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大征編51

 魔法帝国アーク・ルーンの皇太子は、現在、東方太守、アーク・ルーンの東域全体を統括する立場にある。


 それゆえ、東方で軍を率いるスラックス、ロストゥル、リムディーヌ、ヅガート、フィアナート、アーシェアの直属の上司は皇太子となるが、それは形式的なものにすぎない。 


 魔法帝国アーク・ルーンの皇帝がお飾りにすぎず、実権を大宰相ネドイルが握っているのと同様、皇太子もお飾りで東方太守としての実権は秘書官のトイラックにある。


 皇帝にしろ、皇太子にしろ、実権を家臣に奪われているが、それに対する不満を見せていない。というより、内心はどうあれ、不満を表面化しようものなら命がないのが、今のアーク・ルーン皇室の現状だ。実際、実権を取り戻そうとした者は言うまでもないが、ネドイルの機嫌を損ねたという理由で死んだ皇族もいる。


 先の皇太子、今の皇太子の兄も、ネドイルの機嫌を損ねて死んだ皇族の一人である。その死因は、サリッサをからかい、侮辱したというもの。そんな理由で皇太子の座が回ってきただけに、今の皇太子は兄の二の舞いにならぬように慎んでいる。


 ネドイルの顔色をうかがう皇帝、父親の態度を見習い、皇太子もトイラックの傀儡としての生き様を甘受しており、秘書官と良好な関係を保てるよう腐心している。


 そして、トイラックも実質的な所ではともかく、表面的には皇太子に丁重に接し、腰を低くして、形式的な上下関係を重んじている。


 ネドイル政権の恐さを心底、思い知らされている皇太子は、トイラックがどれだけへりくだったた態度を取ろうとも、実権に触れようとはせず、出来の良い操り人形であるように努めたが、十と少しの彼の息子は違う。


 まだ子供であり、ネドイルやトイラックの真の恐さがわかっていないのもあり、トイラックの表面的な態度にだまされ、傲慢な振る舞いが目立った。


 皇太子はそんな息子を何度も諭したが、息子の方は父親を臆病者と蔑み、トイラックを侮り続けた。


 とはいえ、まだ子供である。行政に関われる年でもないので、その行状は生意気というレベル。皇太子も大きくなっても態度や考え方が変わらねば、自分と息子を守るために何らかの手を打っただろうが、子供が大口を叩くだけなので、口頭での注意するのみ。


 トイラックも子供の横柄な態度や言動など丁重に聞き流し、東方太守と秘書官の関係は、そこにザラスという要素が加わるまでは良好であり続けた。


 腑甲斐無い父親と丁重だが聞き流すだけのトイラック。大人を相手にしても子供ではどうにもならなかったので、同じ子供を標的とするようになったが、ザラスも子供の悪口など基本的に聞き流していた。


 トイラックは元浮浪児であり、イリアッシュはフレオールとの関係から色々な憶測が生まれている。しかし、両親をどれだけ悪し様に言われようがまるで気にもしなかったザラスも、


「キサマの家臣のブラオーとやらは、元は賊であったらしいな。そのような卑しい男を家臣にするとは、卑しい血が流れる男の考えはわからぬわ」


 悪口の対象がブラオーにまで広がるや、途端に右ストレートを繰り出した。


 子供同士のケンカ。それで片づくほど、当事者の立場は軽くない。


 先に手を出した方が悪い。当然、なぜ、皇族に暴力を振るったかと咎められたザラスが口にした理由は、


「ブラオーに限らず、ヴェン殿、ザゴン殿など、たしかに賊であった過去はあるが、国のために今は身を粉にして働いている方は幾人もおられる。その方々の今の忠功に感謝せず、許された過去を誹謗するなど、言語道断。その点を言葉でたしなめなかった罪は、この身でいくらでもあがないましょう。しかし、これ以降、ブラオーらにはより配慮をお願いしたい。そうしていただけたなら、この首を落とされても悔いはありません」


 実に子供らしくないものであった。


 ともあれ、この一件に皇太子は真っ青になった。


 ザラスは大宰相に目をかけられ、可愛がられている。ネドイルがその気になれば、皇太子父子の首などカンタンに飛ぶ。


 一方で、トイラックも我が子の振る舞いに苦々しい思いを禁じ得ない。


 ただのケンカなら、我が子を叱り、自分も皇太子に頭を下げ、それで済む。だが、ザラスが賢しげな事を口にしたことで、それで済まなくなった。


 ヴェンやザゴンのみならず、身分が低くくとも重用されている者はいくらでもいる。むしろ、ロストゥルやアーシェアのような高貴な生まれで重用されている高官の方が少ないだろう。


 ザラスの発言を無視し、一方的に叱りつけては、ネドイル政権を支える高官の半数以上を軽んじる事になる。我が子を叱りつつも、その言葉は肯定しなければならない。子供同士のケンカに、トイラックは難しいさじ加減を要求された。


 結局、トイラックの裁定は一方の暴力を罰し、もう一方の発言を過ちと認めさせ、事態を落着させた。


 公式の場でトイラックは暴力を振るった点について、皇太子父子にザラスと共に頭を下げた。一方で皇太子は息子の軽はずみな発言を謝し、ヴェンなどの身分のよろしくない者らに公式に詫びた。無論、自発的にではなく、トイラックの操り人形として。


 事態をここまで大事にしたザラスは、父親に対して恐縮するどころか、


「今回の件で、ネドイル閣下にとって不用な者たちの不平不満は刺激されたでしょう。遠からずヤツらが短慮に走るのは目に見えています。その備えを今からしておくべきでしょう。もちろん、密かに」


 双方が謝し、ケンカ両成敗で落着したというのは、表面的な見方でしかない。


 ヴェンなどは子供に悪し様に言われても聞き流して終わりだが、そうでない大人はいくらでもいる。


「下賎の者を下賎と言っただけの事に、皇太子殿下に頭を下げさせるとは何事だ。増長するにも程がある」


 トイラックが大掃除をしてから、もう十年以上の月日が経っている。かつては首をすくめていた貴族らの恐怖も、月日が流れてすっかりと薄らいだ。


 不平不満というホコリもけっこうたまっており、息子の言うように大掃除の時期が到来したと言えるだろう。


 十に満たぬ息子の見識にトイラックは内心で舌を巻く一方、


「大がかりな清掃の準備をしておく時期が来た。その点に私も否はない。ザラス、この一事のみならず、お前は多くの事を理解しているのだろう。だが、どれだけ多くがわかろうが、肝心な事がわからねば、ネドイル閣下の臣として意味はない。ザラスよ、お前はネドイル閣下のご利益とお心、どちらが大事と考える」


「どちらも大事ですが、強いて言えばお心でしょう。とはいえ、それを無原則に優先するのではなく、臣として諫めるべきは諫めねばならないと考えます」


 ザラスのそつのない答えに父親は苦笑を浮かべる。


「その通りだ。まったく正しい。だが、正しい道理をわかっていても、ネドイル閣下のお心を正しく理解できていねば、正しい道理を実行できるものではない。だが、その前にお前はお前の役割を心得ていない」


「ネドイル閣下を支え、尽くすこと。それのみではないということですか?」


「私はもう子供を持つ身となった。他の高官も確実に老いている。お前が大きくなった時、どれだけの方が残っているか」


 聡明なる少年は父親の言いたい事、いや、託したい事を悟る。


 父もいずれ死ぬ。ネドイルも然り。だが、ネドイルが、父たち家臣一同が築いたものは残る。


「どれだけのものを築こうが、引き継ぐ者がおらねば潰える。ネドイル閣下のいない世はいずれ来る。避ける術はない。その時代において、ネドイル閣下が築いたものが在るかないか、それを為すのはその時代に生きている者をおいて他にない。そう、託すより他に術はないのだ」




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