魔戦姫17-2
「さてさて、そろそろ開幕を知った頃合いかな」
教室での四度目の夕食を終えたフレオールが、人の悪い笑みを浮かべながらつぶやく。
食堂でシャーウの男子生徒を殴りつけてから四日目の夜、魔法の明かりで照らされた一年生の教室に、フレオール、イリアッシュ、リナルティエ、マルガレッタ、ベルギアットの姿があった。
ライディアン竜騎士学園を不当に占拠する四人と一匹は、食堂での乱闘の後、リナルティエの暴走が収まるや、学生寮のベルギアットと合流し、この一年生の教室に食料や毛布、日用品を持ち込み、寝泊まりできる環境を整えた。
当初は七竜姫らの速戦を警戒し、今も充分に警戒は持続しているが、四日も経って仕掛けてこないとなると、その理由は明白なので、フレオールは苦笑するしかなかった。
「向こうも一応、反省って言葉くらいは知っていたか。もっとも、それならそれで、こっちも出迎えの準備ができるってもんだ」
「まあ、長期戦に持ち込んでもらえるのはありがたい話ですね。果報は寝て待てというわけじゃありませんが、スラックス将軍が戦果を確保する時まで粘れれば、いくらでも有利に交渉できるようになりますから」
ベルギアットも学園側の対応に、皮肉っぽい笑みを浮かべる。
ティリエランらの方針と対応は決して悪いものではない。七竜連合の構造的な欠陥は、アーシェアですらどうにもならなかったことである以上、七竜姫は最善かつ現実的な方法を選択したと言えるだろう。
もっとも、その最善の選択の結果、相手に何日もの余裕を与えているのだから、魔法戦士と魔竜参謀からすれば笑うしかなかった。
「しかし、いつの間に、トイラック殿と連絡を取り合っていたの?」
「非常時の連絡手段くらいあるからな。その一つを使っただけだ」
リナルティエの疑問に、フレオールが事なげに答える。
ドラゴンを駆る竜騎士の能力は決してなめてかかれるものではなく、実際にベルギアットは現在、空間封鎖によって転移能力を封じられた状態にある。
いくつか用意した、不測の事態に備えた手立ての一つを使い、リナルティエとマルガレッタがライディアン竜騎士学園に留まることが決まったことは、とっくにトイラックに連絡してある。
学園側が空間封鎖をしなければ、第五軍団が動くまでもなく、魔竜参謀の能力で魔戦姫らを第五軍団の元に送れたのだが、この点は仕方ない。
また、本来なら、友軍の侵攻が学園に伝わるのを見計らって、学生寮の自室にて立てこもるつもりだったが、向こうが聞き流せぬ挑発をしてきたのだから、このような大事になったのも仕方なかった。
「しかし、兄上の手をわずらわせることになろうとは……」
マルガレッタの表情と心中はかなり渋い。
言うまでもなく、タスタル王国の国境をたった半日で突破した、アーク・ルーン第五軍団の軍団長スラックスは彼女の兄に当たる。
今回の第五軍団の出撃が、自分たちが七竜連合に確保されたことに起因するならば、妹としてやりきれぬ思いを抱かずにいられないというもの。それでなくとも、マルガレッタは人を止めるほどの負い目やら罪悪感を兄に対して抱いているのだから。
「もし、兄上に迷惑をかけるのがわかっていたら、何がなんでも、血路を開いて逃げたものを」
「それで私たちに何かあったら、ベダイル様に迷惑をかけることになりますよ」
魔戦姫にたしなめられた魔戦姫は、相手を睨みつけるが、ロペス軍に追われ、学園に足止めされた理由を思えば、それも当たり前だろう。
現状はリナルティエの余計な発言に起因しているのだから。
だが、原因がどうであれ、ベダイルの探求の成果をドラゴンのエサとするわけにいかぬ以上、軽率な行動はとれるものではない。
校舎内にいるからこそ、圧倒的な戦力差にある相手と、どうにか渡り合えるのだ。主の作品たる自分を、自分の意思で過度な危険にさらせぬ以上、外の変化を待つより他ない。
「極論すれば、向こうが仕掛けてこない限り、この状態を維持していれば、こっちの勝ちだ。遠からず、向こうが譲歩して交渉してくるだろう。長引いても大丈夫なくらいの食べ物もあるしな」
敵地ゆえ、事態の急に備えて、フレオールは携帯食料を自室にかなりストックしているし、今回の場合、食堂の厨房にあった食料品はちゃんと回収してあるので、
「タスタル軍のように飢えに苦しむことはないだろう。それ以上に深刻なのは、渇きだろうが」
「どういうことだ?」
マルガレッタのみならず、リナルティエやイリアッシュも、自軍の軍事行動に何も関与していないので、第五軍団とタスタル軍とどうなっているかはわからないし、想像も大してできない。
「まあ、色んな意味で、心配することはないってことだ。まず、今回、スラックス将軍がタスタルに攻めたのも、予定されていた軍事行動に、いくらかの修正を加えたものだろう。マルガレッタがいたから、第五軍団が動いただけであって、もし、オレが拘束されたなら、第十軍団がフリカに攻めていただろうな」
第十軍団の軍団長はフレオールの父親である。二人の身内が共に将軍で、この東部方面に配置されたのは完全に偶然だが、アーク・ルーン側としてはその偶然を利用しない手はない。
スラックスを用いることで、暗にマルガレッタの身柄の重要性を示す。そうしておけば、戦局が不利になるほど、人質の価値が増し、七竜連合は兄妹の情に活路を見出だすしかなくなる。
ちなみに、アーク・ルーン軍五十万は、タスタルとフリカの両国の国境線、南北に細長く布陣している。タスタルに攻め込んだ第五軍団の他に、第十軍団はフリカへ出撃せんばかり構えを見せ、さらに第九、第十一、第十二軍団も状況に応じて、第二陣として参戦できるだけの態勢を取っているので、ナターシャの祖国のみならず、シィルエールの祖国も、戦々恐々の状態となっている。
ともあれ、五個軍団の内、スラックスが動くことで、マルガレッタを取り戻す意思をアーク・ルーン側は示した。フレオールの身の安全を最優先とするなら第十軍団を動かし、交渉の余地がなければ、他の三個軍団のどれかを用いただろう。
「我が身を案じるは、ベダイル様との良好な関係を求めてのことだろうが、結局はベダイル様にも兄上にも、迷惑をかけているのに変わらん」
「その辺りは、そう気にせんでいいと思うぞ。特に、スラックス将軍に関してはな。現在の情勢からして、七竜連合をもう一度、叩いておく必要がある。それを思えば、今の状況は、むしろ、いい口実になったんじゃないか」
問答無用で侵略戦争をやっているアーク・ルーン帝国は、さして攻めるための大義名分など気にしないが、それでも戦争のお題目はないよりもあった方がいい。
一応、ネドイルは、魔法による恒久的平和を掲げて、世界規模で戦乱のハリケーンを起こしているが、そんなものは我欲による世界征服にいくらかマシに見せるための化粧にすぎない。
だから、こじつけのような大義名分より、要人の家族が不当な拘束を受け、それを救出するための軍事行動という方が、戦争をごまかす化粧としては上等だ。
「何で、もう一度、叩いておく必要があるんですか?」
「敵に連合軍の結成してもらうのもあるが、正確には、ドラゴン族の援軍も含め、七竜連合の総力を最前線に集めるためだな」
疑問に答えてもらったイリアッシュが、やや不審な表情となり、
「前回は連合軍のお粗末さで大勝利しましたし、その辺りはそのままでしょう。ですが、ドラゴン族が加わってくるとなると、話は別です。亜種を含めると、その数は数千。いかにアーク・ルーン軍といえども、マトモに戦うのは剣呑すぎると思います」
アーク・ルーン軍に寝返ったとはいえ、先年まで七竜連合に属していたため、その思考は七竜姫らのそれに近い。
幼い頃からドラゴン族と接し、かの超生物の雄大さを心の奥底まで刻まれているのは、別段、彼女だけではない。七竜連合の者は大なり小なりドラゴン族への信頼があるからこそ、連合軍が惨敗し、さらに五十万の大軍に侵攻されつつあっても、アーク・ルーン軍にまだ勝算ありと考えるのだ。
「先の戦いの勝因は、竜騎士の数がそう多くなく、魔道兵器の集中砲火で彼らを封じ込められたことにありました。が、数千のドラゴンがいては、その手は使えないと思いますが?」
「ああ、そのとおりだ。さすがにそんだけドラゴンがいたら、マトモに戦ったら勝てんだろう」
「ですよね。なら、一国ずつ各個撃破していった方が良くはないですか?」
七竜連合が戦力を結集する前に、速攻で一国ずつ制圧していく。分散している敵を、多数で順次、攻め倒すという手段は、純軍事的には間違っていないが、
「そちらの方が危険だ。七竜連合に限らず、他国を攻める際、最大の脅威となるのは民衆だ。いかなる強力な軍隊も、民衆の抵抗に比べれば、いかようにも対抗策は立てられる。うちも例外ではないくらいにな」
征服戦争の根幹にピンッと来ていないようなので、フレオールが教官資格を持つ女性にその点をレクチャーする。
「七竜連合の王たちは、オマエの伯父も含めて、全員がボンクラばかりだが、暴君は一人としていない。民衆が圧政に苦しんでいれば、侵略する側としても楽だが、そうでない場合の直近のケースがワイズだ。軍隊が敗れ、王が逃げ、国が滅びた後だというのに、民衆が決起して激しく抵抗した。それを五十万の兵で抑えつつ、民心を掌握するのにかなりの資金と手間を費やし、足場を固めるのに半年以上もかかった。タスタルやフリカを単に滅ぼすだけならカンタンだが、ワイズの二の舞となれば、また民衆の抵抗を受けることになる」
「つまり、七竜連合の全戦力を前線に引っ張り出し、これを叩き潰して、王たちを降伏に追い込むわけですか」
七竜連合の国々は、いささか税が重いものの、その治世は平和で安定しており、どの国の王も民衆に支持されている。
だからこそ、王が決起を促せば、民衆は侵略者に抵抗する反面、王を降伏させれば民衆をなだめる手駒としても活用できる。
「どれだけの大軍だろうが、一国の民の数に比べれば大したもんじゃない。しかも、一部の民が決起しただけでも、これをうまく鎮圧しないと、他の民衆の反発や敵意を買い、大規模な抵抗運動へとつながり、際限のない殺し合いになりかねん。どれだけの名将が大軍を率いていようが、民衆が地の利を活かし、絶え間なく散発的に襲ってきたなら、完全にアウトだ。抵抗する民衆を殺し尽くすなんて物理的に無理だし、仮に可能だとしても、無人の土地に征服する価値はないからな」
「なるほど。徹底的に叩かれたタスタルは、独力でかなわないことを思い知らされ、なりふり構わずに同盟国に助力と援軍を求め、そうして最前線に戦力が結集するわけか。まったく、タスタルの将兵も気の毒に。万首将軍の異名を持つ兄上と、アーク・ルーン最強の黒林兵と戦うのだから。その強さを知った時、果たして何人が生き残れることか」
大戦で必ず一万以上の敵兵を討ち取ってきたため、その大戦果ゆえにスラックスは万首将軍と呼ばれている。
そして、そのスラックスの直属の部隊は、黒塗りの長槍を持つことから黒林兵と呼ばれ、アーク・ルーン軍でも最精鋭と評価されるほど勇猛さを誇る。
マルガレッタの称賛は身内びいきによるものではなく、多大な戦果という実績に裏打ちされたものであったが、
「まあ、タスタル兵より民の方が気の毒なことになるけどな。それより、今回は黒林兵が活躍することはないだろう、残念ながら」
「ほう、兄上がタスタルごときに遅れを取るというかっ! いかに竜騎士がいようが、奴らなど黒林兵の敵ではないわっ!」
「黒林兵にかなわないから、活躍できんのだよ。今回の戦はタスタルを叩くと共に、相手を交渉のテーブルにつかせるのも目的だ。黒林兵が本領を発揮したら、交渉材料が残らんぞ。だから、スラックス将軍も穏便に半殺しですませるだろうて、今回だけは」
「ああ、たしかに、タスタルごとき、兄上が本気になるまでもない。最もな話だ、うんうん」
満足げに大きくうなずくブラコン魔戦姫。
一方、兄どころか、弟と祖母以外は死滅している魔戦姫は、
「ともかく、守りを固めて、スラックス将軍が交渉材料を確保するまでしのぐ。気をつけるべき点はそれぐらいでしょうか?」
「まあ、できたら、本当にできたらいいけど、もう一つ、気にかけてもらいたいのは、ロペスの竜騎士ら、とりわけお姫様だけは殺さないようにしてもらいたいってところですかね」
「それは中々に厳しい条件ですね」
ベルギアットの出した注文に、イリアッシュがやや顔をしかめるのも当然だろう。
校舎内に突入してくるのはロペスの竜騎士が主体なのだ。多勢に無勢、彼らを攻撃を弱める最良の手段は、ティリエランを攻撃してお姫様を守らせるように仕向けるのが最良の一手なのである。
「あくまで、できたらで構わないって話よ。ボンクラどもの中で、まあ、役に立ちそうなのがロペス王だから、無理をしろってことじゃない。でも、気に留めて欲しい。それだけの話よ」




