ワイズ騒乱編14-2
ライディアン竜騎士学園の学園長、ターナリィの合図の元、両雄が激突することはなかった。
互いに相手をうかがいながら睨み合うだけで、開始前と何ら変わらぬ状態がしばし続く。
仕掛ける機をうかがっていた両者の内、先に動いたのは、フレオール。
もっとも、すり足でじわじわと間合いを詰めながら、ウィルトニアの出方をうかがい、槍が届くようになるや、真紅の魔槍は電光のごとき速さで繰り出され、しかしそれは亡国の王女に届くより前に、手にする大剣で打ち払われる。
初撃を防がれたフレオールは、これを機に攻勢に転じ、手にする魔槍を素早く連続して突き出す。
一転して激しい攻防だが、ウィルトニアは大剣で防ぐ一方で、反撃に出る気配を見せない。
「元来、大剣みたいな、小回りが効かない武器は、守りに向かないんですが、さすがに日頃からレイドと打ち合っているだけはありますね」
フレオールの攻撃はパワー、スピード、テクニック、どれもが高いレベルにはあるのだが、双剣の魔竜の連続攻撃をしのげる者なら、押し切られることはまずはないが、
「……っん? ヒビかな?」
ベルギアットのつぶやいた内容は、ほどなく全てギャラリーが共有する。
真紅の魔槍と打ち合うこと二十度以上、ドラゴンの角で作られた大剣にヒビが走り、ギャラリーを激しくどよめかせる。
「バカなっ! あの槍の威力は知っているが、ドラゴニック・オーラで強化さえすれば、こんなことにはならないはず!」
真紅の魔槍と打ち合った経験のあるクラウディアは驚くも、
「違う。ウィル先輩、武器、強化してない」
真紅の魔槍の威力も知るだけに、シィルエールの言葉で納得する。
ドラゴンの角や爪牙は、非常に硬い。が、魔法の武具も並の金属より強度が高められている。
加えて、フレオールの手にする真紅の魔槍は、使い手の魔力量で威力が異なる。連休前に見せた、ドラゴンらの硬い鱗を貫いた威力を思えば、ウィルトニアの武器が壊されつつある点は、さして不思議なことでもなければ、当人にとっても計算違いではなかった。
「何を考えているんですの! 武器がなくなったら、おしまいというのに!」
「そうきましたか。最初から、フレオール様の魔力を削るため、武器を捨てる気だったとは」
七竜姫ら六人とイリアッシュは、違う場所で観戦している。そして、フォーリスの見解にうなずく面々とは、イリアッシュは異なる見解を口にする。
真紅の魔槍そのものが強力な武器なのではない。フレオールの膨大な魔力で、ドラゴンを殺すほど強力な武器となっているのだ。
ただし、その強力な一撃一撃は、フレオールの魔力を消費することで成立している。ウィルトニアの大剣に走るヒビ一つ入れるにも、少なくない魔力を必要としているのだ。
ドラゴニック・オーラの多くないウィルトニアが、真っ向からフレオールの膨大な魔力とぶつかれば、力負けするのは目に見えている。だが、フレオールの魔力とて無限ではない。だから、ドラゴンの角が壊れるほどの消耗をさせ、まずフレオールとの格差を少しでも埋めようとした。
もちろん、武器を失いつつある決闘の当事者は、イリアッシュのようなボケた発想はしていない。ドラゴン五頭を殺し尽くす魔力が、角一本でどうこうなるわけがないのだ。
実に百合以上。全体にヒビが縦横へと走り、欠けた部分がいくつもでき、ついに刀身が半ばから折れたが、その状態でさらに三十合ほどしのいで、根元まで刃が砕け散った、柄だけの大剣を、ウィルトニアは相手に投げつける。
易々と柄をかわしたフレオールは、無手となった相手に魔槍を突き出し、両の手のひらで穂先をはさまれ、止められる。
百数十合、ずっと「見」に徹していたからこそ、真剣白刃取りなどをかませたのだが、
「うおおおっ!」
「ハアアアッ!」
フレオールは穂先に更なる魔力を込めて押し切ろうとし、ウィルトニアは両の手のひらにドラゴニック・オーラを集め、それに対抗する。
が、やはり正面からの力勝負なら、魔法戦士が竜騎士見習いを圧した。
ついに真紅の魔槍の威力と勢いに押し切られる形で、ウィルトニアは地面に転がっただけではない。両の手のひらの皮がほとんどはがれ、血が湧き出す。
その凄惨さに目を奪われ、ターナリィが「勝負あり」と宣告しなかったのが、幸いとなった。
倒れたウィルトニアは、顔を苦痛に大きく歪めながら、痛む右手を固く握り締め、それを勢い良く振るって手のひらを開き、血しぶきを魔槍を突きつけようとするフレオールの顔面へと飛ばす。
目にお姫様の高貴な血が入ったらたまらない。フレオールはとっさに右腕をかざして顔を庇い、目潰し攻撃を防ごうとしたが、ウィルトニアの意図はそんな甘いものではなかった。
「がっ」
鈍い音がして、苦鳴をもらし、フレオールの右腕が垂れ下がる。
誰の目にも、敗北が確定したと思われた矢先、血を防いだフレオールが呻いている間に、立ち上がったウィルトニアは飛び退き、距離を取るや、右足を振り上げ、足元の石を蹴り飛ばす。
勢い良く飛ぶ石を、フレオールは軽くかわすが、ウィルトニアは続けて何個も石を蹴っていく。
「……何が起こっているんだ?」
クラウディアのつぶやきは、イリアッシュですら例外なく抱いている疑念だった。
「蹴られた石が、あんな速度で飛ぶのはカンタンな話です。ドラゴニック・オーラで脚力を強化すれば、誰でもできます。何個も石を蹴り飛ばせるのも、あらかじめ石の落ちている位置を覚えているからでしょう。ただ、その前の、血による目潰し。あれがわかりません。ダーク・ドラゴンと契約しているなら、血に毒を……」
イリアッシュだけでなく、思考がそこまで進むと、
「……血をドラゴニック・オーラで強化した!」
遅いか早いかの違いで、その答えにたどり着いていき、ウィルトニアのやったことに誰もが愕然となる。
ドラゴニック・オーラで強化された血なら、つぶてのようなもの。それを叩きつけられれば、腕は痛いどころか、ヘタすれば骨にヒビが入っているだろう。
「けど、それなら、何で組みつきにいかなかったんだろう?」
「あの手のひらで、組み合いなどできるものではありません」
ミリアーナの疑問に、顔をしかめながらナターシャが応じる。
血しぶきを受けた直後、痛みで硬直したフレオールに、格闘戦に長けるウィルトニアが飛びかからなかったのは、ミリアーナを含め何人かが不審に思ったものだ。が、それも、ナターシャの言うとおり、皮がはがれて肉がむき出しになっている、両の手のひらを見れば、見ているだけで痛いほどわかるというものだ。
「加えて、さっきのフレオールは痛みにびっくりしただけで、そう大きな隙を見せたわけではない。あの程度で飛びついても、フレオールなら対処したかも知れん。何より、ウィルにしても、あのケガでどこまでできるか、まず自分で把握せねばならなかったのだろう」
フレオールとウィルトニア、共に敗れた経験のあるクラウディアの考察に、他の七竜姫の面々も大きくうなずく。
痛手を負ったとはいえ、フレオールなら左手一本で魔槍を操り、飛びかかってきたウィルトニアを、あべこべに返り討ちにしてしまうかも知れない。それだけの技量が魔法戦士にはあるし、何よりもフレオールはウィルトニアに組み合いとなることを警戒しているはずだ。
反面、ウィルトニアの遠距離攻撃には無警戒に近かった。ウィルトニアがドラゴニック・オーラを飛ばすにしても、単発か、せいぜい一度に三発くらい。とてもイリアッシュのようなマネはできるものではない。また、炎や電撃を放てるわけがない。その先入観が、血しぶきのトリックを、より確実なものとしたのだろう。
ウィルトニアも、フレオールがその点を警戒している明白である以上、うかつに飛び込めるものではない。何より、うまく組みつけたとしても、その瞬間、手のひらの痛みで動きが鈍りでもしたら、逆に組み技で仕留められかねない。
クラウディアの指摘どおり、ウィルトニアも手のひらの痛みが落ち着くか、ある程度は引いてくれないと、とても接近戦などできるものではないので、石蹴りでフレオールを牽制して時間を稼いでいるのだ。
もっとも、右腕が痛むフレオールも、その痛みが落ち着くまで、接近戦を挑まぬ方が無難だ。そう判断し、少しぎこちないながら右手も魔槍につかめるようになってから、ウィルトニアとの距離を詰め出す。
亡国の王女が蹴り出す石は、たしかに速く威力もそれなりにあるが、所詮は単発。フレオールはカンタンにかわし、あるいは魔槍で弾きながら、穂先が届く距離に至り、
「ぷっ」
石と共に飛んできた、つばを無理にかわしたため、魔法戦士の姿勢は大きく崩れ、そこにつかみかかってきたウィルトニアに、あっさりと押し倒される。
石を蹴っている間に、手のひらの痛みを慣らしつつ、ウィルトニアは口の中につばをためていたのだ。
つば、つまりは液体とはいえ、そこにドラゴニック・オーラが込められたなら、どのくらいの威力となるか。それを右腕の痛みで知るフレオールは、顔に飛んできたつばは何としてでもかわさねばならなかった。
飛んで来るのは石のみという、無意識の思い込み。魔槍が届くほどに詰まった間合い。飛んできた石をかわし、魔槍を繰り出そうとした、回避から反撃に出る切り替えの瞬間を突かれたこと。いくつかの要因が重なり、仰向けに倒したフレオールに、ウィルトニアは馬乗りとなっていた。
ドラゴニック・オーラで強化した股で、がっちりとフレオールの腰を挟み込み、起き上がれぬようにしたウィルトニアは、痛みに顔を歪めながら両の拳を握り、振り下ろそうとした右の拳を止める。
青白い輝きを放つ、魔法の短剣をフレオールの左手が握られているのに気づいたゆえ。
このような密着状態で槍など役に立たない。倒されつつあったフレオールは、主武器から手を離し、予備の武器を抜いていた。
拳を振り下ろせば、魔法の短剣で迎え撃たれる。マウント・ポジションを取りながら、ウィルトニアが攻撃をためらっている間に、フレオールは短剣を順手から逆手に持ち直そうとする。
順手だと上からの拳には対処できるが、逆手でないとウィルトニアの太ももを刺し、拘束を解くことができないから、亡国の王女はそれを阻止せんと、真っ赤な手のひらを開き、右手でフレオールの左手首をつかもうとする。
ウィルトニアの右の手のひらが迫ると、フレオールは素早く逆手に持ち直そうとした短剣を順手に戻し、右の手のひらを突こうとしたところを、左の手のひらで左手首をつかまれてしまう。
さらに右手でもつかんだ左手首を、地面に叩きつけた勢いと、豊かな胸がフレオールの顔に触れるほど前に体を倒した勢いを使い、魔法戦士の左手首を折り、同時に腰を思いきり突き上げられ、右拳で左脇腹を殴られて、ウィルトニアの体は年下の男の上からのく。
そして、ほぼ同時に立ち上がった二人は、一方が奪った魔法の短剣を構え、もう一方が右腕一本で真紅の魔槍を構えて対峙する。
「……ど、どういう攻防ですの!」
「フレオールがウィルが攻撃するため、短剣を逆手にしようとしたのが、そもそも誘いだったのです。でも、それを読んでいたウィルは、誘いに乗ったふりをして、フレオールの左手をうまく押さえた。下で抑え込まれている側と、上で抑え込んでいる側の方では、体の自由度が違うから、読み損ねなければ、ウィルに軍配が上がったのは当たり前の話だが……」
ティリエランが一連の攻防の前半を解説し、
「しかし、左手首を押さえられた時点で、フレオールは折られるのがわかったはずだ。にも関わらず、その中で平静さを失わず、脱出する機会を計ったと見るべきだろう。体を前に倒すほど、腰は浮き、股が開く。手首の骨を折られることなど気にせず、ウィルの抑え込みがゆるむ瞬間を待ち、そこで腰をはね上げ、右の拳を叩きつけ、あの状態から脱した」
後半部分を、信じられないといった面持ちで、クラウディアが語る。
六人の七竜姫は、まだ見ているからこそ、ウィルトニアとフレオールの攻防が何とか理解できるが、彼女たちでも、二人のどちらかと同じことができる自信はない。
他の生徒、教官の中でさえ、さっきの攻防を見ていても、半分と理解できないだけではない。女子生徒の何人かは、ウィルトニアの手のひらを見て、気分を悪くし、顔を青くしているほどだ。
王女と名門貴族の若様のものとは思えぬほど、凄惨な戦いぶりに、ギャラリーはただ気圧され、決闘に声もなく見入っていた。
特に、ウィルトニアなど、石を蹴ったり、つばを飛ばしたり、とてもお姫様とは思えぬ振る舞いが目につくのに、フォーリスすら皮肉や嫌味を口にできぬほど、心理的に圧倒されていた。
「鎧を着けていれば、こんなことにならなかったのですが……」
イリアッシュが眉間にしわを寄せながら、的外れなことをつぶやく。
フレオールが崩れ出したのは、ドラゴニック・オーラを込めた血を食らってからだが、もし双革鎧を着ていれば、右腕に痛手を負うことはなかっただろう。
その点は正しいが、フレオールはそんな見当違いの後悔は毛ほどもしていない。
鎧を着ていれば、ウィルトニアはそれ用の戦闘プランに沿って仕掛けてきただけだろうから。
常の決闘どころか、実戦であっても、手を挙げてもおかしくない両者だが、二人は呼吸を乱し、苦痛に脂汗を額に浮かべながら、戦意は衰えるどころか、痛みに歪む顔に薄い笑みさえ浮かべ、互いに決着をつけんとじりじりと前へ進む。
そして、距離が詰まり、最初に仕掛けたのは、短い武器を手にする側だった。
足元に適当な石ころがないのに、ウィルトニアが右足を振ると、何とその靴がフレオールへと飛ぶ。
ただの靴ならともかく、ドラゴニック・オーラが込められていればかわす他ない。竜騎士、その見習いでも目を凝らせば、ドラゴニック・オーラの有無を見分けられるが、便宜上の竜騎士見習いにはかなわぬ業である以上、フレオールは小さく横に動いて靴をかわし、そこに魔法の短剣で躍りかかってきたウィルトニアの、顔を狙って右手一本で真紅の魔槍を繰り出す。
イリアッシュは顔を狙われた際、やや過剰な反応と守りを示す。否、イリアッシュのみならず、女性はたいてい無意識に顔を庇おうとする。
ウィルトニアにもそうした反応を期待し、また再びつばを吐かれても対応できるようにしたのだが、亡国の王女は激痛に苛まれながらしっかりと握った魔法の短剣で、自分の美しい顔の間近で穂先を受け止める。
魔力で強化された刃は決してヤワな代物ではないが、フレオールが魔力はそれを上回り、打ち砕く。
青白く輝く刃が砕け、真紅の魔槍はウィルトニアの顔へと伸び、その左の頬をザックリと裂く。
とっさに身をひねり、左頬が深く傷ついただけではすまず、強引な回避運動でウィルトニアはバランスを崩し、尻餅をつく。
これで魔槍を突きつければ、フレオールの勝ちとなったが、
「かはっ」
ドラゴンの牙から削り出した短剣が腹に刺さり、口から血を吐いた魔法戦士に、そんな余力などなかった。
つばを吐いたのが、布石となった。また女性の顔ゆえ、その点に意識を向けすぎたのもあるだろう。ために、ウィルトニアが倒れる際、彼女の左手が腰の短剣を抜いて投げたのに、亡国の王女の顔に気を取られていたフレオールは、自分の腹に短剣が刺さるまで、己の敗北に気づけなかった。
「勝負ありよっ!」
そう宣言したのは、立会人である学園長ではなく、魔竜参謀だった。
彼女とイリアッシュは慌てて、倒れたフレオールの元に駆けつけると、
「ハアアアッ!」
竜騎士見習いが自分のドラゴニック・オーラで出血を抑え、魔竜参謀は腹の短剣を抜く。
さらにベルギアットは自分のくちびるを噛んでから、血のにじみ出るそれでフレオールのくちびるをふさぎ、自分の血を相手に飲ませる。
「学園長! 私とフレオール様はしばらく学園を休みます!」
イリアッシュは叫ぶが、この学園の最高責任者の返事を待たず、
「ガアアアッ!」
ベルギアットが吠えるや、空間が歪み、三人の敗者の姿はここから消え失せる。
「ウィルトニア姫がアーク・ルーンに勝ったぞっ!」
敗者らが去ってすぐ、呆然となっていたギャラリーの一人、男子生徒の称賛は瞬く間に全体へと広がってゆき、歓呼の声が校庭に轟き渡る。
もっとも、どれだけ称えられようが、乗竜の能力で回復に専念している勝者には、それに応える余力はなかった。
この時になって、七竜姫の誰かの指示か、担架がウィルトニアの元に向かう。
そして、気丈に振る舞う余裕がないほど、ギリギリの勝利をつかんだお姫様は、担架で医務室へと運んでもらう。
次の戦い。敵の指示で、味方に相対できるまでに、回復するために。




