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落命編1

 三十代前半。


 あまりに早すぎる終わりであった、それは。


 だが、どれだけ惜しまれようとも、ベッドの上で痩せ細ったトイラックの命数は、もはや尽きようとしている。


 魔法帝国アーク・ルーンの総力を結集させた治療も虚しく、彼の闘病生活は終わりに近く、その別れの場に立ち合うのは当人の希望もあり、妻子のみ。


「……どうやら、これ以上、ネドイル閣下のお役に立てぬ。本来なら、賜った五千戸をお返しするところであるが、一千戸は妻と子のために残してもらいたい。すまんな。私は最後までこうした生き方しかできない……」


「いえ、いえ。立派です……」


 夫と死別しようとしているイリアッシュが、涙を流して強い悲哀を見せる一方、


「…………」


 息子であるザラスは何かを強くこらえる表情で、父親の死と涙を見せることなく向き合っていた。


「……ネドイル閣下には、スラックス、ヅガート両将を特に大事に……この先、いかなる局面を迎えようとも、両将が健在ならば乗り切れる……」


 やり残したことはいくらでもある。


 伝えねばならないことも、いくらでもある。


 しかし、今のトイラックの肉体は、その全てどころか、最期に遺すべき事、遺言すらままならぬほど弱っている。


 トイラックが最期の時に妻子しか枕頭に呼ばなかったのも、もはや自分の肉体が多くを語れぬ状態にあったのと、


「……それと、私の死後……フレオール様を殺すように……」


 ネドイルの世界征服事業を快く思っていない者は少なくない。フレオールもその一人だ。


 トイラックが生きていれば、フレオールに睨みを効かせられるが、自分の死後、ネドイルに何を言い、相容れないかわかるだけに、


「……いや、そうだな。それはイリア、お前に一任しよう……」


 妻の動揺に気づき、遺言の一部を変更する。


 祖国ワイズが滅びた際に壊れた女性は、それから十年以上の月日が経ち、精神的に立ち直っている。


 イリアッシュが立ち直った最たるものは、フレオールの配慮によるものだ。その点を理解している妻の心情を察し、トイラックはネドイルの害を敢えて見逃しても良いと考えたのだが、


「もはや、父上はかつての父上ではないようです。今後は自分で考え、計るしかないのですね」


 夫の思いやりに母親が泣き崩れると、ザラスは嘆息しながら父親の傍らに歩み寄る。


 フレオールを殺せと言いながら、妻の心情をおもんばかって前言をひるがえすだけではない。


 ザラスからすれば、父の最後の言葉は陳腐なものばかりだ。


 スラックスやヅガートがいれば、確かにいかなる敵も討ち果たすだろう。ただ、両将が生きていればの話だ。


 スラックスやヅガートはネドイルより若いが、両将よりさらに若いトイラックが先に逝こうとしている。人の命は年齢順に終わると定まっていない。特にヅガートなど、金さえあれは浴びるように酒を飲むので、明日、酔死してもおかしくない。


 フレオールの件にしても、反乱の芽を摘むのみならず、反乱を敢えて起こさせ、他の反乱分子を寄せ集めてから討つという手立てもあるはずだ。もちろん、他の方策で睨みを効かせ、反乱を起こさせないようにするという方法も選択肢に入れて良い。


 トイラックの頭脳がいかに明晰であっても、未来がどうなっているかなど、正確にわかりようがない。自身の命数もわからなかったように、誰がネドイルより先に死に、長く生きるかなど、人の身では正確に予測しようもない、天の采配であるのだ。


 メドリオーやロストゥルのように、老いて死す、あるいは退役するというのは仕方がない。しかし、トイラックが今、若くして死の淵にあるように、不慮の死というのは避けようがない。


 退役した後とはいえ、サムは通り魔に刺されて死んだ。シュライナーも呆気なく戦病死している。


 人の生き死になど人間にはわからない。そんな当たり前の道理を見落とし、死後の事を計ろうとしたトイラックは、


「……生ある限り、計れ。ネドイル閣下の御為に……」


「承りました。不肖の身ながら、ネドイル閣下の御為に計っていきまする」


 最後の最後に息子に諭された父親は、弱った表情に笑みに浮かべ、静かに目を閉じ、息を引き取った。


 息子にこれからを託しながら。



退場人物


ウィルトニア……七竜連合の一角、ワイズ王国の第二王女。フレオールの槍で致命傷を負い、山中で人知れず息を引き取る。


レヴァン……マヴァル帝国の老将軍。アーク・ルーンとの戦いで戦死を遂げる。


カーヅ……マヴァル帝国の大将軍。アーク・ルーンの謀略に踊り、失策を重ね続け、味方に討たれる。


フンベルト……コノート王国の国務大臣。背信行為の責を取り、自害する。


ダルトー……コノート王国の大将軍。アーク・ルーンとの戦いで覚悟の討ち死にを遂げる。


ラインザード……魔法帝国アーク・ルーンの名門オクスタン侯爵家の当主。息子たちの悪行、凶行の責任を取る形で自害して果てる。


ネブラース……七竜連合の一角、タスタル王国の第一王子。アーク・ルーンとの戦いに敗れ、策にはまり、村民に毒殺される。


ターナリィ……ライディアン竜騎士学園の学園長。ドラゴンの暴走による混乱の中、命を落とす。


ドガルダン……ライディアン市を治める竜騎士。ドラゴンの暴走による混乱の中、命を落とす。


シィルエール……フリカ王国の王女。ゾランガの謀略により自決。


サクリファーン……フリカ王国の王太子。無念の内に衰弱死する。


ナターシャ……タスタル王国の王女。亡国後、アーク・ルーンに従い、ソナン戦役の最中、戦死。


シュライナー……第七軍団の軍団長。西の神聖帝国と交戦中、陣中にて病死。 


メドリオー……第一軍団の軍団長。老いて天寿を全うする。


サム……第四軍団の軍団長。退役後、暴漢に刺されて死す。


ロストゥル……第十軍団の軍団長。老いて天寿を全うする。


トイラック……アーク・ルーンの次代の担い手と期待されつつも、若くして病死する。

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