大征編30
「まずは全軍を以て、ヨージョまでの水路を奪い返し、兵糧を届けるべきです。後は決戦を避けつつ、リョガンと連絡を取り合い、挟撃の体制が整ってから、アーク・ルーンと決戦すべきでしょう。このまま現地に赴き、そのまま決戦を挑むなど、自ら虎口に入るようなもの。アーク・ルーンが何かしらの罠を用意していたなら、取り返しつかないことになりますぞ」
ヨージョへの援軍十万の副将を務めるファブンは、強い口調で主将たるジドの作戦に異を唱えた。
ファブンはギガやリョグスと同年代、同程度の軍歴の持ち主である。
背は高く、肩幅は広く、胸板は厚い、実に立派な体格しているが、ジドに対する進言からも、優れているのが見えてくれだけの木偶の坊でないのは明白だ。
繰り返すが、ヨージョはソナンの死命を決する最重要拠点である。そのヨージョから援軍を求められたなら、これに応じるのは当たり前のことである。
だから、ソナンは十万の兵を整えたのだが、そこでジドが強権を用いて、その援軍の指揮権を強引に握った。
「それがしはかつてはアーク・ルーン軍と対峙し、撃退しております。今度も奴らを撃退し、国の外に叩き出してやります」
旧ジキンの地で立てた功績を言い立て、ジドが再び戦場に臨むのは、更なる栄光を求めてというより、保身のためという意味あいが強い。
ジドは軍部の不正を正してというより、軍人らを叩いて出世した男である。当然、武官らに恨まれているのは当人も自覚している。
仮に、ファブン辺りの将軍に援軍を任せ、アーク・ルーンを撃退したならばどうなるか?
救国の英雄となったファブンが、その巨大な功績、名声を背景にジドの排斥を唱えたなら、宰相の地位など一瞬で吹き飛ぶだろう。
自らの地位、権勢を保持するためには、何人にも救国の大功を立てさせるわけにはいかない。それゆえ、ジドは祖国を救うために十万の兵を率いているのだ。
実のところ、自らが救国の功績と名声を独占せねば、他者に取って変わられるというジドの認識は正しい。リョガンやファブンなど、ソナンの武官でジドを恨んでいない者は少数だ。そのジドへの恨みを晴らせ、しかも自らがソナンの最高の権力を手に入るというのだから、ためらうべき理由などどこにもないというもの。
ただ、一方でジドの認識が根本的に間違っているのは、救国の英雄になれるかどうか。つまり、自らの指揮でアーク・ルーン軍に勝てると考えている点だ。
実際に第十三軍団と戦うにあたり、ジドの立てた作戦は、西進してヨージョを攻め、包囲しているアーク・ルーン軍に一気呵成に襲いかかり、一挙撃滅するというお粗末なものであった。
歴戦の将たるファブンは鼻で笑いたくなるのをこらえつつ、
「一万や二万ならまだしも、十万の大兵の接近、いかにヨージョ攻めている最中とはいえ、気づかぬものではありません。こちらがヨージョに至る前に、敵軍は迎撃態勢を整えるでしょう。不意を突くなど不可能。まして、一挙撃滅など土台、無理な話」
ジドの素人用兵を否定するのみならず、ファブンは代案も口にする。
「すでに申したとおり、まずはヨージョへの補給を優先すべきです。これが成れば、リョガンと連絡が取れるようになり、城内の友軍と呼応して、有利に戦うことができるのです。それに城内と連絡を取る間、アーク・ルーン軍に示威行動を行い、圧力をかければ、降った味方が動揺することでしょう。彼らを再び味方とすればもちろん、動揺させるだけでも、アーク・ルーンは寝返りに備えねばならず、こちらとの戦いにさらに兵を割けなくなるのです。即戦は城内の友軍、降った元友軍との共闘という優位を自ら捨てるようなもの。三方から攻める態勢を整えてから決戦を挑むのが、必勝の策というものでございましょう」
ファブンの作戦案に多くの武官がうなずきはした。当人の言うとおり、これが必勝の策であるからだ。
だが、ジドはうなずくことはなく、必勝の策を退けた。
この作戦案ひとつを見ても、ファブンが優れた将軍であるのは否定しようがない。ただ、軍人としての見識に富んでいても、惜しむらくは政治や権力に対する考えは浅いと言わざる得ない。
ファブンの作戦案で勝利した場合、ジドが指揮を採っていても、最大の功労者はファブンということになり、ジドは功績や名声を得られないどころか、現在の権勢を失うことになる。
だから、どれだけ素晴らしい作戦であっても、ファブンの提案は却下し、自らの素人用兵で勝利と栄光を手に入れるしかないのだ。
かくして、ソナンは私欲を剥き出しにした指揮官の元、国家の命運を賭けた一戦に挑もうとしていた。