大征編49
「皇帝陛下、ご入水」
「宰相閣下も共にご入水」
大船の甲板から皇帝と宰相の最期を告げる悲痛な声が届くと、
「おいたわしや。老臣もすぐにお側に参りますぞ」
幼帝の、孫の死を知った祖父も、海へと飛び込んで自裁の道を選ぶ。
入水自殺はわずか三人に限った話でなくなった。ここまでつき従ってきただけあり、その多くは正に筋金入りの忠臣。家臣、侍従、女官らも次々と海に身を投げていく。
「天にもアーク・ルーンにも、一片の慈悲はないのかっ!」
一方、兵士らは怒りに吠え、一人でも多くのアーク・ルーン兵を道連れにせんと、狂ったように戦い出す。
「一時撤退!」
アーク・ルーンとしては、波間を漂う幼帝の骸を捜しだし、回収すべきなのだ。幼帝の遺体には、色々と政治的な価値がある。
だが、今のソナン兵は死兵と化している。死兵とマトモに戦うのは下策であり、その勢いと熱狂はかわすべきだ。
死兵と戦いながら幼帝の遺体の捜索を行えば、大きな被害が出る。アーシェアはそう判断して、撤退を選択した。
イゲイツらは退くアーク・ルーン軍を追い、いくらかの打撃は与えた。しかし、そのアーク・ルーン軍が去り、怒りの矛先が消え、死ぬ機会を失うと、主なきソナン軍は途方に暮れる。
「イゲイツ閣下。我らはこれよりどうすれば良いのでしょう」
部下たちにそう問われるイゲイツこそ、どうすれば良いのか教えてもらいたい。だが、上に立つ者として、彼らを統率せねばならず、
「可能な限り、陛下や他の者の遺骸を捜し、これを弔った後、武器の補充を行う。武装を整えたなら、皇族の方を迎え、皇帝として即位していただく」
ソナンの皇族は死に絶えたわけではない。むしろ、傍系ならいくらでもいる。その中から、評判が良く、気骨ある者を新帝として推戴し、ソナン復興の旗を掲げ続ける。
ただ、今のイゲイツたちは一時の熱狂から醒めてしまっている。ここにアーク・ルーン軍が襲いかかってきたら、勝負にならない。元々、無理な離脱を敢行したのは、手元の武装が心許ないからだ。このままもう一戦となると、武器が無くてマトモに戦えぬ兵が出るかも知れぬ。
だから、幼帝や先に逝った同志の弔いは手短にすませ、早々に移動せねばならない。
かくしてイゲイツらは休息もそこそこに、波間を漂う遺体を捜し回り、多くの味方のそれを回収したが、散った数が数である。とても全てを回収できるものではない。
また、懸命の捜索にも関わらず、幼帝と宰相の遺体を発見できず、後ろ髪を引かれる想いながら、二人の捜索と弔いを諦め、イゲイツは三百隻ほどに減った船団を南に向けて進発させた。
あまり南下しすぎると、ソナン以南の国々を制圧した第九、第十、第十一軍団と遭遇してしまう。その点をわきまえ、第十三軍団の追跡をかわしつつ、何度か寄港した先で武器を補充し、兵員をいくらか迎えたイゲイツは、船団の進路を北に転じた。
アーク・ルーン軍に決戦を挑もうというのではない。アーク・ルーンの目を逃れ、身を隠しているソナン皇族の一人、クルガネル伯爵と連絡が取れ、その元に向かうべく北へと転進し、そこで嵐に合い、イゲイツは溺死を遂げる。
元来、造船技術に優れるソナンの船は多少の嵐などものともしないが、イゲイツの船団は激しい船団と長い航行で船体が痛んでいるものが多かった。
普通ならしのげる嵐は疲弊した船を何隻も沈め、その中にはイゲイツの乗艦があった。
浸水し、沈み出した乗艦から小舟を出して他の戦船に移ろうとしたところ、強風に小舟が転覆してしまい、イゲイツの身は荒波にさらわれ、助ける間もなく行方知れずとなった。
「もうダメだ」
ソナンを支える最後の柱がいなくなった現実は、兵の心を折った。
嵐の後、残された部将らは話し合い、去りたい者は去らせ、戦い続ける事を選んだ将兵はクルガネル伯爵と合流した。
クルガネル伯爵はソナン皇帝に即位はしたが、イゲイツなどを欠くソナンの残党に大した求心力はなく、一年近く逃げ回るように抵抗運動を続けた後、全滅してソナン復興の最期の灯火はそこで完全に消えた。




