大征編50
ジキン、カセン、ソナンの三大国を制圧した魔法帝国アーク・ルーン東方軍の次なる標的は、海を越えた先にある島国だ。この地を征すれば、長かった東方軍の遠征も完了となる。
スラックスは船を仕立て、東の島国に降伏勧告の使者を送っているが、それにすんなりと応じて終わるなどと甘い考えは抱いていない。戦船を集め、海を越えての派兵の準備も行っている。
仮に、降伏勧告に応じたとしても、実質的に支配下に置くのに兵の派遣は必要となる。もっとも、スラックスらの予想としては降伏に応じることなく、海を越えての戦いは避けられぬと見ているが。
そして、その戦いにおいて、スラックス、リムディーヌ、アーシェアは見ているだけを決め込むつもりだ。
ファブンなどの降将にジキン、カセン、ソナンの降兵を率いさせ、アーク・ルーン兵が海を渡るのは、降将と降兵が敗れた時。それがスラックスの定めた方針である。
ジキン、カセン、ソナンは制圧したばかりで、その支配を固めるのに、一人でも多くのアーク・ルーン兵が必要だ。新領土の統治が固まらぬ内に何万ものアーク・ルーン兵に海を越えさせたなら、反乱が頻発して数年来の遠征の成果が水泡に帰す恐れがある。
むしろ、潜在的な反乱分子を降将にまとめさせ、海の向こうに送った方が反乱の危険性が減り、新領土の統治を固め易くなる。
アーク・ルーン帝国の軍団長には大きな権限が与えられている。占領地の当面の統治は、その裁量に委ねられる。言わば、スラックスはジキンの地の、リムディーヌはカセンの地の、アーシェアはソナンの地の王に等しき立場にある。
ただ、実質的にそうでも、リムディーヌとアーシェアはスラックスの指揮下にある。それに大権を委ねられているからこそ、軍団長は思うがままに占領地を切り盛りするのではなく、手間でも三者での打ち合わせと緊密な連絡が必要となってくる。この手の配慮を怠ると、占領地で独立を計っているなど、無用な誤解を招きかねず、また軍団長が王のように振る舞えば、その配下の兵も勘違いして、増長しかねない。
スラックス、リムディーヌ、アーシェアはその点をわきまえているのだが、そうした周りへの配慮をわきまえぬ軍団長もいる。
ヅガートである。
暑熱にロストゥル、フィアナート、クロック、そして多くの兵が倒れるという困難に見舞われながらも、南東方面軍はその行く手に広がる土地をことごとく征した上、その後の占領地政策も至って順調。
ここまではヅガートとザゴンに何の落ち度もないのだが、
「領地やら恩賞やらを決めるのに、どうせ時間がかかるんだ。兵が望むなら順次、帰郷させてやれ」
すでに征服後に生じた大小の反乱の鎮圧も終え、南東方面の新領土の保持には、降伏した兵を使えばいい段階まできている。ヅガートが現地に在れば、第九、第十、第十一軍団の兵を何回に分け、家族の元や故郷に帰らしても大過はない。
ただし、それは南東方面軍に限ってのことである。
ヅガートがこのような判断を下したのは、占領後の反乱もめっきり起きなくなり、すっかりと落ち着いた情勢に兵たちの望郷の念が募ってきたのを感じたからだ。
家族もいなければ、故郷を恋しいと思う男ではないが、兵に自分の価値観を押しつける事はなく、その心情に沿った措置を取った点は褒めるべきところだろう。
問題はその措置が自分の管轄である第九、第十、第十一軍団に限定された点だ。
家族の元や故郷に帰りたいのは、第五、第十二、第十三軍団の兵も同じである。しかし、ジキン、カセン、ソナンの占領地政策を進める上でアーク・ルーン兵を帰せる情勢にまだない。
「兵の帰郷を許すにしても、第五、第十二、第十三軍団も視野に入れねば、向こうの兵が不公平であると感じてしまいますよ」
状況に気づき、ザゴンが苦言を述べた時には、手遅れだった。
第五、第九、第十、第十一、第十二、第十三軍団を含めて、兵の一時帰国計画を練るべきところ、そうしなかったためにスラックス、リムディーヌ、アーシェア配下の兵は、帰郷を求めて騒ぎ出している。なまじジキン、カセン、ソナンを滅ぼし、身に迫る危機が見えないだけに、兵は短絡的に帰郷しても大丈夫と考えてしまったのだろう。
当然、ジキン、カセン、ソナンはいつ反乱が起きてもおかしくないし、降った兵も心から心服しているわけではない。制圧後の大小幾多の反乱を鎮圧し、潜在的な危険の排除を終えた、南東の新領土と違い、ジキン、カセン、ソナンの情勢が落ち着いているように見えても、それは表面的なもの。
占領地で睨みを効かしておらねばならず、スラックス、リムディーヌ、アーシェアはそのために兵が足りないと思いこそすれ、減らしていい状況にない。
ロストゥルやフィアナートが健在なら、ヅガートが軽挙に走ることもなかっただろう。あるいは、上官の性格をよく知るクロックなら、あらかじめこの点を注意していたかも知れない。
ザゴンは有能だが、ヅガートの性格をよく知っているわけではないので、このような事態を予測するなど不可能。そして、ヅガートの性格からして、今回の件を責めても、
「チンタラしている方が悪い」
反省することもなければ、カケラも悪いとは思わないだろう。
ともあれ、今更、ヅガートを責めたところで何の意味もない。望郷の念に火がついた兵たちを鎮めねばならないが、妙案など思いつかず、スラックス、リムディーヌ、アーシェアは頭を抱えるしかない。
「情けない話だが、トイラック殿の知恵を借りよう」
自らの知恵が及ばぬと判断したスラックスの結論に、リムディーヌとアーシェアも同意する。
だが、三将はどこまでも運に見放されていた。
代表して通信用魔道装置の前に立ったスラックスが受け取った返信は、
「トイラック殿はご子息が皇太子殿下のご子息に暴力を振るい、その責任を取る形で現在、謹慎しております」




