落命編16
「ふう」
ブリガンディ男爵邸、自宅の自室で深く椅子に身を沈めるフレオールは、疲れたようなため息をつく。
若き日は見事だった赤毛に白いものが混ざり始めたフレオールは、もう五十代半ば。孫もいる年であり、若き日に比べれば心身の衰えは避けられない。ただ、老け込むにはまだ早い年だが、今のフレオールは公職から一切、身を引いている。
フレオールの最後の公務となったのは、ワイズの地に再建した竜騎士学院の本格稼働であった。
七竜連合が健在なりし頃の竜騎士学院と違う。竜騎士という兵種を魔法帝国アーク・ルーンに供給するのを目的とする。
さらに副たる目的として、竜騎士という強力な兵種を、いざという時のワイズの地、否、民の守りに用いられるようにし、イライセンに機嫌を取るという点もあり、この試みが成功したからこそ、フレオールは公職から退けたと言えよう。
竜騎士学院の再建には旧七竜連合時代、旧来の竜騎士学院に在籍していた者らによって行われた。無論、アーク・ルーンの求めるのは、旧来の竜騎士学院と似て非なるものだ。その意図が反映され、新たに誕生した竜騎士らはアーク・ルーン軍人ばかり、特務兵士の育成機関となっている。
まだ新たな竜騎士は大した数ではないが、育成機関として稼働はしており、後は時が解決してくれる。
ただ、そこまで新生竜騎士学院を整える苦労は大変なものであった。おそらく、過労が原因で、ティリエランが亡くなっている。
新生竜騎士学院の再建メンバーで亡くなったのは、ティリエランだけではない。昨年、イリアッシュ、フォーリスが相次いでこの世を去っている。ただ、年齢的にはそう早い死というわけではないが。
フレオールはここ何年、いや、二十年ほど前から、常に誰かを見送り続けてきた。
ベフナムやファリアースといった諸大臣、フィアナートやアーシェアといった将軍たち。一応はザゴンの葬儀にも参列はした。
親族の葬儀も同様であり、ヴァンフォールの、兄とも永別している。何万もの兵が涙を流し、その死を悼んだスラックスの弔いは、昨日の事のように思い出せる。
人はいずれ死ぬ。それはどうしようもない。フレオールとて、いずれ天に召される日が来る。それを避けられるのは、ベルギアットのように人でない存在か、ベダイルのように人を止めた者だけだ。
古来より不老不死を求める権力者はいくらでもいるが、フレオールはすぐ上の異母兄に頭を下げて、老いや死から逃れる気はない。ベフナムやスラックスはもちろん、フレオールが軽蔑するザゴンすら、死に際で見苦しくあがくことはなかった。
多くの高官が老いて逝った魔法帝国アーク・ルーンは、小さな地方反乱が頻発しているものの、それらは大きな反乱へと発展することはなく、世界国家として未だ健在であった。
反乱を起こすのは、待遇に不満を抱く権力者。だが、アーク・ルーンは善政を敷いているので、反乱に民が参加しないので中々に拡大しないのもあるが、それだけではない。
地方反乱が現地の兵のみで早期に鎮圧できないとなると、転移の魔法でヅガートが跳び、現地の兵を指揮してたちまち反乱軍を撃破するので、反乱は小火の段階で終息している。
皮肉にも、アーク・ルーンの諸将の中で最も不摂生な生活を送っているヅガートが最も長生きし、七十を越えても元気に戦場を駆け回り、衰える気配すらない。
いや、衰えるどころか、重ねてきた経験は伊達ではなく、どんや弱兵であっても勝てるだけの作戦と指示を与えられるだけの将となっている。
無論、ヅガート一人でアーク・ルーンの不敗伝説を支えているわけではない。ムーヴィル、クロック、ベーツェレなど、優れた軍人がヅガート以外、全て死に絶えたわけではない。ただ、ムーヴィル、クロック、ベーツェレらが集まっても、ヅガートと同じ采配ができるものではないが。
だが、ヅガートの活躍はあくまで戦場に限られる。人材が乏しくなった今のアーク・ルーンの屋台骨を支える一人ではあるが、ヅガート一人がアーク・ルーンの全てを背負っているわけではない。
現在の魔法帝国アーク・ルーンの屋台骨を本当に支える、否、支え続けているのは、軍務大臣イライセン、内務大臣ゾランガ、そして大宰相ネドイルだ。三者とも八十を越えているにも関わらず、まだ公務の一線に身を置いている。
が、いかにネドイル、イライセン、ゾランガ、ヅガートが優れていようが、世界の全てを御するのは不可能だ。その意味で世界国家たるアーク・ルーンの現状を真に支えているのは、これまでの善政で得てきた、民や兵の信頼の蓄積であろう。
しかし、それにも限界がある。民も兵も遠くない時に気づくはずだ。ネドイルが築いた時代の終幕は近づいており、新たな世の幕開けが訪れようとしていることに。
フレオールが五十代半ばにして公務から退いた最大の理由は、自分の終わりが見えたからだ。
ヴァンフォールが先に亡くなったように、フレオールもネドイルより先に死ぬことになるかも知れない。だが、仮にネドイルの死後、つまり新たな世の幕開けに臨んだところで、その混乱をどうこうできるものではない。混乱、いや、ネドイルという不世出の大英傑を失った反動、世界的な大変動に立ち向かえば、フレオールは時代の波に呑まれ、溺死してしまうだろう。
さりとて、それに背を向け、何もせず、何もない生を送ることに何の意味があるのか。
いや、そもそもからして、
「……オレはネドイルの大兄やトイ兄が怖かっただけだったんだな……」
ようやく己の本心を認める、いや、向き合う。
「本当はワイズにでも亡命し、イライセン殿にでも、この命と武勇を使ってもらうべきだった。だが、それで何も変わるわけではないと賢しげに考え、自分の恐怖を誤魔化した」
フレオール独りが敵に回ったところで、形勢が変わるような温い戦いは一つもなかった。しかし、勝敗ではなく、ネドイルの間違いに一矢でも報いるべきであった。
それが出来なかったのは、死ぬのが怖かったからではない。ネドイルという一時代を築いた存在の巨大さに圧倒され、心が屈してしまっていたのだ。
勝てぬ相手に、ネドイルに刃向かえばどうなるかなど、答えはわかり切っている。だから、刃向かわなかった。一見すれば賢い立ち回りに思えるが、
「では、どうします? もう残りの命数も少ない身。心残りを抱えた余生を過ごすか、心残りを晴らすのに後の命数を使うか。どちらであっても、私はあなたに従いますよ」
苦悩するフレオールに傍らにいるのは、彼と同様、赤毛に白いものが混ざり始めているミリアーナ。
新生竜騎士学院の本格稼働後、フレオールと同様、公務から退いているミリアーナは、ブリガンディ男爵邸で共に静かに暮らしている。
このまま何事もない余生を過ごすも、最後に自分の本心に従うのも自由。ミリアーナの問いかけに、フレオールの苦悩は一段と深くなる。
「勝ち目など、うまくいく可能性などないのだぞ」
「わかっています。最後まで勝ち目のない戦いを避けるか、最期に勝ち目などなくとも戦うか。けど、それだけ悩んでいるということは、心残りをそのままにしたくないということなのでしょ」
「…………」
その通りであった。
勝敗など論外。最後に一戦、自分の心に従った戦いをしたい。それだけだ。
だが、それは今までの自分を否定することになるが、
「勝てないとわかっていて、勝てない戦いを挑むのに、何の問題もないよ。勝てると思って、勝てないない戦いに挑むよりは。少ないとも、ボクはそう思うよ」
ミリアーナは昔の、実に三十数年ぶりの口調で言い、シワの刻まれた顔に無邪気な笑みを浮かべる。
「だから、最期に思いきり暴れて、一緒に断頭台の露と消えよ」
退場人物
ウィルトニア……七竜連合の一角、ワイズ王国の第二王女。フレオールの槍で致命傷を負い、山中で人知れず息を引き取る。
レヴァン……マヴァル帝国の老将軍。アーク・ルーンとの戦いで戦死を遂げる。
カーヅ……マヴァル帝国の大将軍。アーク・ルーンの謀略に踊り、失策を重ね続け、味方に討たれる。
フンベルト……コノート王国の国務大臣。背信行為の責を取り、自害する。
ダルトー……コノート王国の大将軍。アーク・ルーンとの戦いで覚悟の討ち死にを遂げる。
ラインザード……魔法帝国アーク・ルーンの名門オクスタン侯爵家の当主。息子たちの悪行、凶行の責任を取る形で自害して果てる。
ネブラース……七竜連合の一角、タスタル王国の第一王子。アーク・ルーンとの戦いに敗れ、策にはまり、村民に毒殺される。
ターナリィ……ライディアン竜騎士学園の学園長。ドラゴンの暴走による混乱の中、命を落とす。
ドガルダン……ライディアン市を治める竜騎士。ドラゴンの暴走による混乱の中、命を落とす。
シィルエール……フリカ王国の王女。ゾランガの謀略により自決。
サクリファーン……フリカ王国の王太子。無念の内に衰弱死する。
ナターシャ……タスタル王国の王女。亡国後、アーク・ルーンに従い、ソナン戦役の最中、戦死。
シュライナー……第七軍団の軍団長。西の神聖帝国と交戦中、陣中にて病死。
メドリオー……第一軍団の軍団長。老いて天寿を全うする。
サム……第四軍団の軍団長。退役後、暴漢に刺されて死す。
ロストゥル……第十軍団の軍団長。老いて天寿を全うする。
トイラック……アーク・ルーンの次代の担い手と期待されつつも、若くして病死する。
マードック……東方軍後方総監。老いて天寿を全うする。
ミストール……ゼラント代国官。病を得て死す。
リムディーヌ……第十二軍団長。アーク・ルーンに節を曲げた人生を終える。
コハント……第十二軍団副官。リムディーヌの後を追うように病死する。
メガラガ……第三軍団長。退役後、天寿を全うする。
シャムシール侯爵夫人……元第二軍団長。一族の反乱失敗により自害する。
アーシェア……亡国ワイズの王女。アーク・ルーンの将軍として生涯を終える。
フォーリス……亡国シャーウの王女。フレオールに看取られ、先立つ。
ティリエラン……亡国ロペスの王女。竜騎士学院の再建に尽力し、過労のために亡くなる。
イリアッシュ……竜騎士学院の再建に協力し終えてから亡くなる。
モニカ……ウィルトニアの無事を祈りながら最後を迎える。
スラックス……亡国ミベルティンの宦官。アーク・ルーンの元帥にまで昇りつめて生涯を終える。
シダンス……亡国ミベルティンの宦官。長くスラックスの副官を務めて生涯を終える。
インブリス……アーク・ルーンの元将軍。退役後もうまく立ち回り、一族の安定に成功して逝く。
フィアナート……元暗殺者。アーク・ルーンの将軍として生涯を終える。
ザゴン……元凶賊。最後まで軍務を隠れ蓑にして快楽にふける。
ヤギル……幼女の尿の飲みすぎが原因で死亡。
マフキン……アーク・ルーンの代国官として、最後まで父祖の地タスタルの復興と安定に務める。
ベフナム……アーク・ルーンの司法大臣。最後まで法による人の幸せを追求する。
ファリファース……アーク・ルーンの吏部大臣。最後まで人生を謳歌する。
ヴァンフォール……アーク・ルーンの財務大臣。次の大宰相と目されるも、ネドイルより先に逝く。




