大征編19
人は衣食が満ちて礼節を知る、という言葉がある。
貧しき者に礼儀を説き、節度を求めても無駄であり、礼儀と節度を守らせたいなら、人にまずそうできるだけのゆとりを与えねばならない。
それは逆説的には、飢えた者はどんな悪事も働くということも意味する。
二十万の大軍が大敗したジキンは、連城の守りを固めて侵略者の侵攻と南下を防ごうとした。つまりは、スラックスやシダンスは、ジキンに守りを固める時を与えたということだ。
ジキンが守りを固める間、スラックスは当然、何もしていなかったわけではない。彼の元には今や八万に及ぶ遊牧民の戦士が集っている。
ジキン軍との戦いに勝利し、遊牧民の戦士らは大きな戦果を得た。スラックスは遊牧民がジキン兵の装備をはぎ、手に入れるのを権利の一つとして認めたのだ。
貧しい遊牧民にとって、ジキン兵の装備は正にお宝。憎きジキンに大勝利したことに加え、儲けることができると北の地に知れ渡ると、スラックスの元に続々と遊牧民の戦士が集ったのだ。
そうして集った八万の貪欲な狼を、スラックスは連城の一部に叩きつけた。
連城の防壁は固いが、そこを攻める遊牧民の数は多く、アーク・ルーンの攻城兵器も優れている。必死に守るジキン兵らを文字通り叩き潰し、連城への侵入を果たすと、そこから遊牧民らは左右に走り、ジキン兵を、更なる獲物を求めた。
防壁上で遊牧民らがジキン兵と遭遇する都度、ジキン兵を血祭に上げていき、連城の一部を制圧すると、遊牧民らの目と欲望は、連城の南に広がる沃野へと向けられた。
スラックスとシダンスは苦心して、遊牧民らの無軌道な行動を許さず、何とか統制して、城市を攻めさせた。城壁と兵士に守られた都市よりも、柵しかなく兵のいない農村を襲う方が楽に殺して奪えるので、アーク・ルーンの指示に遊牧民らは不満の色を見せたが、復讐と略奪しか頭にない遊牧民の勝手にさせれば、征服活動に支障が出るので、スラックスからすれば強権を以てでも従えるしかない。
城市を攻め落とすのは、やはりカンタンなものではない。遊牧民の戦士らは野戦には強いが、城攻めの経験がなく勝手もわからないから、なおのことだ。それでもアーク・ルーン軍の支援を受け、遊牧民の戦士らは犠牲を出しながらも、城門を破り、守るジキン兵を蹴散らし、城市を陥落させた。
攻め落とされた城市の城主は、遊牧民らに殺され、城内にあった財貨は、彼らの手に落ちた。無論、殺されたのは城主のみならず、役人や兵士はもちろんのこと、遊牧民らは民家にも押し入って殺し奪い、女を犯す蛮行に及んだ。
「スラックス閣下。今はまあ、我慢ですて」
武人気質のスラックスは、戦場での略奪は仕方ないとしても、民間人への蛮行には不快感を示したので、副官たるシダンスはそれをなだめて黙認させる。
悪名は武器になる。
いくつかの城市がこのような末路をたどり、シダンスがそれを意図的に広めると、城市の多くが城門を開き、財貨を差し出して降伏するようになった。
当然、降伏した城市で殺し奪うことを禁じたが、これに遊牧民らは強い不満を見せたが、ほどなく彼らの機嫌は直った。
降伏した城市のジキン兵はアーク・ルーン軍に組み込まれたのだが、そのジキン兵の運用は遊牧民らに一任された。これによって、抵抗するジキン兵の守る城市を攻める際、ジキン兵に攻めさせ、遊牧民らは攻守、共にジキン兵の血で染まった城市で、思う存分、殺し奪い犯すことが楽しめる。
言うまでもなく、降伏したジキン兵は、奴隷の如く扱われ、戦の矢面に立たされた上、同胞、しかも老人や子供も殺し、女を犯す姿を見せられ、遊牧民に強い怒りと憎悪を抱いた。
遊牧民とジキン兵、降伏した者同士が嫌悪し、連帯することのない状態は、その上に立つアーク・ルーンにとって悪い傾向ではない。もちろん、それだけで安心してよいものではないが。
降伏したジキン兵を加えて三十万を数えるようになったアーク・ルーン軍は順調に城市を制圧していき、ジキンの首都へと着実に迫りつつある。
シダンスの予想どおり、この間、カセンとソナンはジキンの助力を求める声に応じないどころか、逆に共に兵を繰り出して、ジキンの城市を攻め、領土を奪うことに狂奔している。
孤立無援というより、四面楚歌という危機的な状況にあるジキンだが、その首都の城壁はこれまでの城市とは比べものにならないほど、厚く硬い。さらに首都だけでも、ジキンはまだ十万の兵を残している。
また、ソナンに奪われた分を差し引いても、ジキンの南部には無事な城市がまだまだあった。
これらを全て征し、ジキンの命脈を止めるのは、容易いことではない。
だが、それよりもアーク・ルーン軍には、スラックスとシダンスには、優先してすべきことがあった。
正確には先手を打つべきことが。




