東征編21
アグシャー伯爵らのみならず、帝都周辺の反乱勢力がレヴァンの率いるマヴァル軍にほぼ掃討されると、マヴァル帝国の政情は一応の小康状態を見るようになった。
レヴァンの武名に加え、マヴァル軍の連戦連勝の報を耳にした反乱勢力が萎縮し、活発な活動をひかえるようになったのだ。
さらにアーク・ルーン軍がマヴァル軍と、レヴァンとの戦いを避けるかの動向と、コノート王国が一万とはいえ援軍を差し向けたことも伝わると、反乱勢力が本格的に動揺をし始めるまでになったが、
「一時のことだ。右往左往する必要はない。すぐにマヴァルは右往左往を再開、いや、迷走に戻るだろうよ」
フレオールの言葉も態度も楽観的なものだが、現状を軽く見ているわけではない。
アーシェアの命で一万五千の兵を任され、マヴァル南部の攻略を担当するフレオールの任務は、レヴァンが復帰するまでは順調なものであった。
アーク・ルーンの軍旗を掲げて進むところ、マヴァルの反乱勢力がこぞって駆けつけ、それらを傘下に加えていき、フレオールは約三万のマヴァル兵も従えるようになった。
これは北のムーヴィルも同様だが、その動きもレヴァン復帰後のマヴァル軍の連戦連勝によって頓挫している。
フレオールやムーヴィルの傘下に入ったマヴァル兵にも、大きな動揺が見られる。特に、コノートの援軍が迫りつつあるフレオールの方は、より危うい情勢にあると目されている。
「レヴァン将軍はカーヅのようなバカじゃないから、矛を収めれば反逆者を許すだろう。惜しむらくは、レヴァン将軍の軍事的な成果を活かせる政治家が、マヴァルにいない点だ」
貴族たちなど、葦のように風向き次第で敵味方となる存在だ。彼らの去就は勝つか負けるかで決まるが、民はそうではない。
民が決起した理由は、カーヅの厳法で暮らしがたち行かなくなったからである。だから、いかにレヴァンが勝利しようとも、マヴァルが厳しいだけの法を改めねば、民の反抗は終息することはないだろう。
しかし、今のマヴァルに法改正を断行し、民の信頼を回復できるだけの文官はいない。カーヅの爪痕がある限り、マヴァルは真の再統一を見ることはない。
レヴァンの勝利でマヴァルは一時的に落ち着いてはいる。が、それは裏を返せば、レヴァンの勝利と勢いが衰えた時、マヴァルはまた乱れ出すということだ。
それはレヴァンも承知しているだろうから、勝ち易き敵を倒しているが、それが尽きれば不利や困難を承知でアーク・ルーン軍に挑まぬばならぬはずだ。
「こちらは待てばいい。マヴァルが、レヴァン将軍が無理を承知で戦わねばならぬ時を。向こうが無理をすればするほど、こちらは戦い易く、勝ち易くなる」
これはフレオールのみならず、アーシェアもムーヴィルもそう兵に語り聞かせ、三者はこの情勢下で同様の対応をしている。
しばし静観できるだけの兵糧を確保し、天険の地に拠り、守りを固める。ただ、フレオールのみはコノート軍に備え、帰順したマヴァル兵を南の国境に展開させているが。
アーシェアやムーヴィルより将才の劣るフレオールであるが、その判断は的確であり、敵に対する備えは充分なものであった。
ただし、味方に対する備えが不充分であったがため、フレオールの元に凶報が届くことになる。
「フリカ男爵サクリファーン卿の病が悪化し、危篤状態に陥っています。兄君の死に目に立ち合いたくば、至急、戻られたし。それがゾランガ殿からのシィルエール嬢への伝言にございます」
思わず舌打ちしたくなるほど、フレオールにとって、何よりシィルエールにとって最悪のタイミングであった。
シィルエールは軍務の最中とはいえ、身内の生死の境にいるとなれば、軍務を離れることも許可される。シィルエールは作戦活動に不可欠というわけではないのだから。
だから、シィルエールが単身で兄の元に行くこと事態は問題はない。ただ、フレオールが気になるのは、サクリファーンの危篤を報せたのが、フリカ代国官ゾランガである点だ。
ゾランガは他の代国官、マフキンやチャベンナよりも優れた人物だ。さらにその卓越した手腕で、天災と戦災で疲弊したフリカ領の復興に尽力し、フリカ領の民がこぞって感謝するほど、民の安息に貢献している。
そもそもゾランガは、フリカ王国が健在なりし頃から、民の安寧を第一に考える行政官であった。
だが、その政治姿勢が私欲に凝り固まった貴族や豪商の恨みを買い、無実の罪で投獄され、家族を失う悲劇を招いた。
この悲劇がゾランガの人格を一変させたが、それで無実の民が害されるようなことは起きていない。罪の有無に関係なく害されているのは恨みを買った面々で、その中には無実の罪でゾランガの投獄を命じたフリカ王とその家族も含まれている。
バディン王家の最後や末路に比べればまだマシではあるが、それでもフリカ王家の末路や現状はかなりのもの。ただ、その中でフレオールに守られているシィルエールは、幸せですらあるのだが、今はそれが裏目に出ている。
この報せが届いたのが一昨年のことなら、心の弱り切っていたシィルエールは、兄の苦しみと死から目を背け、フレオールの側から離れようとしなかっただろう。しかし今のシィルエールは、親身となってフレオールが支えてくれたことで、フレオールの側から飛び立てるくらいまでには、心が回復している。実際、兄の危篤を知ったシィルエールは、フレオールの側から離れ、兄の側に向かうことを選んだ。
フレオールとしてはそれに同行したいが、現状の作戦活動にフレオールは不可欠で、師団長の誰かに任せられるものではない。これが少し前、アーシェアやムーヴィルと共にいる状況なら、無理を言って軍務から離れられなくはなかったが、別働隊を率いている今は不可能というもの。
このあまりに絶妙なタイミングに、ゾランガに何かしらの思惑があるように勘繰りつつも、何の確証もないフレオールにできたのは、シィルエールにミリアーナを同行させるくらいであった。
考えすぎ、疑りすぎであるのを願いつつ。




