エピローグ2-1
首級一万三千、捕虜約二万五千。
それがアーク・ルーン帝国の第五軍団が挙げた戦果だった。
五千の兵に魔道戦艦の半数をつけて占拠したカッシア城を守らせ、残る九万五千の兵で包囲するタスタル兵三万のみならず、それを助けるために駆けつけたタスタル兵二万も、スラックスに踊らされる形で戦端は開かれた。
何日も水の手を絶たれ、包囲されるタスタル軍三万はかなり衰弱しており、タスタル兵らは自らの血をすすって渇きをごまかすありさまだった。
そこに駆けつけた二万の援軍は、味方の苦境にすぐに動いた。エア・ドラゴンを駆る竜騎士がいれば、包囲網を飛び越え、その内と外で連絡を取るのをスラックスは邪魔しなかった。
それゆえ、三万と二万のタスタル軍が、包囲網の一点を内と外から攻め、その部分を破るのに成功した、ようにスラックスは見せかけた。
軍団長の指示どおり、アーク・ルーン兵はタスタル軍の挟撃に対して、さして抵抗せずに左右に逃げて、三万の敵が包囲網の外に出るのに任せた。
あっけなく三万の味方を助け出し、合流して計五万となったタスタル軍に、アーク・ルーン軍九万五千はスラックスの指揮の元、陣形を迅速に凹型に変え、三方から二万のタスタル兵を攻撃した。
こういう時のアーク・ルーン軍は徹底している。渇きによる衰弱で倒し易い三万ではなく、三万の足手まといのために満足に戦えない二万の方を集中的に狙い、一方的な戦いでタスタル軍が約四万に減ると、一万二千のタスタル兵はついに敗走した。
そして、逃げる体力のない二万八千のタスタル兵が降伏すると、スラックスはカッシア城の兵を率いて出撃した。
散り散りに敗走した一万二万のタスタル兵の内、約一万がトゥラーベ城に逃げ込み、そこでやっと一息つき、疲れた体と打ちのめされた精神を休め、食事をとっていたところに、スラックスが率いる黒林兵を中心とした五千の強襲を受ける。
慌てて閉めようとした城門を魔道戦艦の砲撃で壊され、そこに雪崩れ込んで来た黒塗りの長槍を手にする敵兵に、武器ではなく、スプーンとおわんを手にするタスタル兵ではまるで勝負にならず、一万対五千の戦いは一方的に三千の戦死者を出して終わった。
そして、奪ったトゥラーベ城のみならず、カッシア城にも火を放って、軍事施設として使えなくすると、捕虜の内、老人兵と少年兵、それと重傷者を含める約三千は解放したが、残る二万五千のタスタル兵は連行され、第五軍団は悠々とワイズ領に引き上げつつ、スラックスはタスタル王の元に捕虜交換の使者を遣わせた。
敵の使者の口上のみならず、前線から次々ともたらされる惨憺たる敗報の数々に、タスタル王は重臣らと青くなった顔をつき合わせて議論した結果、アーク・ルーン帝国とタスタル王国の捕虜交換は成立したので、リナルティエとバツの悪そうな表情のマルガレッタは、スラックスの前に立っている。
妹と同様、黒塗りの長槍と甲冑で武装するスラックスは、妹と同じく長い銀髪を結い上げているが、男女の別なく髪を伸ばして結うのは、今は亡き二人の国の習俗なので、同じ国に生まれ育った第十二軍団長のリムディーヌも髪型は同じである。
ただ、妹より色白で、秀麗な美貌の持ち主である兄は、ヘタな女性より艶やかで色っぽい。二十代後半と物腰に落ち着きや貫禄がある分、女装すればイリアッシュすら及ばぬ「美人」となるだろう。
女性に生まれていれば、傾国の美女となっていたかも知れない男でなくなったスラックスは、
「まずは、両名の無事であるがゆえ、ベダイル卿を落胆させず、我が軍が受けた助力に報いることができた点、まっこと喜ぶべきことである。またネドイル閣下よりの大任、こうして果たせたのは、皆のおかげであるのは言うまでもない。加えて、我が不肖の妹を助けてもらった点にも、私個人として礼を言わせてもらう」
見守る十万の兵らに頭を垂れる。
「では、所定の手順のとおり、両名をベダイル卿の元に送り届けよ。それと、トイラック卿が手配された酒が届いている。ささやかなものではあるが、酒宴を開き、皆の勇戦を労いたい」
「お待ちください、将軍。」
スラックスの指示に待ったをかけた、彼の老いた副官シタンズが、同じような髪型で同じような甲高い声を発するのは、将軍と同じ宦官だからだ。
宦官は貴人の世話をするためだけに去勢された存在だが、アーク・ルーン帝国には宦官の制度そのものがない。国を失った宦官たちはほとんど働く場を失ったが、特殊な存在ゆえに転職も難しく、路頭に迷った者も少なくなかった。
全員を助けるのは無理だが、スラックスは国と仕事を失った同胞の救済に努めており、シタンズもそうした一人である。
無論、宦官だからシタンズを副官としているのではなく、その見識と気骨を見込んでの人事であるのは言うまでもない。
「実は手際が悪く、両名を送り届ける準備が整っておりません。一両日中には手配をすませるので、それまでお二方には陣中に留まっていただくより他ないのです。将軍は妹御とお会いするのも久し振りでしょう。積もる話もございましょうから、準備が整うまでそうしてお時間を潰していただきたい」
シタンズの物言いは実直そのものだが、何人かの士官とリナルティエが忍び笑いをもらしているので、兄妹は共に美しい顔をしかめる。
スラックスもマルガレッタも共に家族への愛情は深いが、同時に重くもある。互いを想い合うがゆえ、愛情が行き違いのような形となってもいるのだ。
「ネドイル閣下のお気遣いは嬉しいのだが……」
「ベダイル様も余計なことを……」
二人は心の中で主の配慮に嘆息する。
ここまで来ると、味方の真の思惑は明らかだ。
タスタルかフリカを叩き、連合軍再結成の機運を高めるのが真の目的であるが、スラックスとマルガレッタ、兄妹の愛情過多による行き違いを是正する場、二人が話し合う機会を設けるのも、ついでにやってのけたわけだ。
フレオールの負けを知り、ベダイルが魔戦姫二名を敵地に送ろうとした際、ネドイルに相談したのが、七竜連合の不幸の始まりだった。
ベダイルとしては、正体さえバレなければ何の心配もないが、万が一、魔戦姫の存在に知られた時、味方が迅速な対応とフォローができるように、異母兄にあらかじめ話を通そうとしたが、それを大宰相は一石四鳥の策略に変えた。
タスタルを叩くと共に、スラックスとマルガレッタの行き違いが解消すれば、そのことで気をもむベダイルへの借りを返済できる。
また、スラックスの性格からして、こうした配慮を示せば、厚い忠誠心がさらに分厚くなるに留まらない。
シタンズを始めとする第五軍団の者たちは、自らの将を心から尊敬している。スラックスへの気遣いを見せることは、第五軍団の十万人から感謝されることにもつながる。
かくして、ネドイルの策略によって、ベダイルは密かにリナルティエに指示を出し、タスタルとの一戦に向かうスラックスにわからぬよう、トイラックは兄妹の和解の場が実現するために手を尽くした。
もちろん、兄妹の仲が悪いわけではない当人らにとっては、余計なお世話でしかないが、互いに主の気遣いを無にできる性格でもない。
大宰相の策に絡め取られた将軍は、わざとらしく咳払いをした後、
「……たしかに、ネドイル閣下やトイラック卿、さらには兵たちにも多大な迷惑をかけ、今回のような事態を招いた責は妹の軽率な振る舞いにあると共に、兄である私の不徳によるところと言えよう。我ら兄妹には、二度とこのような迷惑をかけぬように努めるため、話し合う必要が確かにある」
魔戦姫二体が七竜連合の実質的な捕虜となった原因はリナルティエにあるので、マルガレッタはやや不服そうな表情となる一方、スラックスは表情を引き締めると、真剣な雰囲気を察して周りの忍び笑いが止んでいく。
「このような時は、腹を割って話し合わねばならない。だから、マルガレッタよ、率直に言わせてもらえば、オマエが人間を止めたことに、私は忸怩たる思いを抱いている。宦官となった時も、ネドイル閣下に将軍にお取り立ていただいた時も、これで家族を守れる、幸せにできると思った。が、それは私の独りよがりだった。私がオマエたちを心配したように、オマエも、母上も、弟も、我が身を案じてくれていたが、未熟な私は、その程度のことにも気づかなかった。まったく、恥ずかしいかぎりだ」
「いえ、未熟なのは私の方です! 兄上の気持ちも知らず、元のお身体に戻れば、兄上は幸せになれると浅はかに考え、軽率なマネをしてしまいました。それがかえって兄上を苦しめることになってしまい、もう私には兄上にどう報いたらいいか、わかりません。兄上がしてくれたことをいくらかで返したかった……」
人でなくなった少女は心中を語る内に、昂った感情を抑え切れず、涙が頬をつたっていく。
悔いる妹の姿に、男でなくなった兄は優しげに微笑み、
「宦官になって祖国が滅びるまでは、辛く苦しい日々だった。だが、今は宦官となったことを後悔していない。私のために、妹と仲直りするというだけのことに、これほどバカバカしく大がかりなことをしてくれる主に出会えたのだ。我が槍を捧げるに足る主君と巡り会う。これこそ、武人の本懐。そうした生きざまを得られ、また家族が幸せであるなら、これに勝る生き方はない。マルガレッタよ、そなたはどうだ?」
「はい、はい、私も幸せです。私は軽率な行動で、人ではなくなりました。ですが、その浅はかさでベダイル様に、我が槍を捧げるに足る主に巡り会えたのです。兄上が私の軽挙に心を痛められたのは申し訳なく思いますが、自らの愚かさがベダイル様との縁である以上、むしろ未熟であって良かったと考えます」
「そうか。そう言い切ってくれて、また私もオマエに伝えねばならないことが言えて、やっと心の中のもやが晴れた。オマエが幸せであるなら、未熟ながらも私がやってきたことは無駄ではなかったのだな。しかし、まったく、少し話せばいいだけのことを、互いにせずにいたのか、私たちは」
「ええ、まったくです」
苦笑するスラックスに、マルガレッタは泣きながら笑顔を浮かべる。
「では、マルガレッタよ。共に、己の槍が折れるまで生きようぞ」
「無論です。この点に関しては、兄上に負けぬほど、主の役に立つ所存です」
持ち主の意思に応じて、現れた二本の魔槍を握った兄妹は、自分の黒塗りの長槍を交差させ、己の宣言の誓いとした。




