南方編22
「わかりました。戦わずに降るのなら、それに越したことはありません。そちらの国論がまとまるまで、進軍をひかえましょう」
長い長い交渉を覚悟していたジルトとしては、駆け引きの「か」の字もろうすることなく、リムディーヌがこちらの要求を全面的に呑んだ点に怪訝な思いを抱かずにいられなかった。
祖国コノートの大将軍でもある父ダルトーの意向と真意を汲み、ジルトはアーク・ルーンとの密使を送り、秘密裏に祖国の幕引きの準備に取りかかっていた。
アーク・ルーンの理不尽な侵略に抗えるものなら抗いたいが、どれだけ知恵を絞ってもわずかな勝算も見出だすことはできなかった。
名将が率いる何十万もの精兵。補給などの後方支援も万全。占領地政策にもつけ入る隙はなく、何よりその国力は強大無比。
国力と軍事力が大きくともそれに偏り、内政を疎かにしているならば、後方を攪乱するなど打つ手はある。しかし、搦め手においても、アーク・ルーンの方が優れており、開戦すればどちらが乱れに乱れて生き地獄と化すのは目に見えてしまう。
特にウィルトニアとモニカが亡命して以降、七竜連合の末路に関する情報を集めた結果、ジルトは抗戦などもっての他という結論に至った。
アーク・ルーンは戦わずに降った敗者には比較的に寛容な処遇を行う。ただ、ジルトの主君であるエドアルド四世はそれを甘受するような人物ではないゆえ、ダルトーは密かにアーク・ルーンと通じ、祖国を売り渡すというより、エドアルド四世が死にたくとも死ねない状況を整えようという腹積もりである。
一国の軍権を握る大将軍であっても、国の総意ではない降伏の申し出など、アーク・ルーンに一蹴されるだけという恐れがある。そのため、内々にアーク・ルーンとコンタクトを取った際、ダルトーは亡命者であるモニカの口添えを頼んだ。
ウィルトニアに従ってアーク・ルーンと敵対する道を選んだモニカだが、その祖父、父、兄、叔父はアーク・ルーンの高官である。有力者の働きかけで、アーク・ルーンとの秘密裏の交渉を成立させようとするダルトーの思惑は、当人が思いもよらぬほどうまくいき、今、父の密使として、ジルトはリムディーヌとの交渉に臨んであっさりと応じてもらえた。
ダルトーからの内々の打診に、トイラックもスラックスも、コノート攻略担当のリムディーヌに判断を委ねるとした。それゆえ、第十二軍団の陣地にジルトは密かに訪れ、軍団長のリムディーヌと副官のコハントと相対し、自分たちの思惑を告げ、それに女将軍は二つ返事で同意したのだ。
ダルトーの構想は、南のジャシャム公国、北のマヴァル帝国がアーク・ルーンに制圧され、コノートが三方から攻められる絶望的な状況を以て、国内の主戦派を納得させて降伏させるというものだ。当然、その状況が成立するまで第十二軍団の進軍をひかえてもらわねばならず、それはリムディーヌの武名に、コノートごときに手も足も出ず、他の軍団の助力を得ねば降すことができなかったという不名誉を負わすことになるのだが、当のリムディーヌはその点に関心をあまりに払っていないので、
「……リムディーヌ将軍の回答はありがたいものですが、リムディーヌ将軍はそれで良いのでしょうか?」
「使者殿がいぶかしがる理由はわかります。しかし、私の名など、大したものではありません。それよりも、兵が傷つかず、血が流れぬことこそ肝要。互いの兵が傷つかずにすめば、兵たちの家族も悲しまずにすむのですから」
自身の名誉に無関心な態度に、むしろ傍らに座するコハントの方が顔をしかめるが、口に出しては何も言わなかった。
「それに、侵略しようとするこちらには、ただでさえ大きな非があるのです。この上、無用な流血を強い、非を重ねずにすむのですから、こちらとしては頭を下げて感謝すべきことでしょう」
「……閣下!」
本当に頭を下げたリムディーヌに、さすがにコハントは声を上げずにいられなかった。
侵略の非を率直に認めるリムディーヌの真摯な態度を、カーヅならば疑ってかかっただろう。
また、かつてのフォーリスなら、リムディーヌの離反や反逆を画策したであろう。
だが、ジルトは愕然とリムディーヌを見詰めて、
「将軍ほどの方が臣従するしかないほど、アーク・ルーンは強大な存在なのですね」
相対すれば、目の前の女将軍や副官が一角の人物であるくらいわかる。
何より、ジルトは今、第十二軍団の陣地にいるのだ。
陣地の中を多少でも見れば、その将の力量もわかろうというもの。
積極性に欠くが、隙のなく構築された陣地に、ジルトは改めてアーク・ルーンと戦う危うさを痛感させられた。
ダルトーとて歴戦の将だが、息子の目にはリムディーヌどころか、その副官であるコハントに劣っているように見えた。
無論、それはダルトーが無能だからではなく、リムディーヌの将として大いに優れているからだが。
「……そうですね。あなたには語っておくべきかも知れません。私のつまらない昔話ですが、それでも知っておけば、アーク・ルーン、いえ、大宰相ネドイルの一端でもわかるでしょう」




