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東征編13

「……お主たち、何を考えておる!」


 馬車の扉を開け、そう言い放ったエリシェリルの行動と言動に、ジルトは苦い表情を浮かべる。


 馬車を守り、先導する護衛たちが、意図的にアーク・ルーン軍の陣地に向かわせていることに気づいたジルトは、そのことをそっとエリシェリルに耳打ちしたが、この時、彼は一つ失策を犯した。


 まず「騒がぬよう」と王女に言わなかったことだ。


 一国の王女が敵の手に落ちる。本来なら、是が非でも避けねばならぬ事態だが、第十二軍団を指揮するリムディーヌと面識のあるジルトは、その為人を知っている。


 エリシェリルを解放するとまではいかずとも、丁重に扱ってくれるのは明白なので、最悪の場合、おとなしくアーク・ルーンの手に落ちた方がいいのだ。


 ヘタに騒ぎ、裏切り者らを刺激すると、どんな暴挙に出るかわかったものではない。高潔な敵ならともかく裏切りを行う元味方に、人間的な信が置けるものではなかった。


 同い年であり、幼なじみであるジルトは、自ら進んで最前線に赴くような活発なエリシェリルの性格を充分に知っていたのだが、この時はその点への配慮を怠ってしまった。


 おそらく、ジルト自身、突然の事態に自分で思うほど冷静ではなかったのだろう。


 とはいえ、平静さを失うほどではないので、ジルトは苦い心中を表に出しつつも、王女の一言に対する反応をうかがう。


 馬車の中、お付きの侍女は主の行動に驚き、不思議そうな顔になっているので、彼女は白なのだろう。御者に関しては、ジルトの位置からどんなリアクションを取っているのか、確認することはできない。


 だが、護衛の騎士たち、ジルトの見える範囲に限るが、彼らは驚きつつも何やら覚悟を決めた表情となっていく。


「……馬車を停めよ」


 この護衛の近衛騎士たちで最年長のブラヴが御者にそう命じたが、馬車はすぐに停止することはなかった。


 ジルトの位置、馬車の中からはブラヴも御者の姿は見えないが、ブラヴが声を荒げて「停めろ」と再び命じ、剣を抜く音が響いて、御者が馬車を停め始めたところから、侍女と同様、御者も今回の件に巻き込まれただけにすぎないのだろう。


 馬車が停止すると、エリシェリルは侍女に馬車の中にいるように言ってから、馬車から降りていき、ジルトもそれに続くだけではなく、王女の前に進み出る。


 一方、エリシェリルとジルトが馬車から降りる間に、ブラヴたち七人の護衛は守るべき王女の前に集まり、下馬した上に恭しく跪いて頭を垂れる。


「……ブラヴよ。どういうつもりなのだ、答えよ?」


 反逆したにしては丁重な態度にいぶかしげに思いつつ、コノート王女は近衛騎士たちに問う。


「アーク・ルーンの陣地にもっと近づいた時点で、実行に移すつもりでしたが、ジルト卿はさすがに目敏くあられる。ああ、姫様、ご安心ください。姫様はこのまま我が軍の陣地に向かわれてもらってもけっこうにございます。ただ、護衛がいなくなるのでお気をつけくださいませ」


「……つまり、そなたたちの目的はジルトなのだな」


 一介の侍女や御者の排除にこのようなマネをするとは思えない。面を上げて答えるブラヴの目的が一国の王女でないなら、後は消去法でジルトのみとなる。


「姫様は聡明であられる。ただ、その聡明さをコノートの命数にも発揮していただきたかった」


「コノートが滅びるから、ジルトを手土産にアーク・ルーンに裏切るというのかっ!」


「コノートが滅びずにすむ方策があるなら、この場で教えていただきたい。それに得心できたなら、我らはおとなしく自らの罪に服しまする」


 覚悟はもう完全に決まっているのだろう。むしろ、穏やかとさえ言える口調で、


「我らはジルト卿の知謀を認めておりまする。十万の敵を防ぐだけの防備を整えられたのですから。しかし、それのみではコノートは明日のない戦況になりつつあります。このまま無惨な明日を迎えるより、陛下と姫様の明日を考えるべき。ジルト卿にそのような知恵があられたら、我らとてこのような暴挙に出ることはなかった」


 ブラヴらの動機を知ると同時に、ジルトは国論分裂の深刻化という現状を突きつけられる。


 此度の暴挙が欲得や保身を動機としているなら、大して問題ではない。また、ブラヴらの後ろに黒幕がおり、大規模な反乱を企てていたとしても、同じことだ。根元を断てば解決するのだから。


 しかし、ブラヴらは抗戦に対する不信を動機に、逆臣の汚名を着ることを選んだ。


 コノート王国は表面的に大将軍ダルトーが抗戦論を、国務大臣フンベルトが降伏論を唱え、一応、抗戦が国の方針として定まった。


 無論、フンベルトのみならず、コノート王エドアルド四世もダルトーもジルトも、国力的にアーク・ルーンに勝てないのは悟っている。にも関わらず、ダルトーが抗戦論を唱えているのは、強硬派を抑え、暴走させぬためである。


 王たるエドアルド四世が降伏を申し出たところで、軍の一部でもアーク・ルーンに攻撃を仕掛ければ、コノート王国が騙し討ちをしたことになり、アーク・ルーンへの心証が悪くなる。穏当に降伏するために、ダルトーは敢えて抗戦論を唱えることで、国内の強硬派の制御しており、その試み自体は間違っておらず、うまくいっている。


 ただ、戦況が進む、いや、悪化するにつれ、抗戦派の中に降伏論に傾き、このような暴挙に出る者が出て来たのは、完全に誤算であったが、考えてみれば当然の反応とも言える。


 何しろ、戦況はフンベルトが語ったとおりに推移しているのだ。これでは、ダルトーよりもフンベルトの方が正しいと考えを改める者が出てもおかしくない。強硬派を抑えることばかりを考え、この点への配慮を怠ったダルトーやジルトの失策と言うべきだろうか。


 護衛に選ぶほど信頼していた近衛騎士の裏切りと深慮に、呆然となるエリシェリルに対して、


「さあ、姫様。早々に味方の陣地に向かってくだされ。コノート寄りとはいえ、ここはもう最前線。いつアーク・ルーンの偵察隊と出くわすかわかりませぬがゆえ」


 ブラヴの言葉と見識は正しい。


 だが、それは裏を返せば、コノートの偵察隊ともいつ遭遇するかわからぬということであり、


「……ジルト卿! いかがなされた!」


 周辺の警戒に出ていたウィルトニアが、味方の異様な雰囲気を遠目ながら察したのだろう。軍馬を駆って、亡命先の内輪揉めの中に斬り込もうとする。


 背後に軍馬を駆る、双剣の魔竜レイドを従えて。



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