野外学習編5-2
先の戦いで、タスタル軍を大いに破り、大量の武器や兵糧を奪い、多数の捕虜を得たのは、スラックスである。
彼は東方軍の総司令官であるが、戦利品の管理は後方総監の役割であるので、戦利品は一端、トイラックの管轄となってから、将兵に分配される。
このアーク・ルーンの管理システムのため、ナターシャは総司令官の元ではなく、ワイズ王国の王都だったタランドまで転移したのだ。
そして、捕虜の返還交渉のために後方総監の元へと向かう馬車の中で、
「約四年前、トイ兄が内乱を鎮めたのは知ってのとおりだ。その功績で、五千戸の領地を賜ったが、そこは荒れていて貧しい土地だった。その貧しさゆえに賊となった者は多く、ブラオーも三百人の手下を率いる、山賊の親分さんだったそうだ」
フレオールが短い道中で、馬車を走らせる男の話題を口にする理由は二つ。
山賊の親分から憲兵隊長になったというのに、その地位を捨ててまでトイラックに従う生き方に、ナターシャが少なからぬ興味を見せたから。
もう一つは、この話題を通して、これから交渉する相手がどれだけ厄介か、事前に少しでもわからせるためだ。
単純な学園での成績なら、フォーリスやクラウディアと並ぶレベルで、ナターシャの学力はウィルトニアを勝るだろう。
が、ウィルトニアはトイラックとの交渉に臨むに際して、フレオールがそのひととなりを聞き出し、相手の本質を見極めようとしたのに比べ、ナターシャは七竜連合が集めた表面的な情報のみで、トイラックという人物を判断している節がある。
余計なお節介を承知で、いくらかの予備知識なり、覚悟なりを与えておかないと、さすがに不憫というものなので、ナターシャが興味を覚えたブラオーから、トイラックのカコバナをレクチャーしようとし、お姫様も黙って聞いているようなので、
「領地と共にもらった金貨十万枚を元手に、領民にまず食べ物や衣服を配って当座の生活への不安をなくし、次に荒れた田畑を耕させつつ、新たな産業を起こさせる。もちろん、賊がはびこっていたら、人心は安定しないし、人々は安心して働けない。だから、トイ兄は同時に、貧しさゆえに賊となった者は許すという布告を出したが、最初は誰もそれを信じなかった」
「それは当たり前のように思われますが? 彼らは賊となるしかないほど、貧しいままで放置されたのですから」
「正しくそのとおりだ。そこでブラオーとの出会いの話になる。トイ兄は身ひとつでブラオーの元に行き、領地の治安を回復するため、協力を頼んだ。それにブラオーが応じて、三百人の賊が民に戻っただけじゃない。そうして布告の正しさが証明されると、賊はどんどんいなくなり、領民もどんどん豊かになった。これでブラオーら何人かが心酔し、トイ兄にどこまでも従うようになったから、ここにいるんだろう」
「…………」
語り聞く内容に、言葉を失うナターシャ。
貧しい領地を復興させただけでも、その手腕は瞠目に価するのに、命を張って山賊らに道理を説いた行動は、よほどの胆力がないとできぬものだ。
が、この反応に、フレオールはやや人の悪い笑みを浮かべ、
「ナターシャ姫、驚くにはちと早いぞ。トイ兄が内務大臣の要職を拝命して、帝都に戻った際、共に来たブラオーら元犯罪者を憲兵に推薦したのは、トイ兄だ。我が国の司法大臣閣下の元、帝都の治安は充分に保たれていたが、細かな問題がなかったわけではなかった。そうした点を洗い出すため、通常の憲兵と違う視点を持つ、ブラオーらを活用し、これがうまくいったから、ブラオーは憲兵隊長にまで出世した。無論、ブラオーらがトイ兄の役に立たんと、必死にがんばったというのが大きいが」
そうして努力して手に入れた地位を放り出して、トイラックを追って帝都からワイズまで来たのだから、その信望の大きさがうかがえるというもの。
もっとも、ブラオー当人は去年の内に辞職したかったが、周りから説得されたり、後任への引き継ぎなどで、憲兵隊長でなくなったのはつい最近の話となってしまったが。
「ああ、それと、ブラオーの件でトイ兄にメンツを潰された司法大臣閣下だが、二人の仲が悪いということはないぞ。むしろ、問題点をいくつも改善してもらい、民がより暮らし易くなったことを素直に喜んで、司法大臣閣下はトイ兄に礼を述べたぐらいだ。おまけに、いたく気に入ったらしく、自分の娘を嫁にもらって欲しいと公言するほどだ」
その娘はまだ十四なので、トイラックが義理の息子になるにしても、まだ先の話だが。
こうして、大宰相を嫌い抜く司法大臣と良好な関係が築かれると、トイラックに新たな仕事、二人の仲裁役というものが加わったのは言うまでもない。
私人としては、財産や給金のほとんどを貧しい者に与える食べ物や衣服、薬などに使い、公人としては公正かつ寛容な姿勢で政務に取り組むゆえ、公私どちらも善良で温厚で思いやりのある好人物と評価とされており、それを耳にして話のわかる相手と考えていたナターシャの顔は、今や真っ青であった。
考えが甘いと言えば、それまでの話だろう。甘く見ていなかったウィルトニアでさえ、まったく話にならなかったのだ。
何より、馬車はもう滅びた国の王宮の正門をくぐっており、次に滅びるかも知れない国の王女に引き返す道がないのに気づいたか、ナターシャは青い顔ながら表情を引き締めて覚悟を決める姿は、同乗するフレオールを心底、呆れ顔にさせた。
実のところ、ナターシャが甘い目論見でいようが、ウィルトニアのように充分に警戒していようが、トイラックをよく知る魔法戦士からすれば、どちらも無意味な対応なのだ。
彼女たちにネドイルと同等の力量がない限り、互角の交渉なぞ望みようがないのだから。




