落命編6
「……はあっ……」
十九の時、祖国コノートが滅ぼされ、それより忍従の日々を送ること、十七年、魔法帝国アーク・ルーンの東方太守秘書官であるジルトは、ここ最近、ため息をつかぬ日はなかった。
今年、三十六歳となるジルトは、亡国の悲哀を味わいながらも、表面的には公私共に順風満帆な生活を送っている。
元コノート王国の王女エリシェリルと結婚し、子宝にも恵まれて、三児の父親となっている。
亡国の身ではあるが、アーク・ルーンにその才を認められ、高官の一人に名を連ねている。
言うまでもなく、ジルトの真の目的は祖国コノートの再建。祖国を滅ぼしたアーク・ルーンには、面従腹背という心持ちで仕えている。
そのジルトにとって、今の官職は水面下で真の目的を推し進めるのに都合の良いものだ。
無論、軽々しく心の刃をさらす気はない。大宰相ネドイルが健在の内は、アーク・ルーンの支配は磐石、つけ入る隙などない。ジルトが本格的に動くのは、ネドイルの死後と定めている。
そのネドイルはまだまだ元気そのもの。老いによる衰えも見られない。
だが、高齢な高官の中には、そうもいかない者が何人か出た。
ジルトにとって目の上のタンコブであった、ゼラント代国官ミストールが病を得て死んだ。遠く西から流れてきた情報によるなら、リムディーヌとコハントも病死したという。
アーク・ルーンの陣容は確実に低下している。
当然、それで小躍りし、予定を前倒しする気などない。今のジルトにそのような余裕はなかった。
今の官職に就任して、しばらくは本当に順風満帆であった。東方における制度は、初代秘書官であるトイラックによって整えられ、ジルトはその維持と細かな修正に務めればいいだけ。上司である皇太子も余計なマネはせず、自分の役割を淡々とこなしていた。
前任の東方太守は。
三年前、アーク・ルーンの皇帝は退位し、皇太子が新たな皇帝に即位した。それに伴い、皇太子の長子が新たな皇太子に立てられると共に、東方太守の役割も引き継いだ。
そして、この新たな上司はジルトにとって、最悪の存在であった。
父親と違い、アーク・ルーンの恐さがわかっていないのか、大声で形式的な立場にある不満を吐き散らし、反逆の意志を露にしている。
皇太子の、東方太守の運命と末路など、考えるまでもない。もちろん、関係のない場所で破滅する分には、ジルトにとってはどうでもいい話だが、直接の上司となると無関係を決め込めるものではない。
こうなることというより、今の上司と事前に面識があれば、秘書官への任官を断っていた、と後悔はしていない。ジルトの立場は弱く、アーク・ルーンの人事を拒めるものではないからだ。
拒めば、意に沿わぬ者として、何かしらの罪をでっち上げられて、妻子、ヘタすれば義父をも巻き込む形で、一斉処分されかねないのだから。
心の刃を隠し、頭を垂れ、機会を待つ。
ジルトの生き方に選択肢はない。だが、上司のあからさまな逆意を中央に訴え出ればいいというほど、単純な選択肢を選んで良いかどうか。
当たり前だが、皇太子の挙兵を利用し、コノートの復権や独立を目論むなど論外。ネドイルが健在の内に計略を仕掛けるなど、自ら進んで失敗を求めるようなものだ。
挙兵した皇太子を討つ側に回る。それはネドイルに利する行動だが、そうせねば愚者の道連れになるだけだ。もちろん、ネドイルの敵を討ち、積極的に味方するような行動を取れば、コノートの旧臣の不審を買うが、それは生き残るために甘受するしかないデメリットと思うしかない。
ジルトの悩みどころは、ネドイルの利益を最大限に考えるならば、皇太子の挙兵をある程度、放置し、不平分子を充分に釣り上げてから、そこを一網打尽とすべきだ。いや、皇太子の思慮の浅さを考えれば、挙兵がある程度までうまくいくよう、ジルトが裏であれやこれやと画策すべきだろう。
祖国を滅亡させた相手にそこまでしてやるのは、大いに抵抗を覚える。ネドイルがそのような期待をしているなら、せめてもの意趣返しに、皇太子を早々に破滅させてやりたいぐらいだ。
理性が警鐘を鳴らしながらも、ネドイルから何も指示がないのをいいことに、事を起こす前に皇太子の首をはねる、その誘惑に抗い難いものを感じていたジルトも、
「コノート領に不穏な動きあり。アーク・ルーン軍の一部がそれに備えて動きました。率いる将はザゴン殿」
その報告を受けた途端、恐怖が誘惑を完全に打ち砕いた。
退場人物
ウィルトニア……七竜連合の一角、ワイズ王国の第二王女。フレオールの槍で致命傷を負い、山中で人知れず息を引き取る。
レヴァン……マヴァル帝国の老将軍。アーク・ルーンとの戦いで戦死を遂げる。
カーヅ……マヴァル帝国の大将軍。アーク・ルーンの謀略に踊り、失策を重ね続け、味方に討たれる。
フンベルト……コノート王国の国務大臣。背信行為の責を取り、自害する。
ダルトー……コノート王国の大将軍。アーク・ルーンとの戦いで覚悟の討ち死にを遂げる。
ラインザード……魔法帝国アーク・ルーンの名門オクスタン侯爵家の当主。息子たちの悪行、凶行の責任を取る形で自害して果てる。
ネブラース……七竜連合の一角、タスタル王国の第一王子。アーク・ルーンとの戦いに敗れ、策にはまり、村民に毒殺される。
ターナリィ……ライディアン竜騎士学園の学園長。ドラゴンの暴走による混乱の中、命を落とす。
ドガルダン……ライディアン市を治める竜騎士。ドラゴンの暴走による混乱の中、命を落とす。
シィルエール……フリカ王国の王女。ゾランガの謀略により自決。
サクリファーン……フリカ王国の王太子。無念の内に衰弱死する。
ナターシャ……タスタル王国の王女。亡国後、アーク・ルーンに従い、ソナン戦役の最中、戦死。
シュライナー……第七軍団の軍団長。西の神聖帝国と交戦中、陣中にて病死。
メドリオー……第一軍団の軍団長。老いて天寿を全うする。
サム……第四軍団の軍団長。退役後、暴漢に刺されて死す。
ロストゥル……第十軍団の軍団長。老いて天寿を全うする。
トイラック……アーク・ルーンの次代の担い手と期待されつつも、若くして病死する。
マードック……東方軍後方総監。老いて天寿を全うする。
ミストール……ゼラント代国官。病を得て死す。
リムディーヌ……第十二軍団長。アーク・ルーンに節を曲げた人生を終える。
コハント……第十二軍団副官。リムディーヌの後を追うように病死する。




