入学編1-4
「我は求めん! この身を害するモノを排する護り!『マジカル・キャンセラー』!」
精神を集中させて己の魔力を活性化させ、右手の人差し指で虚空に六芒星を描きつつ、呪文を唱えて魔法を完成させたフレオールは、イリアッシュと共に、テーブルの上にある羊肉のピラフ、食堂でのかなり遅めの昼食に臨む。
イリアッシュによる学園の案内は、勝手知ったるだけあって、効率的なものではあったが、二度もトラブルを起こしたタイムロスもあり、決して小さくないライディアン竜騎士学園の校舎と校庭をだいたい見て回った結果、魔法帝国アーク・ルーンからの、ただ二人の生徒の昼食は、他の生徒らより一時間以上も遅いものとなった。
無論、案内の途中で食事を取るのもできたが、その場合、学友たちの敵意を受けながらのものとなってしまう。
これからもずっと食事の時間帯をずらすのは不可能だが、さすがに今日だけで二度もトラブルを起こしている二人はもめ事にうんざりしており、食堂で生徒らを料理する事態を避け、今まで空腹を我慢する方を選んだ。
空腹は最高のスパイスという言葉があるが、二人の場合、もう一つ毒というスパイスにも気を配らなければならない。
十四歳にして飛び級で、魔法学園の魔法戦士科を首席卒業したフレオールは、毒を無効にする魔法くらい使える。
見習いとはいえ、イリアッシュは竜騎士である。ドラゴンのような超生物に毒など効かない。その耐性を発現させれば、料理の味つけなど気に病む必要がなくなる。
全生徒が一度に食事できるほど広い食堂で、ピラフが三分の一ほどになるまでは、二人が黙々と食べる音だけが響いていたが、
「あっ……」
四つの意外そうな声、フレオール、イリアッシュ、そしてライディアン竜騎士学園の生徒会長にしてバディン王国の王女クラウディアと、生徒会会計にしてタスタル王国の王女ナターシャのものが重なる。
もめ事を起こしたくなく、イリアッシュは去年までの経験に基づき、こんな時間に昼食を取ったのだ。
無論、十代の半ばから後半の育ち盛りが百人近くいるのだから、予想外の間食にやって来る者が皆無とは限らないが、生徒会のメンバーというよりにもよって、最もあり得ない遭遇をするとは思わなかった。
生徒会に所属していたイリアッシュは、入学式の後、教官や来賓らとの会食をすましても、今後の準備で食堂に来るヒマなどないのを、実体験から知っているので、誰よりも「まさか」という思いが強い。
実際に一年生がまだ生徒会に参加していないので、最も人手不足となるこの時期、しかも今年は副会長ウィルトニアがワイズ出身の生徒らの抑えに回っているので、クラウディアに食堂で休息するヒマはなく、ナターシャに強引に連れて来られねば、この日、三度目のトラブルはなかっただろう。
ハチミツ色のふわふわと柔らかそうな長い髪、肉付きの良い肢体、美しいだけではなく柔和な容姿のナターシャは、見た目のとおりの性格で、朝と昼の会食の時もほとんど何も食べておらず、入学式の時より顔色がずっと悪い友人のクラウディアを強引に食堂に連れて来て、大いに悔いることになる。
「クラウ、戻りましょう」
友人の気持ちが沈んでいる理由がピラフを頬張る光景に出くわし、ナターシャはそう耳打ちするが、青い顔のクラウディアは、鮮やかな緑色の瞳に激しい光を灯し、食事中の相手の側に早足で歩み寄って立つ。
「……食事が終わるのを待つ気はない。オマエたちに問いたいことがある。個人的なことは後回しにして、フレオールよ、何を置いても聞きたいことがある」
まずは侵略者に鋭い視線を向け、
「アーク・ルーンは何のために我ら七竜連合を滅ぼそうとする?」
「一人のオッサンの、下らない自己満足のため」
平然と二人の王女が呆れ返る内容を口にし、ピラフの残りをスプーンで口に運ぶ。
目を見開いて呆然となる二人だったが、ピラフがなくなった皿が無造作に置いたスプーンによって甲高い音を立てると、
「……待って下さい! 何ですか、それは! 貴国は魔法による世界統一で、世界を魔法による恩恵を満たすことで、世界から争いを根絶する! そう世界中に宣言して、数多の国を滅ぼしてきました! 万民の幸福など偽り! 全てはあなたの兄、ネドイル個人が満足するためだけと言うのですか!」
「うちの国、四年前に大規模な内乱が起きているんだぞ。魔法ごときで平和になるはずがないだろうが。ネドイルの大兄はそんなに賢くないぞ。あの人はどうしようもないバカなんだから」
穏やかな外見と性格のナターシャに激しくなじられ、フレオールは食後のお茶すすりながら答える。
ナターシャは無意識に握り締めた右の拳をドラゴニック・オーラで覆い、砂色の大きな瞳に涙すら浮かべながら、
「先の戦いでは、ワイズが滅び、六万人以上の将兵が死にました。その中には、我がタスタルの者も少なからず含まれています。その散った命は、あなたの兄ひとりが満足するためだけになされたと言うのですか!」
「ネドイルの大兄はオレが生まれる前より、万単位できかない敵を討った。昨年、討たれた敵など、大兄が満足する過程で流れた血の、ほんの一部にしかすぎんよ。ネドイルの大兄は、世界の果てを目指しているんだ。そこに至る長い道程を舗装するのに、どんだけ死体がいると思うんだ? 言っとくが、数の勘定なぞできんぞ、ネドイルの大兄は」
そこで空になったカップに、イリアッシュがポットからお茶を入れる。
「世界を相手にどつき合いができるほどの才能。それと間近に接したことのない者には想像できないだろうが、ネドイルの大兄は大才に過ぎるんだよ。それこそ望めば、世界征服、世界一なんて戯言に手を届かせ得るほどに」
「できるからやっていい、そんな道理はありません! 人を殺せる力があれば、人を殺していいとはならない! このようなことは当たり前であり、論じる以前のことではありませんか!」
「もっとも、だと思う。が、身内として言わせてもらえば、言って聞く人じゃないんだよ。不正確かも知れないけど、人が道に敷き詰めた石に関心を払わないように、ネドイルの大兄は自らの歩み道に敷き詰めた死体など気にしないんだよ」
非人道的な回答を得て、ナターシャが絶句すると、クラウディアがたまった怒りを吐き出すように、
「呆れた話だ。自らの国が、自らの兄がそんな正義なき戦いを行っているのに、オマエは、オマエの国の者は、悪逆非道な支配者の言いなりになっているのか!」
「正義はカケラも無くても、実力は途方もなくあるんだよ。それこそ、あらゆる敵を下し、味方を従えるほど。これも身内として言わせてもらえば、ネドイルの大兄とケンカしようとする、あんたらの気が知れん。あの人、とことんオトナげないんだぞ」
年にして三十近く、親子ほど年の離れている、どうしようもない長男を良く知るフレオールは、ため息まじりに当然の糾弾に答える。
「ケンカをするというが、仕掛けてきたのはアーク・ルーンの方ではないか! キサマは降伏しろ、と言った! だが、それは非道に屈しろ、と言っているのだぞ!」
「非道をうまくやり過ごせ、と言っているつもりだぞ。正論や道理が通じる人じゃあないんだよ。タチの悪い酔っ払いに絡まれたと思って、有り金を差し出してひたすら謝っていないと、大ケガするだけなんだって。正直、ネドイルの大兄に絡まれて、国が滅ぶ程度ですんだら御の字だぞ」
あまりに呆れるしかない、身勝手な内容に、クラウディアはむしろ怒りを削がれ、怒気ははらんでいるが落ち着きのある口調で、
「正義も大義も理想も信念もなき侵略、非道であるなら、絶対に負けるわけに、屈するわけにはいかん。なるほど、我が七竜連合は昨年、敗れた。さらにアーク・ルーンは新たな軍勢も差し向け、五十万にも及ぶ兵が我らを滅ぼさんとしている状況にある」
そこで一度、言葉を切り、数瞬、目を閉じてから開いた瞳に宿す、激しさを増した眼光でフレオールを睨みつけ、盟主国バディンの王女は、己の、七竜連合の決意を相手に叩きつける。
「たが、しかし! 我々はまだ完全に敗れておらず、何よりも戦う意志を失っていない! 最後の一人、一頭まで戦い続け、アーク・ルーンの無道を粉砕してくれる! 現に、キサマらはワイズを支配したが、ワイズの民の抵抗にあい、兵を進めたくとも進められずにいる! 我らが易々と敗れると思わぬがいい!」
だんっと大きく響く物音と共に、テーブルに強く叩きつけられたカップから、そう多く残っていなかったお茶が踊り出る。
物音の先に、三人が反射的に視線を転じると、ぞっとするほど怒りにたぎった眼光をクラウディアに向けるイリアッシュの姿があった。
正に鬼気迫る迫力に、クラウディアとナターシャは生唾を飲み込み、気圧されてしまう。
「ああ、イリア、怒るのも無理ないと思うが、こらえろ。バディンの末路がどうなるか、わかっているだろ? あの国の連中は、例え逃げても、安息のない日々を送るんだぞ。ましてや、逃げなかったら、どうなるか」
「……そうですね、すいません。たしかに、バディンの哀れな哀れな最後。それなのに、怒るなど以ての他ですね」
フレオールになだめられたイリアッシュの両眼は、一転して同情の色に満ち、
「ってわけで、うちと内通しているヤツを除いて、国中の王候貴族に、持てるだけの金を持って、今すぐ逃げるよう、説得とかにかからんと、本当にマズイぞ。ついでに、ワイズ王とその配下にも同様の忠告をしてやってくれ」
その末路の一因も、哀れむような声音で、最善のアドバイスをする。
「なっ! オマエは人の話を聞いていなかったのか! 我らは負けぬと言っているのだ! なのに、なぜ、逃げる必要がある!」
「そっちこそ、人の話を聞いているのか? オマエらは降伏も許されず、見せしめにされるんだぞ。そりゃあ、戦争だから何でもありだし、その点じゃあ悪い手じゃないけど、ただ怒らせちゃあいけない相手を怒らせたから、もうどうにもならん。オマエさ、腹違いでまだ五歳、しかも病弱な弟がいるだろ? このままだと、その弟がそこのお姫様に殺されるかも知れんぞ」
言ったフレオールの指先はナターシャを示す。
「はっ? 何を言っているんですか? 私がクラウの弟、コーラル君を殺すなんて、例え七竜連合が敗れても、それだけはありませんよ」
「という具合に、殺される方はもちろん、殺す方もイヤなもんなんだ。ダチに幼児殺しをやらせたくなけりゃあ、逃げるしかないんだよ。これから一生、陽の目は見れなくとも、家族の生首を見るよりマシだろう」
「なるほど。キサマらが非道なだけではなく外道で、ますます絶対に負けられないことだけはわかった」
「ふう、何で絶対に勝てないのがわからないかねえ」
「無理ですって。絶対にわかりませんから。それより、クラウディア殿下にお話があるのですけど、よろしいでしょうか?」
尋ねはするも、返事を待たず、イリアッシュはテーブルの上に、制服のポケットから取り出した指輪を二つ置く。
指輪はどちらもダイヤをあしらった高価な代物だったが、片方は酷く歪んでおり、ダイヤも硬度が硬度だけにキズこそないが、欠けや割れが生じている。
「こ、これは、兄上の……」
「はい、婚約指輪です。王宮でたまたま死体を見つけたので、回収しておきました。私のも返しておきますね」
「……兄上……さぞや、ご無念であったでしょう……」
兄の婚約者だったイリアッシュの言葉が届いているのかいないのか、クラウディアは歪んだ指輪、兄の形見を両手で握り締め、婚約者に裏切られた兄の無念を想って涙する。
ひとしきりすすり泣いたクラウディアは、
「……それで、兄はどのような最後だったんだ?」
「たぶん、ゴーレムか何かに、囲まれてボコられたんじゃないかな、死体の状況から。正直、あの時はアーク・ルーン軍を手引きするのに忙しくて、そんなこと、気にしている余裕なんてありませんよ。とにかく、タイム・スケジュールが厳しくって」
(わあ、まだ怒っているなあ)
にこやかに薄情だが、正直な答えを口にするイリアッシュに、フレオールは内心でその心中が穏やかならざるのを察する。
クラウディアが関与していなくとも、バディンの王女を恨まずにいられないのだろう。
当然、義姉と呼ぶことになっていたかも知れない女性の、気遣い0な返答に怒らずにいられるはずもなく、
「……キ、キサマ、キサマという女は、それが本性だったのか! 兄は、兄はな! そんなキサマを心から愛し、大事に思っていたんだ! だから、ワイズの窮地に自ら駆けつけ、キサマの裏切りを信じず、最後まで留まり、そして、そして……」
悲しみに声を震わせ、床に崩れ落ちる友人を、ナターシャは抱き締め、イリアッシュは真実の刃をさらに振り下ろす。
「まあ、見ていてイタかったですから、愛想良く調子を合わせていましたけど、正直、やたらと私に話しかけてきて、内通している身としては、邪魔でしょうがなかったですよ。向こうが真剣で命がけなのはわかるんですが、要りもしない好意とプレゼントを押しつけられても、始末に困って仕方ありません」
「なら、なぜ、兄のプロポーズに応じた! 兄の想いを踏みにじるのが、そんなに面白かったか!」
「一国の王子様に告白されたら、股を開けって言われているようなもんじゃないですか。断ったら、外交で気まずくなりますよ。本音を言えば、断りたかったんですが、当時、父が抱える案件を片づけるのに、私が政略結婚をする必要があったんです。まあ、一国の王子だし、悪い人でもなかったですからねえ。頭は悪い人ではありましたが」
「ふん、親孝行なことだな。伝え聞くところによると、アーク・ルーンの大宰相と内務大臣の部屋へと忍んだそうだが、それも父親の命令か!」
「父に言われたわけではありませんが、父を助けたいと思いまして」
悪びれも恥じらいもせず、イリアッシュはにこやかにメンタル・アタックを加える。
「で、次の男はそいつか! 何でも、その男と同じ部屋で寝るのを、学園側に強引に認めさせたそうだな!」
「寮は相部屋しかありませんし、フレオール様以外ですと、いつ寝首をかかれるかわかりませんから。学園側も、そうした事情を考慮して、誓約書の提出で、フレオール様との同室を認めてくれましたよ。まっ、安心して下さい。隣の迷惑にならないよう、タオルとかをくわえますんで」
「くっ、本当に、本当に変わられてしまったのですね。それとも、元々、そういう人だったのか。もう、私には何もわからない。今年、学園を卒業したイリア先輩が兄に嫁ぎ、あなたを義姉と呼ぶようになる。ずっとそう思っていたのに」
ついに泣き崩れるクラウディアを、イリアッシュを睨んでいたナターシャが支えて、食堂から立ち去って行く。
そして、本日、三度目のトラブルが去ると、
「本当にバカですねえ。私たちはもう、全てが壊れて、終わって、変わっていくしかないというのに。いつまで、自分が全てを守れるなんて幻想を見ているつもりでしょうか」
つぶやきながら、一足先に現実がいかなるものかを思い知った小娘は、こぼしたお茶をふきんで拭いてから、食器ののったトレイを洗い場の方に持って行き、フレオールもそれに倣い、二人は「ごちそうさま」を告げてから、食堂を出る。
「で、イリア、とりあえず、学園の主なトコはこれで見たよな?」
「はい。あっ、でも、まだ、用具倉庫と、医務室と、空き教室と、屋上が残っていますが?」
「つまり、今日はもう寮で休んでいいわけだな」
「それは残念ながらありですが、でも、部屋だと二人切りになれませんので。もちろん、一対二でも構いませんけど」
「そうならんために、わざわざ部屋に来てもらったのに、するか。とにかく、学生寮に案内してくれ」
「イケズですねぇ。それとも、さっきクラウが口にしたネドイル閣下との件、引っかかっておられるのですか?」
「あの二人のことは良く知っているから、何もされなかったオマエがどんだけ苦しんだか、何となく想像がつく。特にネドイルの大兄は本当に何もしないからなあ」
しみじみと言うフレオール。
二人が会話している間にも、勝手を知り尽くしているイリアッシュの先導で、学生寮に着き、部屋のカギを受け取る。
全生徒が寝泊まりする学生寮では、新生活に浮かれる一年生によるにぎやかな空気に満たされていたが、そこをイリアッシュとフレオールが進んで、そうした場の雰囲気を悪くしながら、自分たちの部屋にたどり着き、そこには先客が待っていた。
割りと大きな二つのベッドと、それなりに整った家具、二人で使うには広く感じられるだろうが、これよりずっと恵まれた環境で暮らした王候貴族の中には、狭く感じる者もいるだろう。
ましてや、フレオールらはこの部屋を三人、正確には二人と一頭で使うのだ。
年の頃は十七歳くらいに見えるだろう。長い茶色の髪を髪留めで束ね、愛らしい顔立ちの少女だが、相手に強い印象を与える容姿でもなく、着ているのがメイド服であるのもあり、一見すれば下働きのメイドにしか見えない。
が、神秘性とは無縁な見た目のこの少女、ベルギアットこそ、フレオールの乗竜である。
しかし、人の姿をしているが、ドラゴニアンではない。彼女は自然に生み出されたドラゴンではなく、魔法で作り出された生命体、しかも超越者の作品だ。
魔竜参謀ベルギアット。今より約二十五年前、フレオールが生まれるより十年近く早く、魔法帝国アーク・ルーンの地方軍の下士官だったネドイルが、彼女を手に入れた日より、その史上空前の覇道が始まったのは、全ての史書が記すとおりである。