、この場に来なかっただろう。
何より、フォーリスの性格に難があろうと、来年にはミリアーナもシィルエールも、自力でそれに対応せねばならないのだ。去年、手を焼かされたティリエランやクラウディアからすれば、ウィルトニアが不在な分だけマシというのが、率直なところである。
そりが最も合わない七竜姫がいないので、ミリアーナが発言したくらいでは気分を害することなく、
「ミリィの意見はわかりましたわ。同じ心境の生徒も多いのはたしかでしょう。ただ、学園側に残念ながら中止した方が良いのでは、そう考えられる方が出るのも、今のカリキュラムの進行具合から無理はないと思いますわ」
「たぶん、やるやらないより、意見が分かれているのが問題。片方を採用するなら、もう片方を納得させるのが重要」
ゼラントの王女の発言に対するシャーウの王女の反応を見て、シィルエールが述べた意見は、決行か中止かを決めるよりも難しい部分を指摘する。
現状のライディアン竜騎士学園のカリキュラム未消化率を思えば、学園は学業の場との意見の元、恒例行事でも中止はやむ無しという意見が教官から出るのはもちろん、生徒もその方がいいのでは?と考える者が出ないのがおかしいのだ。
実のところ、野外学習の決行や中止を決めるのは難しい話ではない。例えば先ほどのミリアーナが口にした「楽しみにしている」と発言を耳にすれば、ゼラントの教官や生徒らは決行を支持するだろう。
七竜姫が決行か中止、どちらかを望む態度を見せれば、それで野外学習はどうなるかは決まる。
だから、最も重要なのは、七竜姫同士の意見の統一である。最もマズイのは、七竜姫の意見がわかれ、それが国別の対立となってしまう点だ。ゆえに、最初からしっかりと裏で手を結んでおかねばならない。
次に心を砕かねばならないのは、否定された意見への対処だ。
「シィルの意見は、今回の事態の対処において、この上なく留意すべき点のように思われますわ。私自身、更なるトラブル防止の観点からも、野外学習は中止すべきではないと思いますけど?」
教官も生徒らも、度重なるトラブルで強いストレスを抱えているのは明白だ。イベントや行事は彼らのストレスのはけ口になるし、逆に中止すれば高まっているストレスを増大させることになるだろう。
「ボクは言うまでもないかな。賛成だよ、野外学習には」
「……私も、賛成。野外学習に参加したい」
「ああいう場は、普段の勉学とはまた違ったことを学べる。基本的にはやるべきだろう」
ミリアーナ、シィルエール、クラウディアも賛成に回るのを見極めてから、
「あなたたちの意見はわかりました。私も賛成ではあります。ただ、現在、カリキュラムが遅れている点も考慮してください。安易な決行が、生徒らに遅れを取り戻す意欲を削ぐ。その点をクリアすれば、中止の意見は自ずと消えるでしょう」
カリキュラムがこれほど遅れている状態で、野外学習を決行すれば、その遅れを学園側が暗黙の内に認めたととらえられかねない。
野外学習をやったのだから、授業が遅れても仕方ない。そんな甘えが生じないようにして欲しいというのが、ティリエランの指摘であり、暗に学園側が決行の条件として示す。
「たしかに、そのとおりですわ。私たちが安易に決定すれば、他の者たちがカリキュラムの遅れを軽んじるかも知れませんわね。なら、ここは学園側と協力して、一芝居打った方が良いように思いますわ」
「どのような脚本か、教えてもらえるかな?」
だいたいの筋書きは予想できるが、それを言い当てるとシャーウの王女は不機嫌になるだろうから、ティリエランは副会長に説明を求める。
「学園側には悪いですけど、正式に中止を考慮してもらいたいと申し込んでください。それに対して、生徒会は生徒の意見を求めて回ります。その際は、皆さん、ティリー教官も含めて、行きたいけれど、授業の遅れも気になるという態度を取ってくださいまし」
「うわあ、自信ないなあ」
フォーリスの演技指導に、笑いながらミリアーナがそうつぶやくが、実のところ、七竜姫の中で最も腹芸に長けているのが彼女である。
演技力に自信のないクラウディアやティリエランはおどけるような余裕はなく、シィルエールに至っては表情が強張っている。
「私たちがそのように振る舞えば、野外学習を望む声が多くを占めるでしょう。そうした多数の意見を背景に、生徒会が学園側と交渉するという体裁が整いますわ。その際、学園側が授業の遅れを理由に難色を示してもらえば、学園側を説得する材料を私たちは用意しなくてはなりません。例えば、長期連休の時に補習を行うというのはどうでしょう? もちろん、私たちが責任を以て参加するというのが大前提ですけど」
言うまでもなく、これは問題のすり替えでしかないが、意外にこうしたすり替えは、物事の本質から目をそらさせるのに有効なものだ。ましてや、その補習に七竜姫らが参加するとなれば、不満もいくらか軽減するだろう。
少なくとも、王女たちがそうした姿勢を見せることで、この状況下で野外学習のような行事を強行しても、学業を軽んじる気風が生じないようにする効果はある。
ライディアン竜騎士学園がどこかで授業の遅れを取り戻す措置を取らねばならない最大の要因は、先の学園占拠事件の影響である。つまりは、フレオールのせいであり、こうした問題のすり替えがされないと、新たな授業の遅滞を招く原因になりかねない。
相手がしっぺ返しで痛い目にあおうが気にするフレオールではないが、先日の魔戦姫らとの大暴れは、さすがに反省すべきところがあり、そのせいでヘタな芝居を打たせるとなると、彼としては口を出さずにいられない。
フォーリスの提案が、学園の平穏に必要な処置とティリエランが判断し、誰も異議を唱えなかったので、
「色々と迷惑をかけているようだから、ちと言わせてもらっていいか?」
「何ですの、いきなり?」
我、関せずと傍観していたフレオールが唐突に口を挟んできたので、シャーウの王女のみならず、他の王女らも警戒するような素振りを見せる。
これまでの経験から、その発言に驚かされてきたので、七竜姫らは心の中で充分に身構えたが、
「なに、お礼代わりに忠告というか、警告をさせてもらおうというだけだ。当面だけでいいから、タスタルを守る兵を減らせ。でないと、最悪、ウィルトニア姫が死ぬことになるぞ」
そんな心構えなど軽く吹き飛び、イリアッシュも含めて、その美しい顔を驚愕に染めた。




