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大征編15

「ねえ、母様。ボクの父親はフレオール様なの?」


「………」


 五歳になる息子ザラスの質問に、イリアッシュは言葉に詰まる。


 トイラックと結ばれ、一子を設けたイリアッシュは、我が子ザラスの誕生に喜んだが、それ以上に大喜びしたのはネドイルであった。


 政略結婚の末に得たバカ息子とバカ娘もそれぞれ子を設けていて、実の孫もいるネドイルだが、見るべきところのない血を分けた子や孫に見向きもしないどころか、僻地に追いやって目につかないようにしている。


 それに対して、ザラス生誕の報を耳にしたネドイルは、実の子や孫の時よりも万倍は喜び、


「この子はオレや父親以上の傑物になるだろう」


 初めて抱き上げた乳飲み子にそんな評価をした。


 ネドイルはザラスを可愛がった。本音を言えば、手元に置いて可愛がりたかったが、トイラックの任地は帝都よりはるか東の旧ゼラント王国の王都。


 それゆえ、ネドイルは人事権を濫用してトイラックを内務大臣に戻そうとしたが、これは当人に固辞された。これに懲りず、イリアッシュに対して、


「トイラックは多忙で何かと大変であろう。子が幼い間は実家を頼ってはどうだ」


 今のイリアッシュの実家は父イライセンの元、帝都ということになる。


 だが、多忙なのはイライセンも変わらない。だから、乳母や使用人に頼れる環境は、夫の元でも父親の元でも同じだ。いや、済し崩しに夫の元には、家令のような立場におさまったブラオーがいて助かっているので、イリアッシュはネドイルの言葉を謝絶した。


 魔法帝国アーク・ルーンの最高権力者に大甘な顔と態度に接しているザラスは、しかしネドイルが評価したとおり、成長するにつれて非凡な片鱗を見せるようになった。


 賢い子であるが、何よりも賢明なのは、


「ネドイル閣下の恩情に甘えてはならんぞ」


 父トイラックの言葉を幼いながら良く理解し、五歳児にも関わらず大宰相に臣下の礼を取り、身を慎んでいる。


 ただ、この賢い、いや、賢すぎる点が仇となり、イリアッシュを今、苦悩させていた。


 父子が共に身を慎もうが、父子が揃って最高権力者の寵愛を受けているのは事実だ。そして、トイラックとザラスがいるのは、ネドイルの膝元、帝都ではない。


 形式的にはアーク・ルーンの東域全体の大権を預かっているのは、東方太守である皇太子となっている。


 しかし、実際は皇太子の秘書官、補佐役でしかないトイラックに、東域の将兵も官吏も皆、指示を仰いでいる。


 魔法帝国アーク・ルーンの今の皇帝も皇太子も、ネドイルの操り人形にすぎない。その立場に逆らおうとするのはもちろん、大宰相の機嫌を損なえば首が飛ぶ立場でしかない。


 皇太子自身は、先の皇太子、兄がネドイルの逆鱗に触れ、処刑された光景を忘れたことなどなく、お飾りという役割をきちんとこなしている。


 だが、皇太子の側近、近侍などは形ばかりの地位に不満を抱いているが、さすがに表立って逆らうまではしないものの、陰口を叩くくらいはしている。


 彼ら不満分子が叩く陰口は主に二つ。トイラックが元浮浪児という卑しい身であったことと、ザラスの出生を揶揄するもの。


 ザラスはフレオールの元にいたイリアッシュがトイラックに嫁いだ直後、身ごもり、生まれた子だ。フレオールの子なのではないか、という憶測が生じるのは無理もなく、それに皇太子の側近や近侍らは便乗して、


「実は自分の甥だから、ネドイルは可愛がっているのではないか」


 そんな陰口がザラスの耳にも届き、五歳児ながらその意味を理解できたがため、母様を哀しげな顔をさせる質問をしてしまったのだろう。


 我が子の問いに苦悩の色を見せた母親の姿に、


「ごめんなさい、母様。おかしな質問をして」


 頭を下げるザラスの姿に、母親となったイリアッシュは我が子をしっかりと見据えた。


「安心なさい。あなたの父親の名はトイラック。その事に間違いのないのは、母が断言します。だから、変な話は気にしなくていいですよ」


「いや、父親が誰かなんか、どうでもいいんです」


 頭を上げたザラスは、やれやれと言わんばかりの表情で母親を見る。


「ちゃんと質問しますね、母様。ボクが父様の子であるのと、フレオール様の子であるの。どちらがネドイル様のお役に立ちますか?」


 我が子と向き合う母親は目が点になる。


「ボクはネドイル様の臣です。臣たるなら、主のことを第一とすべきもの。事実がどうあれ、フレオール様の子、実はネドイル様の一族であるとした方が、将来、お役に立てる土台を築けるかどうか。それこそ肝要なのです」


 まだ小さい我が子の身からあふんればかりの忠誠心を見て取ったイリアッシュは深々と嘆息して、


「あなたはもう、一片も疑う余地もなくあの人の子です。何でここまで父親にそっくりなのか。私の方が教えてほしいぐらいに」


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