魔戦姫編22-3
充分な準備の末の敗走だけに、フレオールらに背を向けた二十三名は、一様に暗い表情をしており、その敗報は十日以上もの野営を余儀なくされているライディアン竜騎士学園の生徒らやロペスの兵らを激しく動揺させたが、実のところ七竜姫の面々からすれば、周りの反応など気にしている余裕はまったくなかった。
一人として欠けることなく後退できたのは不幸中の幸いだろう。無論、それは単なる幸運のたまものではなく、早々に向こうの地の利に気づいたからだが、それだけに軽々しく再突入などできるものではなかった。
「いったい、何があったのですか?」
天幕に置かれた円卓につく五人の七竜姫と、ドガルダン伯爵を含む五人の敗者にそう問いかけたのは、作戦に参加していない学園長である。
十人と少しならともかく、二十数人となると、収容できる人数ではないので、残る十三人の敗者は天幕の外でうなだれている。
叔母に問われ、沈痛な表情の姪は沈んだ声音で、
「フレオールの思慮を侮っていました。なぜ、教室に陣取っていたか、その点をもっと考えるべきでした。少数が多数を迎え撃つ際、狭い場所であるのがセオリーだと言うのに」
強い悔恨がこもるのは当然だろう。
ティリエランが述懐するとおり、狭い場所であればあるほど、数の利は活かし難い。その点では、学生寮の部屋の方が、少人数でうまく立ち回り易く、教室となると、フレオールらの数からすれば、戦う場としては広すぎるのだ。
「当初は、あのリナルティエを初め、向こうは得物を振り易さを考え、教室に陣取っていると思っていました」
リナルティエの斬馬刀はもちろん、マルガレッタの長槍、そしてフレオールの魔槍にしても、学生寮の室内では思う存分に振るえない。特に、リナルティエが暴走状態となった時、ある程度の広さがない方が不利に働く。
いざという時、魔戦姫一号体の能力が十全に振り回せるようにする。それが教室を迎撃地点に選んだ理由の一つだ。
だが、それ以上に厄介な点は、
「それでも、教室の中で戦っていれば、あのように無様に撤退することはなかったと思います。だが、それには渡り廊下を突破せねばなりません。あの狭く一直線の場で、イリアッシュに迎え撃たれたら、為す術がなかった」
これこそ、フレオールが一年生の教室を選んだ最大の理由である。
身を隠す物もなければ、充分な回避運動のできる空間もない、長い渡り廊下を進むのは、自ら的になりに行くようなもの。
これほど遠距離攻撃が有効な場所はない。そして、イリアッシュの膨大なドラゴニック・オーラが、最も威力を発揮する戦場でもあるのだ。
加えて、遠距離攻撃の手段があるのは、竜騎士見習いのみではない。
「あの時、ナータらはイリアッシュ一人に撃ち負けた。だが、それ以上に恐ろしいのは、フレオールが魔法を放っていた時です」
魔法戦士は『マジカル・ブラスター』なる術で、ドラゴンの頭を砕いている。イリアッシュ一人にナターシャら五人が力負けした直後、後続の竜騎士五人がすかさずドラゴニック・オーラを放ったからいいが、もしそれがなければ、フレオールから『マジカル・ブラスター』のような魔法が飛んできて、タスタルやフリカとの外交問題が起きていてもおかしくない局面だったのだ。
この一事だけでも、わざわざ優れた竜騎士を呼び集めた意味があるが、その最精鋭でもフレオールらの守りを崩すのは難しい。
「接近するだけなら、別に難しくありません。いかにイリアッシュと言えども、しょせんは一人。私たち全員どころか、三分の一でも対抗はできます。が、無理に間合いを詰めるということは、それだけ危険を侵すということにもなります」
「狭い場所では少人数の方が立ち回り易い以上、強引に接近を計るべきではないでしょうね」
姪の言いたいことを理解し、ターナリィが渋い表情となる。
イリアッシュのドラゴニック・オーラの量と威力がいかに抜きん出ていても、七竜姫が三、四人がかりなら充分に対抗できる。
何人かでイリアッシュの攻撃を防ぎ、別の何人かでフレオールらを牽制すれば、間合いを詰めて接近戦に持ち込むことは可能ではあるのだ。
だが、無理でも強引でも前進したところで、活路が開けるどころか、より危うくなりかねないゆえ、誰もが暗い表情をしているのだ。
狭い廊下ゆえ、並んで戦うのは三人が限度。そして、ウィルトニアやレイドがいない今、フレオールとすら、一対一で勝てる者がいない。何より、フレオール、リナルティエ、マルガレッタが前衛に立ち、イリアッシュが後方からあの大火力で支援するという態勢を取った場合、どうなるか。
七竜姫らが前衛を務めても、一対一ではフレオールらの攻撃を防ぐのが精一杯。ナターシャらがフレオールらと互角以上に渡り合うには後方からの援護が不可欠だが、彼らはイリアッシュに備えてもらわねばならない。でなければ、前衛はフレオールらと戦って余裕のないところにイリアッシュの攻撃を食らうことになる。無論、たった一匹でアーク・ルーンの軍勢を追い返した、魔竜参謀の動向にも目を配らねばならない。
結局のところ、七竜姫が五人いようが、フレオールら四人と一匹の方が質で勝るのが、根本的な原因であろう。そのために充分な数を揃えたとも言えるが、場所的に数の利が活かせないから、圧倒的に数で勝る側が苦しい状況にある。
「前後から挟撃するのはいかがかしら?」
「戦力を半分にすれば、連中に対抗できなくなる。何らかの理由で、連携が遅滞すれば、時間差による各個撃破の好機を相手に与えてしまう」
提案を却下されたフォーリスが、ティリエランの慎重論に非を鳴らさないのは、自分の意見の危険性にちゃんと気づいているからだ。
戦力を二分し、二方向から同時に仕掛ける。口にするのはカンタンだが、不測の事態が生じた場合、半分となった戦力で、フレオールらと渡り合わねばならなくなる。
半分の戦力でフレオールらに対抗できるものではないし、魔戦姫や魔竜参謀がどのような手札を隠しているかわからぬ以上、充分な戦力がなければ、不測の事態に対処できないかも知れない。
もし、危険な賭けに出て失敗した時、失うのは竜騎士の命だ。このようなバカバカしい騒ぎで、貴重な竜騎士を死なせるなど論外というもの。
「……戦力、足りないなら、補充できない?」
「イタズラに数は増やせば、統率に乱れが出る。私も先ほどの戦いで実戦経験の大きさを痛感した」
シィルエールの提案も言下に却下するティリエランの顔には、自嘲気味な笑みが浮かんでいる。
ライディアン竜騎士学園に呼び集めたロペス竜騎士らは、南のモルガール王国や東のヴァマル帝国との戦いで活躍した者ばかりだ。その勇名は伊達ではなく、渡り廊下の一戦で、彼らはティリエランに指示される前に、迅速かつ適切な行動を取った。
ひるがえって、後衛にいたロペスの教官や生徒は、成績は優秀な者ばかりだったにも関わらず、王女から指示されねば満足に逃げることもできなかった。
教官や生徒が全員、指示されねば動けない者ばかりとは限らないが、そうした資質は実戦に放り込んでみないと判断できない。ヘタな増員は足手まといを増やすことになるのだ。無論、出身国の異なる者らを同じ戦場に立たせる欠点は言うまでもない。
実のところ、数で押す戦法を取れば、フレオールらを倒すのは容易だ。が、それは消耗戦を意味し、たかが四、五人を取り押さえるのに犠牲者を出すことになる。
「あるいは、向こうと和解するって手もあると思うけど?」
「どういうことですか、ミリィ」
「さっきの攻防、明らかに向こうは手ぬるい戦い方をしていた。たぶん、向こうの目的はこちらを倒すとか、負かすとかじゃなく、謝らせるなんじゃないかな」
「たしかに、先ほどの攻防、魔戦姫の一人と魔竜参謀は加わっておらず、こちらが退く動きを見せれば、追撃もかけてこなかった」
フレオールらの攻撃の手ぬるさを口にするほど、ティリエランはミリアーナの見解に理があるように思われた。
「それで、ミリィ。相手の目的をそうと察して、あなたが和解を提案するのはなぜですか?」
「状況的に言えば、ボクたちはすでにフレオールらに勝っているんだよ。向こうは学園の外に出たくても出れないんだから」
「はあ? 何を言ってるんですの?」
ゼラントの王女の大胆な発言に、驚いたのはシャーウの王女だけではない。
何しろ、この場にいるのは先ほど敗走した者ばかりなのだ。
ミリアーナはその反応に内心でため息をつきながら、
「籠城戦に置き換える感じかな。城を強引に力攻めをすれば大きな被害が出る。けど、城に立てこもる側は、打って出ると大敗するから、城を守るしか手立てがない。そして、籠城する側のセオリーは二つ。攻める側が諦めるまで粘るか、援軍が来るまでひたすら耐えるか」
「たしかに、タイミングを考えれば、アーク・ルーン軍が我が国を攻めたのは、偶然ではなく、我々が魔戦姫らを逃がさないようにしたため、フレオールらが密かに連絡を取り、魔戦姫らの解放を目的に動いたと見るべきでしょう。そして、味方が侵攻するタイミングに合わせて、学園を占拠して立てこもったというわけですか」
「たぶん、最後の点だけは違うと思う。フレオールは事を荒立てるつもりはなかったはずだ。あくまで交渉が目的なんだから」
「ですが、フレオールが学園を不当に占拠しているのは事実です。向こうは事を荒立てているじゃありませんか?」
「それこそ、こちらが見過ごせない侮辱をした結果と思いますよ、ナータ先輩。事を荒立てるのは得策じゃないとわかっていても、手を出すしかなくなった。だから、フレオールらはこちらを謝罪させるために、さっきの攻防で手ぬるい戦い方をした」
二つ年上の王女に答えながら、ミリアーナは一つ年上の王女の様子をうかがう。
「それができないのは、あなたも承知しているでしょう」
三つ年上の王女がやや厳しい面持ちで和解案を却下するのは当然だろう。
これまでフレオールらが死体をこさえることはあったが、それらは彼らが仕掛けられる側であり、加害者に対する反撃の結果にすぎない。
だが、今回は違う。侮辱されたとはいえ、先に手を出したのは学園のトラブル・メーカーの方で、非はフレオールにも多分にある。これまでは非が自分たちにあるゆえ、七竜姫らも同胞の死の責任を強く問わなかったが、現状が死体が出るとそうはいかない。
フレオールに非がある現状で同胞が死ねば、生者らの怒りと非難は高まり、血を以てあがなわせるという感情論が大勢を占めると、話し合いの余地がなくなりかねない。
怒りや憎悪に支配された時、人は損得勘定を度外視してしまいかねかい。あくまで謝罪が目的である以上、フレオールも人死にが出ないように努め、相手が交渉できるくらいの冷静さを保持してくれないと困るのだ。
「だけど、ボクたちがフレオールらの生殺与奪の権を握っている以上、ここで向こうを完全に捕らえることに意味はないと思うけど? すでに大局はタスタルに移っているんだし」
繰り返すが、犠牲を出すのを気にしなければ、フレオールらを倒すのは難しくないが、何よりそうした状況を構築した以上、無理に仕掛けて犠牲を出す危険を侵す必要もない。
無理をすればフレオールらを殺せる状況だけで、交渉カードとしては充分なのだ。
後はその交渉カードを持ったまま、タスタルでの決着を、向こうが交渉カードを出すまで待つしかない。むしろ、ヘタに動いてフレオールらという交渉カードを殺してしまうと、第五軍団の軍事行動を硬化させる恐れがある。
おそらく、フレオールらをうまく捕らえられたとしても、大局に大した影響はない。すでに大局はタスタルに移っており、その決着が事態を大きく左右するのは明白だ。
そして、タスタルの戦況はアーク・ルーンの側に有利であり、その決着後の手札の違いを考えれば、七竜姫らはフレオールらを完全に捕らえることではなく、交渉カードを増やすことに手を尽くすべきなのだが、ロペスやシャーウ、何よりタスタルからすれば、今さら方針転換などできるものではない。
ティリエランはフレオールらに直接対決するだけの戦力を集めてしまったのだ。これで傍観すれば、ロペスはフレオールら、たった四人と一匹にかなわないことを認めたことになり、メンツが潰れることになる。
フォーリスもシャーウのメンツからして、フレオールを縛り上げて、のど元にノコギリ状の刃を当てながら、クリスタへの謝罪を取り下げさせないといけない立場にある。
ナターシャは祖国の戦況を思えば、フレオールらに完全勝利するというより、勝利に貢献してその身柄に関する権利を主張できるようにしておかねばならない。
結局のところ、ミリアーナの進言は遅かったのだ。ロペスの竜騎士らが集う前なら、ティリエランも対話による解決、ゼラントの王女の意見に同意できただろう。
ライディアン竜騎士学園がロペス王国にある以上、方針決定の主導権はティリエランにあり、彼女が武力行使に反対すれば、後はナターシャとフォーリスをいかになだめるかだけが問題となる。
ミリアーナも自分の意見と気づきが遅いのがわかっていなかったわけではないが、積極的に動くだけの利害のないゼラントとしては、和解案を提示しておかねばならないのだ。
もっとも、利害が絡まないだけに、ミリアーナの意見には切迫したところがなく、他の強い意見に流されるところがある。フリカにしても、タスタルの苦境は明日の我が身だから、シィルエールも同じ年の王女ではなく、年長の王女らに同意せねばならない立場にある。
和解案がほぼ総反対を受け、四人の王女から批判的な視線を受けるミリアーナは、軽く肩をすくめてから、
「……わかった。まあ、このままやられっぱなしってのも面白くないし、フレオールらを倒すのに全力を尽くすのに賛成するよ」
「問題はあの場所で、どう戦うか、ですわ。せめて、向こうを教室の中に押し込められたら、戦いようもあるんですけど」
ゼラントの王女が和解案を取り下げるや、フォーリスがすかさず議題を軌道修正する。
この中で最も強い危機感を抱いているのはナターシャだが、最もメンツにこだわるのはシャーウの王女である。
勝敗以上に、自国が頭を下げる決着を望まぬ彼女は、
「増員、挟撃、そして各個撃破。色々と意見が出ましたが、そのすべてを試してみるというのはどうでしょうか? 消耗戦という項目を加えまして」




