野外学習編5-7
「で、トイ兄。姫様を手ぶらで返す気はないんだろ? そろそろ、用意している手土産を出したらどうなんだ?」
さすがにつまらない芝居に飽きてきたフレオールは、煮詰まってきた交渉に進展を促す。
この場をセッティングしたのはフレオールだが、アーク・ルーンにおいても、タスタルにおいても何の権限もない身なので、元来は両国の交渉に口を挟むべきではないのだが、正義だの何だのと腹の足しにもならないようなことで、交渉を有利に進めようとするナターシャを見かねて、ついつい余計な発言をしてしまったのである。
今回の交渉は、先のライディアン竜騎士学園占拠事件で敗れたフレオールが、敗者の責として協力したものであるのは、十年以上のつき合いのトイラックも承知しているだろう。
ゆえに、この場をセッティングしたフレオールのメンツが立つだけの材料も用意しているはずだ。
ただでさえ、自分が敗れたことで、要らぬ手間をかけさせているフレオールは、トイラックにマトモに会わせる顔がないのだが、ナターシャが用意している交渉材料を引き出せそうにない以上、恥を忍んで敗者の責任を全うしなければならない。
トイラックも用意した交渉材料を自ら出さなかったのは、ナターシャが察して提示させるか、フレオールが敗者の恥辱を甘受させねばならないのをわきまえているからだ。
フレオールがようやく切り出してくれたので、内心、小娘の青臭い正論にうんざりしていたトイラックは、
「無論でございます。捕虜の方々の金額はそのままですが、オプション価格は金貨三万枚でサービスさせていただきます」
再び愛想笑いを浮かべて、合計金貨八万枚を提示する。
「ふざけているのですかっ!」
「いえいえ、こちらはマジメに商談させてもらっているつもりですよ。二万五千人分の装備や天幕、タスタルの軍旗がこの値段では、売り手の一方的な損というもの」
「……なっ!」
物わかりの悪い客の怒りは、東方軍後方総監の営業トークの前に、あっさりと煙に巻かれる。
交渉相手の制度と意図がわからぬタスタルの王女に、トイラックは特別価格の理由の説明を始める。
「我が軍のシステムとして、兵が得た戦利品は軍の元に集約され、それを買い取る形で換金してから、兵の功績に応じて分配するのです」
今回、第五軍団十万が得た捕虜の数は二万五千であるが、人間の肉体を四つに裂けるものではない。だから、捕虜を国が買い取る形で現金にしてから、将兵に買い取り金額を分配する。
これは捕虜のみならず、戦利品全般が換金されてから分配される。無論、兵の中には現金より現物の方がいいという者もおり、その場合、兵は分配金で欲しい戦利品を優待価格で買うこともできる。
「不愉快な話となって恐縮ですが、実のところ、我が軍は現在、戦利品がだぶついている在庫状況にあります。何しろ、去年の戦利品がまだ残っているくらいですから」
ナターシャは「去年の戦利品」の辺りで、さすがに不快げに眉をしかめずにいられなかった。
昨年、七竜連合は各国の援軍ともどもワイズ王国を攻め滅ぼされている。六万人以上の戦死者からはぎ取った物だけではなく、敗走した兵が遺棄した武器や物資は二十万人分ではきかないだろう。
大勝利と大量の戦利品で、ヅガート以下第十一軍団の将兵は大儲けしたが、それだけの戦利品を市場に一度に出せば、古物商に買い叩かれるのは明白である。需要と供給のバランスから、ワイズ王国の滅亡からもうすぐ一年が経とうとしている今も、戦死者の遺品が倉庫で売却を待つ日々を送っている。
そこにタスタル軍からの戦利品も加わったのだ。在庫品のみがたまる展開など歓迎できるわけがなく、トイラックは新たな戦利品を元の持ち主に有償で提供しようとしているのである。
「だから、こちらは余っている物を格安でも譲りたい。もし、二万五千の捕虜を取り戻しても、武器などが無ければ戦力とならないのは明白。二万五千人を軍として機能させる費用は、三万枚の金貨でも足りますまい。中古とはいえ、その額で武装を整えられたなら、浮いた予算を身代金に回せるのではありませんか?」
ナターシャの眉はますます不愉快な形となるが、同時にその思考は深く沈む。
感情的には不愉快なこと、この上ない話である。奪った物を売りつけようとするなど、これほど腹立たしい売り方があろうか。だが、何より腹立たしいのは、その厚顔な取り引きが魅力的なほど、タスタルが苦境にある点だ。
たしかに再軍備の費用が安くすめば、その分を捕虜返還のための費用に回せる。国庫が底をつくどころか、マイナスになりかねない財政事情を思えば、怒りや屈辱より銭勘定を優先する選択を軽々に捨てるわけにはいかない。
「何でしたら、二万五千人分と言わず、兵糧以外はいくらでもサービス価格で譲りましょう。タスタルの軍旗に関しては、本当にサービスしてもいいですよ」
タスタルの軍旗など、タスタル王国以外にとっては中古の布切れでしかない。その現実と恥辱にタスタルの王女は身と声を震わせながら、
「いかに利があるとはいえ、その申し出を受けるは、我が国の誇りを売り渡すに等しいというもの。そもそも、その代金が我が国を滅ぼす軍資金となるのは明白なのです。そうとわかっているのですから、貴国との取り引きにカンタンに応じられるものではありません」
「応じなくても、タスタルに武器やら何やらが必要なのは変わらないぞ。タスタルの商人に戦利品を売れば、間接的にタスタル王国は自らが奪われた物を買うことになるだろう。内通している連中も増えたからな」
タスタルの食料を大量購入した際に、タスタルの商人とのツテはできている。そして、タスタル王国の親アーク・ルーン派の官吏は、先の大敗の影響で元から少なくない数を増やしている。
トイラックからすれば、タスタルの商人と内通者を介した三角貿易が可能なのだ。
「もちろん、戦利品を売った代金のナンボかが、タスタルの商人の手数料となるから、我が国が得る軍資金はその分だけ減るけどな。けど、ここはトイ兄の提案を受けた方が、互いに利もあり損もあるぞ。身代金を金貨四万枚、戦利品の代金を三万八千枚とすれば、タスタルも軍事面以外に助かるんじゃないか?」
「……認めざる得ませんが……」
フレオールの言を、単に金貨二千枚の減額と考えるほど、ナターシャの視点と思考は表面だけに向けられていない。
戦利品の買い戻しの額が、元々、金貨三万枚であったことは、この場にいる者しか知らない。それに対する金貨八千枚の水増しを認める変わりに、捕虜二万五千人の身代金を金貨四万枚に減らすことは、金貨二千枚の利に留まらない。
先の戦いで一方的に叩きのめされ、自信を大きく失ったタスタル王国にとって、アーク・ルーン帝国を交渉ないし外交で譲らせた、あるいは妥協させたというのが、例え虚構であっても、失った自信の一部を回復させる材料となるだろう。しかも、その「成果」がタスタルの王女、声望ある七竜姫によって持たらされたとなれば、大きな心理的効果と希望を生むのは間違いない。
ひるがえって、アーク・ルーン帝国は様々な現実的な利益を得るが、トイラックは小娘にしてやられたという評価を得る。つまりは、国益のために自らの評判を落としても構わないという姿勢の土台には、恐るべき事実が潜んでいる。
ナターシャに交渉で遅れを取ったという評価が、トイラックの能力に疑問を抱かせる材料となるのは、有象無象の者たちだけ。ネドイルやスラックスの間に確固たる信頼関係があるこそ、トイラックは安心して国益を優先させることができるのだ。
トイラックの能力を信じるからこそ、スラックスらは後ろを気にせずに戦える。その逆も然りで、スラックスらへの将才を高く評価しているからこそ、トイラックは後方支援のみに気を配れ、結果、前線と後方が高度な連動を成すのだ。
ドラゴン族の助勢があれば勝てる。その方針に間違いはないと思いつつも、ナターシャは一抹の不安を抱かずにいられなかったほど、トイラックの才に怪物じみた恐怖を垣間見た。
そして、人と人の交渉の場で、ドラゴンの手助けなど得られるわけがなく、
「……そちらの申し出はわかりました。本国に帰って検討してから、正式に返事をさせてもらいます」
手玉に取られているのを承知で、タスタルの王女はその手のひらで踊ることを選んだ。
アーク・ルーン側の譲歩をギャラとして。




