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ワイズ騒乱編17-1

 バディン王宮の謁見の間。


 王が公的に、使者や家臣、民の代表などと対面する場だけあり、その広き空間には荘厳な装飾が施されていた。


 最奥にある玉座には、当然、五十代の、初老の入口付近にある、七竜連合の盟主バディン王が座している。


 バディン王の隣には王妃、二人の前には王太子やクラウディアを含む、バディンの王族の姿がある。


 玉座と王族の前には、謁見者たちがおり、その左右には、バディン王国の文武の高官が序列順に立ち並んでいる。


 バディン王に謁見を求め、その前で片膝をついているのは四人。ワイズ王国の第二王女ウィルトニアと、その背後にひかえる初老から壮年の三人の竜騎士。


 あと、ウィルトニアの傍らには双剣の魔竜レイドが佇んでいるが、ドラゴン族は儀礼の範囲外なので、そのことを気にする者はいない。


 あの激しい決闘からわずか三日。両手に包帯を巻き、左頬にもまだ大きな傷が残っているウィルトニアだが、ワイズ兵の脱走が相次ぐ現状で、ゆっくりと完治を待っていられるものではない。


 それゆえ、決闘の翌日に密書が届いたこともあり、その内容のとおりに、ウィルトニアはクラウディアに頼み込み、バディンの王宮まで同行してもらい、さらに派閥の長である三人の竜騎士を従え、バディン王との公的な謁見を求めた。


 七竜連合の中でも、バディン王国とワイズ王国は極めて親密な関係にある。ワイズ王らが隣国のタスタルやフリカではなく、バディン王国まで落ち延び、そこで亡命政権を樹立したのも、盟主国であるからだけではなく、国家間でも個人間でも、両国が親しいからである。


 ゆえに、ウィルトニアの急な謁見にも、バディン王はあっさりと応じてくれたし、


「ウィルトニアよ、前に会った時より、十日と経っておらぬのに、そのような傷をつけてくるとは。せっかくの美しき顔、余を含め多くの男性が嘆くぞ」


 娘も同様に、幼き時より知る異国の姫の、明らかに跡が残るであろう左頬の傷に、バディン王は顔をくもらせながらも、いつものように親しげに声をかける。


 ウィルトニアはうやうやしく頭を下げ、


「未熟ゆえ、このような傷が残ることとなりましたが、私も武人でありますれば、戦いでついた傷、それ自体に悔いるところはありません。ただ、陛下にご心配をかけた点、その無思慮に恥じ入るばかりです」


「何の。そなたの武勇、我が国の者にも見習ってもらいたいわ。アーク・ルーンの小僧には、何人も、未来の竜騎士を失うことになり、苦々しく思っていた。そなたの勝利を聞き、久々に胸がスカッとしたわ」


 フレオールの敗北が楽しくてたまらないといった風に、バディン王は晴れ晴れとした笑顔になる。


 感情がダイレクトに顔に出る国王に、ウィルトニアは頭を下げたまま、


「本日、謁見を申し出ましたのは、先日もお願いしました、我が軍の兵のことでございます。我がワイズが滅びて半年以上、兵の中には郷愁のあまり、家族の元に戻ろうとする者が続出し、貴国に迷惑までかけています。この現状を解決するには、やはり兵の中で帰りたい者は帰らせ、数は少なくなっても、留まって戦う者のみで軍を再編するしかありません。ゆえに再びお願いいたします。帰国を望む兵に、貴国とタスタルを通り、ワイズに戻る許可をいただけませんでしょうか」


「ウィルトニアよ、その件は先日も答えたはずだ。アーク・ルーンは五十万の、正に大軍。これに対抗するのに、一兵とて惜しい。アーク・ルーンより貴国を取り戻す準備は着々と進んでおる。それまで、何とか兵を抑えておいてもらいたい」


 渋い表情で、先日と同じ答えを口にする。


 当然のことだろう。第一連休の間に願い出たことをただ繰り返しただけ。事前にバディンの家臣らに根回しをして、王に方針を変更させるだけの手を打ったわけではないのだ。


 日が経ち、亡命政権からの脱走兵の数がもっと増え、バディンの被害もそれに比して大きくなれば、ウィルトニアの意見は、やむなし、と消極的ながら肯定されるかも知れないが、その決断までにどれだけの血が流れ、命が失われるか。


「わかりました。重ねて無理を言い、申し訳ありません。私の考えが甘くありました」


「なに、気にするでない。そなたらの窮状を思えば、仕方のない話だ。我らは古くからの盟友。困ったことがあれば、これからも遠慮なく申されよ」


 表情を消し、深々と頭を下げる亡国の王女に、七竜連合の盟主は気さくに応じる。


 そして、表情だけではなく、感情をも殺し、下げた頭を上げると同時に、床を蹴るように勢い良く立ち上がり、猛然と前進する。


「……っ?」


 驚く者もいたが、むしろ怪訝に思う者の方が多く、何より彼らにはウィルトニアが何をしようとしているかがわからず、その行動をわずかな間だが、見送ったのが、致命的な失策となった。


「マズイ! ウィルを止めろ!」


 真っ先に気づいたクラウディアは、叫びながら自分の呼びかけを自分で実行しようとしたが、棒立ちとなっている兄や叔父たちが邪魔で、後輩が父親の元にたどり着くのを阻止できなかった。


「……な、何をする! ウィルトニアよ!」


 バディンが上ずった声で、驚愕するのも当然だろう。ウィルトニアが文字どおり、目の前に手刀を突きつけているのだから。


「王のみならず、一同、静かにし、動くなっ! レイド、動く者あらば斬れっ!」


 過激な行動を取るお姫様の苛烈な命令に反応したのは、一つ年上のお姫様だった。


「み、皆の者、絶対に動くなっ! まずは落ち着き、ウィルの話を聞くのだ!」


 クラウディアの言葉が、パニックになりかけていた一同を、どうにか押し留める。


「ウ、ウィルよ。なぜ、このような暴挙に出る。訳を話してくれ」


「クラウ先輩、いえ、クラウディア姫。私の求めるところはただ一つ。兵たちの安息です。帰郷したい者は帰郷を許す。脱走してバディンの民に迷惑をかけた兵も、その罪を許す。あと、我らのために城を三つばかり用意してもらいたい」


「その話ならもうすんだはず。アーク・ルーンとの決戦が迫る今、状況をわきまえろ」


「アーク・ルーンとの決戦などの前に、家族や故郷を想い、脱走した兵たちは、異国の野山で今日明日にでも、野垂れ死にしかねません。彼らを含め、兵たちには、一年か半年か先の話は意味を持ちません」


「だ、だが、強行な手段に出たところで……そもそも、我が国が良しとしても、タスタルが否と答えたなら、それまでの話だ」


「バディンが総力を挙げ、タスタルの合意を取りつければいいだけのこと。とにかく、このような状態なので、この場でお返事をいただきたい」


 タスタルを絡めて、時間稼ごうとしたクラウディアだが、


「否なら仕方ありません。バディン王を刺し殺し、この場にいる方々も殺し尽くした後、兵たちに火を放ち、バディンの兵と民を討つように命じましょう。それから、脱走した兵らと合流し、バディン、タスタルを横断して、我らだけでアーク・ルーンと戦い、祖国を取り戻すだけです」


「バ、バカな……そんなことができるわけが……」


「できるできないではなく、私が陣頭に立ち、立ち塞がる者を撃破して進むだけです。ああ、腹が減っては戦はできぬゆえ、立ち塞がらなくても、味方と戦う時もありましょうが」


 堂々と、国境侵犯のみならず、略奪行為すら明言する。


 この場にはワイズの竜騎士が三人いるが、彼らは一様に驚いており、ウィルトニアの暴挙が彼女個人の暴走であるのがうかがえる。


 だが、どれだけの暴挙であろうと、ウィルトニアがワイズ王国のお姫様であるのは変わらない。ワイズの将兵すべてが、ウィルトニアの暴走につき合わないかも知れないが、おそらくそれが非常識な命令であっても、従う兵の方が多いだろう。


 仮に、二万のワイズ兵が、ウィルトニアの命のまま、暴れ回ったとすれば、バディンの王都がどれほどの被害を受けるか。想像するだけで、クラウディアの顔は青ざめる。


「姫様、このような暴挙、国のためになりませんぞ。兵を想う、姫様のきも……」


 ワイズの竜騎士の一人が、幼き時より知る王女をたしなめんと、進み出て、途端にセリフが途切れたのも当然だろう。


 レイドに首を斬り落とされたのだ。いかな竜騎士とて、首と胴が離れては、しゃべることなどかなうものではない。


「いいか、絶対に動くなっ! 混乱し、動けば、次に首を失うのは自分と思えっ!」


 クラウディアが一喝し、場の混乱と、双剣の魔竜による斬殺死体の量産を、未然に防ぐ。


 昨年の大敗で、少なくなった竜騎士が、さらに少なくなったことに、しかしウィルトニアは微動だにせず、バディン王に向けた手刀にも震えは見られない。


 バディンの王女は、ワイズの王女の揺るぎない覚悟を確信すると、

「父上、ウィルは本気です。その要求はワイズの現状を善くし、七竜連合の益になるもの。かたくなに拒む必要はありません。むしろ、ウィルは強行手段を以て、我らの誤りを正そうとしてくれているのですから」


 鋭い視線を左右に向け、身内や家臣の激発を抑えながら、父親に脅迫に屈するように勧める娘。

 父親を人質に取られているが、クラウディアからすれば、死ぬのはもちろん、父親が何かの拍子で解放されてもマズイのだ。


 クラウディアはもちろん、兄や叔父たち、さらに武官らなど、この場にバディンの竜騎士は十数人といる。また、残るワイズの竜騎士二名も、ウィルトニアを捕らえると言えば、協力を得られるかも知れない。

 が、そんな数の差など、レイド一匹でカンタンに覆る。不意打ちとはいえ、昨年のアーク・ルーンとの激戦を生き残ったワイズの竜騎士、その首をあっさりと斬り落とした斬撃が、クラウディアにはハッキリと見えなかった。


 否、訓練の際の生ぬるい斬撃と異なるそれを、クラウディアには対処する自信がない。


 何より、ウィルトニアは兵たちのために、命を張っているのだ。ならば、クラウディアらも命をかけねばならないというのに、自分を含めて味方が、そこまでの覚悟で一姫と一匹と相対できぬ以上、脅迫に屈するしかないのだ。


「……わかった。ウィルトニアよ、ワイズの事情を考慮しよう。だから、このような無体なマネは止めるがいい」


「ご理解していただきありがとうございます。では、その旨、誓約書としてしたためてください」


 更なる要求と、その意味するところに、バディン王ら脅迫されている側は、一様に息を飲むが、


「それも承知した。誰ぞ、紙とペンを持って参れ」


 手刀を突きつけて、全面的に要求を認めさせたウィルトニアが、己の五体という凶器を引っ込め、再び深々と頭を下げるのに、相応の時間を必要とした。


 誓約書にしたためられた意味がぼけぬよう、インクが乾くのを待たねばならなかったゆえ。




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