魔戦姫編22-1
「……カ、カッシア城が落ちた……!」
祖国からもたらされた二度目の凶報に、顔を真っ青にして倒れかけたナターシャを、数日の休養で血色がいくらか良くなったティリエランがとっさに支える。
アーク・ルーン軍の侵攻を知ってから五日後の昼前、大天幕にいる五人の七竜姫とライディアン竜騎士学園の長であるターナリィ、そしてライディアン市の領主たるドガルダン伯爵を含む八人のロペスの竜騎士は、タスタルよりの急使から食欲がなくなる報告を受けていた。
フレオールらが学舎を占拠して十二日目を迎えた現在、日に日に不満の声を大きくする生徒らを苦労してなだめつつ、それもロペスの優れた竜騎士らが集い、ティリエランの体調も回復して、ようやく解決への段取りが整った矢先、さらに悪化したタスタルの戦況を、その天幕にいる一同だけが耳にするように配慮した。
朗報ならともかく、凶報となると、ただでさえ十日以上の屈辱的な野外生活で苛立っている生徒らの、暴走の引き金になりかねない。だから、この後、ターナリィはタスタルの苦境を、教え子たちにあいまいにしか説明しなかった。
それほど、マルガレッタが鼻高々になるほどの戦況を、ナターシャは愕然となりながら詳しく聞こうとする。
「ど、どういうことです! カッシア城には三万もの兵がいたではありませんか! 十万の敵に攻められたとしても、あの堅固な城が易々と落とされるものではありません!」
カッシア城はタスタル西部の軍事的な要衝であり、それだけに元からの固い守りを、アーク・ルーン軍に備えて手を加え、さらに堅固な造りにした上、三万の兵を置いている。
十万どころか、二十万の兵に攻められても、長期に渡って防げるだけの防備を誇る代物だ。それがこうも軽々に落とされるなど、にわかに信じられるものではない。
「ざ、残念でございますが、カッシアはアーク・ルーン軍に奪われてしまいました。それも、ほぼ無血の内に……」
凶報のオンパレードに、ナターシャは再び立ちくらみを起こしかけるが、その絶望的な内容はまだ入口の段階でしかない。
「さ、三万もの兵が、それほど、一方的にやられたというのですか!」
「いえ、我が軍は今のところは無事にございます。ただ、十万の兵に囲まれ、動くに動けぬ状態にありまして……」
「はっ? それはカッシア城が敵に包囲されたということですか?」
それなら、慌てる必要はない。カッシア城は十万の敵に囲まれても、充分に対抗できる。むしろ、他のタスタル軍に加え、各国の援軍が到着すれば、アーク・ルーン軍を内外から挟撃することも可能だ。
「いえ、いえ、カッシア城は敵の手にありまする。そして、三万の兵は敵の包囲下にありまする」
「そ、そんなおかしな話がありますか! カッシア城を守る兵が、カッシア城を落とされ、敵に包囲されているなど、理屈に合いません!」
「落ち着きなさい、ナータ。使者の方にも落ち着いてもらい、順序だてて話を聞きましょう」
ついに見かねて、ロペスの姫はタスタルの姫に落ち着くように言う。
「あっ、申し訳ありません。取り乱してしまいました」
「貴国の状況を思えば、それも仕方ないでしょう。ただ、冷静さを欠いては、アーク・ルーンの術策に対抗できませんよ」
自分の焦慮に気づき、深呼吸をして乱れた心をいくらか落ち着かせたナターシャは、家臣にも深呼吸をさせて落ち着かせようとする。
そして、使者の表情と呼吸から乱れが消えていき、天幕にいる竜騎士とその見習いらは、姿勢を正してタスタルからの凶報に向き合う。
「先ほどは見苦しきところをお見せしました。まだ、いささか気が動転しておりますれば、聞き苦しい点もあるやも知れませんが、ご容赦のほどをお願いいたします」
タスタルの竜騎士はナターシャに一礼し、まとめた内容を語り出す。
「先にお伝えしたとおり、アーク・ルーン軍は我が国の国境を突破しました。連中は一路、カッシア城に向かう途上、通過した土地の貴族を捕らえ、カッシア城の我が軍が出撃せぬと見るや、外道にも、女子供を含む二十人ほどの貴族を、その面前で殺したのでございます」
城を力攻めすれば、多くの犠牲が出る。持久戦に持ち込めば、時間が多くかかる。城にこもる敵に対して、捕虜を殺すことで、怒りで城から出撃するように仕向けるのは、攻める側がしばしば行う手だ。
「まさか、そのような手に乗ったではないでしょうね?」
「いえ、見え透いたやり口。その時は、自重したそうです。が、アーク・ルーン軍は次に三万の兵を残し、七万の兵をカッシア城の周りで暴れさせたそうにございます」
その方策に、ナターシャのみならず、一同は揃って、嫌悪に顔をしかめる。
カッシア城を守る三万の内、遠方から来た兵もいるが、地元の竜騎士、騎士、兵士が中核を成す。
彼らは祖国を守る意識よりも、自分たちの土地を守る意識の方が強く、懸命に防戦に努める反面、感情的にもなり易い。
スラックスは方々に差し向けた兵に煙を上げさせた。元から無用な殺生を嫌うゆえ、アーク・ルーン兵は村に火を放ったわけではないが、カッシア城の城壁から遠望する側からすれば、自分の故郷が焼き払われたと誤認するのも無理はないだろう。
見せしめに殺された貴族らの惨たらしい死に様が自分の家族と重なったところに、カッシア城に潜入させてある間者たちが暗躍を始める。
十年に渡る準備期間は伊達ではない。タスタルのみならず、七竜連合の各国には、兵と偽って潜り込ませたアーク・ルーンの間者たちがおり、カッシア城内にも偽りのタスタル兵が五人いる。
たった五人の間者は、カッシア城内の家族を心配する心をあおり立て、堅固な城より三万のタスタル兵が出撃した。
「敵は十万とはいえ、眼前の敵は三万。カッシア城より出撃した我が軍に、不意を打たれたアーク・ルーン軍は脆くも崩れ、敗走したのですが……」
「偽りの敗走であったわけですね」
「申し訳ありません」
三万のタスタル軍の攻撃を受け、二万五千のアーク・ルーン軍は敗走に敗走を重ねて見せた。
深追いしたタスタル軍は、五千のアーク・ルーン兵にカッシア城を奪われただけではない。城を失ってタスタル兵らが呆然としている間に、近くに潜んでいた七万のアーク・ルーン兵も戻り、九万五千、三倍以上の敵に包囲されただけでもない。
「カッシア城を奪われ、誘き出された我が軍を、アーク・ルーンは囲むように陣地を築いた上、近くに流れる小川をせき止め、水の手を断ったのでございます」
味方の窮状を思い出し、タスタルの竜騎士は肩を震わせながら報告する。
「つまり、我が軍は完全にアーク・ルーンの手のひらで踊らされたわけですね。カッシア城を奪うための別動隊。兵を分散したように見せかけて潜ませ、偽りの敗走を演じた兵も、我が軍を深追いさせただけではなく、水を断ち易い場所まで誘き出した。三万の兵に対する包囲陣を築くだけの資材もあらかじめ用意していた、というわけですか」
その用意周到さを口にするナターシャの顔からは完全に血の気が引き、一同もぐうの音も出ない状態となっている。
防衛の要であるカッシア城を奪われただけではない。三万のタスタル兵がアーク・ルーン軍の人質に取られたようなものだ。
豊富な食料はカッシア城にあるゆえ、そこより出撃したタスタル兵はそう多くの食料を持っていなかったが、それより深刻なのは水が得られないことだろう。
水分を得られなければ、人は急速に衰弱するゆえ。
「自力での強攻突破はできませんの? 三万もの兵がいるでしょうに」
「無論、座して渇き死ぬのを待たず、竜騎士を先頭に敵陣の一点を突き破り、何度も血路を開こうとしましたが、いかなる魔法を用いたか、我が軍の動き、ことごとく読まれてしまうのです」
別段、難しい話ではない。三万のタスタル軍の中には二十騎以上の竜騎士がいる。彼ら竜騎士というより、ドラゴンみたいな巨大な生物が動けば、遠くからでもわかるというもの。
スラックスからすれば、ドラゴンらの動きに合わせて魔道戦艦や魔砲塔など配置すれば、カンタンに児戯にも等しい強攻突破など阻止できる。
実際、竜騎士らは鼻先に魔道兵器による集中砲火を食らい、強攻突破を試みる度に出鼻をくじかれ、タスタル軍三万の足は止められ続けた。
自力で包囲陣を中から斬り抜けることができず、三万の将兵は一度だけ降った小雨と、二頭のアイス・ドラゴンが生み出す氷で、渇きをしのぐ日々を虚しく送っている。
「他の我が軍はどうしているのですか? 王都だけでも五万の兵がいるのですよ?」
「無論、陛下はすでに援軍を差し向けてございます。王都を守る兵より割いた二万が、カッシア城の救援に向かっています」
「二万っ!」
タスタルの王女が愕然となるのも道理だろう。
二万では、カッシア城から誘き出された三万と合わせて、十万の半分とはならない。
敵に包囲された三万は水の手を断たれ、渇きに苦しんでおり、いざという時、大半が満足に動けるか、疑わしい。つまり、たった二万の兵で、渇きで半病人のような三万の味方を助けつつ、十万の敵と渡り合うということになるのだ。
「王都には一万も残せば充分でしょう。四万を急行させ、各地の動かせる兵を集めれば、六、七万にはなるはず。そもそも、なぜ王都に三万もの兵を残す必要があるのです!」
「王都の守りを思えば、二万の兵を動かすのにさえ、多くの方が難色を示したそうにございます」
ナターシャとしては、開いた口がふさがらない思いだ。
タスタル王国には十数万の兵がいる。だが、純粋に侵攻のためだけに百二十万の兵を動員しているアーク・ルーン帝国とは、その内容は異なる。
アーク・ルーン帝国は国内の要所や国家の防衛に充分な兵を残した上で、百二十万の精兵を外征に用いている。
一方、タスタル王国はその戦力の最低でも三分の一を治安維持や他の方面の国防のために割かねばならず、最大でもアーク・ルーン軍に対して振り分けられる兵は、十万に届かない。ヘタに国境を手薄にすると、東のバディン、南のフリカは何の心配もないが、北のベネディア公国は漁夫の利を狙って兵を動かしてもおかしくない関係にある。
タスタル軍の内、まとまった兵を置いてあるのは、王都、西の守りであるカッシア城、そして北の国境の三ヵ所で、残りはタスタルの国内に分散して通常軍務をこなしていて、すぐに集結させることはできない。
北を守る兵は動かすわけにはいかず、カッシア城の兵が動けなくなった以上、王都の兵を出来うる限り動かして、国内の各地の兵を集結させ、アーク・ルーン軍の侵攻と友軍の救出に努めるより、タスタル王国の取りうる方針はないはずなのだ。
「王都を、何より国を守るためにも、一兵でも多くアーク・ルーン軍に向けねばならぬ時。王都に一兵でも多く留めるほど、兵を無駄にし、王都の守りを、国の存続を危うくするだけなのがわからないとは……やはり、わたくしは国に戻るべきだった」
「なりません、姫様! その身に何かありましたら、どうなさります!」
「そうですよ、ナータ。あなたも昨年、ウィルを止めました。その理由を思い出しなさい」
ティリエランがたしなめるとおり、昨年、ワイズ王国がアーク・ルーン軍に侵攻された際、祖国に戻ろうとしたウィルトニアを、全員で口々に止めたが、その止めた者の中にはナターシャも含まれる。
自国が危機的な状況にあるのだから、それに駆けつけようとするのは当然の心情だが、だからこそ二人の王女は周りから帰郷を止められたのだ。
ナターシャには弟が二人、妹が一人いるが、彼らは皆、タスタル王国の王宮にいる。万が一、国が滅び、父親と弟妹らがアーク・ルーン軍に殺されるか、捕らえられるかすれば、タスタル王家直系の血筋はナターシャだけとなる。ウィルトニアにしても、父親が逃げ延びたからいいが、そうでなかった場合、姉は行方不明、弟は敵の手にあるので、ワイズ王家直系の血筋は彼女だけとなっていた。
去年と違い、ワイズ王国が滅びたという前例があるだけに、ナターシャの祖国を憂う気持ちは強く、また帰郷を止める周りの語気も、ウィルトニアの時よりずっと必死だ。
国が滅びても、その生き残りはいる。ワイズ王国の残党がすぐに結集できたのも、ワイズ王という旗印がいたからだ。だから、本当に最悪なのは、タスタル王国までもが滅びるだけではなく、さらに王家直系の血筋まで絶え、残存戦力を糾合できず、タスタルが完全に無力化することである。
ウィルトニアに対して、去年、諭した内容なので、ナターシャも皆が止める理由を理解していないわけではない。が、家臣から口から伝えられる祖国の戦況は、とても座視できるものではなかった。
このままでは、三万の味方が干からびるゆえ。
「わかりました。父に手紙を書くに留めます。動かせる兵は全て動かし、味方の救出に全力を注ぐようしたためますので、あなたはすぐにこれを届けて下さい」
「それなら、包囲されている兵たちを降伏させた方がいいんじゃありませんこと?」
いきなりに味方に負けるように言い出すシャーウの王女に、一同の不審げな視線が集まったのは言うまでもない。
注視されるフォーリスは、自信満々な態度と口調で、
「我が国にしろ、どの国にしても、タスタルを助けんと兵を動かしてますが、急なことゆえ、残念ですが、包囲されているお味方、それを助けるのに間に合いませんわ。最も先行しているワイズ軍も、戦場に着くにはまだ時間がかかるでしょうし」
七竜連合の同盟関係は機能しており、アーク・ルーン軍と国境を挟んで対峙するフリカ王国以外、すでにタスタルへの援軍を発している。が、ウィルトニアが直に指揮するワイズ軍八千が、やっとタスタルの東の国境に達しただけで、他のワイズ軍はまだバディン国内を西に進んでおり、他の国の援軍も、自国内を西に進軍しているならまだいい方で、シャーウ、ゼラント、ロペスはやっと第一陣が進発したばかりである。
元々、国境で二十日以上、最悪、カッシア城で敵を防ぐ計算をしていたのだ。第五軍団の電光石火の軍事行動の前に、大いに遅れを取るのが当たり前というもの。
「アーク・ルーン軍に対抗するには、連合軍が集結せねば無理。けれど、それを待っていたら、包囲下にあるタスタル兵を時間的に助けられませんわ。なら、包囲下にあるタスタル兵を降伏させることで、アーク・ルーン軍の足枷とする。そうして時を稼ぎ、連合軍を現地に結集させ、アーク・ルーン軍と戦う。内に三万人の捕虜を抱えたアーク・ルーン軍と」
シャーウの王女の策に、大半は感嘆の声をもらすが、
「けど、それって三万人を人質に取られて、戦うってことにならないかな?」
ゼラントの王女は懐疑的な表情を見せる。
包囲下にある三万のタスタル兵を助けるのは、これからの雨量しだいだが、時間的に間に合わない公算が高い。なら、アーク・ルーン軍の捕虜となることで、三万のタスタル兵は命をつなぐだけではない。
三万人もの捕虜を管理するとなれば、かなりの手間と時が必要となってくる。その間に連合軍が集結し、三万人もの捕虜を抱えたアーク・ルーン軍に決戦を挑むのが、フォーリスの青写真だ。
これに対して、ミリアーナが危惧を抱くのが、三万人の捕虜を人質に使われた場合だ。
捕虜の命を盾に取られたら、連合軍の方こそ思うように動けなくなる。何しろ、先の連合軍の司令官がアーシェアであったように、今回の連合軍の司令官はタスタルの者が務めることになるはずだ。タスタルの誰が務めるにしても、三万の同胞を見捨てる選択はしないとなれば、アーク・ルーン軍に対して弱腰な対応しかできなくなる可能性がある。
だが、フォーリスはやはり自信に満ちた声で、明確にその不安要素への対抗策を口にした。
「なら、こちらも人質を取ればいいだけではありませんか? ちょうど、今より、我らが踏み込む先には、貴重な人質と成りうる、手頃な四人がいるのですから」




