南方編19
「年貢の納め時というヤツだな。色んな意味で」
小さく笑みを浮かべるヴァンフォールの言葉に、トイラックの表情は実に苦り切っていた。
共に二十一、二という若さながら、共に魔法帝国アーク・ルーンの高官である両者は、片や大帝国の財政を司り、片や帝国の広大な領土の東部を実質的に取り仕切る身である。
共に多忙な両者だが、互いにスケジュールを調整して酒を酌み交わす時間を捻出していた。
正確には、トイラックが時間を作って欲しいという申し出に、ヴァンフォールが苦笑をしながら応じたのだ。
いったい、どこからもれたのか、軍務大臣のイライセンがトイラックに娘との縁談を持ち込んだのという話は、アーク・ルーンの上層部では知らぬ者がいない状態になっている。
こうも話が広がった時点で特に理由もなく縁談を断っては、イライセンのメンツを潰すことになる。あるいは、トイラックの退路を断つために、イライセンが縁談の件を意図的に広めたのかも知れない。
アーク・ルーンの東部を実質的に取り仕切るトイラックは、当然、イライセンの生地ワイズも管轄下にある。旧ワイズの民の安寧を何よりも重んじるイライセンが、トイラックに娘というくさびを打ち込もうとしているのは明白だ。
イライセンが旧ワイズの民のことを本当に想っていることを知っているので、今回の縁談が牽制や物の試しというレベルではなく、本気でトイラックにくさびを打ち込もうとしているのも、暗夜で火を見るより明らかであった。
ただ、それゆえにイライセンは御し易い面がある。ワイズ領に配慮さえしていれば、軍務大臣はその傑出した手腕で忠実に務めを果たしてくれ、変な野心を抱く心配はない。
とどのつまり、イライセンが娘に嫁がせるのは、トイラックに「これからもワイズのことを気にかけてね」という意思表示でしかなく、それで軍務大臣がいらぬ不安を抱かぬなら、ネドイル政権安定の面からしても、今回の縁談はさほど忌避すべきものではない。
二つの要素を除けば、トイラックとしては悩む必要はなかっただろう。
その要素の大きな点は、新参であるにも関わらず、イライセンの存在がアーク・ルーンにおいて大きくなっている点だ。
ベフナムやファリファースとて大臣としては優れているが、イライセンに比べるとやや劣る面は否めない。トイラックが内務大臣を辞めた後は、今のアーク・ルーンが軍事色の濃いこともあり、閣僚の中でイライセンが抜きん出た存在となっている。
当人のその実力に加え、皇族の女性を後妻に迎え、さらに姪に当たるアーシェアは一軍を率いる身になっている。血縁ではないが、トイラックの後任のワイズ代国官はイライセンの元部下なのだ。
そのイライセンを義父とすれば、旧ワイズ勢というべき勢力とトイラックは親密な関係となってしまう。少なくとも、そう見る者は皆無ではないだろう。
トイラックとヴァンフォールは能力的には前者に軍配が上がる。しかし、後者はネドイルの異母弟であり、父親は一軍を率いるなど、外的要因では勝っている。
だが、その外的要因もイリアッシュと結婚すれば、両者はほぼ五分になる。さらにサリッサがスラックスの弟と結婚すれば、トイラックは外的要因でも軍配が上がることになるのだ。
ヴァンフォールを次期大宰相にと考えるトイラックとしては、イリアッシュと結婚するというより、イライセンを義父とした場合、自分の次期大宰相の地位がほぼ確定するのである。
後継者争いに勝つことを考えれば、ヴァンフォールはトイラックの結婚を邪魔せねばならない。今日、トイラックが無理を言ってヴァンフォールと会っているのも、それを期待してのことだ。
しかし、ヴァンフォールはトイラックを次期大宰相にと考えているので、トイラックは自らいちるの希望を断つためにここにいるようなものだ。
ヴァンフォールが「年貢の納め時」と言ったのは、この点も含まれている。
当人も退路がないのを承知しているのだろうが、どうにも煮え切らない態度のトイラックに、
「まったく、往生際が悪いな」
「無駄とわかっていても、あがきたくなりますよ。ネドイル閣下の代わりを務めるなど、途方もないことです」
トイラックがヴァンフォールを次期大宰相に推すのは、何も遠慮ばかりが理由ではない。
トイラックとて、自身の才に自信はある。ただ、ネドイルの役に立つことと、ネドイルの代わりに上に立つことは、単純な才幹だけの問題ではないのだ。
十七の時、大宰相代理を務めたとはいえ、その時は倒れたとはいえどネドイルは生きていた。しかし、将来、トイラックが大宰相に就任した時、ネドイルはどこにもいないのである。
ネドイルは優れた独裁者だが、間の抜けた一面もある。思慮深いばかりではなく、思慮の浅い行動を取ることもある。合理的なだけではなく、時に不合理なこともする。だが、欠点はあろうとも、史上空前の大帝国に実質的に君臨し、支配者として磐石の地位を築いている。
トイラックはアーク・ルーン内で高官と良好な関係を築いているものの、それもネドイルという背景があってのことだ。ネドイルは忠実な高官がいる一方、含むところのある高官もいる。しかし、後者は敵対することも離反することもない。
アーク・ルーンの高官はクセの強い人物が多く、ネドイルの死後、彼らの手綱を変わらず握ることができるか、トイラックが不安を抱くのは当然のことだろう。
だが、それ以上に不安な点は、
「何より、ネドイル閣下が亡くなられた時、どれだけ高官の方が残っているか」
ヴァンフォールやスラックスといった若手の高官はいるが、アーク・ルーンの高官の多くがネドイルと同世代なのだ。トイラックがいかに優れていようとも、自分と同世代だけでアーク・ルーンを運営するなど、人材的に不可能というもの。
もちろん、そうならぬように後進を育てるのがトイラックの役目だが、今のアーク・ルーンの人材の豊富さを思うと、どうしても暗然とならざるえない。ベフナムやシュライナーなど、あれだけの人材はカンタンに見つかるものでも、育つものでもないのだ。
「その辺りは他人事ではないからな。しかし、それもすでに見越しているから、東方太守という試みを行おうとしているのだろ? 良い機会だ。次代の大宰相閣下がいかなる構想を以て、アーク・ルーンを治めようとしているか、教えてくれ」
若年ながら財務大臣を務めるだけあり、ヴァンフォールの洞察は正鵠を射ていた。
ヴァンフォールに見据えられ、迷いはしたがトイラックは観念したか、
「……緩やかな統合と安定した分裂」
漠然と描くアーク・ルーンの未来図を口にした。




