東征編40
コノート側から提供される被験者が全ていなくなると、ジルトやエリシャリルは生きている旧コノート兵を率いての帰郷が許可されたが、彼らはすぐに南へと進むことはなかった。
指揮官たるフレオールが負傷したことには言及せず、ドッヘルら四百三十三名の埋葬をグォントは申し出たが、ジルトはそれを謝絶して自分たちで同胞を手厚く葬るべく手を動かしている。
本来ならジルトらへの対応は指揮官の仕事なのだが、ウィルトニアとの戦いで負傷したのもさることながら、フレオールはそれよりもシィルエールないしゾランガと連絡を取ることを優先しているため、グォントが指揮官の代理を務めていた。
ミリアーナやフォーリスの手を借り、通信機能をフルに活用しているが、アーク・ルーンの優秀な通信の術を以てしても、なぜかシィルエールやゾランガの元につながらず、フレオールは治療を後回しにして悪戦苦闘を続けている。
指揮官の個人的な問題はとにかく、戦いを勝利という形で終えたアーク・ルーン兵だが、その顔には喜びの色は少ない。
敗残兵であろうと、その抵抗を自分たちの手で粉砕したのであれば、まだ誇ることもできる。しかし、ドッヘルらやウィルトニアの終わり方は、アーク・ルーン兵らも釈然としないものを抱かずにいられない。特に、ドッヘルらの死に様に、ウィルトニアの状態を伝え聞いたエリシャリルやモニカの号泣は、この場にいる者たちの胸を大いに打った。
埋葬されたドッヘルらの前で謝罪と号泣を繰り返すエリシャリルの傍らに立つジルトも顔を涙で濡らしているが、その中には悔し涙も混ざっている。
マヴァルやロシルカシルと同盟を組もうが、祖国コノートに魔法帝国アーク・ルーンに対抗する術はない。勝算がないならば、無駄な抵抗で侵略者を不快にさせるよりも、密かにアーク・ルーンに降伏を打診して心証を良くして終わる方がいい。
その考えが間違っていないのは、マヴァルの地の惨状が何よりも雄弁に物語っている。抗戦の末に廃滅したロシルカシルの王家や貴族も、タスタルよりはいくらかマシな扱いしか受けないだろう。
形だけの抗戦の末、余力を残して滅んだコノートは、モルガールなどの戦わずに降った国に近い待遇を与えられるだろう。エドアルド四世やエリシャリルもアーク・ルーン貴族として遇され、それなりに配慮してもらえるはずだ。
その点ではコノートの幕引きは正しくはあり、ダルトー、フンベルト、そしてドッヘルの死は無駄なものではない。
ただ、うまく立ち回っても敗者が敗者である点は変わらない。慈悲を与えられるとしても、それは勝者の都合で左右されるものでしかなかった。実際に、異母弟のちょっとした頼み事をネドイルが聞いた結果、フンベルトの死を睹した嘆願が通じず、死ななくても良かったドッヘルが死なねばならなくなったのだから。
当たり前のことながら、勝者は敗者の都合ではなく、己の都合を優先する。エドアルド四世やエリシャリルは基本的に厚遇されるにしても、それは基本というものでしかない。何らかの不都合が生じれば、エドアルド四世やエリシャリルの首は軽く飛ぶだろう。
これよりエドアルド四世やエリシャリルの未来は、ネドイルやアーク・ルーンによって定まるのだ。
無論、どのように戦おうが抗おうが、コノート王国に勝算などなかった。主家の命運を切り開こうとすれば、結局はアーク・ルーンにその刃を折られ、返す刀でエドアルド四世の首が飛ぶか、タスタル王のような悲惨な未来が待ち受けていただけであろう。
ジルトにとって、祖国をマシに滅ぼされる戦いは終わった。だが、これで全てが終わったわけではない。これより己が、何よりも主家が滅ぼされぬ、守り通すための戦いが始まる。
そして、その戦いには頼るべき父ダルトーやフンベルトらはいない。コノートのために散った者たちに託されたものを、ジルトは自らの手と才覚で守り抜かねばならない。
これより始まる戦いの中でエドアルド四世は没するだろう。もしかしたら、エリシャリルも生きていないかも知れない。しかし、エリシャリルの子、あるいは孫がいれば、ジルトの策、何よりも父たちが託したものを実らせることは可能となる。
数十年先になるであろうが、コノート王国の再興という日が。




