落命編3
「大兄。このままだと、うちの国は将来、破綻するぞ」
腹違いの弟、フレオールの直言に、魔法帝国アーク・ルーンの実質的な最高権力者、大宰相ネドイルは顔をしかめて不機嫌そうな反応を見せる。
第十三軍団で副官の任にあったフレオールも三十手前。とはいえ、世間的にはまだ若い部類に入る。
が、そのフレオールが生まれる前からアーク・ルーンの実権を握っていたネドイルは、もう六十近い。この世界では老齢に入る年齢であり、普通なら寄る年波には勝てない年頃だ。
異母弟の不安はわかる。また同じ不安を抱いている者も少なくないだろう。
六十近いネドイルだが、老いても若い頃からの激務を平然とこなしている。
衰えを見せないのは、為政者として手腕だけではない。独特の呼吸を会得した頃、四十半ば過ぎからあまり外見は変わっていない。五十手前で充分に通じるだろう。
実質的な支配者と同様、魔法帝国アーク・ルーンの勢威も衰えが見られない。ただし、それは表面しか見られない者の見解だ。
その勢威と繁栄に隠れる、魔法帝国アーク・ルーンが抱える根本的な懸念は、とにもかくにもその支配領域が広大無辺であることだ。
世界の大半を一国家が治める。いや、これよりはるかに規模の劣る大国のいずれも、地方の反乱や離反を発端に国が崩壊し、滅亡していった。
現在のアーク・ルーン軍は第一、第五、第七、第十二軍団の以外は実質的に解体されている。ただ、解体された軍団の将兵はお払い箱になったわけではない。また、解体されていない四個軍団の顔ぶれや中身もだいぶ変わっている。
例えば、元第十三軍団の師団長だったカルタバは、現在、旧ソナンの主要都市の一つヨージョを任され、その部下や兵らはカルタバの補佐やヨージョ周辺の治安維持に努めている。
このように各主要都市に元師団長を置き、その一帯の軍権を任せているから、反乱が起きても任地にある元師団長が早々に鎮圧してしまうだろう。その地にある師団長の手に余る反乱には、隣接する地の師団長らが協力し、それでも対処できない時には、フィアナートやアーシェアなどの元軍団長が出馬する。もっとも、北部以外は師団長自身が出馬せずとも、その部下で充分に鎮圧できる程度の反乱しか起きていないが。
一見、力で押さえつけているように見えるが、アーク・ルーンの支配はそのような愚かなものではない。新たな領土でアーク・ルーンならではの、民の権利を重んじる政策を展開し、民心を得るように努めている。
特権を奪われた王侯貴族が多く、反乱こそ頻発しているが、それに民衆が同調しないから、一つ一つの反乱は小規模な内に終息する。
小国なら良いが、大国を治めるにあたり要となるのは二点。
地方にある程度の権限を与える事。
中央が地方の手綱を握り、独走や暴走を許さぬ事。
距離を無視した中央集権は、地方の現実が見えぬ政治となり、それが地方の離反を招き、国家の崩壊につながる。
だが、地方の手綱を中央が握った状態での委任でなければ、地方は中央を侮り、自立や独立をせんと離反を計り、やはり国を崩壊させていく。
今のアーク・ルーンは中央が地方の手綱を握っているというより、文官も武官も大宰相を畏怖し、逆心を抱いていないか、反逆は身の破滅と心に刻んでいる。だから、反乱を起こすのは、ネドイルの恐さを理解していない愚か者ばかりであり、結果、彼らは
愚かな結末を迎える。
ネドイルが健在な内は、世界帝国アーク・ルーンの支配と統治が揺らぐことはないだろう。フレオールも今のアーク・ルーンに不安を抱いていない。
だが、それはネドイルの死後には不安があるということだ。
少し前なら、そのような不安はなかった。トイラックという後継者がいたからだ。
ネドイルが天寿を迎えたなら、ネドイルの恐さがわかっているわかっていないに関係なく、多くの武官や文官が自主独立や面従腹背に走るのは目に見えている。
そうした者が無能であるならいい。しかし、才能もあれば野心もあるか、あるいは滅びた祖国に心を残していれば、今のような反乱ではすまない事態となる。
それでもトイラックなら野心家や愛国者の蠢動など叩き潰し、自らの恐怖を刻み込み、アーク・ルーンを安定せしめていただろう。
だが、そのような未来は完全に潰えている。
トイラックの国葬がすんだ今、ネドイルの亡き後、次代の大宰相はヴァンフォールだ。
現在、財務大臣の要職にあるヴァンフォールは、極めて有能な人物である。スラックスやムーヴィルなどは、大恩あるネドイルの異母弟にして後継者に対して、変わらぬ忠節を尽くすのに疑念の余地はない。
ネドイルの世界征服を快く思っていないフレオールだが、それでもその後を継いだ異母兄の補佐を務める所存だ。
だが、フレオールはヴァンフォールでは今のアーク・ルーンを治められないと睨んでいる。そして、それは才幹の不足しているからうまくいかないのではなく、気質が違うからネドイルと同じ支配ができないと感じている。
スラックスやムーヴィルはネドイルに強い恩義と共に、根源的な恐怖を感じている。ヅガートやリムディーヌなどがネドイルに逆らわないのも、そうした恐さを感じているからだろう。
スラックスやムーヴィルのような忠実な者らで、ヅガート、フィアナート、アーシェアらを押さえて用いる。ネドイルが亡くなり、ヴァンフォールが大宰相が就任した場合、フレオールの見るところ、かなり危うい。
スラックスやムーヴィルなどの味方に対する備え、それを気にする必要がなくなれば、ヅガート、フィアナート、アーシェアなどは勝手に去るか、独自に動き出すようになる。
スラックスの武威がなくとも、ヅガートのような男に遠慮させる。そのような芸当がネドイルにはでき、トイラックもまた可能であった。
フレオールが危惧するのは、ヴァンフォールでは本当に忠実な者でしか中核を構成できず、そのような選別の後の人材では現在の統治機構を維持できない点にある。
「大兄。これ以上、攻めてどうなる。それどころか、奪った土地の多くを間接統治に切り換え、実質的な領土を縮小すべきだ」
ヴァンフォールの力量で治められる範囲にアーク・ルーンの国土を縮める。広大な土地を一応はアーク・ルーンの名義のままにしておくが、いつでも放棄できるよう準備をしておく。
フレオールの提案は現在の領土のほとんどを放棄し、魔法帝国アーク・ルーンをありきたりな大国として存続させるというものだ。
もちろん、フレオールの案は遂行するとなれば、かなり大がかりな水面下の工作が必要となってくるし、他にも様々な問題がある。
しかし、ネドイルももう六十近く。あと何年、生きれるかという年齢を思えば、その征服活動を軟着陸させる準備、国家の実質的な縮小を計るならば今すぐ着手するべきだろう。
トイラックが生きていれば、あるいはトイラックに代わるだけの後継者の当てがあれば、フレオールの提案は一考の価値もないものだ。
だが、トイラックの亡き今、ネドイルは深く考え込んだ。とはいえ、簡単に決められる方針でもない。
「トイ兄はもういない。ネドイルの大兄、それをよくわきまえ、これからを定めてくれ」
どのみち、フレオールの提案するような下準備、トイラックのいない今、実行できるだけの手腕を有するネドイルだけである。権限的にも実務的にもネドイルが納得しなければ、どうにもならない提案ゆえ、フレオールはその場では提案するに留めた。




