魔戦姫編4-1
「ネドイルの大兄の弱点か。そんなの、いくつもあるぞ」
放課後の生徒会室、たまっていた生徒会の雑務を夕方までに片づけた七竜姫の内の四人の内のミリアーナは、それを見計らったように、自習を切り上げようとするイリアッシュに教えてもらっていたフレオールに、実にストレートな質問をぶつけた。
アーク・ルーン帝国の実質的な支配者であるネドイルの弱点は何?と。
最大限に努力して、何気ない風を装ったミリアーナの質問は、事前に打ち合わすをしたものではないので、ナターシャ、フォーリス、シィルエールの表情に緊張が走り、イリアッシュすら身を硬くするが、フレオールは軽い感じで、祖国にとって致命傷にならない質問に応じようとする。
十人の男子生徒との決闘に十連勝を決めた日より四日後の放課後というより、女子生徒との決闘に敗れて負った傷を治して学園に復帰した日より、フレオールは寝ていてなまった身体の調整に努めた。
本来、今日もイリアッシュと手合わせし、前以上に戦える身体づくりをする予定だったが、ナターシャらから生徒会室で自習していて欲しいと頼まれたので、魔法戦士は鍛練の予定を変更した。
フレオールのように敗北を受容できない十人の男子生徒が、未だギスギスした空気を発しており、生徒会メンバーは気の抜けない日々が続いている。
せめてクラウディアがいればどうにかなったかも知れないが、ナターシャらがフレオールに張りついてばかりいれば、自然と生徒会の運営に支障が出るようになった。
部外者二名に勉学に励んでもらっている傍ら、四人のお姫様はたまった生徒会の業務や雑務を一気に片づけ、どうにか生徒会室で夕食を取る事態だけは回避した。
だが、その日のメインディッシュは、帰り支度を始めた際に発生したと言えるだろう。
フレオールからアーク・ルーンに関する情報を引き出すのは、専らミリアーナの役割となっている。
七竜姫の中で、侵略者と行動に共にすることが多く、まだ良好な関係にあるのが、同じ学年のミリアーナとシィルエールである。そして、後者より前者の方が、はるかに社交性が高いので、クラウディアがいない今、自然とゼラントの王女がフレオールの相手をするようになったのだ。
もっとも、フレオールが口にするのは、七竜連合にとってはどうでもいい情報ばかりで、
「とりあえず、愛人に愛想をつかされるくらいデリカシーがない。それと、ネーミングセンスが最悪。何しろ、最初に新設しようとした役職が、宇宙大宰相だからな」
歴史上、アーク・ルーンに一人も宰相はいない。
宰相は国王の全権代理人であり、国務大臣が諸大臣に有するのは監督権までだが、宰相ともなれば大臣に対する命令権のみならず、解任や処罰まで合法的に可能なのだ。
独裁者にとって、宰相ほど都合のいい役職はなく、逆に国王にとっては、この上もなく危険な地位となる。
そのため、大半の国が宰相位を常設していない。王をしのぐ権勢を手中にする家臣が独裁者となるのに、王に宰相位を設けさせるのが常であり、それはアーク・ルーンでも基本的に同じである。
アーク・ルーン帝国の六代前までの皇帝は、自分にとって危険、極まりない宰相を置くことはしなかった。が、そうした代々の用心も、五代前の皇帝の御世、ネドイルの台頭で無に帰すどころか、マイナスの領域に突入した。
帝室に対する畏敬の念など、一片たりとて持ち合わせていない一人の男は、主君に宰相位どころか、宇宙大宰相なる珍妙な役職を新設しようとした。
「グレートデラックス宰相と、どっちにしようか迷った」
残念ながら新たな時代を切り開く、史上空前の独裁者の斬新さは、部下や身内にすら共感してもらえなかったので、
「ベル姉が猛反対して、渋々、何とか大宰相で納得させたらしい。正直、身内としては、うちの両親を始め、心から感謝しているよ。歴史に悪名を残すのは仕方ないとしても、笑い者にだけはなってもらいたくない」
しみじみと語ると異母弟に、四人の王女は微妙な表情となる。
「いや、ボクが聞いたのは弱点であって、裏話じゃないんだけど?」
「たしかに、聞きたくない話だろうな。四十を過ぎたオッサンが、手足をバタつかせて、愛人との別れ話を拒んだとか。弟として、ホント、心が折れたよ」
フレオールには四十を過ぎた兄が三人いるが、そのエピソードが誰のものなのか、七竜姫の四人は真剣に知りたくないだろう。
もし、それが予想どおりの人物なら、非道なる侵略に懸命に抗うのがバカバカしくなるゆえ。
「まあ、マジメな話、ネドイルの大兄は、重度の能力主義だから、政権からあぶれて、不遇をかこっている、身のほど知らずはいくらでもいる。そいつらの中で、たきつけるまでもなく凶行に走ったヤツは何人もいるらしいけど、全て大兄に返り討ちにされている。たまに大兄と手合わせするのだが、未だ勝ったことがないんだよ」
仮に、ネドイルの武勇がフレオールと互角とするなら、これを討ち取るのは容易な話ではない。例えイリアッシュやアーシェアでも、ネドイルを討てるものではないだろう。
ネドイルより腕が立とうが、護衛が駆けつけるまで粘られたら、いかな手練れでも大宰相を討つのは無理となるのだ。実際に、ネドイルは一流の暗殺者に襲われ、毒刃で重態に追い込まれたが、自力でこれを切り抜けている。
アーク・ルーンの大宰相を暗殺しようとするなら、一流の戦士か暗殺者を複数を揃えねばならないが、優秀なアーク・ルーンの諜報機関に気取られることなく、名のある人物を何人も集め、その全員が気づかれず、ネドイルに刃が届く位置まで迫るなど不可能に近い。
「まあ、暗殺を試みるのも一手だから、それ自体はダメ元でやってみてもいいだろう。ただ、注意しておくが、ネドイルの大兄は自身が狙われる分には気にしないが、トイ兄の妹、サリッサを狙った場合、相当な地獄を覚悟しておけ。能力主義の大兄が唯一、例外にして可愛がっているのが、彼女だけだからな」
こういうことを言うと、フォーリスが目を輝かせるので、
「うちの国で、三年前、皇太子が廃された。サリッサがあるパーティーに出席したんだが、その場で皇太子殿下とその取り巻きらが、彼女の生まれをからかったんだよ。運が悪いことに、そこにネドイルの大兄も出席していてな。大兄は皇帝の御前、公衆の面前にも関わらず、皇太子殿下に飛び蹴りをかまし、倒れたところを馬乗りになって、顔をひたすら殴ったんだよ。同じく出席していたトイ兄や将軍たちに力ずくで止められるまで、な」
「皇太子殿下に乱暴をして、あなたのお兄様は何も咎められなかったのですか?」
「皇太子とその取り巻きらは皇帝暗殺を企んでいて、ネドイルの大兄がそれを止めた。皇太子殿下は幽閉され、その取り巻きらは殺され、そいつらの家、百年以上も続く名家が四つ潰れた。それで誰もが、皇帝すらも納得するのが、今のうちの国だ」
問いかけたナターシャのみならず、他の姫たちも絶句する。
「もし、サリッサを誘拐して人質にすれば、うちが兵を退くと考えるなら、うまくいけば、その通りだ。だが、失敗すれば、悪魔のオモチャになると思った方がいい。どんな目にあうかは、シィルエール姫にでも聞いてくれ」
他のお姫様たちとは比べものにならないほど顔色が悪く、唇まで真っ青で、とても口などきけそうにないシィルエールに話を振る。
魔術を習得しているフリカの王女は、悪魔についても基本的なことは知っているので、そのオモチャになるのがどれだけおぞましいのか、ちゃんと想像できるのだろう。
「……ご忠告、ありがとうございますわ。その方に手を出さないよう、心しておきますわ」
冷静に考えれば、サリッサは遠く帝都にいる。そんな遠方で何か仕掛けるとなると、かなり大がかりな準備がいる。そこまで手間のかかる話なら、七竜連合は直にネドイルを的にかけるか、もっと近いトイラックらを狙うはずだ。
フレオールは窓に、ほとんど没しかけた夕日に視線を走らせてから、
「まあ、姫君のご下問ゆえ、少しマトモに答えさせてもらうと、ネドイルの大兄は一個人としてはアレだが、独裁者としては極めて優秀だ。ただ、人であるから、万能ではない。一例として、実戦指揮官としては優れているが、アーシェア殿ぐらいの相手と戦えば、まず負けるだろう」
「つまり、自分が万能ではないとわかっているから、カンタンに食いつける弱点なんてないってわけか」
フレオールの見解を聞いて、アーシェアが戻ってくれば勝てるなんて考えるほど、ミリアーナらもバカではない。
ネドイルがのし上がった最大の要因は、早くメドリオーやベルギアットのような、優れた人材を得ていた点ではない。実戦指揮はメドリオーに、作戦の立案はベルギアットに全て任せ、ネドイル自身が部下の働き易い環境を整え、小さいながら組織として十全に機能するように努めたところにある。
アーシェアが戦場でネドイルを勝てるとして、最大のネックとなるのは、ネドイルをどう戦場に引っ張り出すか、だ。
何しろ、ネドイルの配下には、アーシェア以上の将軍が九人もいるのだ。負けるとわからず、自らが戦場にしゃしゃり出ることなく、勝てるヅガートらに兵を任せているからこそ、魔法帝国アーク・ルーンは空前の軍事大国にまでなったのである。
「まあ、こちらが気づいてないことを教えてもらったことには、うん、ありがとうって言っておくべきかな。お礼と言っては何だけど、今日のボクの夕食、半分くらい上げるよ」
自分の聞き出したことで、気分も胃も重たくなったゼラントの王女は、同い年の育ち盛りの侵略者にそう申し出た。
重い足取りで食堂に向かっても、食欲が回復しないのを痛感して。