大征編27
「見よ。リョグスとやらは、存外、視野の狭い男のようだ。あるいは狭いのは度量か、それとも病気のせいか」
スースイ城を包囲する第十三軍団の天幕の一つで、手にする一枚の密書をヒラヒラとさせながら、アーシェアは晴れやかな表情で、副軍団長のムーヴィルと副官のフレオールに敵軍の不幸を告げる。
メリクルスが任務を成功させ、物資の集積基地を失ったスースイ城は、一挙に窮地に陥った。
集積基地を奪回せんと手勢を繰り出したギガだが、それが二度に渡って撃退されると、ギガは二日に渡って悩んだ末、犬猿の仲であるリョグスに救援を求めた。
「ヨージョの水軍を動員すれば、アーク・ルーンの水軍を排除して、水路から物資を運び込める」
城内の物資が尽きれば、それまで。不本意であろうと、守将としてギガはそれを何とかせねばならず、ヨージョの水軍を動員すれば何とかなる状況であるはずだった。
しかし、リョグスはそれを拒んだ。
その理由の根底に両将の不仲はあることはあるだろう。ただ、リョグスにのみ非があるわけではない。
リョグス配下の水軍がスースイで活動するに当たり、ギガはその指揮権を自分に委ねる点も要求したのだ。スースイ一帯はギガの管轄下ゆえ、当人としては当然の措置のつもりなのだろうが、リョグスからすれば虎の子の水軍を他者に任せるなど、論外。
「水軍はヨージョを守るのに不可欠。これを軽々しく貸し出すわけにはいかない。また、水軍の不在を狙う侵略者の計略も考えられる。今、中央に援軍を求めている。これが到着次第、救援に向かうゆえ、現有戦力での死守を乞う」
そのような内容の返書を持たせた使者は、アーク・ルーン兵に捕まり、アーシェアたちの前にその内実が明らかになった。
スースイ城は守るに足る兵を有している。今、スースイ城に必要なのは、その兵を飢えさせないための兵糧だ。
無論、援軍が到着してアーク・ルーン軍を蹴散らせば、いくらでも外から兵糧を運び込める。しかし、援軍が到着する前に飢えれば、スースイ城は落ちる。
リョグスはソナンの首都リンカンに快速船で援軍を求める使者を出してはいるだろう。しかし、数日の内に急報が届くとして、それから一軍を編成して進発させても、スースイに到着するまでにどれだけ日数を必要とすることか。
大河を、水路を取るとしても、下流から上流にさかのぼるとなると、河の流れに任せて進むとはいかなくなるのだ。
ギガへの嫌悪が思考を歪ませたか、それとも病気で思考が鈍っているのか、リョグスの采配はお粗末と言うしかない。
「さて、この書状を持たせて、密使を解放してやるか」
アーシェアの判断に、副軍団長と副官も大きくうなずく。
このリョグスのお粗末な判断を知れば、ギガは大いに怒り狂う一方、大きな決断を迫られるだろう。
スースイに未来なしと諦めるか、未来をつなぐ光明を手繰り寄せるため、無謀な賭けに出るか。アーシェアとしては、前者を選んでくれれば楽なのだが、後者を選んでも油断なく構えていれば問題はない。
兵士を一人、呼び、ムーヴィルとフレオールが同意した指示を伝えて去らせると、
「ところで、フレオール卿。三人目、四人目が出来るということはないか? 無粋で悪いが、決戦を前に竜騎士が一騎、二騎と少なくなるならなるで、事前に教えてもらえると助かる」
「……ハッキリとしたわけじゃないが、ミリィにそんな兆候が見られるのは、確かだ」
「そうか。それが本当なら、軍としては困るが、私個人は祝福させてもらうぞ」
タイトガ滅亡からソナン侵攻に至るまでの数年間の間に、フレオールはミリアーナとフォーリスの間に、一人ずつ子を設けている。
本来なら三児の父であるフレオールなのだが、ブリガンティ男爵邸ですくすくと育っているのは、ミリアーナとフォーリスの産んだ子のみ。死んだシィルエールとの間に設けた最初の我が子は、トイラックの勧めに従って養子に出している。
フレオールが我が子を養子に出さねばならない事情を知るアーシェアは、知っているからこそ三人目と言ったのだ。
「私の妹が穴埋め、いえ、お役に立てばよろしかったのですが」
「その代わり、私の妹の無事を祈ってくれている。私個人は礼を言いたいくらいだ」
ムーヴィルの妹、モニカは旧マヴァル帝国の地でコノート軍が敗れた際、フォーリスに乗竜を討たれて捕らえられている。
モニカの祖父、父、兄、叔父はアーク・ルーンの高官。それゆえ、特にムーヴィルら親族が助命を願い出ずとも、国の方が気を遣って超法規的な処置を取り、無罪放免となった。
アーシェアの妹、ウィルトニアはその死を看取った人間がいないこともあり、行方不明扱いとなっている。姉としては、妹が生きているとは思っていないが、ムーヴィルの妹の方はそんな淡い期待があるがゆえ、自決、いや、殉死に踏み切れず、無罪放免となった後、出家して僧院の片隅でウィルトニアの無事を祈り続ける日々を送っている。
ムーヴィルのみならず、マードック、ミストール、メリクルスなど親族は、その僧院に一度ならず足を運び、塞ぎ込んで祈るばかりとなったモニカと顔を会わせてはいる。
ともあれ、モニカは元竜騎士でしかなく、今は世捨人のようなものだ。ミリアーナとフォーリスは現役の竜騎士であり、軍人であるが、身重となれば母親としての戦いに専念してもらうより他ない。
ライディアン竜騎士学園が廃園した今、アーク・ルーンは竜騎士の数を増やせず、減ってもその補充はできない。父親の失脚後に学芸官となったティリエランは、一応、竜騎士学園の復旧草案を作り、それにロペス代国官チャベンナは一定の理解を示したのだが、トイラックがそれを一笑にふして却下している。
アーク・ルーン軍の中で唯一、竜騎士部隊を有し、自身も竜騎士であるアーシェアは、ティリエランから口添えを求められたこともあるが、それを断っている。
一騎当千、その多くが飛行能力を有する竜騎士は、軍事的にいくらでも活用できる。同数ならば、アーク・ルーンの魔道兵器を圧倒できるだろう。
真に有用と思っているなら、そもそも竜騎士を処罰してその減らすことはないのだ。厳正な裁きなどと言っていたら、サム、ザゴン、ヅガートなど、とっくに打ち首になっている。竜騎士をむしろ使い潰す意図があるからこそ、竜騎士の数は減っていき、補充できる状態を改善しないのである。
その点では、アーシェアの運用は見事と言えるだろう。竜騎士をそれなりに役立てつつ、その数を確実に減らしているのだ。
ただ、竜騎士の数はまだ多い。竜騎士一騎の維持費を思えば、このまま東の果てにたどり着いてしまうと、無用の長物を保つのにけっこうな税金が必要となってしまう。
だが、それよりも危惧すべきは、遊牧民のように増長するような事態だ。
指示されたとおりに戦っているにも関わらず、勝てば自らの実力を過信する。それが重なって、遊牧民の戦士は反旗をひるがえした。先に処刑された竜騎士たちも、勝利による慢心で多少の軍規違反で罰を受けることはないと考えた節がある。
戦が無くなれば、竜騎士などただの金食い虫。それをわきまえて身を慎むなら、アーシェアとてまだフォローのやり用はある。だが、かつての同胞であるだけに、戦で生き残った竜騎士がいずれ待遇に不満を抱き、遊牧民に倣うのは目に見えている。
どのみち処分するにしても、二十騎よりも十騎、十騎よりも五騎の方が手間が少なくすむ。
第十三軍団長は、未来の処分費用も念頭に置き、ソナンを征さねばならない立場にあった。