野外学習編5-4
「我がアーク・ルーンの民を下民と呼ばわりした点、看過できるものではないですね。我らに対する悪口雑言は、敵である以上、何と罵られようが当たり前ですが、民に対する侮辱は許せません。前言の撤回をお願いします」
トイラックが静かに告げた要請は、五人の竜騎士を怒りの形相に染め上げた。
ただ客人を上司の元に案内する。それだけのカンタンな仕事を命じられただけの役人は、思わぬトラブルに巻き込まれ、客人を伴わずに上司の元に戻ると、思わぬトラブルに伝えられたトイラックは、すぐに待ち合い室に赴き、タスタルの竜騎士らを激怒させることを告げた。
恐れ多くも王女を後とし、一介の村長を先にしただけではない。その村長に吐いたツバを引っ込めろと言ってきたのだ。
もし、ナターシャがニースリルらを視線で制さねば、とっくにドラゴンの爪牙でできた剣は、トイラックに振るわれていただろう。
恥辱をこらえて小刻みに震えるタスタルの竜騎士らと異なるもので、その身を震わせるタスタルの王女は、
「ここはアーク・ルーンであり、その言い分がそうしたものなら、当初の約束のとおりに、そちらの決まりには従いましょう。が、後学のため、試みに質問させていただきます。もし、前言の撤回せねば、貴国はどうなさるつもりなのでしたか?」
「三十万の兵を以て、貴国を攻め、タスタルの王宮を征し、姫の父君に令嬢の不始末の責を取ってもらいます」
「……!……」
これまた静かな口調で口にしたとことん過激な内容は、タスタル側のみならず、魔法戦士を除くアーク・ルーン側も愕然とさせる。
当然、あまりの大事に、真っ青となったタニムの村長は全身と声を震わせながら、
「そ、そ、そんな、私ごときのために、そのようなことは……」
「あっ、気にしないでください。単なる口実ですから。いやあ、第九、第十、第十二の将らが武功を望んでいましてね。彼らの戦意をなだめるのに、ちょうどいい機会なのですよ」
東に集結した五個軍団の内、第十一軍団は昨年、第五軍団は先日、七竜連合との戦いで大功を挙げたが、他の三つの軍団は睨み合いと土木工事しかしていない。
第九、第十、第十二の軍団長は決して好戦的な人物ではないが、戦うために来たのに友軍の手柄を眺めるだけの戦況に、強い不満を抱く部下たちの意見を善処せねばならない立場でもある。
ワイズ軍の残党が加わったとはいえ、弱っているタスタルでは、敵としては役者不足かも知れないが、とりあえず三十万の将兵のサンドバッグくらいはなるだろう。
「死人に口なしと言います。姫が前言の撤回を死んでもしてくれねば、父君の口で前言を撤回してもらうだけのこと。もし、タスタル王も口が効けなくなれば、他の王子や王女にそうしてもらうだけです」
「キサマッ!」
「止めなさいっ!」
主家に言葉の刃を向けられ、本物の刃を抜かんとする家臣らを、主家の言葉が止める。
「で、ですが、姫様……このような暴言……」
「今は抑えなさい」
納得できないと言わんばかりの家臣らを、ナターシャは重ねて制している中、
「護衛がかえって守る相手を危うくしてどうするんですか。ここで私たちを斬ったところで、国境には五十万の兵がいるというのに」
「何をっ! 我らにはドラゴンが……」
「いたら、そちらがどこにいるか一目でわかるでしょうに」
この指摘で竜騎士らは敵地にいるマズさに気づく。
ワイズ王宮に乗竜がいれば、トイラックらを斬った後、悠々とドラゴンがに跨がってタスタルに戻れる。どれだけの大軍だろうと、弓矢の届かぬ高さを飛べば、その帰路に何の不安がないのは、敵軍が普通の相手ならば、だ。
アーク・ルーン軍は弓矢などとは比べ物にならない威力と飛距離の対空装備を保有しており、実際に何騎もの竜騎士がそれで撃墜されている。
それでも、ドラゴンに乗ってここに来ていれば、大きく北回りで、魔道兵器を保有していない他国を経由してタスタルに戻ることはできただろう。が、今の状況では、念話で乗竜を本国から呼び寄せられても、一度は着陸させて乗り込まねば、空路を取れない。
ドラゴンなどという巨大生物を見逃す方が難しく、アーク・ルーン軍からすればその巨大な目印を追えば、ナターシャらがどこに隠れていようが補足できる。
ならば、自らの足で逃げるとしても、いかに親しい隣国だったとはいえ、タスタルの者がワイズの地理に、当たり前だが精通していない。五十万どころか、千人の敵兵の目をくぐれるか、疑問である。
竜騎士らの思慮の足りなさに、トイラックもフレオールも内心で苦笑するしかなかった。
主のために大きな声は出せても、まったく頭を使うことができていない。
たしかに、ドラゴンは強大な力を有する超生物であり、その能力を用いることができる竜騎士の強さは、正しく一騎当千だ。普通ならば、どのような危機的な状況も力ずくで対処できるだろう。
が、竜騎士が普通とはほど遠い力を有するのと同様、魔法帝国アーク・ルーンも尋常ではない力を振るうのだ。
そして、共に強い力を有しながら、ヅガートもスラックスもそれを巧妙に用いたからこそ、七竜連合は大敗を続けており、何よりそれから何も学んでないゆえに、トイラックもフレオールも竜騎士の上げる気勢を笑ってあしらえるのだ。
「無論、こちらは無用な争いは望んでいません。そちらが民への侮辱を取り下げ、順番を守っていただければ、物騒な行動を取らずにすむ点、ご理解をお願いしたい」
この辺りのトイラックの発言は、侵略者の戯言でもあるのだが、それに感情的に反応してはナターシャの危機につながるのに気づいたニースリルらは、顔を真っ赤にするものの、先ほど違って怒りをこらえる。
「敵国とはいえ、戦に関係ない民への暴言は改めるべきでありますし、順序を守るのは、思えば当然の話です。下民などと心ない言葉を取り消し、かつおとなしく約束の刻限まで待ちましょう」
敵の要求を丸呑みさせられ、ニースリルらは悔しげな表情を見せるが、当のナターシャがややほっとした表情を垣間見せたのに、トイラックは感心させられる。
軌道修正を計り、そのための時を稼いだ点に。




